36番目のハラスメント
最近の記者会見やインタビュー報道を見ていると、当事者や質問の内容ではなく、記者の質問の話し方がイラっとくる。
そう、あのテンプレがリフレインする。最近のわか……う、頭が――
最近、言い訳会見の報道が多い気がする。
この前もニュースを流し見ていたら、こんな声がスピーカーから聞こえてきた。
「納得できないから、繰り返すんじゃないですか~」
まあ、だるそうに、億劫そうに、粘っこい言い方だった。
目の前に居たら『親呼んで来い。説教してやる』と、知り合いの頑固おやじなら言い出しそうな、癇に障る話し方だった。
状況を説明すれば『ああ、あの記者会見ね』とわかる方は多いだろう。
ある記者が質問機会以外に発言したソレだ。
生憎発言シーンは音声だけで映像は無かったが、きっと、間違いなく、背中を向けて、意図する相手を吊るし上げるつもりで行われたと断定できる。
もし、これが意図せずやった行為だとしたら、勘違いな奴過ぎて、もうなんだか――
同じ質問には、同じ回答。
当たり前の対応だ。
同じ質問に、違い回答をしていては、逆に嘘とされてしまうだろう。
違う答えがあるなら、新しい要因や状況差異による変化を理由付けする事になるだろう。
答えの内容に満足が得られないから、違うやつが同じ質問を繰り返す。
しかも、感情的に挑発するような話し方・質問の仕方が技術とでも言うように。
どこの刑事ドラマですか。かつ丼ですか、田舎のお袋さんですか。そうですか。
同じ質問を違う言葉で行う。
同じ意味の違う質問を行う。
違う質問で、同じ結果に近づく。
こういう事って、今の記者さんは出来ないんですかね?
ようはアレですよアレ。粘土で形を作って、それをみんなが質問して、何かを当てるゲーム――バルバ……う、頭が――
同じ事をあえて繰り返す尋問手法の確立は古く、それ故に有効な手段であると立哨されているわけですが、
不快感を煽るのではなく、不安感を誘う手法だってわかってる?
苛立たせて、感情的な発言を引き出すのではなく、決定づけた要因の排斥と同じ質問を繰り返すことで、確定した認識(決意といってもいい)の再考を促す手法なんだよね。
「ピチャンと水が落ちたんです」
「本当に水だったの?」
「私はこの目で見たんですよ」
「見ただけで、水かどうかってわかるの?」
「透明だったし、ピチャンって音は、水以外ないでしょ」
「汗かもしれないし、油かもしれない。ひょっとしたら幽霊の血だったかも。本当に水だったの?」
「誰もいませんでした。流しの方から聞こえました」
「『ピチャン』て言うけど、実際に水が落ちる音ってそんな音しないよね。流しならドラムを弱く叩くような音だと思うけど?」
「私には、ピチャンって聞こえたんです」
「ひょっとしたら、水じゃなかったから、『ピチャン』って聞こえたんじゃないの? 本当に水だったの?」
「私は……」
全然違うけど、こんな感じ。
で、本題。
記者さんの技術不足を嘆いているのではないですよ。本当ですよ。本当の本当。本当に本当の本当……
不快感を煽る手法に疑問があるのだよね。
これって、ハラスメントじゃねえの?
セクハラ・パワハラに事欠かない最近。
アレでしょ。ハラスメントは加害者の認識ではなく、被害者の感情で量られるんでしょ?
何つうか、みんな一緒=同じ が好きなのに、おりじなるてぃ が、至上な国民性がよくでてるよね。
もし、相手が海外の常識を持つ帰国子女で、その人に裏ピースや、OKサインを送ったら、ハラスメンとして追及されるのかな。知らなかったからしょうがないとなるの? 日本の裁判。
また話がそれた。
真実を明らかにする。
いいんじゃない。
ただ、真実の開示=悪事を暴く な過ぎないかい?
わかった真実の内、都合の悪い善事が報道されないのは、大人の都合と大抵の人が理解しているだろうよ。
大抵、報道と言うのは、悪事や犯罪、弱者救済が根幹にあると自分は考えている。
だから、記者のインタビューは、容疑者や被疑者、疑惑の人相手になり易く、当然悪意の是是非非を問うモノになるのだろう。
質問の内容や言い方が『我に正義有』に傾くのは、必然なのかもしれない。
だけど冷静に考えてみると、別に記者は被害者なわけではない。
被害者の『代理』として臨んでいるという方もいるかもしれないが、被害者を思いやった報道ってどうよ、実際。
大量殺人があった際は、被害者遺族から被害者の公開は止めるよう要望があったって、報道しちゃってたよね?
事実を知る理由は、相似案件が第三者の自分に及ばないか、または、可能性がある状況かを検討する材料として必要なのであって、当事者でない方々が断罪する為の場所を提供しているわけでない。……と、見たことも無いシャーマンなダンディーが言っていました。たぶん。
またそれた。
まあ、つまるところ――インタビューハラスメント。
略して【インハラ】または【イタハラ】と呼ぶばれる36番目のハラスメントが生まれるかもしれないねって話し。
蛇足ですが、記者会見とか、インタビューとか。実施報道する際、ドラマやアニメのようにスタッフロールが流れると、覚悟ある行為と、程度ある自粛が促されるのではないかと考えてみたり。