~目が合えばそれは出会い~
ヘレーネ様たちが来て2週間、夏休みもそろそろ中盤に差し掛かった頃、事件が起きた。
「お待たせいたしました」
柚希様から内線で呼び出された僕は朝食の用意を中断し、残りは小暮さんに任せてお嬢様の部屋へと来た。
「非常事態だ・・・」
「えぇ・・・困りましたね」
部屋には既に藤田さんも来ており、ただならぬ事態が発生していると思われた。
「あぁ、灯華か。来てくれてありがとう。とりあえずそこに座ってくれ」
柚希様に促されて椅子に座る。
「ほんとに急な話ですまないと思ってるんだが、今夜、とある人との会食が決まったんだ」
「は、はぁ。では夕食はご用意しなくてもいいんですね?」
このようなことでわざわざ藤田さんと僕の2人を呼ぶ必要はあったのだろうか。藤田さんから伝言でも大丈夫だったのではと思ったが、そんな簡単な話ではなかった。
「まぁ、最後まで聞いてくれ。企業の人と言ったが、フランス人なんだ、いつもなら藤田を連れて行くんだが・・・」
「本日は私、どうしても外せない用事がございますので、代役を探しているのです」
相手がフランス人・・・なるほど、それで僕が呼ばれたのか。
「フランス語は話せなくはないが自信がない。だから通訳も兼ねて君を連れて行くたいんだが大丈夫だろうか」
「えぇ、もちろん構いません。ですが1つだけ問題があります。以前勤めていたブリエンヌ家の主人は大変顔が広い方で、何度もパーティ等を開いていました。僕もその際にはボーイとして参加していましたから、顔見知りという可能性もありますので、お相手のお名前だけでも確認させていただけないでしょうか」
「ファッションブランドのデザイナーで、名前はシルヴィ・バルタンという女性なんだが」
名前はもちろん知っている。フランスで今人気のあるデザイナーだ。
「名前は存じております。ブリエンヌ家とはあまり交流がなかったはずなので大丈夫だとは思います」
そもそも有名になったのはここ最近だし、旦那様は近頃パーティを開いていなかった。
「なら、君に任せようと思う」
「はい。あと、もう1つだけ確認したいことがあります」
「ん?なんだ」
「女装でなくてもいいでしょうか」
「ダメだ」
あ、ダメなんだ・・・。
シルヴィさんは男性が苦手だということで柚希様とお会いになる時は必ず藤田さんを指名してたとのこと。
どうやら今回で5回目の食事とのことで、どうやらだいぶ仲が良いようだ。
場所を用意したのはシルヴィさんで、銀座の高級旅亭を選んだ。
「彼女はいつもここなんだ。ちょっと変わってるけど頑張って耐えてくれ。一応私の事業のお得意様なんでな」
そういえば柚希様はどうやら実家から飛び出した後、ファッションでの事業を始めたらしい。
普段あまり服装にこだわっているようには思えないが・・・。
車で30分ほどで目的の場所へと着いた。
既にシルヴァ様は到着されているようなのでやや急ぎ足で店内に入る。
「お待ちしておりました。ご案内します」
女将も柚希様の顔を知っているためか、何かを言う前から既に案内の体制に入っていた。
付いていくと当然だけれども個室が用意されていた。
柚希様はノックをして襖を開く。
「ユズキ!」
中で座っていた赤髪の女性は立ち上がると駆け寄ってきて柚希様に抱きついた。
「おい!苦しい!」
「会いたかった!!」
やはり日本語はあまり喋れないのか、途中からフランス語になっていた。
「ワオ、今回はあなたが藤田の代わり?」
「はい、初めましてシルヴィ様、柚希様の付き人を勤めさせていただいております。尾上灯華と申します」
「あら、とても上手ね。ほとんどネイティブじゃない」
「ありがとうございます」
今日の会合はあくまで柚希様とシルヴィ様のもの。必要以上の事は話さないようにして柚希様の横に座った。
「それで柚希、食事の前に軽く商談をしたいのだけれどいいかしら」
それを僕は訳して柚希様に伝える。
「あぁ構わない。とりあえずこれが企画書だ」
柚希様は僕に渡さず自分で持って来たブリーフケースから何枚かのコピー用紙を渡した。
「うん素敵ね。ありがとう。じゃあこれは私から渡しておくわ。連絡はいつもと同じくメールでね」
2人の間に入って通訳をしていると途中で女将さんが料理を運んできた。
「とりあえず商談は終わりね。食事にしましょう」
僕は女将さんの配膳を手伝う。
「ところで柚希、その女の子とても可愛いわね。一晩貸してくれない?」
食事を始めて最初の話題がこれだった。
どう訳そうか迷っていると、柚希様が助け舟を出してくれた
「新入りなんだ。お気に入りだから断る。あと灯華、商談は終わったし、シルヴィも日本語はわかるから通訳はもう大丈夫だ」
「かしこまりました」
なるほど、大切な商談だとキチンとした言葉などを使うからやや難しい単語も混ざる。しかし日常会話程度なら問題ないということだろう。
「あぁ、日本語も大丈夫よ。わからない単語が出たら教えてね」
「あと、シルヴィは同性愛者だから」
あ、なるほど、それで僕に一晩一緒になんて言ってきたのか。男だとバレたのかと思って焦ったけど大丈夫だったようだ。
なにせ相手はファッションデザイナーだ。素人の女装なら見破られそうで怖かった。
ヨーロッパにも同性愛者は居たし、旦那様の知り合いにも居たからさして抵抗はない。そもそも芸術家やデザイナーには多いと聞くし。
「ドイツの友人も灯華を勧誘するから困ってるんだ。君まで加わらないでくれ」
「だってこんなに可愛い女の子見たことないわ。まるで理想の女性像がそのまま現れたみたい」
あ、ヤバい流れだ。
「男性の想像する一番の女性って感じね」
ズバリ言い当てられてしまった。確かに僕は男だし、僕が男ならこんな女性なら・・・という部分があるのは間違いない。
「私の使用人が務まるくらいだからな。そういう人でなければ無理だ・・・そういえばシルヴィはどうなんだ。彼女とは上手くいっているのか?」
柚希様が適当に流そうとする。
それを聞いてシルヴィさんはニヤっとする。
「えぇもちろん。毎晩ベッドで愛し合ってるわ」
思わぬ返答に柚希様の顔が真っ赤になる。
「食事中だからはしたないのは控えてくれ」
「はしたない?始めて聞く単語ね」
わからないとのことなので僕がフランス語にして伝えるとなるほど、と納得してくれた。
「ごめんなさいね。普段から適当に生活してるし、こういうきちんとした場での食事も柚希以外とはしないから慣れてないのよ」
それでさっきからあまりマナーが・・・。
不快ではないが周りにいなかったタイプの女性なので驚く行動を見せる時がある。
ただ柚希様はあまり気にされていないようなのでわざわざ何か言う必要もあるまい。
「じゃあ今度はトウカに質問ね」
「はい、お答えできることであれば」
柚希様は的が僕になって安心したのか、ほっと一息してから食事を続ける。
年齢や趣味、今日の下着の色と、実に様々な質問に答えていく。
「これから私のベッドに来ない?」
「申し訳ございません」
「あら残念。あなたはとても素敵な魅力があるわね。まるで貴族みたいな品があるし、流暢にフランス語を話すし、本当に使用人?」
「はい、そうです。以前にフランス人の主人に使えていた時期がありましたので、たまたまフランス語を覚えただけです」
男だとバレないように必死に答えながら質問の雨をなんとか耐えしのいだ。
「じゃあねユズキ!また会いましょう!トウカもね!」
まるで嵐のような人だったなぁと、額の汗を拭う。
「えらく気に入られてたじゃないか」
「そうですか?フランス語が流暢な日本人はあまり居ませんから珍しかったんではないでしょうか」
「・・・まぁいいや。次は藤田を連れてこよう。君を連れてくるとホテルまで拉致されそうだし」
「さすがにそこまではしないんじゃないでしょうか」
変わっている人ではあったけど悪い人ではなかったし。
「存外、ありえない話ではないかもしれないな」
去り際にシルヴィ様が僕に名刺を渡していったのだ。
もちろん捨てるわけにもいかないけど、連絡先は柚希様が知っているのだからわざわざ僕に教える理由は1つしかない。
「一応連絡しといてやれ。変な文章送ってきたら相談に来い」
「はい、そうさせていただきます」
つまりこれは僕とプライベートで話したいという意味だった。
やっぱヨーロッパの人はぐいぐいくるなぁ。
と、屋敷にいるヘレーネ様のことを思い出す。
「そういえばヘレーネ様から帰りに買い物を頼まれていました。少し寄っても大丈夫でしょうか」
「あぁ構わないよ」
柚希様の了承を得てから僕は車のキーを回してエンジンを掛けた




