ソウ
人間とは、悪魔のような存在なのだそうだ。
そう言い聞かされて育ってきたソウはその言葉を疑わないまま成長し、人間討伐軍に入ってからも息をするように人間を殺してきた。
実際、悪魔のようだと思う。自分たち魔族を実験台にして取り出した魔力を凝縮し、それを同種であるはずの人間の死体に埋め込むなんて気が狂っているとしか思えない。
そのドールと呼ばれる死体に、魔族ももうたくさん殺された。自分は感情が薄いらしく仲間だとか絆だとかそういったものはいまいちよくわからないが、自分のテリトリーを犯されるのはいい気分じゃない。だからやっぱり、ソウは人間やその死体を殲滅し続けた。
何も考えずに戦場を駆け回っていると、いつの間にか胸にごちゃごちゃと勲章が増えていた。ある程度の隊を任されるようにもなっていた。面倒だったのでそういうのは部下に任せっきりにしていたが。
ある日、マジックコアの研究所を殲滅する作戦を命じられた。これまでも何度か強襲していたが、そのどれもが失敗に終わっていたらしい。それを快く思わない上の人がいるのだろう。
集まった情報によると、何度も防衛に成功しているだけあってかなり強固で強力な要塞らしく、おそらく多大な犠牲を生むのは避けられなかった。下手をすると生け捕りにされてそのまま実験台にされる可能性もあった。
まあ、そうなった時はそうなった時だ。自分がよほどヘマをしない限り捕まることはないだろう。ソウは複数の隊を引き連れて研究所へ向かった。
そこで、やっぱり人間はろくでもないと再認識した。屋上に、魔族の子供がこれみよがしに捕われていたからだ。
子供の命を優先して一度撤退してしまえば、その作戦が通用すると思った人間たちはこのような手をどんどん使ってくるだろう。作戦を遂行するには、子供を犠牲にしなければならない。
でも、それは正しいのか? 同じ種であるものを見捨てるなんて、それこそ人間のようになってしまうのではないか?
命令を、とソウの答えを急かす部下たちに何も答えられずにいると、屋上へ誰かがやってきた。
白衣を着ているその人間は、どうやら女だった。女は一直線に子供に駆け寄った。
殺すつもりか? 助けに行こうにも、この距離ではもう間に合わない。結局何もすることができず固まっていたソウたちは、信じられないものを見た。
子供が、解放されたのだ。
ポカンとして見ていると、子供は翼を拙く羽ばたかせてこっちへ向かってきていた。行って、と短く命令して近くにいた部下を向かわせた。
少し離れた場所で子供を保護した部下は一応ボディーチェックをするが、何もなかった。ただ本当に解放されただけだった。
にわかに、隊が混乱した。何故、人間が魔族を助けた。
だがソウは右手を上げた。訓練された隊はそれだけで静けさを取り戻した。
いずれにせよ、これはチャンスだった。ソウは手を振り下ろした。
「全隊、突撃」
鬨の声を響かせた魔族たちが、一斉に研究所へと向かった。ソウも風よりも早く駆け抜け、いち早くバリアに到達し、魔力を込めた手でそれを突き破って難なく突破した。
だがバリアはすぐに復元してしまった。他の魔族があれを突破するのは難しいかもしれない。
まあいい、それよりも気になることがある。ソウは目的の人物のもとへまっすぐ降下した。
武器を持っているのでは、と警戒して気配を消して近づいた。だがその人物は給水塔に寄りかかって、全身を脱力させていた。あろうことか目をつぶってさえいて、どう考えても戦場にあるまじき態度だった。
変な奴だ、と思った瞬間、あちこちで爆発音が響いた。しかしそれを意に介した様子もなく、目の前のまだ少女とも呼べる白衣の女はただ気だるげにそこに存在していた。
殺すつもりが半分、しかしもう半分はよくわからないままで少女のもとに来たソウは、疑問をぶつけてみることにした。
「────君、人間のくせになんで魔族を助けたの?」
長い睫毛にふちどられていた瞳が、ゆっくりと開かれた。
ゆるく波打つ長い髪よりも薄い色の、無機質な灰色の瞳。感情の見えないその大きな目に見つめられた瞬間、少女以外のこの世の全てが消えた。
「子供を助けるのに、理由なんかいらないでしょ」
その言葉にハッとして、体の感覚が急に戻ってきた。何だ、今のは。
「でも、魔族の子供だよ」
自分じゃない誰かが自分の口を動かした。
「魔族も人間も関係ない。子供がいなくなればこの世は近い将来本当に終わる。それに気付かない馬鹿な上司の尻拭いをしただけ」
つまらなさそうに少女は再び目を閉じた。
もう一度開けて欲しいな、と思ってソウは気がついた。最初に声をかけたのは、この少女の目を見たかったからだと。その目に、自分を映して欲しかったからだと。
「……ふーん。抵抗はしないの?」
「なんかもう、疲れた」
ソウは自分でもよくわからないまま、少女の首に手を伸ばした。もうこの少女を殺そうとは微塵も思っていなかったのに。温かくて柔らかい、脈打つその首に触れると、ソウの中の何かが歓喜の悲鳴を上げた。
「────ありがとう」
少女が、笑った。その小さな手を、ソウの手に添えて。
ソウの心臓がはねた。その瞬間理解した、この少女に心を囚われてしまったことに。
ふと少女の顔に赤みがさした、と思ったら、瞳から涙がこぼれ落ちた。それを拭ってやりたい、と思うのと同時に、こんなにも少女が死を望む理由が知りたくなった。
ねえ、何故君は終わりを望む?
「君は、」
その瞬間、肩に衝撃が走り、ソウの意識を根こそぎ奪っていった。
それから先は、曖昧な記憶ばかりだ。
液体の満ちた、ガラスでできた筒のようなものに放り込まれている自分は、多分捕まって実験材料にされているのだと思う。
湾曲した視界に映るのは、よくわからない機械と、たくさんの白衣の人間だった。幸いなことに痛みはなかった、力を吸い取られていく不快感はあったけれど。
その中で寝たり起きたりしている時に、いつもあの少女の声が聞こえてきた。
それは何かの報告だったり励ましの言葉だったり、他愛もない話だったりした。聞こえてるのかな、いつかそうポツリと呟かれた言葉に返したかったけど、指一本動かせない上に水の中にいる自分に言葉は喋れなかった。
だけど日にちを把握することを諦めるくらいその状況に慣れると、腕くらいなら動かせるようになり、いつしか視界でも少女を認識することができていた。相変わらず顔はよく見えなかったが、背格好でなんとなく判断できるようになり、何より彼女は他の人間よりもぐっと近づいてくれた。そんなときは精一杯笑顔を浮かべて、彼女に答えようとした。
だから、彼女が撃たれた時はこの世の終わりだと思った。
やっと名前を知ることができた少女は、ソウの腕の中で笑っていた。
「イア、イア!」
命というものがあるならば、それは止まらない血と一緒に確実に彼女から流れ出ていた。こんなに近くにいるのに、確かに触れているのに、彼女の命は薄くなっていく。繋ぎとめられない濃厚な死の匂いに指先が震え、彼女が彼女ではなくなる感覚に死神の存在を知る。
そうしてイアはもう一度笑った。まるで、幸せだとでもいうかのように。
「きみ、は、いきて、ね」
魔法なんかよりも強力な呪いをかけて、イアは逝ってしまった。
やっと、言葉を返すことが、触れることができたのに。
ソウはもう知ってしまった、イアがくれた感情を。激しくて切なくて、何より温かいたくさんの色を持つそれは、今もソウを支配してやまない。もはや彼女と出会ってソウは、別の存在に生まれ変わったと言っても良かった。だから、今更彼女のいないこの世界を生きる気力はなかった。
しかし、彼女はソウに強力な呪いをかけた。『いきて』と、彼女は最後の力を振り絞って、血の滴る口でソウにその言葉を託した。
その彼女は、見たこともないくらい綺麗な顔で。
ソウの中で死にたいという気持ちと死ねないという思いが完全に拮抗した。ソウはどうしていいのかわからずに、答えを求めるようにイアの亡骸を抱きかかえた。
その時、何かが地面に落ちた。
目を向けたソウに、誰かの囁きが聞こえた。
────ドールにして、生き返らせればいい。
それは、悪魔の慈悲だったのか神の犯罪だったのかわからない。でもそれはソウにとってはどうでもいいことだった。
もう一度、イアに会えるなら。
ソウは緑色に光る結晶を掴み、迷わずイアの傷口に押し込んだ。
動かないイアの体を小舟に乗せてオールを漕いでいると、ソウの体に異変が起こった。
見る見るうちに視界が低くなっていく。安定した頃には、すっかり子供のサイズに縮んでいた。
これまでもそうだったが、今は格段に魔力が足りない感じがする。
「まさか、俺のコアがイアに定着したってこと?」
イアはまだ目を瞑ったままだったが、彼女が生き返る可能性が上がったのは間違いないだろう。
早く、目を覚まさないかな。膨れ上がる気持ちを抑えつつ、ソウはオールを漕ぎ続けた。
やがて、変な臭いのする島に辿り着いた。どこを見渡してもガラクタやゴミの山だった。まさかここは、噂で聞く『世界のゴミ箱』、カダミアだろうか。
ならば逆に都合がいい、イアも自分もお尋ね者になっているはずだから身を隠すにはぴったりの場所だろう。
「良かったね、イア。さあ、行こうか」
小さくなって使い勝手が悪くなった体で何とかイアを浜辺に上げた時、再びソウを異変が襲った。
寒い。ありえないほどに寒い。思わず両手で自分を抱きしめるが、それでも寒さはやまない。
そこでソウは気付いた、自分の体がさらに小さくなっていることに。急激な魔力の消費に、このサイズでも姿を保てないのか。
どうすることもできずに、ソウはあっという間に赤ん坊まで退化した。しかし体はそれすらも通り越して、ヒトの形を失ってもなおまだ縮んでいく。
(イア……)
最後に一度だけ大切な人の名前を呼び、ソウは浜辺の砂粒と化した。




