#5―04
オンラインゲーム用語に“トレイン”と呼ばれるものがある。概ね敵から逃げている最中に、別の敵も次々とリンクして追いかけられるような状況のことで、引き連れているように見えることから名付けられたようだ。
単に追いかけられているだけならば本人だけの問題なのだが、往々にして他のプレイヤーを巻き込んでしまうため、トレインを発生させてしまった場合は周囲に注意を呼びかけるのがマナーとされている。
言うまでもなく、故意にトレインを発生させて他人に擦り付けるのは、忌み嫌われる行為ではある。一応ルール上は不正とは言えないもので、<ミリオンワールド>に於いても禁止行為にまでは指定されていない。
システム的にPKのできない<ミリオンワールド>でも、このやり方、すなわちMPKを用いれば間接的になら可能だ。
ただ、現実の自分との同一性が極めて高い<ミリオンワールド>では、間接的にであってもPKを行うことに心理的抵抗が強く、今のところ故意のMPKを繰り返すようなプレイヤーはいないようである。
スベラギ南に広がるサバンナエリア。南門から歩いて三十分ほどの低い丘に、少し高さの違うアカシア風の樹が二本だけ、寄り添って生えている場所がある。
見晴らしがよく、涼しい木陰があるので一休みするにはちょうどいい場所――かと思いきや、普段この場所に冒険者が訪れることはめったにない。というのも、草食動物系の魔物にとっても、天敵である肉食動物系の魔物が身を潜められる灌木や茂みの類が周囲にはなく、絶好の休息ポイントなのである。しかもカピバラやウサギだけでなく、マロンシープが常に数体寝そべっているため、冒険者は迂闊に手を出すことが出来ず、狩り場にもならないのだ。
そんな平和な場所に、今は珍しく冒険者――らしき少女が一人いる。町の外だというのに武器や防具を装備せずにちょっと変形の和装に身を包む、冒険者的常識など全く意に介さないような人物は、清歌くらいのものである。
清歌は長い黒髪と襷を風になびかせ、隣に寄り添うマロンシープのモコモコした毛に覆われた背を撫でつつ、周囲に広げた五枚のウィンドウを見つめていた。
これがごく普通の冒険者ならば、マロンシープに触れようとしただけで逃げられるか、威嚇されてしまうところだ。その上、彼女の足元には二匹のウサギが、構ってほしそうにじゃれついている。
ウィンドウというゲーム的要素がなければ、まるで絵本の一ページであるかのような光景なのだが、もし誰かに目撃されたならば、驚愕のあまり絶句して目を剥くか、さもなくば「なんじゃそりゃぁー!」と不条理を叫ぶところであろう。
現在清歌は、安全が確保できていると思われるこの場所から、雪苺のエイリアスを飛ばして、仲間にできそうな魔物を探索中なのである。
(先ほどは見慣れない鳥――カクレガドリ? を見つけられましたけれど……。流石にそう何度も、新しい魔物は見つけられませんね……)
サバンナの草食動物と言えば、ヌーやシマウマ、それにガゼルが一大勢力を築き、加えてゾウやキリンといった大型のものもいるはずだが、このサバンナ風エリアにはそれらがいない。まあ、ヒツジやカピバラが広範に分布している時点で、リアルなサバンナとはいい難いので、それらが見当たらなくともおかしな話ではない。
清歌としては、もう何種類かホームに魔物を増やしたかったところなのだが――
(もしシマウマがいれば、ホームで乗馬もどきの遊びができたかもしれませんのに……ちょっと残念です)
――清歌はギルドホームを、牧場にでもするつもりなのだろうか?
草原方面へ偵察に向かった雪苺のエイリアスたちから届く映像には、ライオンやヒョウに似た肉食動物系の魔物が。森の方へ向かった個体からは、蜘蛛やカマキリに似た虫系の魔物やジョストボアの映像が届いている。
いずれもアクティブの魔物であり、これまでのように簡単に仲間にすることは不可能だろう。ナップルリッスンを手始めに、カピバラ、ウサギ、マロンシープ、カクレガドリと次々と仲間にできたが、それらは戦闘状態にならずに懐いてくれたので、何も難しいことはなかったのだ。
その“難しいことはなかった”ということ自体がとんでもないということを、清歌は全く理解していないのであった。
このまま索敵を続けるか、それともポイントを移動するか、はたまたいったん切り上げてホームに帰還するか迷っていると、東方面のテーブルマウンテンの麓に広がる森へ飛ばしたエイリアスが、これまで見たことの無い魔物の姿を捉えた。
全体的なシルエットは猟犬のボルゾイに近い。が、それよりもがっしりとしたマッシブな体つきで、ピンと立った三角の耳と鬣、そして太めの尻尾は狼に似ている。
いかにも高い機動性を持っていそうな魔物が三体、牙を剥いて何かを追いかけている。清歌はその理由を知るべく、草原にいるエイリアスをそちらに向かわせた。雪苺の飛行速度では、引き離されてしまうほど足が速いのだ。
「あ、これはもしかして……」
草原から差し向けたエイリアスが、魔物の姿を捉えるよりも前に、全速力で逃げる冒険者パーティーが確認できた。五人組のパーティーで、推定女子大生と男子高校生が一人ずつ、残る三人は凛や千代と同じ年頃の男子二人と女子一人という構成だ。女子大生が先導し、男子高校生が殿を務める形で必死に逃げている。装備から察するに、町の外で活動をしているのは最後尾の男子高校生だけで、彼にしても前衛ではなく遊撃タイプのように見受けられる。
恐らく年長者二人が引率をして、年少の三人を連れて町の外で狩りや採取を行っていたのだろう。そして何らかのアクシデントにより、あのどう見てもかないっこなさそうな魔物を引っかけてしまった――というところではないだろうか。
なお、彼らが必死に走っているのは、魔物に追いかけられている状態では、冒険者ジェムの転移魔法は使用できないという制限がある為である。もしこの使用制限がなければ、アクティブと遭遇しても全く恐れる必要がなくなってしまうので、ある意味当然の仕様と言える。
(これがトレインと呼ばれる状況なのでしょうね。……始めて見ました)
<ミリオンワールド>を始める前、弥生から教わったオンラインゲームの基礎知識で聴いたことのある状況だ。
正直に言ってしまえば、清歌は他の冒険者が魔物に追い回されていようと、全く関心はない。仮に自分に十分な戦闘能力があったとしても、見ず知らずの冒険者のピンチを助けてあげようと思う程、彼女はお人好しではないのだ。
なので、清歌が目を離せないのは、追い回されている彼らではなく、追い回している魔物の方だ。精悍でシャープな顔立ち、ガッチリしていながらもスマートという言うなれば細マッチョなスタイル、そして鬣や尻尾は見事にフサフサという、カッコ良くて強そうという、これまで従魔にしてきた魔物とは方向性が真逆の魔物である。
可愛らしい魔物は、ホームに送った子たちも含めてそれなりの数を仲間にできた。そろそろ弥生たちと一緒に戦闘ができない――できなくもないが、まともな戦力になれない――状況をどうにかするためにも、戦闘に向いた魔物を是非とも仲間にしたいのだ。
現在トレインしているパーティーは、スベラギの南門へと脇目も振らずに走っており、幸か不幸か清歌のいる丘がその進路に掠りそうだ。
(そういえば、トレイン中は周囲に呼びかけなければいけないはずですけれど……、それどころではないようですね)
清歌は雪苺のエイリアスを全て消し、冒険者と魔物たちが現れるであろうポイントに視線を向ける。
今ならば問題なく戦闘を回避できる。接近中の魔物は興奮状態のようだが、空飛ぶ毛布で一気に離脱するか、いっそ冒険者ジェムの転移魔法でホームなりスベラギなりに移動してしまえばいい。
ただせっかく見つけた新しい魔物なのだ。もうちょっと情報収集、特に攻撃パターンを見ておけば、後日役に立つこともあるかもしれない。
(とはいっても、あのパーティーの方たちは全く戦う気は無いようですね。ここは巻き込まれる前に、離脱を考えた方が……。あら?)
パーティーと三体の魔物が森から出てきたところで、状況に変化が起きる。殿を務める男子高校生が、町に逃げ込む前に追いつかれると悟ったらしく、振り返り迎撃する態勢を取ったのだ。そして先頭の女子大生も、年少組三人を逃がしつつ、支援をするべく振り返った。
この時、清歌はもう少し待てば情報収集ができるのではと、ちょっと欲を出してしまった。――しかし結果的に、その判断は誤りだった。
なぜなら二人は端から戦うつもりはなく、あくまでも時間を稼ぐことだけを、考えていたらしい。交戦状態に入るや、女子大生の方が牽制に魔法を連発して足止めをすると、男子高校生の方が煙幕を張ってしまったのだ。
(煙幕!? ……これはアイテムでしょうか? それともアーツ? それにしてもずいぶん広範囲に広がりますね。もうちょっと範囲を絞れれば、いろいろと使いようがありそうですけれど)
冒険者二人と魔物三体を完全に覆い隠すほどに広がった煙に、唖然としてしまった清歌は、思わず今は必要のない考察をしてしまう。
そんなことを考えながら、時折アーツの閃光が見える様子を眺めていると、魔物が一体、煙幕の範囲外へと出てきた。外へ出てきたのは三体の中でも比較的大きな個体で、この場から離れた年少組を確認するために出てきたのかもしれない。
走っているときにはなかった二つの黒いキューブを体の横に侍らせ、その魔物は必死に走っている年少組の三人を睨み付ける。時間稼ぎが功を奏し、彼らはかなりの距離を取ることに成功しており、魔物は追撃を諦めたようだ。
逃走した幼い冒険者に興味をなくし、魔物がふいと顔を逸らした時、偶然にも清歌と視線が交錯する。
「あ。……目が合ってしまいましたね、間違いなく」
清歌が呟くと同時に魔物が小さく吠え、両脇の黒いキューブからファイヤーボールが一つずつ同時に放たれる。と、同時に魔物が清歌に向かって突進してきた。
距離もありファイヤーボールを交わすことは容易い。が、その時点で交戦状態となるだろうし、飛夏はジェムに戻ってしまうはずだ。それならば――
「ヒナ、魔法はよろしくね」「ナッ!」
飛夏の不意打ち完全防御能力に魔法の対処は任せ、清歌は魔物とは逆方向に向かって走り出した。
恐らくあの二人ではこの魔物に勝てない。彼らとの戦闘に決着が付いた後、戦っていた二体の魔物までこちらに向かって来ては、流石に対処しきれないだろう。故に、そうなる前にできるだけ距離を離しておきたかったのだ。
丘を下り切った辺りで、遂にファイヤーボールが清歌めがけて殺到する。その時、後ろ向きで清歌と並走するという器用な真似をしていた飛夏が、口を大きく開けて二つの炎の球を吸い込んだ!
けぷっ、と小さく息を吐いた飛夏が光ってジェムとなる。清歌は手元へと飛んできたジェムを袂に入れ、さらに雪苺へと指示を出す。
「ありがとう、ヒナ。……ユキ、攻撃はしないでいいから、向こうがまた魔法を撃って来たら教えて」
清歌の肩の上に乗る雪苺がふるりと震えて返事を返した。
(全速力でも引き離せない……ということは、逃げ切ることは無理でしょうね)
ちらりと後ろに視線をやると、ぐんぐんと距離を詰めてくる魔物の姿が確認できる。こんな場合ではあるが、そのシャープな顔と走る姿はやはりカッコ良いなと、清歌はずいぶんと暢気なことを思っていた。
周囲に人も魔物の姿もない、平坦なスペースで清歌は走るのを止め振り返る。それに呼吸を合わせるように、魔物の方も足を止めた。その距離、およそ三メートル。
「ユキ、クッションアーマーと浮力制御を」
主人の指示に従って雪苺が魔法を掛ける。浮力制御は見た目に変化はないが、クッションアーマーを掛けると、体を動かした時に白い靄の様な残像が残るようになる。無論、ダメージを受けてアーマーを失った場所には、その残像は現れない。
(魔物の名前は……ボックスハウンド、ですか。狼のようにも見えますけれど、猟犬なのですね)
改めて対峙してみると、この魔物――ボックスハウンドはかなり大きい。全体的なシルエットは確かに猟犬ではあるものの、頭の高さが清歌よりも高く、間違っても現実な犬のサイズではない。
そんなサイズの狼顔が牙を剥いているにもかかわらず、対峙している清歌はあくまでも自然体だ。肝が据わっているというかなんというか……
睨み合うこと数秒、清歌たちのいる平原に雲の影が落ちた。
「ガウッ!!」
腹に響く声とともに、一気に距離を詰めたボックスハウンドが清歌に跳びかかる。それを清歌は紙一重で回り込むように躱し、視線を外さないようにしつつ大きく跳躍した。
(ファイヤーボールを撃って……来ないようですね? あの黒いキューブは、魔法の砲台ではないということでしょうか)
こちらを睨み付け、低く唸るボックスハウンドは清歌が着地するのを待ち構えているようだ。
「あ、一度連絡を入れないと、心配を掛けてしまいそうですね」
これまで弥生には何度も心配を掛けてしまっているので、今回はちゃんと自己申告するべく、清歌はマーチトイボックスのメンバー全員に、手早く連絡を入れる。
『あ、清歌? 清歌も、ちょっと一休みしな……』
弥生からの返事とほぼ同時に、しびれを切らしたボックスハウンドが、黒いキューブを清歌めがけて飛ばしてきた。エアリアルステップで問題なく避けることはできたが、ちょっと驚いたせいで思わず弥生の言葉を遮ってしまった。
『緊急連絡、緊急連絡! アクシデントで魔物と交戦中です! 困ったことに、この戦闘からは……、どうやら逃げられないようですね』
『なんだって!?』『む、本当か!?』『ってか、とにかく私らも!』『ええ、現地へ行きましょう!』
役に立つ、立たないは取り敢えず脇に置いておいて、兎にも角にも四人は駆け付けてくれるつもりのようだ。気持ちはとてもありがたいのだが、それほど急を要することでもない。
『ありがとうございます、みなさん。取り敢えず今は持久戦を仕掛けて、相手が落ち着いてくれるのを待っているところなので、それほど急がなくても大丈夫ですよ』
言いつつ、清歌はエアリアルステップと、雪苺に起こしてもらう風を駆使して滞空状態を維持しつつ、ボックスハウンドの黒いキューブによる攻撃を躱し続けている。
『ね、清歌。もしかして、仲間にしようって考えてるの?』
『はい。……と言いますか、この戦闘を終わらせる選択肢が、私にはそれしかありません』
『……確か清歌の攻撃手段は、ユキのウィンドカッターが最強よね? それじゃあ斃しきれないの?』
『はい、難しいと思います。ですから、従魔契約に賭けてみることにします』
『分かった。とにかく無理はしないでね、清歌。なんにしても、私たちは今からそこに向かうよ』
『ありがとうございます。では、後ほど』
連絡を終え、清歌は改めてボックスハウンドを見る。情報ウィンドウには従魔契約の成功率が“――%”と表示されており、契約にトライすること自体が不可能だ。満たすべき条件が、まだ整っていないのだろう。
さて、これまでの対空攻撃パターンを総合すると、黒いキューブは少なくとも同時に三個は出しておくことが出来るようだ。そして飛び道具として飛ばす場合は、マジックミサイル並みの速さで、誘導性はなく直線的に飛んでくる。今のところ、二個以上同時に飛ばしてくることはなかった。
一度、パンツァーリザード戦の時のように、カラーボールで相殺できるか試してみたのだが、今回は相殺することはできず、また撃ち落されることもなく、黒いキューブの中に飲み込まれてしまった。
最初に放ってきたファイヤーボールのことも合わせて考えると、もしかするとあのキューブは敵の攻撃を吸い込んで、さらに打ち出すことが可能なのかもしれない。ただの立方体ではなく、攻撃を収納できる箱のようである。
ウィンドカッターでは斃しきれないのか、という絵梨の疑問に対しての答えは、これが根拠となっているのだ。
「ユキ、攻撃は仕掛けないで、私の姿勢制御だけをお願いね。……さて、根競べに付き合ってもらいましょう」
ボックスハウンドから視線は逸らさず、不敵な笑みを浮かべる清歌であった。
弥生たち四人はスベラギの南門から出ると、マーカーを頼りに清歌の元へと急ぐ。
街道システムで近くまで移動し、更にそこからは走って移動する。それはごく普通の冒険者にとっては、当たり前の移動方法だ。なのだが――
「……なんつーか、贅沢を覚えちまうとダメだな」
「あ、分かる分かる。最近はヒナに乗ってひとっ飛びが多いからね~」
「確かにあの便利さに慣れてしまうと、走って移動するのが面倒な感じねぇ……」
「(う~む。楽するのに慣れ過ぎているな。……清歌嬢に伝えておくべきか?)む、皆、アレを見てくれ。もしや、清歌嬢ではないか?」
清歌と飛夏に頼りきりで堕落しているのではないか、と考えていたところ、聡一郎の視界に宙に浮いている人らしき姿が飛び込んできた。地上にいる獣タイプの魔物が、魔法による攻撃で撃ち落とそうとしているように見える。
「わ、ホントだ!」「おー、流石だな。空中戦か?」「……というより、避けているだけ、みたいね」
状況を分析しつつ、戦闘の様子が良く分かる位置まで接近する。弥生たち四人の役目は、戦闘中の清歌が他のアクティブに近づきそうになったらそれを知らせ、場合によっては排除することだ。
一応システム的にはヘルプに入ることも可能だが、それには清歌自身の許可が必要となる。従魔契約を狙っているらしい清歌は、おそらく救助を求めないだろう。
「清歌~!」
大きく手を振って呼びかける弥生に、清歌はニコッと笑って小さく手を振って応える。いかに清歌といえど、戦闘中では暢気に話すのは無理のようだ。
周囲を警戒しつつ戦闘を見ているうちに、状況が次第に変化していく。清歌の空中での回避パターンに、ボックスハウンドが対応しつつあるように見える。
「厳しそうだけど……。清歌、大丈夫かな?」
「ああ、清歌さんの動きに慣れてきているように見えるな。……ってか、初めて見る魔物じゃないか?」
「ボックスハウンド……確かに私達が知らない魔物だわ。あの浮かんでる黒いのは、闇属性の魔法だけど、詳細は不明ね。固有能力なのかも……っていうか、ボックスってアレのことよね、多分」
「なるほど、闇属性持ちの魔物自体、初見かもしれんな。……それはそうと、清歌嬢にはまだ余裕があるようだ。今のところ心配はいらんだろう」
軽い感じで付け加えられた言葉に、弥生たち三人がそれぞれ驚いた表情で聡一郎を見る。恐らく清歌は、敢えていくつかのパターンで回避をしており、ボックスハウンドが動きを見切りつつあるのもそのためだ。
「ふむふむ、余裕があるっていうのはそういうことなんだ。……あ、でも清歌はなんでわざわざそんなことしてるんだろう?」
「推測だが清歌嬢は、ボックスハウンドの攻撃には、まだなにか奥の手があるのではないか、と考えているのだろう。それを誘発して回避することで、敵の戦意を奪おうという策なのではないか?」
聡一郎の分析に、思わず感嘆の息を吐いてしまう三人。<ミリオンワールド>というゲーム内であっても、こと戦闘に関する駆け引きや勘は、聡一郎が頭一つ抜きんでているのだ。
ある意味この会話が予言になったのか、ボックスハウンドが勝負に出る。周囲に飛ばしていた三つのキューブを時間差で次々と飛ばし、清歌の位置をコントロールしつつ、口を開いて何かの魔法をチャージする。
「闇属性、直線状の砲撃魔法……多分、闇属性のブラストシュートね」
「え!? それって薙ぎ払えるよね? ちょっとマズいんじゃ……」
「いやいや、ちょっとどころじゃないって。撃ち落されるぞ!?」
「いや、しかし誘発するのは作戦だろう。ある意味狙いどおりだろうが……」
――などと、弥生たちがごちゃごちゃと言い合っているうちに、ボックスハウンドは魔法のチャージを終え、空気を震わせるような咆哮とともに黒い砲撃を放った!
時間差で放たれるキューブの一つ目を、清歌は体を捻って紙一重で躱しつつ、冷静にボックスハウンドを見つめていた。ある意味予想通り、何か大きな魔法を放とうとしている。
二つ目のキューブを雪苺の風で回避し、最後の三つめはエアリアルステップで大きく避ける。そしてその動きが止まる位置に合わせて、ボックスハウンドの口から、黒い砲撃が放たれた。
「やりますね……、タイミングはバッチリです。けれど……エアリアルステップ」
清歌は称賛の声を上げつつ足を振り上げて体を後ろに倒し、エアリアルステップの足場を上に出すと、地上に向かって思い切り踏み込んだ。
地上に着く前に再び体を半回転させ、ちゃんと足から着地した清歌は、ゆっくりと立ち上がり姿勢を正した。砲撃魔法のなぎ払いが続くようなら、横に跳ぶつもりだったのだが、着地した時点ですでに終わっていたので、その必要がなくなった形だ。
「ユキ、通訳お願いね。……さて、このまま千日手でも構いませんけれど、それではつまらないですよね。どうでしょう、私の従魔になって頂けませんか?」
そう言って清歌は、ボックスハウンドに右手を差し出す。その姿はまるでダンスを誘っているかのように優雅だ。
実のところ、清歌はこの時少しハッタリをかましている。当たり前の話だが、エアリアルステップの連続使用や風魔法で、清歌自身と雪苺のMPをそれなりに消費しているのだ。MP回復アイテムもいくつか持ってはいるが、時間切れまで延々と続けられる保証はない。
清歌の言葉を理解したらしいボックスハウンドは、鼻を鳴らしてニヤリと笑った。――おいおい相手は犬だぞ、などと突っ込んではいけない。本当に口の端を一方だけ吊り上げて、まさにニヤリと笑ったのだ。
清歌の肩の上に乗る雪苺がふるりと震え、清歌が少し目を見開いた。
「なるほど……。貴方を仲間にしたければ、正々堂々、私だけの力で認めさせてみろ、と。そうですね、挑発に乗ってあげてもいいですけれど、正々堂々というなら、貴方も飛び道具は使わないのですよね?」
可憐で完璧なお嬢様スマイルでありながら、なぜだか妙に威圧感のある表情で、清歌が逆に挑発する。それを見守る弥生たちはハラハラしっぱなしだ。
「も~、清歌ってばなんで挑発するのよ~。お話し合いじゃダメなの~?」
「や、相手は肉食動物だろうし、話し合いは無理じゃね?」
「そね。っていうか、見てるだけでも緊張するわ。……そろそろ先に結末を教えてくれないかしら」
「絵梨にしては珍しい物言いだな。……まあ、これはミステリー小説ではないが」
小声で感想を言い合う四人になど目もくれず、ボックスハウンドはニヤリと笑ったまま一声鳴いた。
「いいでしょう。ユキ、クッションアーマー、浮力制御解除。……では、少しの間ジェムに戻っていてね」
雪苺は「頑張って」という感じで清歌の頬にスリスリしてから、ジェムに姿を変える。それを袂にしまうと、清歌は足を軽く開きだらりと腕を下ろした。
「では、始めましょう」
そう清歌が告げた瞬間、周囲の空気が変わる。それは浮島の花畑で雪苺を捕まえた時のように、不思議なほど静かに凪いだ落ち着いた空気だった。穏やかな表情で少し目を伏せる清歌からは、殺気どころか気迫すら感じられない。
「ガウッ!!」
その強靭な脚力で弾かれるように走り出したボックスハウンドが、牙を剥いて清歌に襲い掛かる。しかし清歌は体を横にして素早く懐に潜り込むと、突進の勢いを利用して投げ飛ばした!
「え!?」「は!?」「な、なんだ今の?」「……見事!」
清歌の動きがかろうじて分かったのは聡一郎だけで、弥生たち三人は何が起きたのか全く分からなかった。清歌に跳びかかったはずのボックスハウンドが、なぜか投げ飛ばされていたのである。
黛の護身術は、あくまでも護身を目的としている。仮に交戦を余儀なくされた場合でも、可能な限り相手との接触は避け、隙を作って安全圏へ退避するということが基本的な方針である。
故に、近接戦闘における基本にして極意は投げ技だ。合気道や、いわゆる転の技術などを取り入れた投げは、柔道の技とは異なり、相手が受け身を取れるかなど考慮せずに投げ飛ばす、かなり危険な技である。
投げ飛ばされたボックスハウンドは、まるでネコ科の動物であるかのようにキッチリ着地し、間髪を入れずに清歌に向かう。
清歌は殆ど移動することなく、反転しては跳びかかってくるボックスハウンドを、その度に投げ飛ばす。ボックスハウンドもただ突っ込んでいるのではなく、フェイントを織り交ぜたり、回り込んだり、低い姿勢で足元を狙ったりと攻撃パターンを変えている。しかし、その全てを清歌は対処して見せていた。
傍から見ている弥生たちからすると、余りにも簡単そうにポンポン投げ飛ばしているので、お嬢様が大型犬と戯れているだけのように見えなくもない。――大型犬などというちっぽけなサイズではない、というツッコミはともかくとして。
跳びかかるパターンもあらかた出尽くし、またもや膠着するかと思われたところで、ボックスハウンドが少し距離を取って立ち止まった。
「これで終わり……では、ないようですね」
一体何をするつもりなのか、油断なく観察していると、ボックスハウンドは頭を上げて遠吠えをした。何かの能力を発動したらしく、ボックスハウンドの体が闇を纏った。
「はい!?」「ふぇ?」「うそ!?」「まさか!」「なんと!」
身に纏った闇が徐々に集まっていき、肩甲骨の辺りから左右に一本ずつ伸び、漆黒の腕へと変化する。と同時に、鋭いダッシュで清歌に肉薄すると、渾身の右ストレートを放った。
黒い腕があのキューブに似た性質も兼ね備えているならば、手で触れるのは少々危険かもしれない。そう直感した清歌は、ステップを使って後方に避ける。
「なるほど……、そちらのボックスの方でしたか」
ボックスハウンドは一つ大きく吠えると、自身は動かず黒い腕を伸ばし、清歌に連続でジャブを繰り出した。
意表を突かれたのは間違いないが、ボクシングだと分かればある程度対処法は分かる。清歌は落ち着いてジャブを避けつつチャンスを伺い、二度目の右ストレートが放たれた時、身を屈めて避けると同時に、弾かれたようにボックスハウンドへと突進した。
腕を戻すのが間に合わなかったボックスハウンドは、跳びかかるように小さくジャンプをして、前足で清歌を殴りつける。
「フッ!」
清歌は気合とともにさらに踏み込んで懐に潜り込むと、殴りつけてきた前足を取り、一本背負いの要領でひっくり返した!
ズシーンと大きな地響きを立て、周囲に土煙が上がる。それが収まったとき、そこには仰向けに倒されたボックスハウンドの首元に、手刀を突き付けた清歌の姿があった。
弥生たちが固唾をのんで見守る中、清歌は穏やかな微笑を浮かべると、ボックスハウンドから数歩離れて居住まいを正す。ボックスハウンドもその巨体を起こすと、清歌の前へと足を進め、伏せの姿勢を取った。
「ありがとう。……では、一緒に行きましょう。“契約”」
こうして清歌は、戦闘用の従魔を初めて手に入れたのであった。
というわけで、新レギュラー加入しました!
一応犬ですが、背中に乗ることもできます。詳細は次回で。