第四章 睡蓮の『灯』り PART7
9.
風呂から上がった後、椿と待ち合わせをし夕食のテーブルに向かった。まだ夕食の時間には遠く三人で近くの土産コーナーを物色することにする。
「あ、リリーさん見て下さい、熱帯魚が泳いでますよ」
桃子の視線の先にはディズニーで有名になった熱帯魚が光を浴びてスイスイと泳いでいた。これだけ和で統一されていた空間だけに違和感を覚えてしまう。
食事処を一瞥すると、受付のあるロビーは全て和の様式をとっているのに対し食事を取るテーブルは洋の形式をとっている。名称もレストランルームとなっており新品同様の看板が光っている。無駄に大きい椅子が部屋に溶け込めていないように感じる。
突如、流暢な英語が聴こえてきた。その口調からしてイギリス英語のようだ。リリーはそちらの方に耳を傾けた。
そこには体格のいい外国人と恰幅のいい日本人が豪勢に話をしていた。後ろ姿しか見えないが、どちらもきっちりとしたスーツ姿だ。ビジネスの関係だということは一目瞭然だろう。
懸命に英語で説明していることから察するに日本人が接待をしていると考えられる。スリッパにしても同じ客同士のはずなのに外国人の方が綺麗なものを履いているからだ。
スーツの日本人はどうやらここに何度も泊まったことがあるらしく、よく鶴の間を使用しているとのことだった。
彼の説明が聞こえる。鶴の間というのはここの旅館で一番いい部屋で三種類の貸切風呂を使用できるらしい。その貸切風呂は単純温泉、炭酸物泉、塩化物泉の三つの順で楽しめるらしく外国人が満足することは間違いないと熱く語っている。彼もその話を聞いて楽しみにしているようだ、声を高らかに上げて笑っている。
その笑い声を聞いてリリーは耳を疑った。特徴のある笑い方だった。彼の顔を見てリリーは驚愕した。
「お父さんっ」
その声に反応するように外国人の男がこちらに振り返った。
父のストックがそこにいた。
「おお、リリー。久しぶりだね。どうしてこんな所に」
声のトーンは高いが、淡々とした口調は相変わらずで英語のままだった。目つきは鋭く、親子なのによそよそしい感じを受ける。
「友達と温泉旅行に来ているんです。日本に戻ってきてるのなら連絡を下さいよ」
リリーも英語で返すと、彼はほっと息をついて謝った。
「申し訳ない、今日着いたばかりだったんだ。連絡のしようがなかった。許してくれ」
ストックは大袈裟な手振りでリリーに謝罪している。その様子を見て恰幅のいい男もこちらを見つめてきた。その目には好奇の色が滲んでいる。
「……娘さんですか?」
「そうだ。こんな所で出会えるなんて本当に素晴らしい偶然だ」
……そんな気持ちなんてないくせに。
リリーは心の中で毒気ついた。だが家賃を払っていない自分がそんなことをいえる立場にはない。
「私もです。元気にされているようで何よりです」
椿と桃子も気づいたようで、二人の視線はリリーとストックの間で右往左往していた。桃子がたまらず声を掛けてくる。
「リリーさんのお父さんですか?」
桃子はストックの写真を見たことがある。しかしそれは二十年くらい前の写真だ。今の父親に面影はない。
「そうよ。あれが私のお父さん」
「これがお前のお友達かね? 英語も話せない友人を持っているのか。学力のかけらさえ感じないな」
ストックは英語を止めず彼らを卑下し冷たい視線を寄せた。もちろん彼は日本語も話すことはできるが、自分の立場が上の場合、英語でしか話さない。父はそういう人種だ。
「ここは日本です。英語が話せなくても暮らしていけます」
「相変わらず考えが狭いな」ストックは鼻で笑いながら続ける。「そんな友人と温泉に来て何を話すというのかね、それでお前に何のプラスになる?」
「友人を侮辱するのは止めて下さい。この方達は私の大切な友人です」
「大切という意味をわかっているのか? 何のきっかけで付き合うようになったのか知らないが、今すぐ切った方がいい」
「あなたにわかるはずがない。今の言葉、撤回して下さい」
気がつけば、反抗の態度を表していた。それに気づいたのか恰幅のいい男がまあまあと仲裁に入ってくる。
「今から食事をするというのに苛立っては不味くなりますよ。ここはどうか私に免じて怒りを納めてください。今宵は楽しい席にしましょうよ。お、やっと準備が出来上がったようです。ささ、私達は先に行きましょう」
「……ああ」
ストックは苦い顔を作ったままリリーに背を向けテーブルに向かった。
……ざまあみろ。
舌を出して抗議する。初めて父親に抵抗したためか今までにない感情が湧き上がってくる。怒りの感情が抜け胸の中がすっと落ち着いていく。
「お待たせしました。それではどうぞ、席の方にお座りください」従業員の呼びかけでぞろぞろと宿泊客がテーブルのあるロビーへと赴いている。
怒りを静めるため深呼吸をする。せっかく三人で楽しい一時を過ごしに来たのに台無しだ。
二人の顔を覗くと、呆気に取られたのか何の表情もなかった。リリーはもう一つ大きな溜息をついた後、無理やり笑顔を作り彼らをテーブルへと導くことにした。




