第1話 When you gaze into the abyss, the abyss gazes into you
第1話 When you gaze into the abyss, the abyss gazes into you
世の中には、たくさんの種類の人間がいる。
人の世の中はそのたくさんの人間で形成されている。それはよく考えると、いや、考えるまでもなくとても危険なことではないか。
自分本位の人間は周りの人間に必ず迷惑をかけるし、まずそのような人間は何を考えているのか分からない。
自分は誰なのか、何者なのか、それを確認するのは1人では無理だ。だからその確認を他者に委ねる。そして自分の存在を確認する。だが、もし仮に自分本来の姿を見失ったものが現れるとするならば、それはもはや人間ではない。なぜなら、それは必ず本能的にどんな手段を使っても自分の存在を主張するために予想外の行動に出る。いわば獣のようなものだ。
その獣を残念なことに、狩猟しなければならない。その獣のせいで何百という人間が被害を被る必要は無い。その目的で作成されたのがSCT、特別犯罪対策チームである。
政府直轄のこの組織は主に、凶悪犯罪を相手にし、言うなれば日本のFBIのようなものだ。その仕事は政府から依頼され、必要とあらば日本全国を飛び回るエリートチームだ。
しかし、残念なことにその存在は公にはされていない。潜入捜査などの任務をこなすことがあるために構成員の名前は伏せられているのだ。
ある朝、夏目悠太はよく知る天井の下で目が覚める。目覚ましを止め、カレンダーを確認すると今日は四月の金曜日のようだ。1週間というのも早いもので、もう一日もすれば楽しい週末が待っていると普通の高校生なら思うことだろう。しかし、悠太には若輩ながらも仕事がある。憂鬱な気分を振り払うかのように一気に体を起こし、学校の準備を始める。机の上には今はもうこの世にいない両親の写真。おはようと一声かけてから台所へ向かう。
悠太の家は郊外にある小さな一軒家で、これは両親のものをそのまま使っている。一人暮らしには広すぎるが、学校が近いという理由で、両親を無くしてから5年程ここで暮らしている。
流石に5年も一人暮らしをすると自炊や洗濯などの家事は一通りこなせるために、今朝も慣れた手つきでトーストを焼き、乾燥機から洗濯物を取り込みさくさくと畳んでゆく。
ものの10分で用意を済ませた悠太はもう1度両親の写真に向かって行ってきますと小さく呟き自宅を後にした。
学校につくとクラスメイトがもう何人か教室に来ていた。悠太のクラスは1年1組、教室があるのは最上階の4階の一番奥だ。つい2週間前に入学式を終えたところで、あまり知り合いもいないが、橘という少年とは席が隣というよしみで挨拶程度と少しの会話を交わすほどの仲にはなっていた。
「おはよう!」
橘が朝っぱらにも関わらず、元気よく挨拶をする。
「おっす」
と悠太も返事を返す。すると話題は昨日の事件のことに変わる。
「昨日の事件またニュースで取り上げられていたな、どの番組も特番が組まれてやばかったぞ」
昨日の事件というのは、最近話題の連続殺人事件の事である。悠太が住む成城市で1週間程前から犯行が行われているもので、被害者は昨日の女性で3人目だ。
「そうなのか…」
「そうなのか、じゃねえよ。昨日の騒ぎに気づかないとは、さてはお主昨晩はお盛んだったか~?」
「お盛んって何がだよ…」
橘は以下にも男子高校生のテンプレのような人物だということは入学1週間で気づいた。
「何?何かって?そんなこと、こんなところで言えるわけねぇ~!!」
意外にも初である。
「はーい、席につけ~。おい、橘、いつまでも中学生の気分でいるな!少しは大人にならないものか?」
担任の先生に早速注意を食らう。安城姫紀という名前の新任の教師で、赤みがかった髪の毛に、スレンダーな体型、オマケに顔は女優顔負けの美人という申し分のない女性だ。
「あ、そうだ、夏目、後で話がある昼休みに職員室にこい」
唐突に呼び出しを食らった。
「おい、悠太お前早速なにかやらかしたのか?はっ!まさかお前昨日の件で…!」
もちろん違う。恐らく昨日の件…要は連続殺人事件の事で呼び出されたのだ。
何を隠そう、この姫紀は日本特別犯罪対策本部STCの人間なのだ。そして、夏目悠太は彼女の直属の部下でなき両親の代わりに身元引受人をかってでてくれた。もちろん橘含め、クラスメイトには内緒である。
「はい、姫紀さん分かりました」
橘のことは無視して答えると、不意に姫紀が顔を寄せてきた。
「学校では安城先生だろ…!」
周りには聞こえない絶妙な音量で怒られた。
「わ、わかりました…、安城先生…」
「よろしい♪」
姫紀の顔は笑顔に戻っていたが、悠太はこれが社交向けの笑顔だと完全に見抜いていた。
昼休み。悠太は約束通り、姫紀のもとに向かうことにした。橘にお昼は一緒に食べれない旨を伝えて足早に職員室へと足を運ぶ。
目的地に着き、横開のドアを上げようとすると中から悠太と同い年位の少年が出てきた。帽子を目深に被り、それよりもこの学校の制服を着ていない。恐らく私服の学校に通っているのだろうと勝手に解釈をする。
「あっ…すいません」
少年は悠太の謝罪に答えることも無く、足早に職員室をあとにした。無視されただけでなく、睨まれた気がする。
「…なんだよあの態度は」
流石に悠太も聖人君主ではないので多少頭には来てしまった。
「おぅ、夏目か入れ入れ」
奥の客室から姫紀が顔を出しながら悠太を呼んでいる。
呼ばれたとおり、職員室を客室に向かってほかの教員に会釈をしながら横断する。姫紀はいかにも客室を占拠しているが、恐らくまた許可を得ていないのだろう。ほかの教員からの目が痛い…。
「呼ばれた通りきましたよ、どうせ昨日の件ですよね?」
「どうせとはなんだよ、仕方ないじゃねぇーか、悠太に知らせなかったら私が上から怒られるんだよ」
姫紀は、2人きりの時は悠太と呼ぶ。悠太も2人の時は姫紀さんと呼ぶ。これは2人の中で関係を悟られないためである。
「そうでなくてもいつも無茶して怒られてるじゃないですか、今更そんなことで怒られても変わらないでしょ?」
「お前はいつからそんな減らず口が叩けるようになったんだ?昔は健気な可愛い男の子だったのになぁ」
「健気なのは、生きるために必死だったからですよ」
悠太にとって、とある事情で周りには大人が多い。仕事柄大人と関わることが多いので大人と会話するのは慣れているが、姫紀に関してはその大人達と話す時とはまた違う。なんというか、分け隔てなく話せる数少ない大人の1人なのだ。
悠太の毒に対して、姫紀はむぅと口を曲げる。
「それより、さっきの人は姫紀さんに会いに来たんですよね?」
「さっきの人?」
「とぼけないでくださいよ、帽子を被っていた私服の子です。まず姫紀さんは既に客室に入っていた、そして僕に対するほかの先生からの視線が少し強かった。これって僕が来る前から誰かが客室にいて、姫紀さんが連続で人を呼び出している証拠ですよね?」
悠太は自分の推測を口にする。
「まぁその通りだが……。まぁ丁度いい、さっきの者は隣町の捜査官だ」
捜査官と言うと、悠太を例外とすれば学生でSCTの捜査官をやっている者は他に聞いたことがない。姫紀の話が本当だとすると、自分よりも年下の捜査官がいた事に少し戸惑いを覚える。
「……で、その捜査官の何が丁度いいんですか?」
戸惑いを他所に姫紀の話を進める。
「昨日の話はもう聞いているな?」
昨日の話―連続殺人事件の事である。無言で頷いてみせる。
「察しの通り、その事でお前に頼みたいことがある」
想像していた通りの流れにな悠太は無言で続きを促した。
「ここ1週間で3人目だ……。しかもその全てがこの付近の高校に通う女子生徒ばかりを狙っている」
「はい……、ニュースでそのように聞いています」
「手口は全員ナイフでズタズタに切り裂かれ、裂傷が全身数10箇所にも及んでいるんだ、そして、被害者にはある共通点があることが分かった」
これはニュースでは報道されていない情報だ、恐らく警察関係者にしか知らされていないのだろう。
「……というと?」
「実はな…全員、目だけは先に潰されているんだ」
「…目ですか?」
よほど注意深い犯人なのだろう、女生徒と言えど先に目を潰し体の自由を制限した上で犯行に及ぶ。
「ああ、よほど注意深いやつなんだろうな」
姫紀が悠太と思ったことと同じことを口にする。
「恐らく背後から薬かなにかで眠らせた後に、目にナイフを一突きだ、被害者は全員失明している」
「……その後で、被害者は暗闇の中で痛みに苦しみながら死んでゆくんですか、人のやることじゃないですね」
「それはいつものことだろう、いいか、いつも言っている事だが、こういうやつらを人間だと想うな、同類だと思うな、気持ちを解ろうとするな」
これは姫紀が悠太としている唯一の約束だ。悠太が捜査官になる時にこれだけは守れと言われた。異常者たちに関わることで自分の精神が病んでいく、そんな同僚を姫紀はこれまで見てきた。悠太にだけは…そうなってほしくないのだ。
「分かってますよ、"When you gaze into the abyss, the abyss gazes into you"(深淵を覗く時、また深淵もこちらを覗いている)ですよね、で、頼みというのは?」
「ああ、そこで悠太には付近の聞きこみ調査および、警戒パトロールにあたって欲しい」
まぁ流石に高校生にメインの捜査はやらせてもらえない。悠太は内心不服であったが、今は大人しくその他のみを聞くことにした。
「……了解です」
「すまんな、また何かあったら連絡してくれ……くれぐれも無理だけはするなよ」
そう言って姫紀は教室とはまた違った、優しい笑顔を向けてきた。