不思議を買う男
初投稿です。本作品で登場する2人を主人公にシリーズで書いていこうと考えています。
今日はめずらしく、定時に退社することができた。たまには早く帰って、風呂に入ってビールで一杯やりたい。わたしは首元のネクタイを少しだけ緩めながら、会社の最寄の駅までを急ぐ。
仕事の疲れが溜まっているんだろうか、歩いているうちに少し頭痛や体の節々に痛みがでてきた。なんだろう、どこかから聞こえるサイレンの音で、ますます頭痛がひどくなってきてる気がする。はやく帰りたいが、体調管理も仕事のうちなのでドラッグストアに寄ってクスリを買ってから帰ろう。
近くにドラッグストアはないかと見回すが、ここの大通りにはそれらしい店がない。仕方ないので、あちこち道を曲がって探すうちに、あきらかに目当ての店がなさそうな変な裏通りに入ってきてしまった。
ドラッグストアくらい適当に歩けば見つかると思っていたが、こんなことなら、はじめからスマホで調べるべきだったな。
いつまでもこんなところにいてもしょうがないので、来た道を戻ろうとしたとき、路地のなかにおかしな看板があるのが目についた。
薄暗い、お世辞にもキレイとは言えない様々な看板が出ている裏路地に、周りの店と同じく、地面に置くタイプの看板が出ている。
看板には
【不思議買います】
の文字。
なんの店だろうか。
何屋かだけ見ておきたい気持ちになり、店の前まで進んでみたが、ドアには飾り気のない文字で「不思議屋」とだけ。ますます意味が分からない。結局なんの店なんだ。ものの買い取りは分かるが、「不思議」を買うとはなんのことなんだろうか。
普段はこんな怪しげな店には絶対に近づかないし、入るなんてもっての外だ。それなのに今日は早く帰れて気分が浮ついてるのか、このドアを開けて正体を確かめたい気持ちでウズウズしている。
気づけばわたしは、クスリや頭痛のことを忘れて、その扉を開いていた。
「ごめんください…。」
小さく挨拶しながら、扉を開けた。
なかは電気がついておらず、夕方という時刻と裏路地という立地のせいか薄暗い。なかはてっきり、質屋や金券ショップのような買い取りカウンターなどがあると思っていたが、ワンフロアの事務所のようになっており、奥はデスクのようだが手前は商談用なのかソファが設置されている。イメージとしては探偵ドラマの事務所みたいだ。
誰もいないのだろうか。
店の奥に進もうとすると、カチャリと奥の方で物音がした。奥のデスクの方を見ると、誰かが入口を背にして坐っているようだ。わたしはもう一度大きな声で「すみません。」と声を掛けた。
ようやく声が聞えたのか、こちらに背を向けていたデスクチェアの背もたれがビクンと動き、そして椅子がゆっくりとこちらを向いた。部屋が薄暗いせいで顔がよく見えないが、男が座っているようだった。
「おや、お客様かな」
そう言うのが聞えたと思うと、男は椅子から立ち上がり、薄暗いなか優雅な足取りでわたしの方へとやって来た。
立ちあがった男は予想していたよりも高い。わたしがいま一七〇㎝くらいだがそれより高い、おそらく一八〇㎝はある。
「失礼した。少し瞑想していてね。もうこんなに暗くなっていたか。いま明かりを点ける。そこのソファに座って待っていてくれ。話はそれからだ。」
男はそれだけ言うと電気を点けに再び奥に行ってしまい、ちょっと話を聞くだけのつもりであったが、こうなってはどうしようもないので、わたしは大人しくソファへと腰かけた。
すぐに部屋は明るくなり、男は戻ってきた。明るくなった室内で改めて顔を見ると、きつい眼光が相手を委縮させそうではあるが、自分にはない大人の色気を持つかなりの美系である。三〇歳くらいだろうか、前髪が少し出ているが黒髪を後ろに流しており、黒のシャツに黒のズボンと全身黒づくめだ。しかもわたしのだらしない体と違い鍛えているのか、すっとした佇まいである。
たしかに顔はいい。こんな人間が一般人にもいるんだな、と思う見た目ではある。しかし、男の出立ちや雰囲気は買取り業というより裏稼業の人間という方がしっくりくる。そのギャップがますます胡散臭さを際立たせていた。
「待たせてすまない。今日は依頼人の予定はなかっと思うんだが、飛び入りかな?ではゆっくりでかま
わない、君の口から何があったのか教えてほしい」
男は言いながらさっさとわたしの向かいに座ってしまい、口を挟む暇がない。依頼もなにも、そもそも何の店かわからなくて入って来たのだ。話せる話などあるわけない。こんな怪しい男がやってる店だと知っていたら入らなかったのに。興味本位で入ったと言って逆鱗に触れたらどうしたらいいんだ。様々な思いが一気に駆け巡ったが、いつまでも黙っている訳にも、上手い嘘も浮かばないまま、わたしは重い口を開いた。
「あの…、すみません。実はわたし、お客じゃないんです…。」
「…では、泥棒かなにかか?」
男は怪訝そうに眉をひそめた。
ぎょっとして、わたしは両手と首を横にぶんぶん振って否定した。
「ちがいますちがいます。無断で入ったことはお詫びしますが、決して泥棒や怪しい者ではありません。
…たまたま店の看板を見まして。なんの店なのか気になって、好奇心に負けて入ってきてしまいまし
た。お仕事中に申し訳ありませんでした。すぐに帰りますので…。」
「…いや、気にしなくていい、いまのは冗談だ。…せっかくうちに興味を持っていただいたんだ、ご質問
があればお答えしよう。いまは俺しかいないから、もてなしもなにもできないが。」
男は少し驚いた顔をして、考え込むようなポーズをとっていたが、突然人好きする笑みを浮かべて提案してきた。
「よろしいんですか。お仕事中なのでは…。」
「大丈夫だ。今日の仕事はもうあらかた終わっていた。」
貴方の聞きたいことにお答えするよ。と男は微笑みながら言う。
「…ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて」
男はちょっと失礼、と言うと、デスクに戻り何かを手に取って戻ってきた。手にはタバコと吸い殻が山のように入った灰皿。
席に着くと、わたしのほうをチラリと見て、「申し訳ないが、ここは喫煙可なんだが、タバコは大丈夫か?」と尋ねて来たので、問題ないと答えた。
男はタバコに火をつけて、上手そうに煙を吐くと、
「では、まず自己紹介から。俺はこの『不思議屋』の代表、日蔭 清士郎。といっても、この店は俺とい
ま外に出ているもう一人しか従業員がいないから、俺も従業員とさしてかわらないが。」
日蔭と名乗る男は、吸い殻を絶妙なバランスで灰皿へねじ込むと、わたしの方へと前のめりになり、
「それで、貴方が聞きたいことは、この店がなんなのかということでよかったか?」
「あ、はい。その、看板に書いてある『不思議を買う』という意味が気になりまして…。あれはどういう
意味なんですか?オカルト商品の買い取りとか、そういった類のことなんでしょうか?」
オカルト商品と聞いて、日蔭は鼻で笑う。
「まず大雑把に説明すると表にも書いてあるが、ここは不思議の買い取りを専門にしている。買い取ると
は言っているが、モノ、つまり物体がなくてもかまわない。例えば不思議な体験をしたという話だけで
もいい。そしてその買い取った不思議を欲しい人間に売っている。小説家や脚本家、ほかにはオカルト
マニアなんかの物好きだな。たまにだが、不思議の買い取りだけでなく、不思議現象の調査・解決を依
頼される場合も別料金で請け負う。まあようは、不可思議な現象全般を扱う店だよ。」
日蔭は一気にしゃべりきると、一息つくようにまたタバコをふかしはじめた。他に質問は?と目で促してくる。
「その、不思議とは具体的になんなんですか?いまいちイメージできない。心霊現象とか…?」
「心霊現象も扱うが、それ以外もだ。UMA、超能力、妖怪など架空といわれている事象はもちろん、ス
トーカー、殺人鬼、隣人…。身近に起きる不思議も扱う。」
「…超常現象の部分はわかりましたが、身近に起きる不思議とは?ストーカーとかってただの事件ですよ
ね?」
身近な不思議というジャンルがいまいち分からず首をひねる。
「これはうちの商品ではないが、例えばある霊能力者が自分は霊視が出来ると言って、連続殺人犯の次の
犯行現場や、被害者を次々に言い当てていった。しかし、これだけの霊視が出来るのに、犯人の居所だ
けははぐらかす。なぜだと思う?」
「…それは、その霊能力者が犯人だったからでは?」
「半分アタリの半分ハズレだ。実際に霊能力者とは別に連続殺人犯はいたんだ。ただし、途中で連続殺人
の加害者から被害者に立場が変わったがね。つまりこの霊能力者は連続殺人犯を殺して被害者に加えた
上で、連続殺人犯以降の被害者の情報を霊視したように発表していたんだ。自分の霊視が本物だと世間
に思わせ、なおかつ長く活躍の場を持つ為に。事実は小説より奇なり。現実で起きる不思議もばかにで
きない。このように身近で起こる奇妙な出来事も扱っている。」
日蔭が表情で納得したかと聞いてきているが、なんだかな。
「…失礼ですが、そんなもの実際に売りに来る方や買われる方はいるんですが。はたから聞いているとと
ても商売として成り立ちそうには思えないんですが。」
「蓼食う虫も好き好きさ。世の中には色々な人間がいて、価値を置く部分が違う。貴方にとっては売れな
いものに見えても、必要としている人間は一定数いるということさ。」
まあ、たしかにその部分には納得できるが。そもそも本当に不思議なんてものを売る人間も買う人間もいるのだろうか。もう少し、どんな不思議があったのか聞きたいと思い、口を開こうとしたとき、
ドンドンドン‼おいっ、開けろっ‼
突然の大きな音と乱暴な言葉に、わたしは思わずビクッとしてしまった。
何事かとわたしが事務所のドアを見ると、日蔭はなんてことない、という風に「いま手が離せない。自分で入ってこい。」と扉に向かって声を掛けた。
「おい、扉くらい開けてくれてもいいだろう。」
そう言いながら、少年が一人、大きな買い物袋を三つも下げて入ってきた。少年はハーフなんだろうか、中世的な顔立ちで、薄いブロンドの髪だ。おそらく20歳にはまだいっていないだろう。だが一番驚いたのは、どこぞの俳優やモデルかと思うくらい、整った顔立ちということだ。日蔭の顔も女性受けしそうではあるが、目つきや独特の雰囲気は人を選ぶだろう。しかしこの少年は透き通るような白い肌、日本人にはない青みが買った瞳、小さな顔など、まさに少女漫画の白馬の王子様のイメージそのままの人物だった。
青年はわたしがいるのに気づくと驚いた顔で、日蔭とわたしの顔を見比べ、
「来客中とは気づかず、失礼いたしました。僕は日蔭の同僚でキリヤと申します。日蔭にはもう依頼内容
はお話になられましたか?」
と買い物袋を慌てておろして、微笑んでくれた。
「気にすることはない、キリヤ。彼は依頼人ではなく、うちの看板を見て興味を持った奇特な方だよ。」
わたしが答える前に、日蔭が答えてしまう。
途端にキリヤという少年は、先ほどまでの笑みが引っ込み、わたしをまじまじ見ながら、
「…そう、なんですか。」
とだけ呟いた。
キリヤのあからさまな態度の変化と不躾な視線に一瞬ムッとしたが、すぐに申し訳ない気持ちになった。お客でもないのに長居して、おしゃべりをしているだけ、一銭にもならない。そんな男が職場に居座っていれば、少年の反応も仕方がない。
「すみません。ご厚意に甘えてしまって長居をしすぎました。わたしもそろそろ帰ります。」
わたしが帰宅を申し出ると、キリヤも自分の態度に気づいたのか慌てて、
「あっいえいえ、ゆっくりしていってください。どうせ今日はもう店仕舞いの時間で暇ですし。…そう!ケーキ!よろしかったらケーキ、食べていきませんか?せっかくいらしていただいたのに、お茶の一つもだしていないようで申し訳ない。僕が作ったもので申し訳ないんですが。」
「えっ、悪いですよ。お客じゃないのに」
いいからいいからと、キリヤは奥に引っ込んでしまう。なんだか逆に気を遣わせてしまったな、と申し訳ない気持ちで待っていると、キリヤは人数分のケーキと紅茶を持って帰って来た。
「お口に合うといいんですが…。」
だされたのは、レアチーズケーキと紅茶。
紅茶は淹れたてのようで湯気も出ている。しかし香りがしない。なぜだろう。やっぱりこんな怪しげな商売だと、稼ぎがないせいで安い茶葉なのか。味も薄い。というか色つきのお湯のようだ。チーズケーキも食べてみが、これも味がしない。味付けなしの豆腐を食べているような気分だ。
「相変わらず、料理は、上手いな」
「料理ではなくケーキ。スイーツだ。」
日蔭とキリトは軽口を交わしながら、美味しそうにお茶をしている。これは糖分制限などでわざと味を薄くしているのだろうか。二人の体つきは細身でひきしまっているし。
しかし、ご馳走していただいている身分で「不味い。味がしない」とは口が裂けても言えないので、美味しいと感想を言いながら、味なしケーキを色つき湯で流し込む。
気づけば事務所を訪ねて1時間以上がたっていた。わたしは今度こそ事務所を後にすることにした。二人は玄関口まで見送ってくれた。
改めてお礼の言葉を伝え、事務所の扉を閉めようとした。
すると日蔭から不意に、
「今回のあなたの訪問を、どこかでネタとして使わせていただけないだろうか。もちろん容姿や名前はだ
さない」
と尋ねられた。
一瞬、怪しい店に出入りしたことが会社にばれたら面倒だなとは思ったが、タダでおしゃべりに付き合ってもらい、お茶までご馳走になった負い目もある。わたし個人を特定できる情報以外ならという条件で了解した。
「でも、わたしが訪ねてきた話なんてネタになりますかね。」
「本人が気づいていないだけで、他者から見れば奇妙ということもある。」
日蔭はふっと微笑むと、
「またお会いできる日を楽しみにしています。今度こそ依頼人という形で。」
そう言って、今度こそ静かに事務所の扉は閉じられた。
わたしはしばらくドアの前でポーっとしていた。なんだがとても不思議な体験だった。店に入ってからまだ1時間ほどしかたっていなかったが、もっと長い時間を過ごした気がする。頭のなかだけ時間のなかを一気に駆け抜けたような気分だ。
だがいつまでもこうしてもいられない。再び家へ向かって歩き出した。
事務所を出てから、また頭痛と体の痛みがぶり返してきた。それになんだがさっきよりも息苦しく、歩きづらい。どうしたのだろう、風邪でも引いたのだろうか、そのせいであまり食べ物の味を感じなかったのかもしれないな。帰る前にやはりクスリを買っていこう。
わたしは自宅近くのドラックストアを思い出しながら、帰宅ルートを考え始めた。
来客を帰すと、事務所に残った二人は向かい合うようにソファに腰を下ろす。キリヤはお茶をした食器をまとめ、日蔭は新たなタバコに火をつけ始める。
「…気づいてないんですかね、あれ。」
「ああ、気づいてないだろうな」
「あんなに、臓物垂れ流してるのに」
キリトは先ほど訪ねてきた男の姿を思い出す。男は擦り傷というにはあまりにひどい傷を全身に作っており、血まみれだった。それだけではなく、何かに押しつぶされたように全身がへしゃげており、内臓・脳・目玉などが本来の場所から飛び出していた。
「まだ生きていると思ってるんだろう。あの感じは交通事故かな。まだそう時間がたってない。」
日蔭が答えながら煙草の煙を吐くと、キリトは嫌そうな顔をして煙を掃う。
「さっき帰ってくる途中の交差点で事故があったみたいだった。救急車もきていたし。」
キリトは改めて、男が出て行った扉を見た。
「あの人、また来るかな。」
「どうだろうな。だが、次に来るとしたらその時は本当の意味で依頼人として来るだろう。」
日隠はそう言うと、吸い殻をもはやオブジェと化している灰皿に、無理やりねじ込んだ。