~邂逅~
日本の空港に降り立つと、僕を出迎えたのはスーツを来た壮年の男性だった。
どうやら長光家の使用人のようで、僕を見つけるとすぐにお辞儀をした。
「お待ちしておりました、瑞樹様。長光家の使用人の、橘と申します。お荷物をお持ちします」
フランス語で話しかけられたので、僕も日本語は使わなかった
「あ、いえ大丈夫です。」
10年近く使用人として働いていたために、誰かに荷物を持ってもらうという考えがそもそもなかったが・・・。
「ご子息様に荷物を持たせたままでは私が叱責されてしまいます」
なるほど、たしかにブリエンヌ家にいた頃、旦那様や奥様がご帰宅なされた時は僕が荷物を預かってお部屋まで運んだ。
それは当たり前のことだ。
「わかりました。すいませんがお願いします」
着替えを詰めたトラベルバッグを橘さんに渡す。
時計を確認するとまだ午前11時、ほぼ半日の時差の旅で体の感覚がズレている。
すぐにフランスに戻れるのだろうか、できるなら早く帰りたい。長光家ではなく、ブリエンヌ家のあのお屋敷が僕の実家だ。
遠い実家に思いを馳せていると、人にぶつかってしまった。
「おっと」
「あ、申し訳ございません!」
とっさのことだったためフランス語が出てしまった。
慌てて日本語で言い直そうとしたが、伝わったのかその人はすぐに顔を緩めた。
「いや、大丈夫だ。君こそ大丈夫だったかい?」
ぶつかってしまったのは20代前半くらいの若い男性だった
「はい、私は大丈夫です、すいませんでした」
久しぶりに話す日本語はきちんと伝わっただろうか
「今度から気をつけてね。じゃあ俺急いでるから」
小さく微笑むとその男性はそのまま歩いて行った。
「瑞樹様?いかがなさいましたか?」
僕が付いてきていないことに気がついた橘さんが戻ってきた
「いえ、なんでもないです。久しぶりの日本だったのでつい足を止めてしまいました」
「そうでしたか、日本は観光するには素晴らしい国です。しかし今日はこれからすぐにお屋敷までご案内することになっております。申し訳ありません」
正直言えば日本にあまり良い思い出はないし、観光名所もわからない。観光しようとは思わなかった。
そのまま、どこか冷めた心で空港を出ると、入口近くにリムジンが停めてあった。
しかもこの入口、どうやら一般の人が入れない場所のようで、周りには誰もいなかった
「こちらへどうぞ」
橘さんが後部座席のドアを開け、乗るように促す。
「はい」
どうやら本当に家族として僕は呼ばれたみたいだ。
今更どうして、という気持ちで埋め尽くされ、感謝なんてないし、僕に血の繋がった家族は母が死んだ時にいなくなったと思っている。
長光家の皆様も、厄介者の僕がいなくなって安堵したはずだ。
謎ばかりが増え、空港からお屋敷までの2時間はずっと解けない問題を解くような気持ちに支配された。
そしてついにお屋敷に着いた。
大きさで言えばブリエンヌ家のお屋敷のほうが大きかった。
とはいえ大きな庭付きの豪邸であることには変わらないのだ。
リムジンのドアが橘さんによって開けられ、ついに僕は長光家に戻ってきた
そのまま僕は客間へと通され、荷物はお部屋に置いておきますと、どこかへ運ばれてしまった。
よくわからないまま、使用人の感覚が抜けず座っていいのかもわからず部屋の中に立ちつくしてしまう。
このお屋敷には使用人はあまりいないようだ。
迎えに来てくれた橘さん、それから今紅茶を持ってきてくれた女性、それから廊下ですれ違った若い女性の3人しか見かけなかった。
ブリエンヌ家には10人以上いたので常に誰かしらと顔を合わせることになっていたので違和感を感じた。
あまり大勢の使用人を雇わず、必要最低限のお世話だけをしてもらうことにしているのだろうか。
それにしても、と部屋を見渡す。
ブリエンヌ家はあまり着飾ったりしないお家柄だったため、家具など内装はきらびやかな物は少なかった。ヴィンテージ物より使い勝手の良い物を好んでいたため、内装だけで見れば貴族とは思えない家だった。
しかし、このお屋敷も、いやブリエンヌ家のお屋敷よりも内装にこだわりは感じられない。
テーブルに椅子、サイドテーブルなど、もちろん高価なものが置いてある、しかし・・・部屋から浮いているように感じる。テーブルと椅子でデザインが揃っていない。
この感覚は何度もある。それは、新品の家具を置いたときだ。
よく観察してみれば絨毯も、椅子もテーブルもほぼ新品に近い。
まるで今日のために急いで用意したもののようだ。
部屋の違和感を確かめているとドアがコンコンとノックされ、そしてドアが開かれた。
現れたのは小柄の女の子。長い黒髪は肩より下まで伸ばしており、一歩歩くごとにふわりと揺れる。
顔も綺麗に整っており、思わず見とれてしまった。
「あなたが瑞樹さんですか?」
その小さな口から日本語が発せられた
「あ、はい。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。長光瑞樹です」
そう答えると、少女は客間の椅子に座り、対面の椅子に座るように促す。
「そうですか、とりあえず座ってください。葵、人払いを」
葵と呼ばれた女性のメイドは紅茶を用意し終えると部屋を出て行った。
「まずは挨拶をしておきます、私は長光美羽、戸籍上ではあなたの妹です」
「っ!?」
妹がいることは知っていたけれど、やはり実際に会ってみると心から何かが溢れ出ようとする。
それでも知らない感情に戸惑いながらも平静を保つ。
僕の家族はブリエンヌ家の皆だ、この妹とは確かに同じ血がいくらかは流れているのだろう、それでもあの仕打ちを忘れることはできない。この妹がやったことではないし、関係無いのはわかっているが、割り切ることなんてできなかった。
「その、あなたには申し訳ないと思っています」
心にしっかりと鍵を掛けたが、それでも尚、妹の謝罪に揺さぶられる。
「申し訳ございませんが、美羽様に謝罪をしていただく理由がありません」
懐柔されまいと言葉を紡ぐ。
この人達は母の敵だ。
惑わされるな。
「きっと、私がいくら謝罪をしても、あなたは受け入れてくれないとは思ってます。聞くところによればブリエンヌ家で幸せそうに暮らしているとのこと。それでも今回は、あなたを助けるために呼びました」
僕よりこの女の子のほうが辛そうな顔をしていることに気づき、心を許すわけではないが、まずは落ち着いて話を聞いてみようと思った。
「実は、長光家の現当主である、清廉様が現在病気のため、危篤となっております」
「ご当主様が?」
清廉様ということは僕の祖父だ。
「はい、ですがつい先日までお元気だった方のため、後継を誰にするかまだ決まっていないのです。」
なるほど、話は見えた。よくある話だ
「長男は若い頃に亡くなられてますから、順当であれば次の当主は次男の隆道様、私達の叔父です。が、隆道様は事業に失敗され、借金も作り、家族内ですら印象が良くありません。となると次は三男の澄司様です」
美羽さんは家系図を書きながら説明してくれた。
「ですが次男を差し置いて三男が跡取りになることを次男一家は認めず、跡取りになることを主張するはずです。しかしギャンブルで借金を作ったり、会社経営に失敗を続けている隆道様が当主になれば長光家の存亡すら怪しくなります。」
美羽様は隆道一家の3人を丸で括る。
「それを阻止したい私の父は争う意思を示しました。」
次は三男の澄司一家の長男の悠斗様以外の澄司様、奥様の悠美様、そして美羽様の3人を丸で囲う。
「清廉様の意思を仰がず家族で何か決め事をするときは必ず家族で投票を行い、多数決で決めてきました」
つまり、この丸は隆道様に投票した3名と、澄司様に投票した3名を示している
「私の兄、悠斗様は今回の投票には参加しませんでした。家族ごっこに興味はない。勝手にしてくれ、 と。」
それで三男一家でも悠斗様は丸で囲われていないのか。
「そしてここからが本題です」
綺麗な指でボールペンを操り、三男の澄司様の横に線を引き、僕の母の名前、はるみと書いた
「私の父には母以外に愛した女性がいました。そしてその女性は子供を産んでいます。正妻の子ではないけれど、父にはもう1人、子供がいるのです」
そして下に線を伸ばし『瑞樹』と書く。
「3対3の状態で膠着してる父ですが、次の手を打とうとしてます」
美羽様はボールペンを置き、僕の顔をじっと見つめる。
「叔父と父はこれからあなたを探すでしょう。そして今までの非を侘び、あなたに取り入ろうとするはずです。そうしてあなたを味方につければ4票になり、次の当主となることが決まります。」
「そのために今日僕はここに呼ばれたのでしょうか」
率直な疑問だった。僕の票を得たいと美羽様が思うのであればこのことは説明をせずにいたほうが取り込みやすかったはずだ。
「今日、あなたをここに呼んだのは私の独断です」
美羽様はまるで懺悔をするかのように続ける。
「あなたには幸せになって欲しいのです。なに都合の良いことをと思われるかもしれませんが、私はあなたをこの醜い家族争いに巻き込みたくないのです。」
切実な告白だった。
「未だ事態を全て把握できているわけではありませんが、大体の事情はわかりました。あなた様の気持ちも嘘ではないと信じます。確かに私の望みは穏やかに暮らすことです。家督争いに参加するつもりはありませんし、この心は一生ブリエンヌ家の使用人として過ごしたいと言っております」
そう言うと美羽様は安心したかのように優しく笑う
「私を信じてくれてありがとう。では私の考えた案を説明しますね」
美羽様は冷めかけた紅茶を一口飲んでから説明を始めた




