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ミリオンワールド!  作者: ユーリ・バリスキー
第七章 石板の……謎?
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#7―04



 週が明け、夏休みボケもそろそろ抜けきったかというある日の事、<ミリオンワールド>の本稼働が開始される日程とアップデート内容、そしてスタンプラリーイベントのチケット交換アイテムなどが発表された。


 システム周りと実装済みイベントの仕様などに変更はなく、本稼働後最初のイベントまでは実働テスト時と同じままとこのことだ。またバトル面ではレベル十に至るまでは、これまでよりも多めに経験値を入手できるようになる。これはどちらも、新たに参加する冒険者への配慮である。


 いわゆるMMORPGでは長期間運営を続けていると、既存組と新規組との間でレベルが隔絶して、一緒に遊ぶことが難しくなるという状態になるのが普通だ。それ故に、後発組がなるべく早くレベルを上げられるようにするシステムが求められるようになるのである。


 <ミリオンワールド>は実働テストで最もレベルが高いプレイヤーでもまだ三十に満たず、十代でとどまっている者もまだまだ多い。従って後発組との差はそれほど大きくないのだが、これは恐らくゲーム開始直後のバトルが厳し過ぎるという先発組の意見が取り入れられたという側面もあるようだ。


 もっとも魔物の強さという面でのバランス調整はされていないので、バトルの厳しさに変わりはない。これを易しく調整してしまうと、先発組とプレイヤースキルの面で大きな差が出てしまうので、そうそう変えられないのである。




 そんな発表があった翌日。マーチトイボックス(弥生のおもちゃ箱)の五人は本稼働が始まってからの方針についてミーティングをするために、夏休み中に来たことのあるファミレス“マリオン”へとやって来ていた。


 なにゆえ学食ではなくわざわざマリオンまで足を延ばしていたのかというと、<ミリオンワールド>をプレイしたくてもできない生徒がいるかもしれない場で大っぴらに話すのは少々――いや、かなり憚られたのである。実は先日、学食で文化祭の話をしたとき、<ミリオンワールド>というキーワードに反応していた生徒がおり、ちょっと反省したのだ。それはファミレスでも同じことではあるが、たまたま飲食店ですれ違っただけの人と、同じ学校に通っている生徒ではやはり話が違うのである。


 弥生と絵梨、そして聡一郎はケーキセットを、清歌と悠司は小腹が減ったからとドリンクとサンドイッチを注文する。カロリー的には大差ないのでは、などと突っ込んではいけない。おやつとして食べるものと、食事として食べるものでは気分が違うのである。


「え~、ではまずみんなに出していた宿題の答えを聞きま~す」


 注文を済ませたところで弥生がそう切り出した。宿題とは無論、プレゼントチケットとギフトジェムで何を貰うか、である。


 どちらも基本的にイベントのクリア報酬なのだから、あると便利だったり面白かったりするものばかりだ。もっとも彼女たちの場合はよく吟味すると、突発クエストの報酬や、既に購入したスキル類、ホームにしている浮島などと同等ないし下位版のものが含まれているので、ある程度候補を絞り込める。


 そうして出したそれぞれの回答は――


「ソーイチはバトル関連を選ぶと思ってたけど、ホーム用のアイテムなのね。ちょっと意外だわ」


「いや。この箱庭ユニットで地形を変えて模擬戦パペットと合わせれば、効果的な練習ができると思ってな」


「あー、そういう事なら納得だな。逆に予想通りなのは俺と絵梨の神棚だろうな」


「職人作業の効率がちょっと良くなるっていうヤツだよね。……でもこれってホームに設置ってなってるけど、あの工房は大丈夫なの?」


「ああ、それは問題ない。俺も疑問だったからメールで問い合わせてみたんだが、亜空間工房はホームの一部屋って扱いになるんだと」


「お~、リサーチ済みなんだ。私は最初見た時、街道システムスピードアップがいいかな~って、思ったんだけど……」


「あ、それは私も気になりました。……ただ、いずれヒナがビークルに変身できるようになることを考えると……」


「そうなんだよ~。今遠出するのには便利そうなんだけど、近い将来使い道がなくなりそうなものを貰うっていうのも、勿体ないような気がして……」


「あら、貧乏性ねぇ」「いや、気持ちは分かる」「確かに、長く使えるモノがいいだろう」


「そんなわけで、私はホーム用アイテムの季節時計にすることにしたよ。……で、清歌が選んだのは観測双眼鏡。……やっぱり魔物モフモフの観察をするために?」


「はい。当ても無く彷徨うより、魔物モフモフを見つけ易いと思いますので」


 と、こんな感じである。


 プレゼントチケットは獲得枚数に応じて獲得できるアイテムのランクが上昇する。清歌たちはパーティー全員で纏めて交換することにしているために、結構よさげなアイテムがリストに並んでいた。


 話題に出た順番に解説すると、箱庭ユニットはホームの庭に設置してプレイヤーが足を踏み入れたことのある地形を再現できるというもので、起伏などはエディターで割と自由に変化させることができる。


 神棚は設置しておくだけで、ホームで職人作業をする際にMPやスタミナの消費量が軽減され、ほんの少しだけ成功率やクリティカル率も上昇するというもの。


 季節時計は現実リアルの季節――もちろん日本の――に合わせて、ホームにも季節による変化が生じるようになる。ホームに畑などを作っている場合は、季節に合わせたものを育てる必要が出てくる代わりに、品質が大きく向上するというメリットがある。


 観測双眼鏡は双眼鏡と台座がセットになったもので、魔物やポータルなどの重要なポイントを視界に入れるとマーカー表示され、マップ機能に連動させて位置を確認することもできる。ちなみに台座には椅子代わりのバーが付いていて、双眼鏡を左右に振ると連動して動くようになっている。なお、これは貴重品アイテム扱いでパーティーメンバー同士での譲渡は可能となっている。


 候補に挙がった四つのアイテムはどれもあれば便利だったり面白かったりするモノで、逆に一つに決めるのは少々難儀だ。自分以外から提案された意見も尊重し、正当に評価できるところは五人に共通している美点と言えよう。


 さて改めて各々が希望したアイテムを検討していくと、意外と高評価だったのが双眼鏡だ。


「あら……、名前だけ見てスルーしてたから詳細は知らなかったんだけど、この双眼鏡ってイイかもしれないわね」


「確かにこれがあれば、パンツァーリザードのような討伐対象を探すのも楽だったかもしれんな」


「重要ポイントが分かるってことは、ダンジョンの入り口とかも分かるんだよね? うん、パーティーに一個あるといいかも」


 清歌としては従魔候補を手っ取り早く見つけるのに便利そうだと思っただけなのだが、パーティーにとっても利点のあるアイテムだったのである。


「そうだが……、便利なモノには落とし穴があるってのがお約束だよな? これにもなんかありそうなんだが……」


「それは恐らく、このアイテムの形そのものにあるのではないでしょうか?」


「あ~、確かにちょっと取り出して覗いてみる……って感じじゃないよね」


 観測双眼鏡のサイズは、展望台やタワーなどで見かけるコインを投入して一定時間使用できるようになる双眼鏡とほぼ同じくらいで、どうやら双眼鏡本体の取り外しもできなさそうだ。当然、どこかに置いて使用するものであり、弥生が言ったように気軽に取り出して使えるものではない。もしこれをフィールドで一人暢気に使っていようものなら、魔物に不意打ちを食らう可能性もある。


 付け加えると、遠くまで見渡す為にはある程度高い場所まで行く必要があるため、このアイテムを実用的に使おうと思うと結構な手間が掛かるのである。――普通ならば。


「……でもその問題の殆どは、ヒナがいれば解決するわね。まあ流石に空飛ぶ毛布の上で使うのは、ちょっと不安定かもしれないけど」


「だな。清歌さんだけならヒナと一緒にいればどこで使っても問題ないだろうし、パーティーで行動してる時でも、コテージの中からなら安全に使えるしな」


「うむ。俺たちのパーティーにはおあつらえ向きだな」


 なんとなく話の流れ的に、このまま双眼鏡に決まってしまいそうに思えたので、清歌がブレーキをかける。


「あの、本当に双眼鏡でよろしいでしょうか? パーティーの戦力アップという意味で役に立つのは神棚でしょうし、箱庭と季節時計もホームの雰囲気が変わって面白いと思いますけれど……」


 清歌は何かを選ぶという時に変に遠慮などせず、割と欲望に忠実に自己主張をする。今回の双眼鏡にしても、これを選んだ理由には“パーティーの利益”という観点が殆ど抜け落ちており、弥生たちから「みんなの役に立つ」などと評価されると、ちょっと後ろめたいような妙な気分になってしまうのだ。


「まあ、多数決っていうなら神棚になるんだろうが、アレはレベルを上げればどうにかなるもんでもあるからな」


「そね。あとこれは箱庭と時計にも言えることだけど、神棚ってどのパーティーで使っても同じ使い方になるじゃない? でもこの双眼鏡を上手に使いこなせるのって、私らくらいのものだと思うのよね(ニヤリ★)」


「ふむ……。なるほど、少し優越感があるな(ニヤリ★)」


 そしてそれは単に優越感があるという気分の話だけではなく、マーチトイボックス(弥生のおもちゃ箱)の長所をより伸ばすということにもつながる。


 と、ここで弥生がもう一つの選択肢を組み合わせて、この双眼鏡をさらに活かせるようになる提案をする。


「ね、それじゃあさ、ギフトジェムの方は“浮島の浮上機能追加”にしてみない?」


 弥生の提案に、四人はそれぞれ感嘆の声を上げる。ギフトジェムの選択肢にざっと目を通した時は、別に浮き上がるだけの機能にそれほど魅力を感じなかったので、すっかり忘れていたのだ。自他ともに認めるゲーマーたる弥生だけあって、大した記憶力である。


 余談だが、このギフトジェムの選択肢には、全ての冒険者に共通しているであろうものと、トライしたパーティーや個人に適した専用のものとがあり、浮上機能追加はその後者に存在している。ちなみに彼女たち専用の選択肢には、他にもツリーハウスキットやオリジナル制服お仕立券――これはお店をやっているからだろう――などがあった。


 さて、浮島の浮上機能追加とは読んで字のごとく、マーチトイボックス(弥生のおもちゃ箱)のホームとなっている浮島に浮上する、より正確には上下方向へ移動する機能を追加するものだ。現実リアルでの一日につき五メートルという速度で移動でき、最大高度は海面から計算して千メートルまでとなっている。ちなみに最大高度まで上昇しても空気や気温の環境に変化はないという、ゲーム的便利仕様である。


 この浮上機能と双眼鏡を合わせてゲットすれば、ホームはたちまち展望台兼スベラギ観測所に早変わりするのである。


 その様子を想像して我知らず微笑んでいた清歌が四人を見回すと、皆ワクワクしている表情をしたいた。どうやらこの組み合わせで決まりそうな雰囲気である。


「んー……、いいじゃない。なかなか魅力的な組み合わせだと思うわ」


「はい。ギフトジェムの方を保留にしておいて正解でしたね」


「これで次の島へ繋がるポータル探しが捗りそうだな」


「そだな。……千メートルっつーとスカイツリーよりかなり高いな。眺めも良いだろうし、妹を連れて来たら喜びそうだな……」


 微妙にシスコン発言をする悠司に、四人が生暖かい目を向ける。それに気づいた悠司が誤魔化すように咳ばらいをして、取って付けたように話題を振った。


「んんっ! あー、まー、なんだ。ちょっと気になるのは、冒険の拠点がスベラギから移ったら浮上機能の方はお役御免になりそうなところかな?」


 悠司の懸念はもっともなことだが、それに弥生が異を唱える。


「あ~、確かにね。……でもゲーム的なお約束から考えると、機能の追加が一つで終わるとは思えないんだよね」


「水平方向への移動もできるようになるかもしれない、ということでしょうか?」


「うん。後は……潜水機能とか、転移機能とか? で、こういうのって追加する順番が決まってるのが普通だから、浮上機能を追加しておくのは無駄にはならない……と、思うよ?」


「なるほど。……RPGの乗り物だと、そんな仕様も結構あるわな」


「うん、だからそういうこともあるかもって。……っていうかもっと単純に、高さ千メートルから<ミリオンワールド>を見渡すのは、いい気分なんじゃないかな~って、思わない?」


 弥生の確認に、四人がそれぞれ同意を示す。こうして再開後にゲットするものが決定した




 話が一段落したところでドリンクのお代わりを持ってきて、五人が再度席に着く。


 決めるべきことはもう終わったので、あとはとりとめのない雑談を――とはならずに、話題は引き続き<ミリオンワールド>についてのことになる。というのも、本稼働が開始する日程というのに少々問題があるのだ。


「あとは稼働再開を待つばかり……って、言いたいところなんだけど……ね~」


「はい。見事にかぶってしまいましたね……」


 いささかボヤき成分が多い弥生の言葉に、清歌も残念そうな口調で続ける。


「いっそ、無視して<ミリオンワールド>をしてもいいんじゃないかしら? 私は好きよ、そういう思い切りって」


「……そういうわけにもいくまい。というか、普段興味のない授業の勉強をやらない絵梨は、この期間が重要なのではないか?」


 聡一郎の手厳しいツッコミに、絵梨は目を逸らしながら誤魔化すようにドリンクを手に取り一口飲んだ。そんな様子を見て苦笑していた悠司が、ある意味決定的なことを告げる。


「まあ、下手に勉強をさぼって赤点でも取ったら目も当てられんからな。追試を受けることにでもなったら、更に<ミリオンワールド>復帰が遠のくぞ?」


「ユージ、あなたねぇ……」「あはは、現実は厳しいね」「ええ、こればかりは……」「学生である以上、避けては通れんからな」


 そう、ちょうど試験期間にぶつかってしまったのである。


 二期制を取っている百櫻坂高校の前期期末試験は九月の末に行われ、いわゆる試験期間と呼ばれる、部活動が禁止となり下校時刻にも制限が加わる期間が一週間設けられている。その試験期間の始まりと<ミリオンワールド>本稼働開始の日が、運命の悪戯か、或いは何者かの悪意か、ピタリと重なってしまったのである。


 一応、試験期間といってもそれは学校内でそのように設定されているだけで、下校後の行動まで制限されるようなものではない。<ミリオンワールド>は部活でもなければ、運営が学校機関と手を組んでいるわけでもないので、試験期間だろうが試験当日だろうがプレイするしないは本人の自由、というか自己責任だ。


 ただ基本的に五人は真面目な方であり、特にリーダーたる弥生などは、思う存分ゲームにのめり込むためにも試験や行事を疎かにしない、という信条を持っているのだ。故に試験を無視して<ミリオンワールド>をプレイするという選択肢はないのである。


 とはいえ、ゲーマー心理としては長期間の休止後に再開するというのに、その初日に参加できないというのは余りに無念だ。しかもそれから二週間弱もの期間、<ミリオンワールド>は稼働しているのにプレイできないという状態が続くのだ。


 プレイ時間を短くするか、もしくは一日おきならいいのではないか? などという自分たちに甘いプランが話題に上る。さらには、半端にプレイしてストレスを貯めるのは、むしろ勉強に悪影響を及ぼすのではないか――などと、もはやコジツケでしかない理屈まで飛び出る始末だ。


 そんなアホなことを一頻り話した後で、五人は同時に溜息を吐いた。学生らしい、他愛のない悩みに過ぎないのだが、とかく目立つ集団である彼女たちが沈鬱な雰囲気を醸し出しているものだから、びみょ~に注目を集めつつある。


「ねぇ、ちょっとみんな」


 何やら決意を秘めた表情の絵梨がちょいちょいと指を動かして身を乗り出し、清歌たちもそれに続いた。内緒話モードである。


「前に言ってたアレ、実行してみない?」


 それを聞いた四人は顔を見合わせた。表情から察するに、アレとやらの内容を理解できた者はいないようだ。


「いつぞやに話したことがあるじゃない。VR内で試験勉強するって話よ」


「「「「…………あ~~」」」」


 そう言えば大分前にそんな話もしたな、と悠司は思い出した。と同時に、その時は「なんとなくズルしてるような気がする」という話の流れだったために、その選択肢が思い浮かばなかったということにも気が付く。


「確かにしたが……。そいつはグレーゾーンだから拙いんじゃないかって、話じゃなかったか?」


「うむ。VR格差が生まれそうだ、などと話した覚えがある」


 やや後ろ向きな意見を述べる男子二人に対し、意外と乗り気なのは女子三人組の方である。


灰色グレーということは、つまりブラックではない、という事ですよ。悠司さん」


「そりゃそうなん……」


「そね。第一、みんなが同じ勉強の環境を持っているわけじゃないのは当たり前のことよ」


「いや、しかs……」


「本稼働では体感時間が三倍になるから、半分を勉強時間にあてて、残り半分は普通に遊べばいいんじゃないかな~。それならVRを使えない人との差も、そんなに出ないんじゃない?」


 悠司と聡一郎の反論を封じ込めるように畳みかけ、最後の弥生による提案が止めを刺した。


 男子二人がなんとなく乗り気でないのは、スポーツに例えると明確なルール違反ではないがフェアじゃない、或いはスポーツマンシップに反する、といった類のものを感じるからなのだ。弥生の提案は勉強に充てる時間は、VRを使えない人よりも少し多い程度に抑えるというものなので、彼らにも受け入れやすかったのである。


 無論、引き伸ばした時間の分だけ試験期間中にも心置きなく遊べるという格差は残っているのだが、その点については目を瞑ることにする。彼らとて再開する<ミリオンワールド>で遊びたい気持ちはあるのだ。


「まぁ、そういう事なら……。っつーか、やるのはいいとして、教科書とか問題集は持ち込めるのか?」


「それについては問題ありませんよ。認証パス(スマホ)で撮影した画像や、取り込んでおいた電子書籍のデータは、<ミリオンワールド>内で開くことができますので」


「お~。……っていうか、もしかして清歌、試したことあるの?」


「はい。<ミリオンワールド>を始めた当初は、皆さんと別行動をせざるを得ませんでしたから、時間を持て余した時に読もうかと思いまして、読書感想文の本を取り込んでおきました。……結局、読む機会はありませんでしたけれど」


 どうやらのんびり過ごすよりも、ストリートパフォーマンスや蜜柑亭で演奏する方が楽しかったらしい。


 ともあれ、書籍を<ミリオンワールド>内に持ち込めるというのは朗報だ。百櫻坂の教科書や副読本は普通に紙媒体の本だが、試験範囲のページを撮影(スキャニング)する――いわゆる自炊という作業だ――くらい大した手間ではない。また手頃な参考書や問題集の電子書籍版を購入するにしても、半年ほどは使えるのだから損ではないだろう。


「じゃ、手分けして教科書を取り込で、データをコピーして回そう。向こうでの勉強会はコテージの中でいいかな?」


「ああ。なんならちょっと気分を変えて、外にテーブルと椅子を広げてもいいしな」


「りょーかいよ。じゃ、先生役は弥生とユージに任せたから予習はよろしくね(ニヤリ★)」


 絵梨がさも当たり前のように、自分に勉強を教えられるように準備するように告げる。さりげなく清歌と聡一郎も頷いているが、押し付けられた二人はいささか不満気だ。


「え~、まさかの丸投げなの!?」「おまっ、それはちょっと……」


 しかし絵梨はしれっと返す。二人の抗議などどこ吹く風という感じである。


「ま、古文は得意だから、私が先生をやってもいいわ。あと英語なら……」


「私ができますね。よろしければリスニングの模擬テストも出来ますよ」


「ふむ。まあ、悠司と弥生が先生役というのは、いつものことなのだからいいのではないか? ……俺も数学で不安なところがあるからよろしく頼む」


「……はぁ。弥生……」「……うん。ま、しょうがない……のかなぁ~」


 普段の予習復習状況から、ある意味そうなるのが自然のこととはいえ、最初っから自分で勉強しておく気が皆無というのはいかがなものか。リーダーとして一度は厳しく追及しておくべきかもしれない――と、しばし考え込む弥生なのであった。







「さて、私はこれから本屋に行くけど、誰か付き合わない?」


「本屋に? ちなみに何を買うの?」


「新刊の小説で気になるのが出るのよ。買うかどうかはまだ決めてないけどね」


「駅前なら付き合おう。本屋はともかく、買い出しに行かねばならんのでな」


 それを聞いた弥生は目をキュピーンと光らせ、素早く清歌と悠司へ目配せをする。


「そっか。私は早速、教科書の自炊作業を始めちゃおうと思うんだけど……」


「では、私は弥生さんのお手伝いをします。たぶん二人で組んで作業すると、スムーズにできると思いますよ?」


「ああ、撮影役とページを捲って押さえとく役って感じか。……じゃあ、俺ん家でやるか? 三脚とデジカメがあるからもっと楽になると思う」


「お~、決まりだね! ってなわけで、私らは悠司の家に行くよ」


「そ? なら、今日はここから別行動ね」


「うむ。では、またな」


 マリオンから駅前へと並んで歩いてゆく二人の後ろ姿を見送った三人は、ニヨッと笑みを交わすと悠司の家へと向かった。




 弥生の住んでいるマンションの目と鼻の先にある、明るいグレーの壁に藍色の屋根をした一軒家が里見家の家だ。ちなみに4LDKで、建坪は小さめだが三階建てなので、見た目の印象よりも中は結構広々としている。


「ただいまー。あ、二人ともスリッパはそこにあるの使ってくれ」


「は~い」「ありがとうございます。お邪魔します」


 この家の間取りは一階にLDKと風呂場があり、二階には部屋が三つと納戸が、三階は主寝室とテラスという構成になっている。悠司の部屋は二階にあるのだが、散らかっている上に三人も入ると、三脚とカメラなどを設置するのが難しくなるので、リビングで作業をすることにしている。


「今更だけど悠司、リビングでホントに大丈夫?」


「俺の部屋の狭さを知ってるだろうに……。っつーか、弥生はともかく清歌さんをあの部屋に通すのはハズい……」


「え~っと、私が気にしてるのはそこじゃないっていうか……」


 弥生が言いたいことを伝えきる前に、その懸念が現実のものとなる。リビングに続くドアが開き、どことなく目鼻立ちが香奈に似ている、人当たりの柔らかそうなエプロン姿の女性が現れたのだ。


「おかえりなさい、悠司くん、お友達なの? ……あら弥生ちゃん、久しぶりじゃない! それと……」


 悠司と弥生に明るい口調で声を掛けたその女性――悠司の母親は、お二人の句にいた清歌を視界に入れた瞬間、目を丸くした硬直してしまった。


「こんにちは、お久しぶりです小母さん」


「あー、弥生は良いとして、こちら前に話したことのある黛清歌さん。クラスは違うけど同じ学校で、<ミリオンワールド>を一緒にやってる」


「はじめまして、黛清歌と申します。いつも悠司さんにはお世話になっております。どうぞ、よろしくお願いたします」


 穏やかな微笑みで挨拶をし優雅に一礼する清歌に、我に返った母親も慌てて挨拶を返す。


「あらあら、これはご丁寧に。悠司の母です。こちらこそ、悠司と仲良くして下さってありがとう。……さ、狭い家ですけど、どうぞ中に」


 どうやら清歌とのファーストコンタクトは最小限の混乱で収まったらしい、と悠司と弥生がホッと胸を撫で下ろしたところで、新たなる人物が登場する。


「お兄ちゃーん、弥生ちゃんが来てるの? ならボクも一緒に遊ぶ……っ!!」


 遊びに混ぜてもらおうと元気よく飛び出してきた結衣が、清歌の姿を見て限界まで目をまん丸に見開いて硬直する。――反応が母親にそっくりである。


「……お」


「「「「……お?」」」」


「お姫様がいるー!!」




 悠司と母親が興奮した結衣を宥めてどうにか混乱を収拾し、リビングルームへと全員で移動する。少しの間母親と結衣も交えて雑談した後で、三脚とデジカメをセッティングして本題の作業に取り掛かった。


 パシャッ


「オッケ、次~」「はいは~い」


 パシャッ


 デジカメを使った自炊作業も、二人で組んでやれば結構スムーズにできる。ちなみにカメラは悠司が担当、ページを捲って押さえておくのは弥生が担当している。


「確かに、こりゃあ二人でやって正解だな」


「うんうん。一人でやると、ページを捲る度にカメラを構えて撮影しなきゃだから、かなり面倒だっただろうね~」


 などと言いつつ、二人は教科書のページを次々と撮影していく。まるで餅つきのようにテンポよく息の合ったコンビネーションは、グループ内で最も長い付き合いの長い幼馴染ならではのものであろう。


 ところで清歌は何をやっているのかというと、リビングに置いてあったスピーカー付きのキーボードを弾いている。すっかり清歌に懐いた――ファンになった、が正確かもしれない――結衣に、先ほどうっかり悠司がピアノの話をしてしまい、どうしてもとせがまれてしまったのである。


 ホビーユースのキーボード如きでは実力の欠片すら発揮できないとはいえ、清歌の演奏は素晴らしいもので、鍵盤の上を軽やかに踊る指先に結衣はすっかり見惚れてしまっている。


「うーむ、結衣はすっかり清歌さんに懐いちまったな」


「あはは。……まあ、懐いたっていうのとはちょっと違うんじゃないかな。あの反応はどっちかって言うと、ウチの凛に近いと思う。ファンっていうか、信奉者になったっていうか?」


「あ~、なるほど。そういや例の近江賞の子もそんな感じだったって言ってたよな」


「そう。たぶんそんな感じなんじゃないかな? まぁ、見た目が大きいんだと思うけど、清歌ってなんていうか“お姉さま属性”があるんだよねぇ」


 お姉さま属性とは言い得て妙だ、と悠司は大いに感心して頷いた。確かに物腰が優雅で落ち着いている清歌は、年下の女の子が憧れるには十分すぎる魅力を持っているのだ。


「それにしても、清歌はもうこんなに好かれちゃったのに、未だに絵梨は会ったことすらないっていうのが……」


「……毎度毎度、びみょ~にタイミングがずれるんだよなぁ、なぜか」


 なんとなく二人は手を止めて、清歌たちの方へと視線を向ける。清歌の弾き語りを、結衣は体を揺らしながら実に楽しそうな笑顔で聞いていた。地味に自分だけ結衣に会えていないことを気にしている絵梨がこの様子を見たら、がっくりと手をついてしまうことであろう。


 ちなみに今弾き語りしている曲は、銀幕の妖精と呼ばれた往年の名女優が出演していたミュージカル映画の一曲で、可愛らしい曲調なのに歌詞の内容はホームレスっぽいという、ちょっと面白い曲である。


「あ、この曲なら私も知ってる」


「ほほー、弥生が見るような映画じゃない気もするが……」


「あの女優さんの映画ってBSでときどき特集組まれたりするでしょ? そんでたまにはいいかな~って観たんだ」


「なるほど。……ってか、俺が見たのもそれだけど」


 手を止めたまま、二人は清歌の歌に思わず聴き入ってしまう。


 余談だが、この映画のヒロインは物語が始まった当初は酷い発音でこの歌もその頃に出てくる曲なのだが、清歌は普通に綺麗な発音で歌っている。なので、オリジナルの再現度という意味ではイマイチと言えるかもしれない。


 曲が終わったところで、弥生と悠司が拍手をする。


「良かったよ~、清歌」「清歌さんは歌も凄いなー」「スゴイ! カッコイ~!」


「ありがとうございます、弥生さん、悠司さん。結衣ちゃんもね」


 いったん演奏を止めた清歌が、ニッコリ笑顔で答える。


「そういえば……、清歌が楽譜を見て演奏してるトコって見たことないけど、全部暗記してるんだよね?」


「ええ、そうですね。好きな曲は暗譜してしまいます。今弾いていた曲などは、覚えているのは主旋律だけで、あとは即興……ですね」


「……それはそれでスゴイ話だな」


「ふふっ。ただ弾ける曲であっても暗譜していないものもありますし、そういった曲はちゃんと楽譜を見て……」


 不意に言葉を切った清歌が目を閉じて、自分自身に確認するように「楽譜?」と小さく呟いた。


 一体何があったのかと結衣が悠司に顔を向けるが、わけが分からないのは悠司も同じなので、更に弥生へと視線を送った。


 こっちに振られても困るんだけど、と苦笑しつつ弥生は清歌に呼びかける。


「清歌清歌、どうかしたの?」


「あ……、いいえ、何でもありませんよ。さて、では次は何を弾きましょうか?」


「えっと……、じゃあ次はレリゴーを聞きたいなー」


「レリゴー……? ああ……はい、分かりました。では……」


 すっかり元の様子に戻った清歌は、リクエストに応え再び弾き語りを始める。


 弥生と悠司は微妙に釈然としないものを感じつつも、今はやることをやってしまおうと自炊作業に戻るのであった。




 作業が一通り終わり、里見宅の外で黛家からの迎えを待っている時のこと。


「弥生さん、悠司さん、<ミリオンワールド>での話ですけれど、学校で見た石板を覚えてらっしゃいますか?」


「石板……って、ああ、覚えてる。ゴーレム貰いに行った時の話だよね?」


「あー、確か“踊る人形”に似てるとかなんとか言ってたよな?」


「はい、それです。あれは……恐らく楽譜です」


「あっ、さっき考え込んでたのってソレなんだ!」


「……っつーか、アレがもし楽譜だったとしたら、だ。石板が何某かのイベントアイテムだったら、当然起動させるには……」


「演奏しなきゃ……いけないよね?」


「はい。早速家に帰ったら楽譜の解読をしてみようかと思います」


「うん。ありがとう、清歌。……これは、<ミリオンワールド>再開後に、真っ先に取り掛かるものができたね~」





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