#6―05
マーチトイボックスプラス旅行者二名の一行は、これまで見てきた泉に比べると数倍の大きさがある湖でゴンドラに揺られていた。現在の位置は、そろそろ湖全体の三分の二を過ぎたころである。
途中で前方の漕ぎ手は清歌から早見へ、そして悠司へと交代している。二人ともせっかくだから漕いでみたいという気もあったのだが、実態はともかく見た目はまぎれもなくか弱い少女である清歌に漕いで貰っておいて、男の自分がただ座っているという状況にちょっと居心地が悪かったのである。
清歌と聡一郎が自力であっさりと漕いでいたので、軽い気持ちでトライした二人だったが実際やってみるとそんなに簡単なものではなかった。しかしこの点に関してはちゃんと救済策が用意されており、数分間オール捌きに難儀すると自動的にシステムアシストがオンになったのである。
もっともこれは参加メンバー全員が上手く漕げない場合も当然あり得るのだから、ある意味当然の措置とも言えるだろう。少々意地の悪い開発とて、生身の技術が無いと無理ゲーになってしまうような仕様にはしないのである。
水面にすっと線を引くようにさざ波を立て、そして澄んだ透明感のある歌声を残しながら、一艘のゴンドラが広い湖を対岸へ向けてゆっくりと行く。
清歌が何か歌おうかと言い出した時仙代は、奥ゆかしいお嬢様然とした清歌が人前で歌ったりするのかと、かなり意外に思っていた。なんとなく状況的に、例えば修学旅行の貸し切りバスの中で余興のカラオケ大会でもするような感じを、仙代は想像していたのだ。
しかしオールを手にした清歌が息を大きく吸い込み、歌い始めたその瞬間、自分の考えていたことが全くの的外れだったことを知る。
彼女には確かな技術が――いや、もはや才能というべきだろうか?――あって、この澄んだ湖と深い森が作り出す静かな雰囲気を壊すことなく、それどころかこの美しい景色と調和し、合わせて一つの芸術となるように歌えるという自負があったのだろう。
悠司たち冒険者組は清歌の歌をこれまでにも聞いたことがあるようで、特に驚くこともなく普通に聴き入っていたが、仙代と早見は唐突に始まったプロ級のリサイタルにしばし口をパカリと開けて唖然としてしまった。
「現実ではそう見れない絶景を見ながら、清歌の歌を聴けるなんて贅沢な話よね」
「うんうん。なんだか急がなくちゃいけないってこと、忘れちゃいそうだね~」
歌声の邪魔をしないよう、弥生と絵梨が小声でそんな話をしていた。仙代はその会話を聞き流しつつ、隣に座る早見を横目でちらりと見やる。早見は相変わらず口を半開きにしたちょっと間の抜けた顔で、清歌の歌声に聴き入っていた。
清歌に向けられた視線には恋愛的な意味での熱っぽさは無いようで、単純にここにいるはずのない歌手が目の前にいる、とでも思っているかのようだ。仙代にとっては、ひとまず安心である。
(でも確かに、これはいい思い出になりそう。モンスターはちょっと怖い時もあるし、デートとはちょっと違うかもだけど、香奈に相談して良かった)
仙代自身としては結構思い切って打ち明けたつもりの恋愛相談は、しかし香奈から見ればバレバレだったようで、とても親身になって話を聞いてくれた。――というか、「ようやく相談してくれる気になったんだ」という感じで、むしろ香奈の方が乗り気だったくらいだった。
――二日前。
「じゃあ今日帰ったら、悠司くんに話しておくね。引率を頼めるかどうかは訊いてみなくちゃわからないけど、オッケーだったら一度は顔合わせをした方がいいと思うよ?」
高校からの帰り道、香奈と仙代は並んで歩きながら来るべき“告白大作戦inミリオンワールド(仮称)”について話していた。たまたま香奈は生徒会、仙代は陸上部で登校していたので、待ち合わせをして一緒に帰ることにしたのである。
ちなみに仙代は部活のある日でも、まだ正式にお付き合いしているわけではない早見と二人きりで下校することはあまりない。これは夏休みに限った話ではなく、早見は男子の部活仲間たちと駄弁りながら帰ることが多い。たまに一緒に帰る時にしても、他の女子部員たちと混ざってどこか寄り道する時くらいのものなのだ。
「うん、それは私もそう思ってた。……でも引率か~」
「あれ、もしかして抵抗あるの?」
「う~ん……、抵抗があるっていうのとは違くって……」
少々話しにくいというか、これは口に出すと惚気になってしまうのではないかという気がして、仙代は口ごもってしまう。
そんな様子を見てピンと来た香奈が、ニヨニヨと生暖か~い笑みを浮かべる。
「ああ、なるほど。そうだよねー、引率が一緒だと心置きなく彼といちゃつけないもんねー」
「ひあっ! そ、そそ、そんなんじゃ……ない。……とも言い切れないんだけど」
「あはは。まあ引率っていうか、旅行のツアコンみたいなものと思えばいいと思うよ。悠司くんだけじゃなくて、あのグループの皆は良い子たちばかりだから、スッピーたちが二人の世界を作ってればちょっかいは出してこないよ」
「それもちょっと恥ずかしいような……。って、もう、スッピーゆうなー!」
スッピーというのは彼女たちのクラスで、四月の自己紹介以降急速に広まった仙代のあだ名である。反応を見て分かるように本人はこれを嫌っていて、言われるたびに律儀に訂正している。
「ゴメンゴメン。でも、要するに告白の御膳立てをして貰おうっていう話なんだから、そこはもう気にしても仕方ないんじゃないかな?」
「んー、そうだよね。……アッくんがさー、口ではどっちでもいいって言ってるけど、あれは絶対イベントに参加したがってるんだよね」
「ムギとしては、彼の願いを叶えてあげたいんだね。……で、それとは別に<ミリオンワールド>っていう非日常で、一気に告白してしまいたいという希望がある、と」
「そうなんだよー。っていうか順番としては、イベントの方が後から湧いてきた予定なんだよ?」
「うん、それも分かってる。……でもそれならやっぱり、どっちも叶えるには悠司くんたちに事情を話して協力を取り付けなくちゃ」
「だよね。まー、告白は置いとくとしても、アッくんが悠司くんに同行させてもらえないか頼むみたいだから、多分引率はしてもらうことになると思うよ」
香奈はこの時、早見の方も悠司に引率だけではない相談をしているのではないかと思っていた。もっともそれは単なる勘に過ぎないので口には出さず、代わりに一度聞いてみたいと思っていたことを尋ねた。
「アッくん……ねー。ねえ、ムギはいつ頃から早見君のことが好きになったの?」
「へ!? な、ナニ。なんで突然、そんなことを?」
「突然じゃなくって、私は前から気になってたんだ。幼馴染に向けていた感情が恋愛に変わるのは、どういう時なんだろう……って」
だいぶ前、悠司が中学の頃に弥生が家に遊びに来ていたことがあり、仲のいい二人を見て付き合っているのかと尋ねたことがあるのだ。その結果、二人はげっそりとした表情で、それだけは絶対に有り得ないと異口同音に断言していた。
もっともこれは、悠司たち二人が特殊なサンプルであって、幼馴染の二人が付き合うというのは割とありふれている話なのかもしれない、とも思えるのだ。少女漫画などでは、いつの間にか自分ですら気づかない内に気持ちが芽生えていて、何かのきっかけでそれに気がついて――などというパターンが多いようだが、仙代の場合はどうなのだろうか?
「あ、そういう漫画見たことある。クラスメートに頼まれて、幼馴染にラブレター渡したりするってやつでしょ?」
「そうそう! あとは親友に幼馴染を紹介したら、好きになっちゃったとかね」
「あ~、それって幼馴染の方が親友を好きになっちゃう場合もあるよね」
ちなみにこのパターンの話で幼馴染と親友が付き合い始めてしまうと、物語が泥沼方向に転がっていく可能性が割と高い。主人公が二人の背中を押していた場合はなおさらで、読み始めるには結構覚悟がいる。
それはさておき、幼い頃から一緒だった男女が共通の思い出をたくさん積み重ねていく中で、互いへの信頼や共感、場合によっては母性や依存心、独占欲などが複雑に絡まって、やがて恋愛感情へと昇華する――というのはありそうな話だ。しかし、仙代の場合、そうではないと断言できる。
「私はそういうのとは違うんだ。私がアッくんのことを意識し始めたのは、中二の五月からだよ」
「……ずいぶんはっきりしてるんだね。きっかけがあるの?」
「うん。……自分の中では衝撃的な出来事だったから、はっきりと、ね」
中学に入って部活動というモノが始まり、なんとな~くどこかしらの部活に所属しなくちゃいけないという空気があったとき、特に率先してやりたいことも無く、かといって敢えて帰宅部というアウトローな選択も取れなかった仙代は、陸上部にマネージャーとして入部するという選択をした。それは早見が中学に入ったら陸上部に入ると言っていたからで、マネージャーとして早見の手伝いをするのもいいんじゃないか、と思ったのだ。
そして翌年、早見が予告通り入部。仮入部期間も終わって正式に陸上部員となった五月のこと、早見が部内の記録会に出場したのだ。
「それで勝った早見君を見て、キュンと来ちゃった?」
「ブー、違いまーす。負けちゃった。……っていうか成長期真っ只中の中学生で、一年が上級生に勝つのは難しいよ」
もっとも一年の中では文句なしの一位であり、二年生の幾人かよりはいいタイムを出していたので、十分よい成績だったと言っていい。しかし早見にとっては相手が上級生であろうとそんなことは関係なく、本当に悔しそうにしていた。
レースの後、中腰で膝に手を当て、荒い息を吐いて悔しさを滲ませた表情をする早見の横顔を見た時、仙代は本当に突然、早見は自分とは違う異性なのだと気付いたのだ。よく漫画などでピシャーンと雷が落ちるような表現を見るが、それはこういう事なのかと思う程の衝撃だった。
物心つく前から一緒だった二人の間には、ある意味で性別がなかった。友達というよりも姉弟に近く、一緒にお風呂に入ったことだってあるし、互いの部屋に遊びに行くのにも何の抵抗もなかった。
仙代が中学生になり、ほぼ一年に渡ってやや疎遠になるという間をおいてから、早見の普段はあまり見られない闘争心や負けず嫌いな一面を見るという段階を経てようやく、彼の中に異性を感じたのである。
「……たぶん、中一の頃はあんまり会えなくて、いきなりアッくんが成長したように見えてたっていうのも大きかったんじゃないかなー」
「そっかぁ、それでいきなり見た男の子の顔にコロッといっちゃったんだ?」
「うーん、まあ、そうかもだけど……、その表現はちょっと嫌だー。なんだかスッゴイ恋愛体質のオンナ、みたいじゃない?」
「あはは。……でもそっか、ずっと弟みたいに思っていた人を好きになるのには、やっぱりそれなりのきっかけがあるんだね」
「私の場合はね。ただ、その“ずっと”っていうのが長すぎちゃったから、踏み出す勇気がなかなか…………ね」
「あ~……、それは私にも分かるような気がする」
――にも関わらず踏み出そうと思ったのは、夏休みが開けて選挙で香奈が生徒会長になれば、仙代は陸上部を辞めて生徒会の手伝いをすると決めているからだ。早見への気持ちが大きくなってしまった今、同じ学校に通っているのに疎遠になってしまうというのは、ちょと耐えられそうにない。
今回わざわざ悠司たちに御膳立てを頼もうとしているのは、要するに自分を追い込むためなのだ。なにしろ会長選の手伝いをすることを決めた時点で、この状況は想像できていたにもかかわらず、今までグズグズと二の足を踏んでいたのである。もう告白せざるを得ないシチュエーションでも作ってもらわなければ、永遠にこのままのような気さえするのだ。
無論、無関係の人を巻き込んでしまうことについては申し訳なく思っているので、成否はともかく決着が付いた後で、ちゃんとお礼はするつもりでいる。
「……そっか、そういうことなら悠司くんたちのパーティーに引率を頼むのは、今回まさにうってつけかもね。ムギを焚きつけるっていう意味で」
なにやら悪だくみをしていそうなイイ感じの笑顔をする香奈に、不穏なものを感じた仙代は、ぴょんと一歩離れてから真意を質した。
「ちょ、ちょっとー、なんか気になる発言なんですけど? なんか変わった子でもいるの?」
「ううん。変わっては……いないよ。ただ……ねぇ、今年の一年生には八大美少女がいるっていう話、ムギは知ってる?」
「へ? うん、知ってる……っていうか、その話を聞いたのは香奈からじゃなかったっけ?」
「あ、そうか、ちょっと前に話したよね。それで、その八人の内三人がメンバーに居るのよ。しかも不動の一位、黛さんもね」
「…………え゛!?」
「弥生ちゃんと絵梨ちゃんも可愛いけど、黛さんはもう桁違いだからね。もしかしたら、早見君が一目ぼれしちゃうなんてことも…………なくはない、かも?」
「ダ……ダメだよ! そんなの絶対ダメ! やっぱり頼むの止める!」
「……もー、だから、そんな風に踏み出せないムギのためにお願いするんでしょ? 第一、早見君の方からも頼むつもりなら、どのみち一緒にプレイすることになるんだから」
「あぅ、そうだった。……うん、分かった。私も覚悟を決めるよ」
普段はテキパキと物事を決めていく友人の、こと恋愛に関しては妙に優柔不断な態度を見せるという意外な一面を見て、香奈は思わず笑みを零す。傍から見ていても、成功の未来しか見えないというのに、恋する乙女の心理とはなかなか厄介なもののようだ。
「実は黛さんについては私もよく知らないけど、他の四人はみんないい子たちばかりだから、話せばちゃんと協力してくれると思うよ。……だから頑張って。応援してるよ」
「うん、ありがとう。……がんばる!」
「……ちゃん……、ムギちゃん?」
香奈に相談した時のことを思い出していた仙代は、早見からの呼びかけで現実に引き戻された。
「なんかぼんやりしていたみたいだけど、どうかしたの? 酔った?」
早見は今も美しい歌声を奏でている清歌をずっと見ていたように思っていたが、自分のこともちゃんと気にしてくれていたらしい。それがちょっと嬉しい。
余談だが<ミリオンワールド>内において、乗り物酔いは状態異常として存在している。ただ状態異常が発生するのは冒険者だけなので、旅行者は乗り物酔いになることはない。ついでに言うと今回のゴンドラは、クエストではなく特殊なイベント内でのことなので、そもそも乗り物酔いは起きないように設定されている。
「ううん、大丈夫。心配してくれてありがとう。……黛さんのことばっかり見てたけど、私のことも気にしてくれてたんだ」
「な!? ……何のコト、かな?」
仙代にチクリと突っつかれて思わず大きな反応をしてしまい、早見はしまったという表情をする。
「まー、しょうがないよねー。黛さん美人だしー、スタイルいいしー、運動神経いいしー、その上すっごい歌が上手だしー。……そりゃー、目がいっちゃうよねー。男の子だもんねー」
小声で話している内に、いつの間にやら愚痴っぽい内容になってしまっている。どうも香奈が“一目ぼれ”と言っていたのを、先ほど思い出してしまったことが影響しているようだ。
そんなことを知らない早見は、これは直ちに誤解を解かねばと大いに慌てる。
「いや、そりゃ確かに黛さんは綺麗だと思うよ。歌もめちゃくちゃ上手いし。でも僕が見てたのは……、その、なんでこんなに凄い子がここにいるんだろうって、気になっただけで。あ! 気になったって言っても、一目ぼれとかそんなんじゃないよ? っていうか僕がす…………」
言い訳をしている内にドツボに嵌り、さらに今ここで言うつもりの無いことまで口走ってしまいそうになり、早見は慌てて口を手で押さえた。
「……アッくん。僕が……の、先は、何を言おうと……してたの?」
先の言葉を想像し、顔が熱くなっていくのを感じる。早見もそんな仙代を見て顔を赤くして、何も言えないまま見つめ合ってしまう。
さて、忘れてはいけないのは、現在この二人がいるのはゴンドラの上だということである。大型のものとはいっても、二人の前方に座っている絵梨からは一メートルと離れていないし、すぐ後ろには聡一郎がオールを漕いでいるのだ。
無心の表情で手を動かしている聡一郎はともかく、絵梨と弥生が後ろの座席で始まったラブコメ展開に聞き耳を立ててしまうのは、致し方ないことだろう。ちなみに清歌もチラチラと横目で二人の様子を伺っている。
「もー、なんでそこで勢いに任せていけないのかな~。チャンスじゃん(ヒソヒソ)」
「ごもっともな話だけど……、それができるくらいならこの状況にはなってないんじゃないかしら(ヒソヒソ)」
「そっか~。じゃあ、やっぱり告白は最後になりそうだね」
「ま、いいじゃない。予定通りってことで」
湖を渡り切ってさらに歩くこと三十分余り。彩の泉エリアと鏡の塩湖エリアを隔てる小高い岩山の麓に少し開けた場所があり、そこに第二のチェックポイントが用意されていた。
「この岩山を越えれば、いよいよ鏡の塩湖か。早く見てみたい気もするな……」
「だね。私もそう思うけど、やっぱり小イベントはトライしなくちゃダメでしょ」
スタンプを押し終わった悠司が、岩山を見上げながらポツリと次のエリアへの期待を漏らす。彩の泉エリアもとても美しい景色だったが、悠司としては一面が鏡のようになり、空の景色が映り込んでいる塩湖エリアの方に興味があったのである。
「分かってるって。……で、みんなスタンプは?」
「押し終わったわ。二回連続で中ボス戦とは思えないけど、一応戦闘の準備はしておきましょうか」
「おっけ~。みんな準備はいい? じゃ、いくよ~。ポチッと」
弥生が小イベント参加のボタンを押すと、全く違う景色の場所に転移させられた。
そこはこれまで見てきたものと同様に美しく澄んだ小さな泉の畔だった。ただこれまでと異なり、泉から流れ出るかなり流れの急な川があり、それは次の泉へと注ぎ込まれていた。下流の泉を見てみると、そこからさらに流れ出る川も見受けられる。
そして七人の目の前には、大きな円形のゴムボートがロープで繋がれており、四本の短いオールも用意されていた。ということは、このイベントは――
「川下り……でしょうか? ちょっと変わったボートで、面白そうですね」
ニッコリのたまう清歌であった。ただ、この円形ボートには少々ツッコミを入れたいところだし、単なる川下りをするだけとも思えない。
「確かに川下りはするんだろうけど……。っていうか、こういうボートってどっかで見たことあるような……」
はて、どこだっただろうかと頭を捻っていると、それに気づいたのは仙代だった。
「分かった! あれだよ、テーマパークとかで大きなウォータースライダーを円いボートで下るアトラクション。あのボートにそっくり。……こんなに大きくはなかったし、オールも無かったけど」
「あー、確かにテーマパークの映像で見た覚えがありますね。こっちの方が二回りほど大きいですけど」
「ふむ。ともかく眺めていても仕方がない。こういう場合、ボートに近づくか乗り込むかすれば、ルール説明が表示されるのではないか?」
「おっけ~。じゃ、私が……っと、ルールが出てきた。え~っと、なになに……」
聡一郎に先を促されて弥生がボートに近づくと、案の定ルール説明のウィンドウが表示された。
それによると、やはりこのイベントは川下りで、このボートに乗りオールで操縦しつつ、ゴールへ向かうというものだ。無論それだけではなく、途中に複数設置されている二個一対のフラッグの間を通り抜けることができれば、タイムポイントを減少させることができるというミニゲームつきである。
なおプレイヤーがボートから落ち、五メートル以上の距離が開くと自動的にボートへと転移で戻されるという仕様になっている。ただこの機能が働くと、フラッグのカウントが一つマイナスされるというペナルティーがある。
「それって要するに、ボートから落ちる可能性が十分あるっていうことだよね。ムギちゃんは……」
「わ、分かってるよ。……えっと、言い難いんだけど、私ほとんど泳げないの。クロールでプールの半分くらいしか……」
「あ、それは大丈夫みたいですよ。<ライフジャケット>っていう魔法で護られてるから……って、そんな目で見ないでよ、本当にそう書いてあるんだってば! とにかく絶対に溺れないみたいです」
「あとは実際にやってみるしかなさそうですね。オールは誰が担当しましょうか?」
「そね……、ユージとソーイチ、それから清歌もやりたそうね。あと一人は……」
「あ、僕がやってもいいかな」
「じゃあ早見君お願い。……オールを持つ人は、取り敢えず九十度ずつ等分に座って、あとは臨機応変に」
絵梨が弥生にアイコンタクトを取り、弥生が一つ頷いた。
「他に何か質問は~? じゃ、みんなボートに乗り込んで!」
案ずるより産むが易し、とはよく使われる言葉だが、どうやら今回に限っては真逆の結果が待ち受けていたようだ。
泉の中では割とすいすいと進めて、フラッグも二か所通過することができ順風満帆という感じだったのだが、急な流れの川に入ったとたん、ボートが暴れ出したのである。円形のボートは流れが巻いているところや、障害物に当たると容易く回転してしまい、あっという間にコントロールできなくなってしまうのだ。
従って川に入った後は、基本的にぐるぐると回転しながら流れに任せての移動で、時折障害物にオールを当てて多少の方向転換をする程度しかできなかった。
ではフラッグは全く通過できなかったかというと、意外と取りこぼしは少なかった。
たまたま下流の位置に来ていた弥生が、次のフラッグを視界に捕らえた。流されている向きを考えると、このままでは大きく左に逸れてしまいそうで、フラッグ間を通過することは出来そうにない。
強引に向きを変えられる推進力が何かあれば――と考えたところで、弥生はあることが閃き、頭の上に電球を灯した。
「ぴーん!」
「弥生……、こっちは結構必死に漕いでるんだが、ずいぶん余裕だなあおい」
暢気にコミックエフェクトなんぞを使った弥生に、少々呆れ気味に悠司がツッコミを入れる。弥生は「ゴメンゴメン」と軽く謝りつつ、破杖槌を取り出して先端にブレードを発生させると、進行方向右手側に向けて構えた。
「清歌、絵梨、先輩。お願い、私の事押さえておいて! ブーストチャージ!」
ボートの縁に外側を向いて正座をした弥生に呼びかけられた三人の内、弥生の意図を察することのできた冒険者の二人が、左右から腰の辺りにガシッとしがみ付いた。
「えっ、えっ!? なになに、ええと、私もしがみ付けばいいの?」
「はい。……あ、先輩は後ろからお願いします。武器の柄にぶつからないように気を付けて下さい」
仙代が膝立ちで不安定なゴムボートの上を移動し、弥生の指示通りにしがみ付いた。
「よし。これで大丈夫そう。後ろに誰もいないよね~?」
「弥生さん、そろそろですよ」
「おっけ~。このまま……このまま……、よしっ! アターック!」
女性陣三人によってボートに固定された弥生が、スラスター強化版の突進系アーツを放つと、見事にボートは右方向に大きく進路を変えた。
アーツを推進力にするという弥生の機転により、このフラッグの間は無事通過することができたのである。
そしてまたある時は清歌が万能採取ツールのワイヤーを川から飛び出ている岩に引っ掛けたり、聡一郎のアーツで殴りつけたりなどして、かなり強引な方向転換をすることもあった。
このように現実の川下りでは有り得ないゲーム的なアレコレを駆使することで、フラッグの取りこぼしは四回に一回程度に抑えることができていた。
アーツの仕様が許されているなら、すべて通過することも可能なのではないか? と思うかもしれないが、そうは問屋が卸さない。なぜなら、大量の飛沫がボートに飛んできてずぶ濡れになったり、余りにも出来過ぎに斜めに配置された滑らかな岩に乗り上げてジャンプしたり、わざわざ視界に入らないように存在していた高さ五十センチほどの滝を落下したりなどなど、様々なハプニングが七人を襲いフラッグにばかり集中できないのである。
ちなみに最も大きいハプニングはというと――
ザバァーン! という大きな音とともにボートが大きく斜めに傾く。フラッグを通過したすぐ後に配置されていた岩を回避し損ねて、大きく乗り上げてしまったのである。
「キャァァーーーー!」
運悪く乗り上げた場所に乗っていた仙代がポーンとボートから投げ出され、黄色い悲鳴を上げながら川へと落下してしまった。
ライフジャケットなる魔法で絶対おぼれることはなくても、またある程度離されればボートに自動的に上がれるとは言っても、殆どカナヅチと言っていい仙代にとって川に投げ出されるというのはかなりの恐怖体験であろう。
「ムギちゃん!!」
いち早く反応したのは、やはり早見だった。しかし、その対応がちょっと拙かった。
仙代が川に落ちた、ということばかりで頭がいっぱいになった早見は、仙代を助けなくちゃという思いに突き動かされて、オールを放りだして川に飛び込んでしまったのだ。
「はいぃ!?」「え!?」「ちょっとそれは……」「うむ。いい思い切りだ」「じゃなくって、どうするよ?」
ライフジャケットのお陰で沈むことはないので、早見はザバザバと水をかき、あっという間に仙代の元へとたどり着いた。波間に見える仙代の泣き出しそうだった表情が、一気に明るい笑顔に変わる。
思わず拍手をしたくなってしまいそうなところだが、それでは何の解決にもならない。泳いでボートに戻るのは難しそうで、このままでは二回分の落下ペナルティーを受けることになってしまう。
「早見さんの努力を水の泡にしてしまうのは、ちょっと可哀想ですね」
「清歌、どうするつもり? 空飛ぶ毛布、使っちゃう?」
「その手もありますけれど……、今回はなるべく使わない方針ですから。こちらを持っていてくださいね」
清歌は連結したマルチセイバーの中央からワイヤーを伸ばし、一方を弥生に預けた。
「ユキ、浮力制御。では、ちょっと届けてきますね」
お隣に回覧板を持っていきます、とでも言うような軽い口調で、清歌はワイヤーを伸ばしつつゴムボートから跳び出した。
「早見さん、これを! エアリアルステップ」
ジャンプ一回分の飛距離で仙代と早見の頭上まで移動した清歌は、早見に向けてマルチセイバーを投げる。早見がキャッチしたのを見届けた清歌はボートへ向かって方向転換し、危なげなくボートに帰還を果たした。
「さっすが、見事だね! ……でも、何をするのか事前に言って欲しいよ~。大丈夫だとは思ってもびっくりするんだから」
「まあまあ、今回は時間がなかったんだから仕方ないじゃない。さ、二人を引き上げましょ」
ワイヤーを手繰り寄せ、どうにか二人をボートに引き上げる。ワイヤーを戻す機能では、二人分の体重プラス水の抵抗に打ち勝って引き上げることができなかったのだ。
ずぶ濡れになってしまった二人に、バスタオルを取り出して渡す。ざっと水を拭って人心地着いた仙代が、改めて頭を下げた。
「こ……怖かった~。みんなー、ありがとー! アッくんも、その、ありがとうね」
「あ、いや。思わず飛び込んじゃったけど、考えてみれば自動的に戻って来れるんだよな。焦っててすっかり頭から抜け落ちてた……」
「ううん、助けに来てくれて嬉しかったよ! すっごく心細かったんだから」
「そ……そっか」
「う……うん。そう、だよ?」
またもや二人の世界を作ってしまった早見と仙代を見て、これでどうして告白が断られる心配をするのかと、いい加減呆れてしまう五人なのであった。
そんな小さなエピソードを挟みつつ、七人は無事ゴールへとたどり着く。不安定で激しく揺れていたゴムボートから、不動の大地に降り立ち、七人は揃って思わず安堵の溜息をもらしていた。
「はぁ~。結構スリリングな小イベントだったね~」
「はい。それに自然の川下りのようでいて、ところどころ人工のアトラクションのような部分もあって、面白いイベントでしたね」
「あ~。なんか意地の悪ーい岩の配置とか、俺はアクションゲームの初見殺しトラップを思い出したな」
「あ、それ分かるかも。ジャンプした先にある落とし穴、みたいな感じだったよね」
「……その罠でムギちゃんが投げ出された時は、ホントに驚いたよ」
「フフ……、思い返してみるとトライする前の会話が、フラグになってたのかもしれないわね。飛び込んだ早見君には驚いたけど(ニヤリ★)」
「……まあペナルティーにはならなかったのだし、早見の行動も結果的には正しかったのだろう。お陰で、タイムポイントもだいぶ減らせたのではないか?」
「うん、そうだね。……さ~って、じゃあ小休止したら元の場所に戻ろう。目指すは塩湖エリアにある、最後のチェックポイントだよ!」