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第一章 一『瞬』の輝き PART1

 殺人事件×花屋×ヒューマンドラマ

 0.


 心の中に一つの透明なガラス玉があった。


 それはラムネ瓶の蓋をしているように感情のパイプを塞いでいた。


 ガラス玉があることによる息苦しさはない。


 なぜなら、それは自ら作り出したものだからだ―――。


「あなたの心はすでに枯れています。今すぐに自首して、彼女を救って下さい」




  1. 


「捜査の結果は以上だ。後は皆、追って通達をする。待機しておいてくれ」


 捜査一課の管理官が席を立つと、会議室にいた者は全員、無言のまま足早に散っていった。


 冬月リリーは書類と一緒に目を閉じた。現在、殺人事件の捜査に当たっており、折尾警察署に捜査本部が設置されたのだ。


 ……もしかすると親子喧嘩の成れの果てかもしれない。


 席を立つと、横にいた管理官・たちばなが椅子に座り直して声を上げた。


「冬月君、今回の事件に対する君の意見を訊きたい」


「答えた方がよろしいですか?」

 訊くまでもない、という素振りを見せると橘は苦笑いを浮かべた。


「そうだな。初動の捜査ですでに道は見えている。君はどうする?」


「ガイシャの現場を自分の目で検証しに行きたいです。第一発見者は隣の方ですし、聞き込みをさせて頂きたいです」


 被害者は秋風綾梅あきかぜ あやめ、四十五歳の女性だ。


 首筋に傷が確認されており刃物による出血死。旦那はおらず二十一歳になる娘・秋風桃子あきかぜ ももこがいるはずだが、現在連絡が取れていない。その娘に容疑が掛かっているのだ。


「……そうか」橘は顎を触りながらいった。「もう傷は癒えた、と思ってもいいだろうか?」


「それにはお答えしかねます」


 一時の沈黙の後、橘はゆっくりと頷いた。


「……わかった、後は君に任せる。所轄しょかつに任せていても解決する案件だ。君の自由にしていい」


「ありがとうございます。では、彼をお借りします」


 リリーは後ろにいる万作を指差した。彼に合図を送ると、頷いて後ろから、のっそりとついてくる。 


「ついてないっスね、先輩。今月に入ってまだ休んでないでしょう?」


「しょうがないわ」


 リリーは首をかしげて彼のシャツを見た。中の汚れが当直明けを物語っている。


「どちらにせよこの子を見つけたら事件は解決したようなものよ。早いとこ終わらせましょう」


「そうっスね」


 車庫に向かい、彼の運転で車を走らせ書類を確認する。現場には山ほど痕跡が残っているだろう。そこで娘の手掛かりを得ればいい。


 ぼんやりと外を見ると、道路の脇に蕾がついている枝木が見えた。三月半ばでありながらサクラの花はまだ咲いていない。ほどよく冷えた蕾が今か今かと咲くのを待ち望んでいるように見える。


 ……ああ、また今年もサクラが咲いてしまう。


 そう遠くない未来を想像し嘆く。憂鬱な思い出が脳裏をかすめ、日本の四季を嫌でも連想してしまう。


「先輩、後五分くらいで着くみたいですよ。先にどちらに行きます?」


「もちろん現場よ」


 ……ここにいる以上は避けられない。


 日本に住んでいる限り、嫌でも季節は巡ってしまう。嫌ならイギリスに向かえばいい。父のように純粋に数字だけを追いかける方法もある。


 父親の顔を思い浮かべると、不意に自分の顔が窓ガラスに映った。明るい地毛が再び彼女の心をかき乱していく。 


 ……母親のように何色にも染まらない黒髪でいれば、こんな思いはしなかったのかもしれない。


 心の中にあるガラス玉に祈り、感情の花をゆっくりと枯らしていく。この感覚だけが唯一、心を鎮めてくれる。


 ……花は、やっぱり好きになれない。


 彼女は再び溜息をつき、眼を閉じることにした。

 


 殺害現場は予想通り、数人の人だかりができていた。手刀を切りながら民間人の間を通りながら家の敷地に踏み込んでいく。


 故人の表札が目に入る。墨で書かれたものらしく力強く秋風と書かれてある。故人・秋風綾梅は習字の講師だ。その横には生徒募集の張り紙が張っている。


 玄関の扉を開けると、故人の遺体を前にして鑑識官が何やら調査を行い記帳していた。

 どうやら和室で事件があったらしい。


 部屋の構造を確認しイメージを膨らませる。被害者は一体、どのようにして殺されたのだろう。


 目の前には着物を着た大柄な女性が畳の上で血を流して横たわっていた。

 その血はすでに鮮やかなワインレッドではなくどす黒く変色している。

 大部分が畳に吸い込まれており僅かながら固体が残っているようだ。おそらく畳の吸収量を上回ったのだろう。


 見ただけで出血死ということはわかる。


「お疲れ様です、警部殿」


「おはよう。じゃあ、説明を始めてくれる?」


 リリーの睨みには気づかず捜査官は眩しい微笑みを見せた。彼は永遠と無駄な情報を話すためこちらから誘導しなければならない。


「では概要を説明させて貰います」


「ガイシャ・秋風綾梅の推定死亡時刻は二十時から二十二時となっております。


 ガイシャは秋風桃子と二人で生活しておりまして、父親は二十年ほど前に行方不明となっています。


 ガイシャの第一発見者は隣に住んでいる住人、枯枝美空みそらという方です。夜の二十三時にお裾分けして貰ったお皿を返しに行ったら、ガイシャが倒れていたとのことです。


 事件当日、習字教室は予定されていましたが、実際にはやらなかったみたいです」


「教室の生徒のアリバイは取っているのよね?」


「ええ、今の所、問題なさそうです」彼はそういって唇を舐めた。


「父親が関わっている可能性は本当にないのね?」


「今の所ありません。この家には仏と娘の痕跡しか残っていません」


「どういうこと?」


 捜査官は慎重に手帳に書かれてある文を読んだ。

「父親はこの家が建ってからここには来ていないようです。それに行方不明となって二十年。生きている方が珍しいかと思います」


 ……なるほど。


 年間で行方不明者は約十万人を越している、自殺者よりも圧倒的に多いのだ。もちろん父親がどこかで生きている可能性もあるがそれは限りなく低いだろう。


「わかったわ。とりあえず娘を探すのが優先ね。それでお隣さんはなぜそんな夜遅くにお皿を返しに行ったのかしら?」


 第一発見者がそんな時間に訪れていること自体が怪しい。


 彼女の冷えた瞳が効いたのか捜査官は素早く答えた。

「詳しくは聞いていないのですが、何でも毎日の習慣になっているとかで……」


「そう、後で聞いておくわ。ガイシャの死因は?」

 リリーは目の前の仏に目をやった。被害者は全身を伸ばしうつ伏せにして寝ている状態にある。


「ガイシャの首筋に切り傷が見られ出血性ショック死となっています。傷の深さは3~4cmと深いです。右から左に大きく切られた感じですね。凶器と思われるものはナイフでした」


「ナイフ?」


 違和感を覚える。この家にナイフといえば果物ナイフがあるくらいではないだろうか? ナイフの扱いは素人には難しい。犯人は娘ではないのか? 


 捜査官は鞄からビニール袋を取り出した。

「何でもフローリストナイフと呼ばれるものらしいです」


 そのナイフは把手の中に納まっており折りたたみ式だった。赤い絵柄の裏には白の十字架が刻まれてある。リリーは手袋を嵌めて受け取った。


 ナイフを広げてみると、ナイフの刃渡りは8から10cmほどでそれほど長くはなかった。刃の形はカーブを描いており、鎌のような形状で先端は尖っている。


「フローリストってことは花屋のナイフっていうこと?」


「そうみたいです。娘の指紋がついていることは確認済みです」


 口元が自然と緩む。綾梅の娘・桃子は花屋で働いているのだ。桃子の指紋があるとすればこれは最重要証拠となる。

 だが心の中では違和感を覚え始めている。現場を見た時から娘を被疑者にはできないような感じを受けてしまう。今の所、根拠はないのだが――。


「これはどこに?」


「庭の池の中です」捜査官は襖の奥にある池を指差した。


 リリーは目を細め池の周りを眺めた。池までの距離は目測で10mくらいはある。

 襖から池までの直線状の道を目線だけで辿ってみる。庭の中が荒らされているような形跡はないし血痕も見当たらない。


 昨日は雨が降っていなかった。痕跡が消されていなければここから投げたのだろう。


「ナイフに血痕は?」


「ありました。微量ですがガイシャの血で間違いないとのことです」


 もう一度、丁寧にナイフを覗き込む。刃と柄のつなぎ目に緑色の汚れが付着している。きっと植物を切る時についた汚れなのだろう。

 池だけでなく庭全体に焦点を合わせてみると、左手前に一本の木が花を満開に咲かせていた。


 ……あれは確か梅の花。


 とき色に染まった梅の花が静かに佇んでいた。庭全体を見回すと他にも三本の巨木がある。三本とも枯れ果てており、満開の木と合わせて庭の四隅に配置されている。


 四隅の中央には先ほど眺めた池が横長に広がっており、綺麗に丸く刈り込まれた低い木々と盆栽に囲まれていた。

 無意識に自宅の庭を想像し感情が高ぶっていく。彼女は心に暗示を掛け再びガラス玉で封をした。


「もう一つ、報告があります。畳の上に松の葉が落ちていました」


「松の葉?」


 ビニール袋に入った松の葉を眺めると、葉の下半分が血に染まっていた。


「他には何かあった?」


「和室を出た所には嘔吐した後がありました。おそらくこれも被疑者のものだと思われます。ほとんど唾液と胃液のみだったらしいですよ」


「……そう。ところでガイシャの携帯電話はあった?」


「こちらです」


 捜査官は左手のポケットから携帯電話を取り出した。


「事件当日の十九時くらいに公衆電話での着信が一件ありました」


 公衆電話での着信。今のご時勢で公衆電話を使う人は少ない。この場合は二パターンある。


 一つは通常通り携帯電話を持っていないため、公衆電話を使う人物だということ。もう一つは履歴に残らないようにするため遭えて公衆電話を使った人物だ。事件に関わっていなければ、今日中に名乗り上げてくるかもしれない。


「娘の携帯電話はもちろんなかったわよね?」


「ええ残念ながら。二階の中央に被疑者の部屋があるのですがそこにはありませんでした」捜査官は重く頷いた。


 携帯電話が手元にない場合でも発信受信記録を調べることはできる。しかし手間が掛かる上、時間が大幅に掛かるのだ。個人情報保護法に基づき被疑者としても例外ではない。電話会社経由で調査するには最低でも三日は掛かる。


 やはり今日は自分の足で歩くしかない。


「ありがとう。それじゃあ後は自分で中を拝見させて貰うわ」



 和室を出た後、手袋をはめ直し万作と共に他の部屋を捜索した。隣の部屋はリビングのようで大きなテーブルが真ん中にあった。テーブルの上には鳥の唐揚げが大量に盛られた皿があり、二人分では多いようにみえる。


 隣は台所となっておりシンクにも洗物はなく綺麗に片付けられていた。自分の家とは比べ物にならない程、手入れが行き届いている。自分が死ぬ前にもきちんと掃除をしておかなければいけないなと、全く関係のないことを考えつつ一階を後にした。


 二階に上がってみると、三つの部屋があった。真ん中が娘の部屋だ。


 娘の部屋に入ると正面にはベッドがありその横には木で出来た学習机があった。机には小さな写真立てに女性が二人で近づいてピースサインをとっているものがあった。


 おそらくこれが娘の写真だろう。背丈は低く愛嬌のある顔だ。万作の携帯に照らされた写真と対比し間違いがないことを確かめる。


 携帯電話で写真を撮りデータを保存した。聞き込みはこういった日常の写真の方がやりやすいからだ。


 他の部屋は事件とは関係がなさそうだった。右の部屋は倉庫のようになっており物が散乱しており、左の扉は鍵が掛かっていたようだった。鑑識の話では二人の指紋以外は付いておらず、捜査に役立つものはなかったとのことだった。


 ……ナイフでの衝動的な犯行にしては問題が多い。


 捜査を終えて推理する。部屋の外で嘔吐、争った形跡はない。本当に被疑者は娘なのか疑わしい。どうにもこの事件、違和感を覚えずにはいられない。


 ……母親殺し、ではないと願っているのだろうか。


 不意に心のガラス玉が動き出す。


 被疑者を見つけて彼女の本心を知りたいという感情が心の底から溢れてきている。

 身内殺しはよくあるパターンだが、被疑者の心は誰一人として同じ思いではない。彼女を捕まえてその心境を知りたい。


 ……必ず彼女は私が見つけてみせる。


 彼女は胸に誓い、隣人に聞き込みを開始することにした。

 

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