~誓い~
「お待たせいたしました。旦那様がご到着されましたのでこちらへどうぞ」
優子さんとの会合から4時間が経ち、早いところでは夕飯になる時間になってようやく旦那様がご帰宅なされたようだ。
再び食堂へ訪れた僕たちを待っていたのは白髪交じりの壮年の男性だった。
「お久しぶりです。お父様」
まずは様子見、といった感じの挨拶をする柚希様を尻目に成川家の総裁、智和様は席を立ち、真っ直ぐに僕の方へと歩いてきた。
「君は・・・」
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私は尾上灯華と申しま--」
と、そこまで言いかけたところで総裁殿は僕の肩をポンと叩いた。
「尾上・・・聞いたこと無いがきっとさぞかし名のある名家の生まれなのだろう。立ち振る舞いでわかる。とりあえず席に座りたまえ。今食事を用意させる」
と、柚希様には一言も話しかけずに戻っていった。
横目で柚希様の様子を伺うが、無表情のままだった。
「で、私に話とはなんだね。尾上君のことかな?」
ワイングラスを煽りながらようやく智和さんは柚希様に話しかけた。
「はい、本日はそのことに付いてお話があります。私は今、尾上さんと交際させていただいております。将来も視野に入れてのお付き合いです。なので縁談のお話を取り下げてもらいたくて参りました」
「・・・」
柚希様が話し終えても智和様は何かを考えた様子のまま黙ってしまった。
少しの間の沈黙、僕からも何か言ったほうがいいかと思い口を開いた瞬間、智和様が話し始めた。
「尾上君と言ったかね。君のお父様はどんなお仕事をされてるのかね」
僕の家について聞かれるのは想定内だったのであらかじめ用意してあった解答をそのまま答える。
「一般企業のサラリーマンです。お恥ずかしい話ですが成川さんのお家とは比べるまでもありません」
「そうか。なら柚希とは別れてもらう。若いゆえ身の程知らずなのは致し方あるまい」
と、それだけ言って再びワインを飲み始める。
だけどこれも想定内。
「理由は聞くまでもありませんが、どうしても認めていただけませんか」
柚希様はやや前のめりになって智和さんに問いかける。
「あぁ。他の家に嫁いで私の利益になるのがお前の使命だ。益のない結婚をさせるつもりはない」
と、智和様が柚希様の目をじっと見つめた
「では契約違反と言うことで今後私の会社からの援助は止めさせていただきます」
しかしそれを受けて柚希様は鞄の中からとある書類を取り出した。
「これは去年、あの日の契約書です。ここにしっかり記載されてます。私に不利益になることが起きた場合は援助を中止する、と」
今成川家の財政は危うい状態になっていて、柚希様個人の会社や色々なところから援助を受けてなんとか耐え忍んでいる状態なのだと聞いた。
だから今回の最大の切り札はこれ。
「彼と別れることでお前に不利益?笑わせないでくれ。一般家庭生まれの彼に何ができるというんだだね」
「私が芸術家への道を目指していることはご存じだと思います。その目標のために海外での生活をする可能性だってありますし、語学が堪能な彼は欠かせない人です」
「語学・・・か」
「はい、彼はフランス語と英語であれば日常会話レベルでも問題なくできます」
「そうか、でもダメだ。通訳を雇えばいいだろう。今回の縁談を破棄することの損害に比べれば安くすむ」
やはり認めるつもりはないようだ。
いっそ僕が長光家の次男だと言えれば話は即解決なのだが長光家のいざこざを美羽様が解決するまではその案を使えない。
「彼を認めてもらえないなら支援を打ち切るだけです。今日はそのことだけ言いにきただけですから。失礼します」
と、席を立って食堂を出ようとした瞬間、優子さんが食堂に入ってきた。
「いいじゃありませんか、尾上さんと少しお話しましたがとても素敵な人でしたよ」
フォローしてくれるのかと思った・・・けれど優子さんは心の内をいよいよ見せてきた。
「こんな子要らないと言ったのは智和さんでしょう?私もこんな子娘だなんて思ってませんし、良家に嫁がせて金づるにできないのはやや残念ですが自ら居なくなってくれるのであればどこの貧乏に押し付けても一緒ですよ」
昼間話した時の違和感はこれだったのかと。
まだ智和さんの方が思いやりがあるのだと、この人は初めから柚希様のことなんてどうでもよかったのだと思い知った。
「・・・っ」
柚希様が唇を噛み締めているのを見て言い返そうと思ってしまった
「あなたは--」
僕の口を遮ったのは柚希様本人だった。
「ちょうどいいじゃありませんか。私もあなたたちを家族とは思っていないし、独り立ちできるだけの金もある。それではさようなら、もう会うことはないかもしれませんね」
今生の別れを吐き捨てた柚希様はとても悲しそうな笑顔で食堂から出て行った。
帰りの車で柚希様は無言で、違う話をして気持ちを切り替えてもらおうと思ったのだが・・・どうやら今は僕の言葉が届かないようだった。
帰るころには夕食の時間だったのだが、「夕食は要らない。明日の朝は起こしにこなくていい」と業務のような言い方で僕に伝えると自室に戻っていった。
家族の事は嫌いだとおっしゃっていた。家族に嫌われていることもわかっていただろう。
それでも面と向かって言われるのはきっと辛かったはず。
家族の居ない僕には決して理解のできない痛み。
「灯華さん、柚希様をお願いしますね」
藤田さんはそれだけ言ってキッチンの方へと行ってしまった。
我ながら情けない・・・藤田さんに背中を押されなきゃわからないなんて。
今柚希様には助けが必要なんだ。
僕は柚希様の部屋へと駆け足で向かった。
「ん、灯華か」
柚希様の部屋へと行くと電気を付けず、真っ暗な部屋の中でベッドに座っていた。
「隣、いいですか?」
返事が返ってこなかったので僕は隣に座る。
しばらく無言だったがやがてポツリと話してくれた。
「ようやく縁が切れて嬉しいはずなんだ・・・積年の願いだったし」
でも、と柚希様は続ける。
「胸に、こう、なんて言っていいかわからないんだが、穴のようなものが空いた感じなんだ」
僕は柚希様の手をそっと握る。
「これで本当に孤独になったからだろうか。死んだ時に誰も看取ってくれないんだと思うと流石に悲しくなるな」
「私が居ます。私だけじゃなくてヘレーネ様たちや藤田さんたちも居ます。安心してください」
「・・・そうだったな。ありがとう」
柚希様は頭を僕の肩に乗せる。
「君が居て本当に良かった。なぁ、一つ聞いてもいいか?」
「はい」
「側にいてくれるか?死が2人を分かつまで・・・」
『死が2人を分かつまで』それは結婚式で使われる近いの言葉。
それを理解した上で僕は答えた
「はい、誓います」
「ん」
僕は柚希様と見つめ合うとそっと唇を重ねた。




