~あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい~
翌日、いつもより5分寝坊した僕は急いで身支度を整えていた。
「・・・絶対昨日のアレだ」
寝坊なんてほぼしたことがないが、原因はわかってる。間違いなく昨晩のアレ。
思い出すだけでも鳥肌が立ちそうなので、記憶の奥底に封じ込めるようにしながらウィッグを固定する。
もはや手馴れたものだ。
「慣れてきてる自分が嫌だ・・・」
変態への道を進んでいるような気分になりながらも、お嬢様を起こしに行かねばと気合を入れ直す。
朝、僕たちが教室へ入ってくると、一瞬だが教室の空気が変わった。しかしすぐに元に戻る。
どうやら表立って何かをしてくる気配はなさそうだ。
「おはよう神林さん」
既に自席で読書を始めていた神林さんに柚希様が声をかける。
「おはよう。昨日はありがとう」
「こちらこそ。楽しんでもらえたなら幸いだ。あぁそうだ、灯華」
柚希様に促されたので、ポケットから銀のヘアピンを取り出す。
「昨日、食堂を清掃していた時に落ちているのを見つけました。神林様かヘレーネ様のどちらかの物だと思うんですが・・・」
「あ、申し訳ございません。私の物でございます」
手を挙げたのは意外にも椿さんだった。
ヘアピンを返すと椿さんは大事そうにカバンの中へしまった。
「本当にありがとうございます。無くなっていることに今朝気づいたんですが、見つかってよかった」
どうやら大事なもののようで、安堵しているのがわかった。
「では着席してください」
時間きっかりに福田先生は教室に入ってきた。
「本日から本格的に授業を行います。第一回なので題材は指定します。まず描いてもらうのはこの学校の校舎です。この校舎を水彩画で描いてもらうのが最初の題材です。」
「質問です」
教室の前の方で手が上がった。
「どうぞ」
「この校舎ならどの角度からでもいいんですか?」
「はい、自由です。自分の好きなように描いてください。それと期間ですが、本日が火曜日なので、来週の月曜日までとします」
絵については詳しくないが、4日間の授業時間で描けるものなのだろうか。
「もし金曜日までに仕上がらない場合、土日も学校を開放してますので。」
となると期間は6日か。
一瞬ざわついた教室だったが、土日の開放もあると聞くと静寂に戻った。
「それではさっそく始めてください。基本的に学校の敷地内でお願いします。私も回りますので何かありましたら声をかけてください」
天気も良いし雨の心配もなさそうだ。
「灯華、荷物を頼む。さっさと行こう」
みんな美術科の生徒だけあって次々と教室を出て行く。
なるほど、場所取りもあるし早いに越したことはなさそうだ。
「はいかしこまりました。」
折りたたみ式のイーゼルの入った袋を肩から担ぎ。絵の具や絵筆などの入ったバッグを持つ。
「私たちも行きますわよ」
「はい」
ユリアさんも小さい体でありながら荷物を持ってヘレーネ様と教室を後にする。
「さて、どこにするかな」
校舎の外に出て、良い場所を探す。
校舎の周りをぐるっと1週して、柚希様は南側の正門前を選んだ。
「じゃあそこに置いてくれ」
柚希様の指定した場所にイーゼルとキャンバスを設置する。
「ありがとう。あとは待機しててもらって構わない」
「あら、柚希もここにしましたの?」
東のホール側からヘレーネ様がやってきた。
「あぁ、そうだが」
「真正面を選ぶだなんてあなたらしいわね」
そう言いながらヘレーネ様はユリアさんにイーゼルを設置させる。
「同じ場所を選ぶのは構わないが、おしゃべりはしないからな。もしおしゃべりするなら灯華としてくれ」
そういうと柚希様は鉛筆を走らせる。
「私も始めるとしましょう。ユリア、しばらく待機してて構いませんわ」
「はい」
邪魔にならないようにと少し離れたベンチにユリアさんと2人で座る。
「今日は良い天気ですねぇ」
世間話の導入と言えば天気の話だろうと、手持ち無沙汰になってしまったユリアさんに話しかける。
「ほんとですね、半袖でもよかったかもしれません」
「腕まくりしても黙っておきますよ」
小声で言うと小さく笑いながらユリアさんはメイド服の袖を少し捲った。
お嬢様の前でやるのははしたないと思われるだろうが、今は使用人同士だし問題ないだろう。
ただ僕が腕まくりをすると肌の露出が増えて男だとバレる可能性があるのでやらないでおこう。
「尾上さんはとてもお綺麗ですね」
まさかいきなり褒められると思ってなかったので面食らってしまった。
「ありがとうございます。ユリアさんもとても可愛らしいと思いますよ」
複雑な心境ながらも褒め返す。
実際ユリアさんは可愛らしいと思う。小柄な体型に栗色の長い髪。保護欲をそそられるとでも言うのだろうか。
「灯華さんとお呼びしてもよろしいですか?」
「えぇもちろんです。私と話すときは敬語でなくても構いませんよ」
「ありがとうございます。いきなりは難しいので徐々にそうしていきますね」
ニコニコするユリアさんはやっぱり可愛らしかった。
「私、灯華さんが羨ましいです。美人だしお料理も上手だし」
「相談があるなら乗りますよ」
俯くユリアさんは何かに悩んでいるように見えた
「私、ほんとにダメダメなんです。失敗ばかりして・・・。それなのにヘレーネ様は今回の付き人に私を選んでくれたんです。だから私も期待に応えたいんですが・・・」
そこで口をつぐんでしまう。
「それでもヘレーネ様はユリアさんを見限ったりはしてないのですから大丈夫です。期待されているのだと思いますよ」
僕もブリエンヌ家に仕え始めて最初の3年くらいは失敗ばかりだった。それでも周りの先輩や旦那様、それから奥様も僕の事を見捨てずにここまで育ててくれた。
「もし、私で教えられることがあるなら教えますよ」
「本当ですか?ありがとうございます」
ユリアさんはさっきまでの笑顔を取り戻してくれたようだ。
「これからも相談に乗ってもらってもいいですか?灯華さんは話しやすくて・・・」
「もちろんです!私でよければいつでも相談に乗ります!」




