真っ白な獲物、赤褐色の世界
「えっと……」
初体験のフルダイブ型MMOゲーム。
仮想のその世界を全身で感じ、そして、戸惑いの声を漏らす、 赤須百々 、プレイヤーネーム『シルエラ』。
自身の分身となる姿を設定し、ゲームの説明を受けた直後に彼女の目に飛び込んできたのは、一面赤褐色の荒野である。
◆
【楽園開拓】。
そのゲームは当初、荒涼した世界をプレイヤーたちの手で作り変えることを目的として開発された。
単に娯楽目的ではなく、火星テラフォーミングのシミュレーションと言う産学連携プロジェクトの側面も持ち合わせていた。
しかし、一定数のプレイヤーを確保するためには娯楽としての要素も必要であると言う事から、銃火器を用いた戦闘要素を取り入れた事。
火星と言う想定環境をシビアに再現したことから、荒涼した大地に草を生やすことすら困難な世界が誕生した事。
更に、人体への影響度合いを測ると言う目的のため、ゲーム内のプレイヤーアバターに必要以上に人体構造の作り込みがなされた事。
そう言った要素が絡み合い、プレイヤー達がゲームの遊び方として与えられた銃火器で他者を攻撃する事を選択するのにそれ程多くの時間は要さなかった。
他のどの娯楽ゲームより殺し甲斐のあるアバター。
切れば血が流れ、致死量に至れば死亡する。
腹部を切れば、内臓が露わになり、頭蓋をかち割れば脳漿が飛び散る。
それは単に作り込みの結果であるが、本来許可されない領域まで再現が及んだのは研究目的と言う性質を持ち合わせていたからに他ならない。
結果、最後までプレイを続けたプレイヤー達からは、その異常なゲーム性に関わらず大きな満足度をフィードバックとして受け取りβテストは終了した。
そんな世界に馴染まない常識あるプレイヤーは、早々に、何も言わずにゲームから離れた結果であるのは言うまでもない事であるが。
しかし、βテストの結果を問題視した学術側は正式にプロジェクトからの脱退を表明した。
その裏に、十分な予算が確保出来なかったと言う事情があったのだが、βテストを口述に出来たことは学術側にとって幸いであった。
それに対し、ゲームの実態には大して興味のない産業側の意思決定者達は、βテストユーザーからの概ね好意的な評価のみを判断材料に正式サービスとしてリリースすることを決定する。
しかし、βテストの内容を知って悪評を受けたくない学術側と、研究を主目的として開発許可を申請したが故、学術側に手を引かれるとリリースが不可能であるという産業側の事情から、学術側は開発協力と言う肩書を残す事となり、研究を主目的としたゲームとしてリリースされるのである。
βテストの様相は風評として広まっており、正式なリリースを待ち望む半ば思考の外れたプレイヤー達はそのリリースに歓喜した。
結果、そのゲームは産業側の目論見通り、好調な滑り出しを見せた。
しかし、順調なのは始めだけであった。
当然だろう。
コンテンツは殺人のみ。
直ぐに人は離れ出した。
しかし、開発としてβテスト当初より関わっていた人間達は当然その事を予期していた。
彼らは矢継ぎ早にアップデートを繰り返し、破壊のための兵器を次々と世界へ投入して行く。
殺害数ランキングも設けた。
倫理制限を全て取り払った。
そうやって、ゲームの寿命を少しづつでは有るが延命し続けた。
救いのないゲームに興じるプレイヤーたちを見下しながら。
◆
従兄弟から、FDVRギアを譲り受け、『引退したから』と彼がプレイしていたゲームのアイテムやゲーム内通貨等を保管した場所のパスワードを教えられて始めてみたのだけれど……。
何? このゲーム。
さっきチュートリアルで『世界を開拓し、緑あふれる楽園を創造しましょう』って言って無かった?
何で、こんな荒野のど真ん中に立っているの?
何処かに町か何かあるのかしら?
どうしよう。
どっちに歩けば良いのか分からない……。
◆
ここでシルエラの記念すべき初プレイは終了となる。
直後、飛来した赤外線誘導式対戦車ミサイルの餌食となり、一瞬にして現実に戻されるからである。
人に対して使うにはあまりに凶暴過ぎるその兵器は、爆破と同時にシルエラのアバターを粉微塵に粉砕した。
そして、ミサイルに取り付けられたカメラが着弾までを映すその様を嬉しそうに熟練プレイヤーが眺め、すぐさま興味を失いその場を離れるのである。
発射炎を確認した他者からの攻撃から逃れるために。
結果、逃れられず彼も死の餌食となるのであるが。
◆
あれ?
気付いたら現実のベッドの上に居た。
故障?
接続不良?
取り敢えず、もう一回行こう。
せっかく可愛いアバター作ったんだから。
私はARで浮かぶメニューを操作し、とても楽園とは思えない世界へ再びログインした。
立っていたのはさっきと違う場所?
後ろに大きな陥没がある。
隕石でも落ちたのかな?
され、これからどうすれば良いんだろう?
困ったな。
チュートリアルで渡されたのは、ライフル一つ。
モンスターが襲ってくるのかな?
取り敢えず、移動しようかな。
て言ってもどっちに行けば良いんだろう。
目印なんて無いのよね。
良いや、こっち!
適当に右を向いて歩きだす。
目指せ! 楽園! 周りは荒野だけど!
◆
100m程進み、彼女は再び現実に戻る。
誰かが仕掛けた地雷を踏んだからである。
こうして、初ログインから五分もせずに二度死んだことになるのだが、幸か不幸か一瞬でその体をバラバラにされたのでその事実に気付けないのである。
プレイヤーランクや、殺害数、被殺害数などから算出される、デスペナルティ。
本来、死亡時には再プレイまでに制限時間が設けられているのだが、ゲーム開始直後で何ら実績の無い彼女にはそれがほぼゼロ秒であり、何一つ疑問に思う事なくプレイを再開出来た事もその一因であろう。
◆
何だろう。
接触不良かな?
香島の兄さんに文句言おうかしら。
釈然としないまま、また荒野を歩く。
しかし、何にも見えない。
どこまで行けば良いんだろう?
あれ?
何か動いている。
土煙……?
何だろう、
遠くに見えるそれに目を凝らす。
それは次第に大きくなり、それと共に軽いエンジン音が聞こえてくる。
バイク……かな?
立ち止まってそれを観察。
……こっちに向かってる。
初めて人に会えるかも!
どうしよう。
イケメンだったりしたら……。
……大丈夫。
このアバターは可愛く作れてる!
そんな風にちょっとドキドキしながらそのバイクが近づくのを待った。
「おや、可愛いお嬢さんがこんな所に一人?」
エンジンを切らずにバイクに跨ったまま言ったその人は、残念、女の人だった。
黒い長髪に、荒野に似つかわしくない黒革のライダースーツ。
赤いルージュが女の私から見ても色っぽい唇。
残念ながらゴーグルを付けてるから、目元はよくわからないけど。
「今日から始めたんです! よろしくお願いします」
「そう」
軽く口角を上げる表情が、ゾクッとするくらい様になってる。
「ここに居たら危ないわ。すぐ死んじゃうわよ?」
「え?」
強いモンスターか居るのかな?
「後ろ、乗りなさい」
「あ、はい」
とは言ったものの、乗ったこと無いな。
バイクって。
戸惑いながらバイクに跨る私を、黙って見つめるお姉さん。
「私はエリス。よろしくね」
「シルエラです! よろしくお願いします!」
「揺れるからしっかり掴まりなさい」
「は、はい」
エリスさんの腰に手を回し、体を預ける。
昔見た映画だとこんな風に乗っていたなと思い出しながら。
どうしよう。
ちょっとドキドキする。
荒野を砂煙りを上げながら、ジグザグに走るエリスさん。
道なんか無いのにどうしてだろう。
そんな疑問が浮かぶけれど、走りながらだと喋る事なんてとても出来ない。
やがて二人を乗せたバイクは停車する。
遺跡?
廃墟?
崩れた壁が辛うじて半分になった屋根を支えて居る。
そんな建物。
ドアは無くて入り口がぽっかり空いている。
でも、その直ぐ横の壁が完全に崩れていて、入り口の意味が無いなー。
「ようこそ。我が家へ」
エリスさんがゴーグルを外しながら言った。
茶色い瞳の長い睫毛。
とびっきりの美人。
……私のアバターだって負けてない、はず。
「我が家?」
こんな崩れかけの建物が?
「そ。て言ってもまだ二晩くらいしか寝てないけど」
笑いながらエリスさんが入り口の様な所をくぐって中へ。
慌てて着いて行く私。
テーブルとイスを組み立てるエリスさんを眺めながらいくつか質問をする事にした。
「あのー開拓してる所って遠いんですか?」
熟練者らしきエリスさんがこんな所に住んでいる訳はなさそう。
多分どこかから遠征とかに来てるんだ。
「ここには無いわね」
手を動かしながら答えるエリスさん。
「じゃ、ずっと遠く?」
「そんな建設的な事をしてる人は居ないって事」
簡易なテーブルとイスを置いて、微笑みながらエリスさんが言った。
そして、建物の隅に無造作に置かれた荷物の中からキャンプで使う様なバーナーを取り出しテーブルの上に置く。
そして、その上に小さなケトルを置いてペットボトルで水を注ぐ。
「何も知らないのね?」
バーナーに火をつけながら優しい口調で言う。
「はい。知りません」
手で合図をされたので、イスに座りながら正直に答える。
ギッっと金属が軋む音がした。
そんなに重く無いぞ!
「じゃ、全部教えてあげる」
ステンレスのカップを二つと、コーヒードリッパーを用意しながらエリスさんが言った。
あっという間にお湯が沸いて、それを注ぐと、コーヒーのいい香りが立ち込める。
エリスさんはそれを当然の様にブラックで飲みながらこの世界の事を全て説明してくれた。
◆
「女の子にやらせるゲームじゃ無いでしょう!?」
『あーやっぱりそうだったか』
仮想ウインドウの先で、従兄弟が悪びれた様子も無く言う。
プレイヤーキラー、所謂PKだけで成り立って居るゲーム。
誰もが誰かを倒す事を目的にして動いている。
私が最初に二回現実に戻ったのも殺されていたかららしい。
そう言う説明をエリスさんは丁寧にしてくれた。
けれども、いくら丁寧に説明をしてくれても、そんな世界、はい、そうですか、なんて納得出来る訳は無い。
少し混乱したまま、エリスさんにお礼を言ってログアウトした。
去り際に、「明日もここで待ってるわ」と、そう微笑みをくれたけど、それに対して返事は出来なかった。
『ま、ストレス解消とか、気分転換だと思えば』
「一面荒野の世界で?」
『荒野だから良いんだよ。余計な事を考えるのが馬鹿らしくなるほど静かな世界。わからないかな?』
「そんな事言ってる間に殺されちゃうんでしょ!?」
『いやーでも、モモに上げたギアは特別製だから大丈夫だと思うよ』
「特別製?」
『そう。僕がちょっと手を加えてるんだ』
「え、何それ?」
『アバター動作の最適化学習領域を増強してあるんだ』
「何それ?」
全然わから無い。
『つまり、使えば使うほど使いやすくなる訳だよ。使い込めば余計な情報を自動でカットする様になって来る。
所謂、ゾーンに入るって言う状態を意図的に作り出してるんだ。
仮想世界で』
全然わから無い。
「それって、チートって言うもの?」
『違うよ。プロスポーツ選手が道具にお金をかける様なものさ』
そうなのだろうか?
違いがわから無い。
『まあ、気に入らなければ今度違うゲームで面白そうなの聞いておくよ』
「うん……」
全く。
相変わらず何を考えてるかわから無い人だ。
通信を切ってベッドに横になる。
どうして私が殺し合い何かしなきゃならないんだ。
◆
「おかえり」
「……ただいま」
ログインすると、エリスさんの住処だった。
そして、昨日の言葉通りにエリスさんが待っていた。
「ここで少し遊んでみる?」
「……はい」
「そう。じゃ、私が戦い方を教えてあげる」
そう言ってエリスさんは嬉しそうに微笑んだ。
どうせ他にやる事なんかないのだ。
少し、エリスさんに付き合おう。
◆
銃の撃ち方。
ナイフの使い方。
その他の武器。
身の隠し方。
敵の見つけ方。
罠の張り方。
罠の外し方。
バイクの乗り方。
ジープの乗り方。
偵察機の飛ばし方。
偵察機の落とし方。
コーヒーの美味しい淹れ方。
一カ月程掛けて、エリスさんはそう言った事を丁寧に教えてくれた。
何人か言われるままに倒した。
それは、何と無く嫌な事だったけれど、それがこのゲームだからって割り切った。
事あるごとに微笑むエリスさんの側に居るだけで楽しかった。
◆
「もう一ヶ月ね」
ステンレスのカップでブラックコーヒーを飲みながらエリスさんが微笑む。
この人は、誰かに銃を向けている時も時折微笑みを浮かべている。
不思議な人だ。
私はミルクと砂糖をコーヒーに入れる。
「そんなに経ちましたか」
「どう? 楽しい?」
「よくわかりません」
こうして、エリスさんとゆっくりするのは楽しい。
でも、戦いは楽しくないな。
甘くしたコーヒーを一口。
「私はね、とっても楽しいのよ?
何でかわかる?」
「何で……」
ですか?
そう、言うつもりだったのだが、言葉が繋げなかった。
何時の間にか手からカップが滑り落ちコーヒーが溢れていた。
そして、体が傾き、そのまま薄っすらと砂の被った床に崩れ落ちる。
◆
『混沌女神』。
プレイヤーネーム『エリス』には、そう言う二つ名があった。
今、床に崩れ落ちたシルエラがそれに気づかなかったのは無理はない。
日間、週間、月間で更新される殺害数ランキングには二つ名が並んでいるし、当人が名乗り出なければ誰が誰であるのは判然としない。
他人がそれを偽ることも容易だ。
そこに大したメリットは無いが。
「こうやって、私を信じっきてくれた貴女を裏切って殺してしまうからよ」
笑顔でそう言い放ち、ナイフを取り出す。
それを、その言葉の意味を理解しようとしているシルエラに向ける。
眉間に皺を寄せようと表情筋を動かそうとするがコーヒーに混ぜられた筋弛緩剤の効果によりそれは叶わない。
「長かった。この一ヶ月」
エリスはこうやって、長い時間をかけ対象に取り入り、そして、裏切って殺すことを至上の喜びとしてきた。
その度に顔を変え、名を変えて。
明日からはエリスと言う名を名乗るのプレイヤーは居なくなり、混沌女神の殺害数が一つ増えるだろう。
通常、複数人の組織の中に入ってそれをする事が多い彼女にとって、シルエラと言う取るに足らない相手を標的に選んだ事に大きな意味は無い。
強いて挙げるならば、ただ新規のプレイヤーが珍しかったからと言った所であろう。
真っ白な何も知らないプレイヤーが。
それ故、一ヶ月もの間、楽しみを先延ばしにしてこの時を待った。
「そうやってね、裏切られてしまった可哀想な人に追い打ちを掛けるように殺すのが、とても楽しいの」
ナイフの刃をシルエラの膝から太腿へ這わせる。
赤い線が一筋。
その傷を、更に指でなぞり、赤く染まった指を見て満足そうに彼女は笑う。
「ああ、可哀想なシルエラ。もう会うことも無いでしょう」
そう言って、ゆっくりと首にナイフを押し付け、涙に濡れるシルエラの目を見ながらゆっくりと喉笛を切り裂く。
空気の漏れる音をさせた後、シルエラの目は焦点を失う。
あまり嬲っていると強制ログアウトで逃げられてしまう事を彼女は経験上から知っていた。
◆
殺された。
私はベッドに横たわったまま、その事を漠然と考えていた。