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第一章 一『瞬』の輝き PART5

  5.


 署についた後、リリーはすぐに秋風桃子の事情聴取に臨んだ。身長が低く女の子らしい淡い顔立ちをしているが、ここ何日か寝てないのだろう。目の下のくま、肌の荒れから衰弱している様子が手にとるようにわかる。


 出頭してくれたのだ、すぐに取り調べを終えるように配慮することはできる。もちろん自供してくれればの話だが。


「はじめまして、今回の事件を担当させて頂いている冬月といいます。早速ですが三月十七日はどちらにいましたか?」


「私は夏鳥皐月君という方のアパートにいました」


 緩まる口元を縛りながら桃子の顔を見る。皐月の話より事件当日の話が先だ。


「その日の話を訊かせてもらっていいですか? お仕事を終えてからで結構です」


 桃子はゆっくりと頷き、溜まっていたものを吐き出すようにいった。


「仕事が終わってから家に帰ると、お母さんが倒れていたんです。すごく動揺して咄嗟に皐月さんに連絡しました。


 お母さんが倒れて血がたくさん出ていること、意識がないことを話すと、その場からすぐに離れろといわれました。犯人が近くにいるかもしれないからです。それでいつもの待ち合わせ場所に来いといってくれたので、何も考えないで出て行きました」


「待ち合わせ場所というのは?」


「大学側のゲートです。パン屋が近いのでいつもそこで待ち合わせをしていました」


 なるほど、自分の犯行ではないといいたいらしい。心の中に暗雲が立ちこみ始めていく。


「あなたのお母さんは首の切り傷からの出血がひどくそのまま亡くなりました。救急車を呼ぼうとは思わなかったのですか?」


 桃子は唖然としうな垂れた。


「すいません。突然のことだったので。救急車を呼ぼうという考えが浮かびませんでした」


 受け入れ難い現実に遭遇すると、確かにこういった対処をしてしまう人物もいるだろう。しかし自分の母親が亡くなっているのに何もせずに出て行くのだろうか?


 そう思った後、自分の胸にも激痛が走った。これ以上は彼女を攻められない。


「そうですか、それは仕方がないかもしれませんね。それでは他の質問を。夏鳥皐月さんとはどういったご関係ですか?」


 桃子は首を上げ答えた。


「私は花屋さんでバイトをさせてもらってるんですけど、皐月さんは大学病院の庭を手入れする仕事をしています。病院に配達にいった時、とても熱心に仕事をしていたんです。同じ植物を扱う仕事だったので、夢中になって仕事を見させて頂きました。そこで意気投合しちゃって……」


「ということは現在はお付き合いをしていると?」


「そういうことになります」


 しかし彼との写真は隠されていたのだ。どうして付き合っていながら、隠していたのだろう。


「あなたは皐月さんの存在を隠していましたね? 彼との写真が写真立ての裏側にありました。なぜですか?」


「それは……お互い家族同士で付き合いがあるもので、恥ずかしかったんです」


 ……なるほど。


 彼女の心情はなんとなく理解できる。幼馴染同士であればその話題は尽きないだろう。親の眼を恥ずかしく思うのはわからないでもない。


 だがお互いの両親が知っているのであれば、逆に隠す方が難しいのではないだろうか。


「お気持ちはわかります。ですが秋風さん、あなたは逃げるべきではなかった。今現在あなたが被疑者として疑われていることをご存知ですよね」


「はい、理解しています。なので身の潔白を証明したいんです。どうしたらいいでしょうか?」


 桃子の視線に熱が籠もる。もしこのまま彼女が認めなければこっちも本腰を入れなければならない。


「秋風さんの気持ちはわかりました。それでは再び質問に戻ります。綾梅さんには首に切り傷がありました。そして庭の池にあなたの指紋がついたフローリストナイフが落ちていました。ナイフに微量にですが綾梅さんの血痕が残っています。ナイフはあなたの物ですか?」


 桃子はえっ、と声を漏らした。


「私のナイフが落ちていたんですか? 私の家に?」


「ええ、そうです。今お見せすることはできないですが。赤いカーブの入ったナイフでした」


 桃子は驚きながらも首を縦に振っている。

「私のナイフだと思います。だけど、二,三日前からなくしていたんです。あ、三日間皐月さんの家にいたので、もっと前ですが」



「どこでなくしたか心当たりありますか?」


「それが……覚えてないんです。あ、確かシャープナーで研いだ日だったかも」


「シャープナーというのは?」


「ナイフを研ぐ道具です。砥石みたいに手間を掛けなくても研ぐことができる道具があるんですよ。一週間前に使用しました」


 あくまでもなくしたといい張るようだ。これは本当に長期戦になるかもしれない。


「最近、お母さんに変わったことはありました?」


「特にありませんでした。普段通り会話をしていましたので。ただ事件があった日は稽古を休むとのことだったんです」


「稽古というのは習字を自宅で教えていらしたんですよね?」


「そうです、それで休むことなんて滅多にしないんですけど、特に理由もなく休んだみたいでした」


「そうでしたか。お母さんが倒れていたのは何時頃です?」


「正確にはわかりませんが、私が帰ったのは二十一時半くらいです。なのでその前には……」


 話を纏めると綾梅の死亡時刻は八時から九時半までの間となる。


「それまであなたはどちらに?」


「少しだけ、散歩していたんです」桃子は小さく呟いた。


「退社時間は八時半ですよね。一時間も散歩されていたんですか?」


「この時期は……えっと、梅や木瓜の花が綺麗なんですよ。それで、その……」


 ……ありえない。


 リリーは心の中で訝った。店から桃子の家までは徒歩で二十分くらいの距離だ。近くの公園で四十分も花を見るために滞在できるはずがない。自分の感覚だが、いくら花屋だといっても夜に一人の少女がそんな出歩き方はしないだろう。


「途中ですれ違った方、知り合いの方はいます?」


「いいえ。会っていたとしても気づかなかったかもしれません。暗い所にいたので……」


 やはり分が悪い。総合すると彼女のアリバイはなしということになる。


「ではお母さんの姿を見てから夏鳥さんに会ったということですが、その間に何か怪しい人物を見かけましたか?」


 桃子は頭を大きく振った。

「いいえ、見てません。動揺していたので見落としていたかもしれませんが」


 身の潔白を証明しようと素直に応じてくれているが、今の所勝ち目はない。


「玄関を上がってすぐの所に嘔吐物が発見されました。唾液はすでに検査しております。あなたのものですよね?」

 桃子は身を固めて頷いた。「お母さんが倒れているのを見て、思わずその場で……」


 嘔吐物の中には食物の繊維は含まれてなかった。


「確か昼食は十二時から十三時ですよね? それから帰宅するまで何も食べていなかったんですか?」


 桃子はびくっと顔を強張らせた。「ええ、そうです」


「教室がある時はどのようにされていたんです?」


「教室がある時は別々に食べていました」


「ということは休みの日は一緒に食べていたんですよね?」


 桃子はあたふたと目線を定めず慌てている。あせりが顔に出ている。


「そうですね。でも、ちょっと散歩したくて……」


「鑑識の話では綾梅さんは食事をしていません。実家に連絡はしていたんですか」


 ハッタリだった。解剖の結果はまだ確かめていないので、彼女の胃袋はわからない。しかし、テーブルの上にラップで包まれた量は明らかに二人前は超えていた。


「いえ、していませんでした」彼女は力なく首を振る。「ただご飯は作っているから、外では食べてこないでといわれました。普段は作らないんですけど、教室は休みにするから久しぶりに作ると……」


 母親は家で娘の帰りを待っていた。だが娘は寄り道をして中々帰らない。一時間も待たせるなら普通連絡くらいするはずだ。娘を疑うなという方がおかしい。


 しかし違和感を覚える点がある。


 綾梅は教室が休みの時、和室には入らないし着物も着なかったという情報を得ているのだ。どうして彼女は着物姿で和室にいたのか。そして公衆電話からの着信。もしかすると他の誰かを待っていた可能性もある。


「綾梅さんは日記を付ける方でしたか? 最近のことが書かれているものがあればと思ったんですが」


「多分ないと思います。昔は付けていたのかもしれませんが、最近はつけていないと思います」


 事件当日の休みの理由もわからない。何か必ず理由があるはずだ、ここがやはりキーポイントになりそうだ。


「ありがとうございました。以上で質問を終わりにします」


 話を終えた段階で、リリーの中では桃子の印象が大きく変わっていた。話し口調は丁寧で素直だ。直感的にこの子は犯人ではないような気がしている。


 ……だが、ただの個人的な感情だ。


 桃子から目を逸らし再び黙考する。桃子が犯人だという可能性の方は捨てきれない。一時間も散歩をするのは怪しすぎるし、母親の休みの理由を知らないのはおかしい。


 それにこの子は何かを隠している――。


「早速、夏鳥皐月さんに連絡を取らせて頂きます。それでは失礼します」


 桃子のお辞儀を目の端で捉えながら取調室を出た。


 近くで腕を組んでいる万作に声を掛ける。

「どう思う?」


「正直な気持ちでいわせてもらうと、秋風桃子はシロですね、確証はありませんが」


「あんたの感想なんか聞いてないわよ」リリーは万作のデコを突いた。「物的証拠が出てきそうか訊いたのよ」


「すいません。話の流れからだと、まだ何も出てきそうにないですね」


「そう。じゃあ、引き続き聞き込みを頼むわ」


 万作はデコを抑えながら車庫に向かった。


 ……あの調子では、長く持たないだろう。


 無意識に彼女の身を案じる。これから彼女は長い夜を迎えるのだ。その結果がどうなるかはまだわからないが、自分が決定的な証拠を見つけ出さなければ彼女はクロで決まる。


 ……私と同じような思いはさせたくない。


 彼女ではないと仮定すると、疑わしいのは今の所、あの男だけだ。


 ……必ず何か手がかりを見つけなければ。


 リリーは気合を入れ直して、夏鳥皐月のアパートへ向かうことにした。

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