#4―13a
「ナー……ナッ!」
怒っている、というよりは面倒臭げな声を上げた飛夏が、ナヅカ博士の腕の中から忽然と消え、次の瞬間には清歌の頭の上に出現した。
「ああ~~、そ、そんなぁ……。も、もうちょっと触らせてくれない……かな~?」
両手をみょ~にいかがわしい感じでワキワキさせながら、ナヅカ博士はじりじりと清歌と飛夏へと近づいてくる。
しかし飛夏は、これ以上触れられるのは真っ平御免と抗議の鳴き声を上げる。清歌はそんな飛夏にクスリと小さく笑うと、胸の前に移動させ軽くヨシヨシして、しばらく大人しくしていたことを褒めてあげつつ、ルーナに目配せをした。
「ナヅカ先生。もう、そのくらいにしておいた方がいいと思いますよ」
「え~! ちょっと分かってるの、ルーナ。あの幻の竜が目の前にいるなんて、まさに千載一遇のチャンスだよ! これを見逃すなんて、研究者ならあり得ない話だよ!?」
「承知しています。だからこそ言っているんです。……後悔しても遅いんですよ?」
「意味深なことを言って……、それってどういう事? ルーナの考えを聞こうじゃない」
何やら含みを持たせたルーナの発言に、ようやくナヅカ博士も聞く耳を持ったようで、ワキワキしていた手を止めてルーナに視線を向けた。
「では、申し上げます。あちらのブランケットドラゴンは、彼女の従魔なんですよ。面識を得たのですから、また会う機会もあるかもしれません」
「ふんふん。……んーっと、それで?」
普通はそこまで聞けば、ルーナが言わんとすることを察せられそうなものだが、ナヅカ博士は全く分かっていないらしく、目をパチクリさせながら首を傾げた。ルーナは額に手を当て溜息を吐くと、仕方なしに先を続ける。溜息を吐く様が実に似合っているところが、なんとも不憫である。
「……はぁー。要するに、また会えるかもしれないっていうのに、今日完全に嫌われてしまっていいんですか? って言ってるんです」
「ふぇ?」
ちょっと考えればわかりそうな、至極まともなルーナの言葉は、しかしナヅカ博士には思いもよらなかったことだったようだ。虚を突かれて一瞬ポカンとした後で、見る見るうちにその顔が驚愕に染まっていく。
「……まさかっ!! そ、そんなことない……よね? 私のこと、嫌ったりしてないよね……?」
しょんぼりと肩を落としたナヅカ博士は、今にも涙が零れ落ちそうなうるうるした瞳で飛夏を見つめる。その姿は大好きなペットを構い過ぎて、逆に嫌われてしまって途方に暮れている少女そのものだ。重ねて言うようだが、とても二十歳の女性には見えないお人である。
飛夏もさすがに泣かせてしまうのは本意では無いらしく、耳を倒して清歌を見上げると、小さくひと鳴きした。
「……そう。ナヅカ博士、ヒナは博士のことを嫌いになったわけではないようですよ。ただ、もみくちゃにされるのは止めて欲しいみたいです」
「ほ~~っ。そ、それは良かったよぉ~~」
清歌の言葉に心底ほっとしたナヅカ博士は、その場にへなへなとへたり込んでしまうのであった。
「ん、んんっ! あはは……。改めて初めまして、私はミユ・ナヅカ。ナヅカ研究室の責任者で、学院で講義もしているよ。私としたことが、稀少な魔物といきなり出会えて、ちょーっと動揺しちゃったけど、普段は全然こんなんじゃないんだよ? うん。いつもはしっかりした、オトナの女性なんだから!」
飛夏に飛びついてハイテンションで捲し立てていたのは、あくまでも動揺していたせいだと、ナヅカ博士、改めミユは両手を腰に当て胸を張って主張している。
横に控えているルーナの呆れ気味の表情を見るまでもなく、清歌たちも先ほどの姿こそが彼女の素なのだろうと承知しているのだが、そこは敢えて突っ込まないであげるのが優しさというもの。――まあ優しさ云々は置いておくとしても、本題の話に関しては未だ手付かずなので、ここでまぜっかえしては目的達成がさらに遠のいてしまいそう、というのもあるのである。
「あ、こちらこそ初めまして。ええと、私たちは……」
こういう時の自己紹介はリーダーの役目だ。弥生は軽くメンバーの紹介をして、改めて訪問の理由も説明をした。
「うんうん。冒険者協会から話は聞いてるよ! ……でね、キミたちの目的は割とあっさり片が付くんだけど、ちょ~っと移動したりとかしなきゃなの。だから、良ければ君たちの情報から聞かせてもらえないかな~、なんて思ってるんだけど……。どうかなどうかな?」
ミユは弥生にそう提案しつつ、チラチラと飛夏へ視線を向けている。嫌われては元も子もないと、飛びつくのは自重しているようだ。
ともあれ順番の前後など、五人にしてみればどちらでもよいことだ。最初から情報交換をする、という話だったのでかかる時間に変わりはない。いや、先にミユの情報を聞いてしまったら、捕獲に行きたくなりそうなので、むしろ後で聞いた方がいいかもしれない。
五人は一言二言相談すると、ミユの提案通り先にパンツァーリザードの情報提供をすることになった。
「オッケー! じゃあ、ちょうど天気もいいし中庭でお話をしよう。 ルーナ、ルーナ。お茶とおやつを持ってきてちょーだい」
「はいはい。そう言うだろう思って、ちゃんと用意していますよ。では、皆さんこちらへどうぞ。……先生も来て下さーい。それから! 隙を見てあの子に跳びかかるのは止めて下さいね」
ルーナに釘をさされ、少し膝を落としていたミユは、いたずらを母親に見咎められた子供のようにビクンと跳びあがった。
ミユの怪しげな挙動は清歌たちからは丸見えで、飛夏も気づいて清歌の背中に隠れていたのだが、移動を始めていたルーナからは死角になっていた。にもかかわらず、その動きを正確に察知したルーナの読みはなかなかの鋭さである。それが全て、これまで彼女に苦労させられてきた賜物かと思うと、思わずホロリときてしまうレベルである。
二人のそんな息の合ったやり取りを見て、清歌たちは思わず顔を見合わせて吹き出してしまうのであった。
中庭に設置されているテーブルセットを二つ占領し、パンツァーリザードの情報提供という名の、お茶会が始まった。ちなみに清歌・弥生・ルーナと、ミユ・絵梨・悠司・聡一郎が同じテーブルについている。言うまでもなく、飛夏からミユを遠ざけた結果である。
さて、外見的にも性格的にも子供っぽいところのあるミユも、中身は確かに、若くして博士号を取った優秀な研究者だった。おやつをパクパクと食べながら、楽しそうに清歌たちの話を聞いていても、気になるポイントについては鋭く質問を飛ばしていた。
いずれにせよ初対面からの経緯で清歌たちが内心抱いていた、研究者としてのミユに対する不安は、このお茶会で綺麗さっぱり解消されたのであった。
「むむむ……なるほど。まさか尻尾だと思っていたところが、頭だったなんて……。これは驚きの大発見だね! パンツァーリザードはあんまり討伐の必要性がない魔物だから、情報が少なくってさー。そっかそっかー、一筋縄ではいかない特徴があるなんて。やっぱり曲がりなりにも竜種だねぇ」
「竜種? リザードって名前ですけど、ドラゴンの仲間なんですか?」
悠司の疑問にミユの瞳がキラリンと輝く。どうやらミユも、自分の研究テーマについては解説するのが大好きな人種のようだ。
「その通り! 最初に名前を付けた人が勘違いしちゃったみたいなんだ。パンツァーリザードって六本脚でしょ? あれって要するに、陸上で飛ばない生態に進化した結果、翼が足に変化したんだよ。普通なら退化して小さくなりそうなものなんだけど、面白いよねー」
普通のトカゲよりも脚が二本多くても、ファンタジーなんだからそういう生き物もいるのだろうと気にも留めなかったことだが、ファンタジーなりにそれなりの理由付けがあるらしい。悠司はミユの説明に頷きながら、そんなことを考えていた。
「まあ、体を鎧のような鱗で覆って重量が増したから、それを支えるためっていう意味もあるんじゃないかって、私は考えてるんだけどね。……っていうか、まさかあのカタそーなパンツァーリザードが、レベル二十未満の冒険者パーティーで討伐できるなんて、思いもよらなかったよ」
「お言葉ですが先生、それは違うと思いますよ。こちらの皆さんが討伐に成功したのは、あくまでも工夫を凝らして弱点を突いたからであって、普通に正面から挑んだなら、やはりレベル二十では全然足らないでしょう」
ルーナの言う事はミユも思っていたことだったらしい。腕を組んで、何度も頷いている。
「それはもちろん、その通りだよ。発見した弱点を突いて短期決戦を仕掛けたことといい、手持ちのカードを上手に組み合わせて使ったことといい、普通はできないことだよね!」
新しい魔物の、それも意外な生態に関する情報を聞けてテンションが上がっているらしく、ミユの口調は楽しげに弾んでいる。
喜んでもらえたのは何よりなのだが、このままでは本命の目的を果たせない。今回はルーナも地味に興奮気味なので、ツッコミ役を期待できそうもない。なので絵梨は話が一段落したこのタイミングで、話を切り出すことにした。
「私たちから話せることはこのくらいです。……それで、こちらからお願いしていた情報についてですが……」
「ああ! そうだね、キミたちにとってはそっちがメインの目的だもんね。だいじょーぶ! 忘れてないから。……じゃあ、早速行くとしようか」
そう言ってミユが立ち上がる。このまま魔物の情報を聴くものだと思っていた五人は、思わず彼女を見つめてしまう。
「ふっふっふ。情報提供なんてまどろっこしいことをする必要はないよ。実はナヅカ研究室で管理している倉庫に、結構な数のゴーレムが休止状態で保管されているんだ。すっごい価値のある情報ももらったことだし、好きなのを持って行っていいよ!」