#6-06
第二チェックポイントの川下りイベントをクリアした七人は、鏡の塩湖エリアへと向かうべく歩みを進めた。
このイベント専用ステージ全体を俯瞰すると鏡の塩湖エリアのフチに当たる岩山は、それなりの高さがあって徒歩で登るとなるとちょっと――いやかなり面倒だ。しかしここは登山が趣旨のステージはないためにショートカット用のポータルが設置されていて、それを利用すれば山越えにかかる時間は十分とかからない。
ちなみに自力で登ることも不可能ではないが、制限時間はポータル利用を前提に設定されているので、そんな奇特なチャレンジをするプレイヤーはいないだろう。
ポータルで転移した先は暗い洞窟の中だった。三メートルほどの高さがあるゴツゴツとした岩の斜面の先に、光が差し込む洞窟の出口がある。これは転移した瞬間に鏡の塩湖が見えないようにするための仕掛け、つまり演出なのだろう。
これだけもったいぶるのだから、さぞや美しい光景が広がっているだろうと期待しつつ、一行は気を付けて斜面を登る。
果たしてそこに広がっていた景色は、予想外のものだった。
「……えっと、あれだけ期待させておいて、これはないと思うんだけど」
「くそー、俺の純情を返せー! 開発のバカヤロー!」
「バカなこと言ってないで……って言いたいところだけど、さすがに私もこれはどうかって思うわね」
「ええ、確かに。……けれどこの煽っておいて期待を裏切るやり方が、妙にらしいとも思えますね」
「うむ。考えてみると、あの美しい泉がすぐに見えたというところも、この布石だったのかもしれんな」
それぞれに感想を言うマーチトイボックスの面々は、皆一様に「してやられた」という表情をしている。口では怒っている悠司にしても、それは一種のボケのようなもので、本気で怒っているわけではない。
洞窟の出口に立った一行の眼前に広がっていた景色、それは一面に広がる白い世界だった。
恐らく塩なのであろう白い平原には分厚く靄がたちこめていて、見上げる空でさえもほんのり青みがかっている程度だ。日の光が靄で拡散されているせいか、あるいは一面真っ白の起伏のない地形のせいかなのか、このエリア全体には影というものが乏しく、とにかく白いという印象になっている。
上下鏡写しの景色が見渡す限り広がっている――という彼女たちの期待は、見事に裏切られてしまった形である。どこかの誰かさんがほくそ笑んでいるかと思うと、腹立たしい限りだ。
ただ<ミリオンワールド>でのこういった罠というか悪戯の類には免疫のある五人は、ある意味幸せだっただと言える。期待に胸を膨らませていた旅行者の二人は、感想の言葉すら出ず、目を見開いて呆然と立ち尽くしていた。
「早見く~ん、せんぱ~い、大丈夫ですか~。そろそろ戻ってきて欲しいんですけど」
「へ!? あ、えっと、ごめんね。なんか想像してた景色と全然違ってたから……。ね、アッくん」
「ムギちゃんもそう思ったんだ。……ていうか、みんなはそんな驚いてないみたいだけど、これってアリなのか?」
早見の疑問はもっともだ。なにしろ鏡の塩湖とステージの名称に、はっきり明記されているのだ。にもかかわらずコレでは、看板に偽りありと言わざるを得ない。
――と、旅行者の二人が思うのは無理からぬところであろうが、不本意ながら開発の仕掛けたネタやら罠やらに慣れてしまった五人にとっては、「引っ掛かった!」という悔しさが多少あるだけで、衝撃自体はさほど大きなものではない。
さらに言えば、この開発は性格に難があったとしても嘘を吐くことはないので、この先のどこかでちゃんと、一面に広がる鏡のような景色になるはずだ。
「……それならわざわざ転移先を、洞窟にしなくてもいいじゃない」
仙代が力のないツッコミを漏らす。その指摘はもっともなれど、そこを敢えてもったいつけて引っ掛けてくるところが、開発クオリティーなのである。
「今さらになるけど、コレのモデルになった塩湖も普段は真っ白い平原だったはずよ。確か雨季の一時期だけ、うっすらと水が張って鏡のようになるの。例の番組でやってたわ」
「……ということは、この先のどこかで雨が降るのかもしれませんね」
「ふむ……、一旦がっかりさせておいて多少歩かせてから、雨を降らせて景色を一変させると。確かにそれなら、演出としては申し分ないな」
「あ、それって素敵かも。……さ~って、じゃあ一雨来るかもって気に留めつつ、ボチボチ出発するよ~」
弥生の号令で、七人は改めて隊列を組んで次のチェックポイントへの歩みを再開した。
一面起伏のほとんどない真っ白な地形で、靄で視界も悪いというこの場所は、現在地の判別が非常に難しく、想像以上に難儀な場所だった。
目印になるものは、点在している塩を掘り返した跡と思われるプール状の穴と、積み上げられた塩の小山だけだ。それらの中でも比較的大きなものは地図にも記されているので、位地関係を確かめつつ、コンパスとにらめっこ状態で進むしかない。
コンパスがなければ方向さえ容易く見失いそうなこの状況下で、もし仲間とはぐれてしまったらえらいことになるだろう。靄の中をしばらく歩いてそう実感した冒険者組五人は相談し、念のため雪苺のエイリアスを五つ出現させ、メンバーそれぞれに張り付かせることにした。相互の距離が離れすぎたら、本体が清歌に警告を発するのである。
ちなみに「一個足りないんじゃ?」などという心配は無用だ。もはや言うまでもないかもしれないが――
「じゃ、早見くんと先輩はワンセットってことで、一つでいいよね~(ニヨニヨ)」
「そね。問題ないでしょ。二人ははぐれないように常に手を繋いでいて下さいね~(ニヤリ★)」
「えっ!? ちょっ、なんでそうなるんだ? もう一つ増やせないのか?」
「増やせますよ。ただコストが掛かりますから、できれば温存したいところですね」
しれっとのたまう清歌であったが、一体から五体にするならともかく、五体が六体になっても大差はない。コスト云々は嘘ではないが、理由としては薄いと言わざるを得ない。
しかし清歌のお嬢様幻想が未だ崩れていない早見と仙代は、その説明を疑うという発想が浮かばなかったようだ。
手を繋ぐなんて何時以来だろう、と全く同じことを思いつつ二人は、互いに差し出した手を握る。大きく印象の変わっているその感触が妙に照れ臭く、それを誤魔化すように意味もなく笑ってしまう二人であった。
以前聡一郎が語ったように、このイベントはオリエンテーリングがメインで、フィールドで遭遇する魔物はそれほど強くはない。その法則自体は、ここ鏡の塩湖エリアでも変わらないようだが、ちょっと変わった魔物が多かった。
まず最初に遭遇したのは、塩が積み上げられた小山に紛れ込むようにいた、見た目は雪ダルマそっくりの魔物、その名もソルトマンだ。ちなみに球が三段重ねになっている、西洋風の形である。
基本的にソルトマンは、背景オブジェクトを装っての待ち伏せからの奇襲、という攻撃パターンだった――らしい。というのも、あからさまに怪しい塩ダルマだったので、遠距離から先制攻撃を加えて、正体を現したら一気に畳み掛けて仕留めてしまったので、ソルトマンから攻撃らしい攻撃を受けることがなかったのである。なお、三つならんだ塩ダルマのうち、一つだけがソルトマンだったという引っかけがあったことも付け加えておく。
次に遭遇したのは、オオサソリの亜種だった。オオサソリという魔物はあちこちに出現する魔物で、スベラギ周辺でも東の砂漠エリアの全域、南のサバンナエリアでもテーブルマウンテン山頂の一部、他にも割と広い洞窟の中などで見かける。
尻尾を除く本体の体長が一メートルほどある大きなサソリで、頑丈な甲殻で身を守り、ハサミと尻尾の毒針を武器に攻撃をしてくるなかなかの強敵だ。
塩湖で遭遇した亜種は標準の個体よりも二回りほど小さく、全身が真っ白という魔物だった。また通常のオオサソリは飛び道具は使わないのだが、この亜種は尻尾の針に毒がない代わりに、針の先から白いレーザーのような光線魔法を放ってきた。
耐久力や近接の攻撃力など、全体的な強さは標準個体の方が上なのだが、保護色でとにかく見辛く、戦いにくい相手だった。
これと似たような亜種タイプでは、ホワイトサラマンダーという魔物にも遭遇した。
サラマンダーと言えば、ファンタジー系のRPGではポピュラーな、火トカゲとも称される魔物だ。今回遭遇したホワイトサラマンダーはその名の通り体が白っぽく、尻尾に常に青白い炎を纏っているトカゲ型の魔物である。
体長二メートルほどで意外にすばしっこく、また青白い火属性のブレスは標準的な赤い炎よりもダメージが大きく、なかなかの強敵だった。
――このように、砂漠や雪原に出現する魔物のバリエーションがほとんどだった。緑のない不毛の大地であることや、一面真っ白であることなどから、イメージが近かったのだろう。
ただ彼女たちが遭遇した中で唯一例外もあって、それは塩湖にトンネル状の巣穴を掘って暮らす、小動物タイプの魔物だった。
白い体毛に覆われたイタチのような姿で、トンネルの出入り口付近で立ち上がる様子が可愛らしい。そしてその名前というのが――
「塩湖に棲むプレイリードッグでしたら、ソルトレイクドッグになりそうですけれど……、このネーミングには何か意味があるのでしょうか?」
「う~ん、この名前ってどっかで聞いたことあるんだけど……なんだったかな?」
「俺も聞き覚えはあるんだが……」
「あ~、これってカクテルの名前だと思うよ」
「ちょっとアッくん! お酒は二十歳になってから、だよ?」
「違う違う、僕が飲んでるんじゃなくて、姉ちゃんが缶入りのやつを買ってきて冷蔵庫に入れてたんだ」
「あら、それでよく名前まで覚えていたわね。本当は飲んじゃったんじゃないの? 白状なさいな(ニヤリ★)」
「……実はジュースっぽい見た目だったから手に取ったんだけど、お酒だって気づいたからちゃんと元に戻しました。……本当だって。それがこのソルティードッグだったんだよ」
――全員が未成年のこのパーティーには、微妙に不発気味のネタだったようである。
靄の中から不意打ちしてくる魔物を何度か撃退しつつ歩みを進め、そろそろ第三チェックポイントが見えてこようかというとき、清歌が不意に脚を止めた。
「清歌……、どうかしたの?」
「なにか聞こえませんか? こう……低く唸るような音が、遠くの方から」
やや視線を上げて辺りを見回しつつ、清歌が答える。どうやらまだ清歌にも、どこから音――あるいは声――が聞こえてくるのかはつかめていないようだ。
「音……」「聞こえるかしら?」「いや、俺には」「ふむ、気配は感じないが」
清歌の仕草を真似るように、弥生たち四人がそれぞれぼんやりとしたとした青の空を見渡す。警戒する冒険者組の様子にちょっと不安を感じたのか、仙代が繋いでいる手に力を込め、肩が触れるほどに早見に寄り添った。
「アッくん……?」「いや、僕もちょっと……あ」
聞こえないと早見が返事をしようとした時、確かに低く唸るような音が響いてきた。船の汽笛をさらに低くしたような、あるいは遠くの大型ジェット旅客機から響いてくるエンジン音のような、そんな重低音である。
「なんだコレ……、魔物の声、なのか?」
「どうかしら。何かものすごく大きな機械が出すノイズみたいな音だけど……」
「え!? ミリオンワールドに機械なんて出てくるの?」
「ムギちゃん、そういう感じがするって話だから……」
「あはは。……あ~、でも、まだ見たことはないんですけど、世界観的には出てくる可能性もあるんですよ」
「……む、あれか? 向こうから影が近づいてくるようだが」
宗一郎の指差すちょうど進行方向の空を見ると、靄のせいで色も形も曖昧な何かの影があった。ぼんやりとした影は少しずつ大きくなっていて、こちらに近づいてきているようだ。またシルエットが規則的に変化しているので、これは恐らく魔物なのではないかと、絵梨と悠司は推測していた。
空を飛ぶ魔物は空高くから、または遠くから高速で飛来して一撃離脱を仕掛けてくることが多いので、タイミングを合わせてカウンターを叩き込むのがセオリーだ。
早見と仙代を後方に下げて、冒険者組がそれぞれ身構える。しかし一分ほど待ってみても、魔物らしき影にはあまり大きな変化が見られない。
「う~ん、どうしよっか。魔物っぽいから気になるけど、いつまでも待ってるわけにいかないし……」
「うむ。ずいぶんとのんびり飛んでいるようだし、この分なら目を離さなければ問題ないかもしれん」
「そうですね。……確かに気配もまだ感じられませんし、先を急ぎましょうか?」
モノクルに指を当てて影を見つめていた絵梨が、清歌の言葉にはっとして悠司と顔を見合わせた。
「清歌、気配は感じないのね? ソーイチも?」
絵梨の問いかけに二人が頷いた。
「二人とも気配をまだ感じられない。……ということは、まだずっと遠い場所にいるってことよね。それでも影が少しずつ大きくなっている……?」
「これだけ重低音の唸り声を出すってことは、かなり大きい魔物ってことだよな……」
「嫌な予感がするわね。……みんな! こっちから攻撃を仕掛けちゃダメよ。いい、絶対よ? フリじゃないからね」
どこぞの面白くもない芸人のような台詞だったが、幸いそれを本当にフリだと考えて実行するような愚か者はここにはいなかった。絵梨の表情が真剣――というか深刻だったからという以上に、状況に変化があったからだ。
少し前から聞こえていた低い唸り声のような音だけでなく、「ゴゴゴゴ……」と地鳴りのような音が響いてきたのだ。それはファンタジーというよりもむしろSFっぽい、まるで巨大戦艦が空を飛んでいるような音だった。
さらに音に続いて影にも変化がある。少しずつ大きくなっていた影が急に拡大し、やがて空を多い尽くすほどの大きさになったのである。
普段泰然とした物腰を崩さない清歌ですら唖然として、空を多い尽くすような影が上空を通り過ぎるのをただ見送っていた。しかし、すぐに我に還り警告を発した。
「皆さん、急いで伏せてください! たぶん突風が……」
警告を聞いてというより、急に屈んだ清歌につられるように六人がそれぞれ姿勢を低くすると、清歌が言葉を言い終わる前に強烈な風が襲いかかってきた。
「「「「きゃ~~!!」」」」「「「わぁ~~!!」」」
低空で通り過ぎたナニモノかがあまりにも巨大すぎたためか、風が巻いて四方八方から襲いかかってきた。
身を屈めて固く目を閉じ、襲いかかる突風と、礫となって飛んでくる砂粒ならぬ塩粒に耐えること暫し。ようやく収まった後で弥生がほっと息をついて、メンバーの無事を確認した。
「あ~~、ビックリしたぁ。みんな大丈夫……だったみたいだね、よかった。清歌、ありがと~」
「どういたしまして、弥生さん。それより今のはいったい……」
「巨大な魔物だと思うけど……。あら、靄が完全に吹き飛ばされてるわね。すっかり見通しがよくなってるわ」
周囲を覆っていた分厚い靄はすっかり見通しがよくなり、見渡す限りの塩湖と、抜けるような青空が広がっていた。
もう少し景色を落ち着いて見ていたいところだが、この巨大魔物飛来イベントはまだ終わっていなかったらしい。
「ふむ、あれだな。今の俺たちでは、どうにもならなそうな魔物だったが……。む? どうやら引き返してくるようだぞ」
「おや、そいつぁー、一大事だな」
「っていうか結局アレは、どんな魔物だったのかな?」
冒険者組が割と落ち着いているのに対し、早見と仙代は結構狼狽しているようだ。
「えーっと、それって結構ヤバイんじゃないのか?」
「だよね。……早く逃げなくていいの?」
二人の言い分はもっともであると同時に、無用の心配でもある。どこに逃げたとしてもあっさり追い付かれるのは目に見えているし、そもそもアレがこちらを敵と認識しているのなら、先程の遭遇でまとめて葬られていたことだろう。
なので、冒険者組の五人は武器を構えることもなく、のんきに鑑賞モードなのである。
「靄が消えて、良く見えるようになりましたね。シルエットは鮫……いえ、鯨でしょうか?」
「あら、空飛ぶ巨大鯨なんて、けっこう王道のファンタジーねぇ。……らしくもない(ニヤリ★)」
「鯨っぽい形だが……、たぶんアレは竜種の仲間だろうな。背中側に大きな羽があって、角もあるし、なんだがあっちこっちがトゲトゲしてるぞ」
確かに島ほどもある巨大な鯨や、大空を泳ぐ鯨というのはファンタジーとしては結構王道かもしれない。が、ライフルのスコープを覗いて観察していた悠司がそれを否定する。
「え~~、なにそれ! そこは鯨でいいんじゃないかな~。空飛ぶ鯨。かわいいよ、きっと」
「や、んなこと俺に言われてもな……。あ、鯨っぽいこともしてるぞ、潮吹いてる」
目を凝らして良く見ると、肉眼でも潮を吹いているのが確認できた。ただ、どうもただの潮というわけではないようで、潮を吹いた場所に黒い雨雲が現れている。
「あ、もしかして……これで雨が降るのかな?」
仙代の呟きに呼応するように、鯨竜(仮称)が作る雨雲がぐんぐんと大きく広がっていく。このまま鯨が近づいてくる様子を、暢気に見物しているわけにはいかないようである。
「まずいわね。どこか雨宿りできる場所……なんてないものね」
「いいえ、絵梨さんあちらに東屋がありますよ」
「東屋って、そんな都合のいいものがいったいどこに……って、本当にあるわね。ナニアレ?」
清歌が指差した方を見るとそこには、石造りで屋根のある東屋のような建物が、真っ白い大地の中にポツンと佇んでいた。
「まぁ、アレが何であろうと雨宿りができれば構わんだろう」
「だね。みんな~、あそこまでダッシュ! 急ぐよ!」
背後から迫ってくる鯨竜と雨雲に追いたてられるように、七人は東屋らしき場所に向かって走り出した。
「あれは、東屋ってか、次のチェックポイント、みたいだな」
律儀に走りながらも地図を確認していた悠司が、東屋の正体を推測する。言われてみれば確かに、次のチェックポイントまではあと少しというところまで来ていた。またこれまで通過してきたチェックポイントに屋根をつければ、あんな感じであろう。
ただ、三つ目にしてわざわざ屋根付きにしているということは、やはりこれから雨が降ると考えてよさそうだ。
多少の余裕をもって東屋――もとい、チェックポイントに到達した七人は、とりあえずスタンプを押しつつ、鯨竜が通過するのを待つことにした。せっかくだから鯨竜を良く見ておきたいし、何より雨が降り、そして止むところを見てみたいと意見が一致したのである。なので、小イベントはちょっと後回しだ。
「もしかして清歌、鯨の上に乗ってみようなんて考えてるんじゃないの?」
「ふふっ、流石に今は考えていません。私とヒナだけでしたら、近づいてみたいと思いますけれど……」
「まあ、襲われないって保険がなきゃ、近寄れんか。やっぱ」
「……っていうか、近寄ってみようって考えてるところが、やっぱ清歌だよね~」
「ふむ……、思ったのだが、あの大きさの魔物からだと、人間程度のサイズでは敵と認識しないのではないか?」
聡一郎の考察は実に説得力があり、四人は思わず「確かに」と頷いてしまった。実際、あの鯨竜はこちらのことを全く認識していないように思える。
「では、ちょっと試しに近づいてきて……」
「「「「やめときなさい!」」」」
――と、そんなコントじみたやり取りをしていると、いつも間にかUターンしてきた鯨竜が、再び彼女たちの上空へと差し掛かった。
靄が晴れたところで見る鯨竜は、先程とはまるで違う迫力のある姿だった。
悠司が語ったようにシルエットこそ鯨に似ているものの、ゴツゴツとした体表、背中側にある翼、額の中央から真っ直ぐ伸びる一本の角など、確かに竜としての特徴を持った魔物だ。
ただあまりにも大きすぎるせいか、あるいは表面の質感がどこか無機的なせいか、あまり生物という感じではなく、むしろ巨大な建造物であるかのような印象だった。
飛来してきた方角へと飛び去っていく鯨竜を見送り、再び巻き起こる突風は、屋根を支える柱にしがみついてやり過ごすと、すぐに雨が降り始めた。しとしとと――などと情緒的なものではなく、先日のファミレスの中から見た雨よりも激しいどしゃ降りである。
「さっきの突風といい、この雨といい、あの鯨が起こす現象はスケールが違うな」
「そね。……ちょっと気になったんだけど、あの鯨ってどういうタイミングで現れるようになってたのかしらね?」
こういった若干メタな会話は、マーチトイボックスにとっては割とありふれているのだが、旅行者でかつそこまでゲームに詳しいわけでもない仙代には、ちょっとついていけなかったようだ。首を傾げて疑問を口にした。
「え?? ……現れるようにって、どういう意味?」
「ムギちゃん。<ミリオンワールド>はリアルだけど、一応ゲームなんだから。あの鯨は他のモンスターとは違って、イベントみたいに特別な設定がされてたんじゃないかって、そういう話だよ」
「あ、そっか。ここってVRの中でゲームなんだよね。……あ、ごめん。話の腰を折っちゃったね」
「いえいえ、大丈夫ですよ。……で、絵梨が言いたいのはたぶん、第二チェックポイントからここまでに迷ってたらどうなってたのか……って話、だよねぇ」
言いつつ弥生は、東屋の外に視線を向ける。この豪雨の中では、一瞬にしてびしょ濡れになるだろう。仮に傘やカッパの類いを持っていても、あまり意味をなさないように思える。
鯨の飛来が、第三チェックポイントに一定距離近づいたことをトリガーにしたイベントならば問題ないが、もし時間経過をトリガーとしていたなら。そして、途中で道に迷ってしまっていたら。――ダメージはなくとも、モチベーションがダダ下がりになりそうである。
「……そうですね。もしそうなってしまったら、諦めてコテージを展開して、しばらく雨宿りしましょう。ね、ヒナ」
「ナ~!」
お任せあれ、と鳴き声をあげる飛夏を清歌がナデナデする。
なんとも和む光景に、頭を過ったちょっとした危惧も「まあいいか」という気分になり、絵梨はクスリと笑みを漏らした。
「なるほど、確かにそね。私らには頼りになる仲間がいたわね。……あら? もしかして、雨が止む……かしら?」
降るときと同様、止むのもいきなりだったようだ。ついさっきまで、ごうごうと音を立てていた雨は何事もなかったかのように引いてゆき、日の光を遮っていた黒い雨雲も風に流されて、いつのまにか景色が本来の明るさに戻っていた。
――世界が一変していた。
「わぁ~~」
それは誰の口から漏れた声だっただろうか。
一面に広がる鏡の世界に魅入られたように、一人また一人と東屋から一歩踏み出し、周囲を見渡しては上下対称の不思議な光景を目に焼き付けていた。
「これだよ! こういう景色が見たかったんだよ!」
「今回ばかりはユージの言う通りね。すごい景色」
「うむ。素晴らしい景色だ」
「うん。スッゴい綺麗な景色……。ね、清歌……清歌?」
「え? あ、弥生さん……皆さんも。あちらを……」
清歌が視線で示した先には、手を繋いでなにも語ることなく、ただ静かに寄り添う早見と仙代がいた。
清歌たち五人はこっそり二人から離れると、まるで絵ハガキのような二人の姿を、写真に納めるのであった。