#6―03
ワールドエントランスの一般的なログインルームは、大きなフロアに漫画喫茶のような個室が並んでいて、そこにVRデバイスが設置されている。
グループ専用のログインルームから始めた場合、現実と殆ど変わらないVR空間に出現するが、一般的なログインだとだだっ広い円形の広間に並べられたシートの上となる。この中継地点の部屋は浅いすり鉢状になっていて、中央には町にあるポータルとほぼ同じものが設置してある。プラネタリウムを巨大にして、中央の機械を置き換えれば大凡合っているという感じだ。
その中継地からスベラギの中央広場に転移した仙代は、初めて訪れた旅行者が皆そうするように立ち尽くし、フルダイブVRがもたらす圧倒的な臨場感に感動していた。
事前に受け取っていた解説で分かっていたとはいえ、奇妙なウェアに着替えた上、アニメで見たことのあるロボットのコックピットのようなシートに座らされるというのは、正直言って何かの検査の様で少々不安があったのだ。
「あ、いたいた。ムギちゃん!」
「あ。やっぱりアッくんの方が先についてたみたいだね」
声を掛けて近づいてくる早見は、何時もよく見ている制服や部活のトレーニングウェアとは全く異なる、デフォルトの装束に身を包んでいる。イケメンともブサイクとも言えないごく普通の日本人顔なために似合っているとはいい難く、文化祭などの演劇で慣れない衣装を着せられているような雰囲気だった。
「ムギちゃんはデフォルトの衣装じゃないんだね。えっと……その、か……か、かわ……。ン、ンンッ! 似合って……るよ?」
褒めようとしている努力は認めるが、語尾が疑問形になっているのはいかがなものか? と、絵梨などが聞いていたらダメ出しをされそうなものだが――
「えぇっ、あっ! あ、り……がと」
普段二人で出かけるときでも、服装や髪型を褒めてくれたことが一度たりともない早見の褒め言葉に仙代は十分喜んでいるようである。
ちなみに仙代は、半袖のシャツにベスト、ミニスカートとぴったりフィットしたパンツ、そして踝までのトレッキングブーツというコーディネートで、現実でも軽いハイキングならそのままで行けそうな感じだ。
それぞれのアイテムにデフォルトの衣装と同系統の柄が付いているので、シルエットは現代的にもかかわらず、早見と並んでも違和感がない。自分なりに服装を選んだ上で、デフォルトで来るであろう幼馴染とも上手に合わせたのは、素直に称賛すべきである。
ちなみに現在、旅行者は事前にユーザーズサイトのマイページから、VR内で着る服装のコーディネートを設定できるようになっている。これまでの旅行者からの意見が反映され、アップデートされたのである。ただ残念ながら旅行者のアバターは保存されないので、初回だけでなく二度目以降でも、画面では標準体型のマネキンでしかコーディネートを確認できない。故に実際に着てみたら似合ってなかった、という可能性もあるので、普段着ないようなデザインの服装を選ぶときは注意が必要である。
ともあれ、仙代はその機能を使ってコーディネートを予め決めていたため、デフォルトの衣装をタダ選択しただけの早見と、ほぼ同じタイミングでログインできたのである。
この時、お互い以外は目に入らない状態になっていた早見と仙代は全く気付いていなかったが、二人の上空に白い毛玉のようなものが漂っていた。言うまでもなく、彼女らを見つけるために清歌が飛ばした雪苺のエイリアス、その一つである。
中央ポータル付近の人だかりから少し離れた場所にて、マーチトイボックスの面々は清歌が表示させている雪苺からの映像ウィンドウを見て、何とも言えない表情を並べていた。
「やはりお二人は、交際されているようにしか見えませんね。……私には先入観がないからでしょうか?」
「いやー……、ハハ。俺らから見てもその印象は変わらないんだが……」
先入観がある側の四人も、清歌の感想に何度も頷いている。
「やっぱり清歌には、成功するって分かり切ってるのに踏み出さないのは変に感じるのかしら」
絵梨の問いかけに清歌は手を頬に当てて小首を傾げる。そして清歌にしては珍しくハッキリとしない、自分でも明確な答えが出ていない感じの言葉を返した。
「そう……ですね。ただ一方で、今の曖昧な……決定的な言葉をまだ口にしていない関係を大切に……いえ、そんな状態の二人でいることを楽しんでいるような、そんな風にも見えるような気がします」
絵梨はハッとして目を見開いた。それは少し前に感じた自分自身の想いと変わらないのではないか。そして絵梨だけでなく弥生たち三人も、清歌の言ったことにはそれぞれ思うところがあるようだった。
早見と仙代のように明らかに両想いで、単にお互いの気持ちを確認するだけに過ぎないものであっても、告白という決定的な言葉を口にしてしまうと、二人の関係性は新しいものにシフトしてしまう。――というか関係を明確に線引きするために、言葉にするのである。
そして線を引いてしまった以上、それ以前の関係には戻れなくなる。曖昧な関係だからこそのドキドキする感覚や、こそばゆい会話はもうできなくなってしまうのだ。
無責任な周囲の人間からすれば、それは「もうとっととくっついちまえよ!」という焦れったい感じがするものだが、あるいは本人たちも無意識に、そんな関係でいることを楽しんでいるということもあり得る。
「うーむ、言われてみれば、付かず離れずを楽しんでいるようにも思えるな。……だが早見たちは踏み込む決意をしたのだろう? それはなぜだ?」
「まあ……結局それって、いずれ相手が自分の彼氏や彼女になるっていう確信があるからこそだと思うわ。要するに余裕があるってことだけど……、それは油断してるとも言えるでしょ?」
わが身を顧みつつ、絵梨は二人の感情を推理して語った。
「あ、分かった! 相手が誰かに告白されちゃった……とか?」
「そね。実際されたわけじゃなくても、何かのきっかけで“されるかも”っていう危機感を持ったんじゃないかしら。……ま、想像だけどね」
「そういや、なんで告白しようと思ったかの経緯については聴いてなかったな。ま、なんにしても協力するって決めた訳だから、背中を蹴飛ばしつつ、気楽に見物させてもらおうや」
「おっけ~」「承知しました」「分かったわ」「了解した」
「あれ、何の変哲もない森……かな?」
「いいえ、弥生さん。あちらに泉が見えますよ」
マーチトイボックスの五人は早見と仙代と合流、中央ポータルからイベントへの参加申請をして、鏡の塩湖と彩の泉ステージへと転移した。
転移先は石造りの祭壇のような場所で、周囲は背の高い木々に囲まれている広場になっていた。弥生が思わず口にしてしまったように、一見すると塩湖も湖も見当たらずただの森の中といった感じだ。しかし下りの急な斜面――というか崖と言ってもいいかもしれない――の先に、確かに青く輝く水面が垣間見える。
この島はスベラギよりも若干気温が低く、肌に感じる空気は少しひんやりとしている。緑と土の匂いが鼻腔をくすぐり、どこかで鳴いた鳥の声が耳に届く。フルダイブVR初体験の二人は、しばしそのリアルな森の空気感に感動していた。
「ええと、移動する前に地図を確かめるのがセオリーよね……あら?」
地図を確かめようとしたところで、全員の目の前にウィンドウが出現する。
「なになに? スタンプラリーイベント中の旅行者を伴う戦闘での特別ルール? ……へぇ~、こりゃなかなか面白いこと考えるな」
どうやらこの解説は、冒険者が旅行者をパーティーに加えた状態でスタンプラリーに参加すると表示されるようになっているようだ。
解説によるとこのイベント中、旅行者をパーティーに加えて戦闘を始めると、旅行者には三回分のヒットポイントが与えられる。つまり戦闘中に三回攻撃がヒットすると戦闘不能扱いになるのである。そして戦闘終了時に旅行者が生存していれば、獲得経験値やドロップアイテムに多少のボーナスが付くとのことだった。
なおどんな攻撃でも一回分にカウントされるなら、強力なアーツ攻撃には旅行者を盾にすればいいのでは、などという不埒なことを考える輩もいるかもしれないが、旅行者にヒットした攻撃は、冒険者全体に分散してダメージが振り分けられるシステムなので、それはあまり意味がない。――まあ一応、ヒットした攻撃は消滅するので全くの無意味というわけではないが。
言い換えると、旅行者という護衛対象を抱えての戦闘であり、そのリスクの分だけ上手くやればボーナスというリターンがあるシステムなのである。
「ええと……なお、この戦闘システムは本稼働時の標準システムとなる予定で、本イベントはそのβテストも兼ねている。……βテスト??」
解説を読んでいた仙代が、最後に付け加えられていた用語について首を捻り早見へと視線を向けたが、彼の方も首を横に振っていた。どうやら二人とも普通にゲームで遊んでいるものの、オンラインゲームやその正式運用前のプロセスなど、コアな知識は持ち合わせていないようだ。
「βテストってのは、正式運用する直前のバージョンをユーザーに実際プレイしてもらって、使い勝手とか問題点とかを洗い出すことですよ。……今回の場合は、この戦闘システムが九月以降に採用されるってことですね」
「へ~、そんなことをやるんだ」
「……僕は陸上をやってるから身体能力はある方だけど、戦闘ってなると少し不安かな」
「えっと、アッくんに不安とか言われると、体育が平均点の私はどうしたら……」
二人のやり取りを見ていた清歌はあることを思いつき、弥生に本当の意図は隠した提案をする。
「弥生さん。念の為、移動を始める前に、戦闘時の立ち回りをお二人に軽くレクチャー……作戦会議をしておきませんか?(パチリ☆)」
早見と仙代には見えないように飛ばされたウィンクに、弥生は一瞬ドキッとしたものの、清歌の言わんとすることはきちんと把握した。弥生自身もどこかでその必要性を感じていたので、これ幸いと即決した。
「うん、そうだね。いざって時に慌てないように、戦闘での立ち回りとかを二人にも知っておいて貰おう。……じゃ、先輩は私ら女子チームで、早見君は悠司と聡一郎に任せたよ~」
弥生は悠司に目配せしつつ、仙代の腕を掴んで祭壇状の場所からさっさと降りて行ってしまった。
「(あ……、なるほどそういうことか)おけ。じゃあこっちは早見にレクチャーだな」
「(良く分からんが、早見と先輩を引き離しておけばいいのだな)……では俺たちは、あっちの方でやるか」
若干理解度に差はあるものの男性陣二人も提案の意図を察し、女性陣が陣取った場所とは祭壇を挟んで反対の場所に移動し、作戦会議を始めるのであった。
「ま、ざっくり言うと弥生とソーイチが前衛、私とユージが後衛、清歌と従魔のチームは遊撃。戦闘が始まったら先輩は後衛の私らの更に後ろに下がっていて下さい。以上」
「…………って、え!? それだけ?」
「ハイ、それだけなんです。……あ、強いて言えば、たま~に清歌と聡一郎がするトンデモアクションにあんまり驚かないで貰えるといいですね」
「ふふっ……、常識外れのアクロバットをするわけではありませんので、それほど驚くことはないと思いますよ」
ニッコリのたまう清歌ではあったが、弥生と絵梨が手を何度も横に振って仙代に「否」と伝えている。この清楚でお淑やかな姿からは想像できないが、恐らく本当にギョッとするようなことを戦闘中にやってのけるのだろう。
もっとも、この時の仙代の認識には誤りがあった。清歌が周囲を驚かせる言動をするのは、なにも戦闘中に限った話ではないのだ。
「レクチャーはこれでいいとして、ここからが本題ですね。……先輩はいつ頃告白をするおつもりなのでしょうか?」
「……ひあっ!?」
油断していたところにいきなり切り込まれ、仙代は思わず仰け反って変な声を上げてしまった。自分から頼んだこととは言え、既に自分の気持ちは早見以外の皆に知られているのだということに思い至り、顔が火照ってくる。
そんな初々しい反応を生暖かく見守っていた弥生と絵梨も加わり、作戦会議が始まった。
「チェックポイント付近はどこも景色が良さそうだし、安全地帯でしょ? 告白には最適じゃないかしら」
「私もそれがいいかもって思ってた! 休憩をしつつ私らがそれとなく席を外して……っていうのが良さそうじゃない?」
「なるほど……。では、どのチェックポイントで実行するかですね。やはり告白してしまってからの方が、落ち着いて楽しめそうですから……」
あれよあれよという内に、告白計画が現実味を帯びたものとなっていく。このままでは次のチェックポイントで早速しよう、などということになりかねない。
「ちょ、ちょちょ……っと、待って。みんな、おお、落ち着いて、ね?」
相手がゲストであり先輩でもあるので、三人娘は「むしろ落ち着くべきは先輩の方じゃ?」というツッコミは控え、続きを話すのを待った。
「えっとね、こんな個人的なコトに巻き込んじゃったのに、協力してくれて本当にありがとう」
胸に手を当て、フーッと軽く深呼吸をして気を落ち着けた仙代が、まず深くお辞儀をして三人に感謝の言葉を伝えた。そしてゆっくりと、正直な胸の内を吐露する。
「……でも、ね。やっぱり告白って、もしダメだった時のことを考えちゃうでしょ? その後……みんな気まずくなっちゃうんじゃないかなって。だから、やっぱり後の方にした方がいいんじゃないかなって……思うんだよね……」
俯いて不安そうに話す恋する乙女の様子は、同性から見てもとても可愛らしく、無条件で協力したくなってしまうところだ。しかし、こればっかりは突っ込まざるを得ない。
「先輩、絶対成功します」「そね。まず断られないですよ」「私も杞憂だと思います」
「ええっ!? そ……そう、かな?」
「っていうか、先輩だって多分大丈夫だって思ってますよね?」
念を押すように尋ねた弥生に、仙代は曖昧に頷く。
「そりゃ……、それなりに自信はある、けど。……やっぱりずーっと幼馴染だったから、もしかしてアッくんは今のままがいいって思ってるんじゃないかっていう不安がどうしても消えなくって」
新しい関係に踏み出す際の不安というのは、一般論としては確かにわかる話だ。しかし彼女たちの場合は、互いに先の関係に踏み出したいという気持ちが傍から見ていて分かるのだから、やはり思い悩み過ぎというものだろう。
長~く幼馴染をやってきた二人が付き合い始めるのは、斯くもハードルが高いものなのか。清歌たち三人は互いの顔に「仕方ないなぁ」とでも言いたげな、とてもよく似た表情が浮かんでいるのに気づいて、思わず吹き出してしまった。
「えっ!? なになに?」
「いいえ、なんでもありません。……けれど、そうですね。先輩から告白するのが不安なら、早見さんの方からして貰えるように仕向けてみましょうか」
清歌から飛び出した新たな提案に、何やら不穏なものを感じて仙代だけでなく弥生と絵梨も身構えてしまう。
「え~っと、でも清歌。それができなかったから、今の状況があるんだよ?」
「はい、ですから一芝居打ちます。具体的には……そうですね、私が先輩を誘惑しましょう」
「ひあっ!!」「ええ~~!」「え!? ……って、結構面白そうね」
ニッコリ笑顔で投下された爆弾に、驚きの叫びを上げてしまう三人。ただ、絵梨だけは瞬時に再起動して、意外に行けるかもと興味を持った。
弥生と仙代からの怪訝な視線を受けて、絵梨はニヤリと黒い笑みを浮かべた。
「ま、要するに先輩が誰かに取られちゃうかもって早見君を焦らせて、向こうから告白して来るように仕向けようってことよ。単純かつ効果的な策でしょ?」
「そりゃ分かるけど……。清歌は女の子だよ?」
「今回の場合、ユージもソーイチもそんな演技ができるほど器用じゃないし、早見君とは友達だから役者として適さないわ。私と弥生も二人の関係はそれなりに知ってるから同様ね。早見君に仕掛けて先輩を焚きつけるのもアリだけど……、清歌だと万が一ってことがあるかもしれないからねぇ」
仙代はどうやら清歌が早見に仕掛けているところをリアルに想像してしまったらしく、蒼褪めた顔で首をブンブンと勢いよく横に振っている。
「配役は分かったけど、そういう話じゃないでしょ? 女の子の清歌が先輩に急接近したからって、早見君は焦ったりしないんじゃってことだよ」
「あら、そうかしら? じゃ、ちょっと試してみましょ。清歌、シーン01いくわよー」
「承知しました。では……」
シーン01とは何ぞやなどと聞き返すことも無く、清歌は心得たとばかりに少し離れた位置に移動し、仙代に背を向けて立ち止まった。
「よーし、じゃあ……アクション!」
絵梨の掛け声とともに、清歌の纏う空気が微かに変化する。そしてそれは彼女が振り向いて仙代の姿を見つけた瞬間、劇的なものとなった。温かく楽し気で、今この場に二人で居ることが嬉しくてたまらないというような、そんな雰囲気だ。
仙代の姿を見て輝くような笑顔を見せた清歌は、ほんの少し弾むような足取りで仙代の傍に駆け寄った。
「あの……先輩。あちらの方に泉が見える素敵な場所を見つけたのですけれど……」
一旦言葉を切った清歌はそっと仙代の腕に触れると、はにかむような笑顔で、そして少しだけ不安そうに瞳を揺らしながら、控えめな誘いの言葉を続けた。
「もし……その、よろしければ。私と一緒に、見に行って……みませんか?」
「かっ! (かか、かわ……いい)」
精いっぱいの勇気を振り絞って大好きな先輩を誘いに来ました、といういじらしい仕草は強烈な破壊力を秘めており、直撃を受けた仙代は鼓動が急激に早まるのを感じた。
黙ったまま言葉を返さない仙代に、次第に不安になったのか清歌が瞳を潤ませ、表情を曇らせていく。
「(この子の笑顔を曇らせてしまうなんて! 私は何てことを!!)う、うん! い、いっしょにいこうか、まゆずみさん」
「ありがとうございます! それから……あの、私のことは、どうか清歌と」
「へ! な、なまえでよんで……ってこと? じゃあ……さ、さや、か?」
「ハイ!」
パァッと明かりが灯るような笑顔になった清歌が、思わずといった感じで腕を絡めるように飛びつく。
「っ!! (か、かわいい! ど、どうしよう顔が赤くなっちゃう)」
相手はあくまでも女の子なのだ。しかし熱くなった頬や、高鳴る胸の鼓動は確かに本物で、この感覚は今までにも経験がある。これは……まさか、こ……恋、なのか?
い、いやいや、自分が好きなのは間違いなくアッくんで、自分はちゃんとノーマルなのだ。……でも、じゃあ普通って何だろう? 本来、人を好きになるのに性別なんて関係ないはずではないだろうか。ならば誰かに恋をするのだって異性に限ったものと考えるのは、むしろ狭量で寂しいものの考え方なのではないだろうか? そうだ、この確かに生まれた想いに気づかない振りをすることの方が、よっぽど不自然で自分を欺く――
「カ、カカ、カ~~ット! カットだよ、清歌。や~り~す~ぎっ、やり過ぎだから! もう、離れて離れて~」
何やら思考が怪しげな方向に突っ走り始めた仙代を、ギリギリのところで弥生が正気に戻した。
弥生はホッと一息つくと、仙代から引きはがした清歌に向かって頬を膨らませてお説教をする。
「もう、清歌。今のはいくら何でもやり過ぎだよ。そりゃ……、演技だって分かってるよ? けど清歌にあんな風に迫られたら、みんなグラッときちゃうよ。先輩も危うく新しい扉を開いちゃいそうだったよ?」
「はい、以後気を付けます。けれど……ふふっ、弥生さんったら、それは少し大袈裟だと思いますよ?」
最初から演技だと分かっているのだからと、清歌は殆ど信じていない様子だったが、弥生が「新しい扉を開く」と言ったところで仙代の肩がビクリとしていたところを見ると、あながち間違っているわけでもなさそうだ。
「……とまあ、こんな感じで清歌が先輩を誘惑するのは、十分早見君に危機感を持たせられそうなんだけど……」
「ダメ、絶対! こんな危ない方法は却下だよ!」
「ご、ごめんなさい。ちょっと心臓に悪いからパスで……」
速攻で否定する弥生と仙代の反応を見ると、絵梨は清歌に向かってヤレヤレポーズをして見せる。清歌としては結構効果的なのではと思っての提案だったが、本人が否定するのでは取り下げるしかないようだ。
結局、最終的なプランは取り敢えずイベントのクリアを目指しつつ、ゴール地点で告白するのがいいのではないかという、仙代の意向を最大限取り入れたものとなった。
ゴールした時のご褒美イベントに関しては公開されていて、通過したチェックポイントとゴール地点に、任意の時間帯と天候を指定した上で自由に転移可能となるもので、絶景を好きなだけ楽しむことができるのである。
このご褒美イベントも告白のシチュエーションとしては最適なのではないか、というのも理由の一つとなっている。もちろん、途中でいい雰囲気になったのならそのまま告白してしまえ、ということになっている。
「ところで、ねえ清歌。さっきの演技……っていうか、シナリオ? なんかやけに真実味があったように思うんだけど、あれって即興だったの?」
「いいえ、弥生さん。あれは体験談……と言った方がいいですね。もっとも私は先輩の立ち位置でしたけれど」
「ああ、清藍女学園の時の話ってことね。なるほど、清歌はあんな風に後輩に迫られてたのね」
「清藍って、あのお嬢様学校の? へー、やっぱり女子校ってそういうことがあるんだぁ。……私の知らない世界だ」
「念の為、ですけれど。先ほどのシナリオはアレンジを加えたものですよ? 役職的に一人の後輩と特に親しくなる、ということができませんでしたからね」
「あ~、そっか。えこひいき出来ない立場だったんだね」
「フフフ、後輩同士で牽制し合ってい-たのかもしれないわね(ニヤリ★)」
さて、ここ鏡の塩湖と彩の泉ステージは、全体を俯瞰するとカルデラのような形になっていて、森に囲まれた彩の泉が外周部に広がり、岩山に隔てられるようにして中央の低い土地に鏡の塩湖が広がっているという構造になっている。
スタート地点は外周部の森からで、現在マーチトイボックスプラス旅行者二名は、様々な色の水を湛える泉と木々が織りなす景色を楽しみつつ、第一チェックポイントを目指している。
コンパスと地図を用いての移動というのは、普段マップ機能に頼ってプレイしている者にとっては、割と難易度の高いものだ。なにしろ現実でも、スマホがあれば現在地がすぐに分かるご時世なのだから、そもそも地図とコンパスなど滅多に触らないという方が普通なのだ。
この七人パーティーの場合は、家族でたまにアウトドアに出かける悠司と、サバイバル技術についても心得のある清歌がいたおかげで、それほど苦労することなく順調に進むことができていた。
「うわぁ~、すっごい綺麗な場所だね~」
到着した第一チェックポイントは森が大きく開けた場所で、大きさと形、そして色がまちまちな泉が六つ並んでいた。
泉は恐ろしく透明度が高く、底にある石や水草、倒木などがはっきりと見て取れる。水面が凪いでいる時などは、中で泳ぐ魚がまるで宙に浮いているような不思議な光景が見られた。
この六つの泉の広場は全体が安全地帯となっていて、魔物の襲撃を受ける心配がない。七人は警戒を解き、広場の中央付近にあるチェックポイントの祭壇へと歩みを進めた。
チェックポイントはスタート地点の祭壇とほぼ同じ形状で、異なるのは中央にスタンプらしきものが置かれている台座があるところだけだ。
「ええと、これがスタンプ……って本当にハンコだね、これ。……で、ジェムに押せばいいのかな?」
まずはリーダーからということで、弥生が自分の冒険者ジェムを取り出し、スタンプをペタンと押し付けてみる。するとジェムの画面にスタンプのマークが表示され、次にそれが縮小していきスタンプカードの一つのマスに収まるというアニメーションが表示された。――なるほど確かにスタンプラリーのようだ。
順番にスタンプを押し、最後の早見がスタンプを台座に戻すと、台座とスタンプが音もなく消え、代わりに小型のポータルゲートが出現した。恐らくここから小イベントへ参加できるのだろう。
「さて、何が出てくるのやら……」
「うむ。俺としては中ボスが現れてくれるといいな。ここまでの敵は余り歯応えがなかった」
「確かに不意打ちにさえ気を付けていれば、問題ありませんでしたね」
「ま、念のためボス戦を想定して、武器は出しておきましょ。みんな祭壇を中心に全周警戒。早見君と先輩は内側に入って」
冒険者組の五人がそれぞれ装備を身に着け、ボスの出現に備える。指示に従って旅行者組二人が移動したところで、弥生が全員とアイコンタクトを取る。
「よし。じゃあ小イベント、始めるよ~。えいっ!」
小さな掛け声とともに、弥生は小イベント参加決定のボタンを押したのであった。