#1-04
「俺、このリムジンを降りたら、庶民の世界へ帰るんだ」
「なに言ってんの悠司? 死亡フラグ?」
「安心しなさい、ここはすでに黛邸の敷地内。外に出ても庶民の世界じゃないから。ホラ、覚悟を決めてとっとと外に出る」
「わっ、バカ押すな。ちゃんと出るから」
ドライブは快適だった。それはもう素晴らしく快適だった。車の中だというのにほとんど騒音は無く、室内のエアコンは適度に効き、ソファの座り心地は最高だ。今回は短い距離で使う必用は無かったが、冷蔵庫に電子レンジ・電気ポットなんかもあるらしく、正に至れり尽くせりだった。
その快適空間の中、悠司だけが若干の居心地の悪さを感じていた。女子三人組は大分打ち解けて、終始ニコニコ笑顔の清歌を中心に雑談をしていて、男子二人の片割れである聡一郎は目を閉じて瞑想状態だ。女子の会話に割り込めずに手持ち無沙汰の悠司は、ぼんやりと窓の外の景色を眺めているしかなかった。
高校から十五分ほど走り、車は大きな門の向こう側へと滑り込む。快適で不満などあろうはずも無いが、寛ぐには精神的な敷居が高すぎる。門をくぐったのを見た悠司は、これで降りられると内心安堵したのだが、黛邸の敷地は広大で車を降りるまでには数分の時間を要し……冒頭の台詞に繋がる。どうやら精神に多大なダメージを受けて、自分の住むべき世界へ帰りたいと本能が訴えてきたらしい。
清歌に案内されてエントランス(靴は脱いでスリッパに履き替えた)の広いホールから階段を登り、廊下を歩いて清歌の自室へと到着する。思っていたほどの大きさではなく、帰るだけなら迷わずに済みそうで、四人は少し安心した。
四人は知る由も無いが、この館が意外に小ぢんまりしているのは、これが家族専用のプライベートな場所であるからで、来客用の屋敷とスペースは別に用意しているからだった。もっとも小さいと言っても、それは弥生たちが想像していた“お城のような屋敷”と比較すればという話であり、一般的な感覚でいえばここも充分に“大きな屋敷”なのである。
清歌に促されて「お邪魔しま~す」と部屋に入ってから、弥生たちはそのことを再認識した。
その部屋は南側一面に大きな窓があり、明るい自然光に満ちていた。まず目を引くのがこの部屋の主であるかのようにデンと鎮座している、黒い光沢を放つグランドピアノだ。東側の壁はほぼ一面が作りつけの本棚とキャビネットになっており、その一部に大画面液晶テレビとオーディオセットが、テレビの正面にはソファとテーブルのセットが置かれている。ドアのある北側壁面にはオール電化の簡易キッチンがあり、そして当然のようにダイニングテーブルのセットもある。これだけの物があるにもかかわらずスペースには余裕があり、ゆったりとしたくつろぎ空間になっている。
ベッドやクロゼットがないことを不思議に思って弥生が尋ねると、それらと勉強机などは東側壁面の窓際にあるドアから繋がっている寝室のほうにあると答えが返ってきて、四人はもうため息をつくしかなかった。
「俺はリムジンに乗り込むときに、腹を括ったつもりだったんだけど……。どうも足りなかったらしい」
「腹で足りないならどうする? 首を括るか?」
「ちょ、聡一郎? 今のはボケか? ボケだよな!?」
「???」「(まさか……素?)」
「ぷぷっ。まあ、首だとその後の展開がなさそうだから……両脚、とかかな?」
「そうすると、その先は逆さ吊りか、はたまた市中引き回しか」
「俺はタロットの絵柄になるつもりはないぞ……。っていうか、何で罰を受ける覚悟みたいな話になってるんだ!?」
「……ふふっ。くすくす」
部屋に入って横並びになると、自然に始まった四人のコントじみた会話を聞いて、清歌は思わず噴き出してしまった。悠司が話の取っ掛かりを作り、聡一郎がボケて、弥生と清歌の連携で弄られた悠司はそこにツッコミを入れる。なかなかに鮮やかな連携だ。教室でのやり取りも合わせると、聡一郎は口調も内容も生真面目だが内容そのものはどこか天然っぽく、悠司は弄られるだけでなくツッコミやフォローにも回るという、一人三役の苦労人ポジションのようだ。
いつもどおりのバカ話をしたのは、無意識的にリラックスしようとのことだったのかもしれないが、清歌の抑えた笑い声に照れくさくなった四人はなんとなくお互いに視線を逸らした。
会話が途切れたそこへ、タイミングよくドアがノックされる。清歌が促すとメイドさんが食欲をそそる匂いを放つ昼食を、ワゴンに乗せて持ってきてくれたので、五人はとりあえず昼食を採ることにした。ここに至るまでの紆余曲折により時計はすでに午後一時半を回っていたので、何時お腹が主張を始めるかと気が気ではなかった弥生と絵梨は内心ほっとしていた。
昼食はトマトソースとボンゴレのパスタとサラダで、これがそれぞれ大皿(というかボウル)に盛りつけられており、各々食べる分だけ取り分けて食べるようにされていた。カジュアルでかつ味は絶品と、弥生たち庶民にとってはこの上なくありがたい昼食だった。量も申し分なく、メイドさんは「多すぎたら無理なさらないで残してくださって結構ですよ」といってくれたが、男子二人の食べる勢いからするとその心配はなさそうである。
「皆さんは仲がいいんですね。中学時代からなんですか?」
「あはは……、まあ仲は良いよ、うん。私と悠司は幼馴染で、悠司が聡一郎と友達になったのは……小五だったっけ?」
「もぎゅもぎゅ(パスタを頬張りつつ首を縦に振る悠司)」
「もしゃもしゃ(サラダを咀嚼しながら頷いて見せる聡一郎)」
「二人とも返事くらいしてよ、恥ずかしいなぁ。ごめんね、こんなで……って、まあ私もあんまり変わらないんだけどね。――絵梨とは中学に入ってからだよ」
「小学生のときは、面識がなかったんですか?」
「私は小六のときに、こっちに越してきたから。そのときは違うクラスだったし。……で、中一で同じクラスになった弥生に目をつけられちゃったのよ」
「目をつけられた……ですか?」
「……んぐっ。ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ」
「おやぁ~? 確かあの頃、私はかなりあんたの相手をするのを面倒くさいと思っていたし、実際口に出してそう言ったはずよ」
絵梨がニヤニヤと笑いながら、フォークの柄のほうを弥生に向けぐるぐるとゆっくり回す。そのときのことを思い出したのか、弥生はちょっとばつが悪そうだ。
「だ……だってしょうがないでしょ。クラス委員だったんだし。友達もあんまりいなさそうだったし、本ばかり読んでいてクラスに溶け込もうともしないし、しかもなんだか強気で容赦ないもんだから険悪になっていくし……。私が何とかしなくちゃーって思っちゃったんだもん」
「使命感は良いけれど、それはお節介だよね?」
「う……、分かってる。だからあれ以来、お節介にはならないように、気をつけてるんだから。でも、ああでもしなきゃ絵梨とは友達にはなれなかったわけだし」
「それについてはよかったと思っているわ。だから……感謝しているのよ?」
「へぅ。ちょ……な……あの……」
「ふふっ。……坂本さんは意外と直球に弱いみたいですね」
「(ニヤリ★)いいところに気がついたみたいね。弥生を攻めるなら、不意打ちでど真ん中のストレート、これに限るわよ」
「それは覚えておいたほうが良さそうですね。……とすると、私のことを気にして下さっていたのも、同じような理由なんでしょうか?」
「ええっ!?」「黛さん、あなた……」
あっさりと投げかけられた言葉に驚き、二人はフォークを動かす手を止めて清歌をまじまじと見つめてしまう。清歌は咀嚼していたパスタを飲み込むと、二人は何を驚いているのかとでも言いたげに首を傾げる。
「……気づいてたの?」
「自分に向けられている視線ですから、もちろん分かりますよ」
「(分かる……の?)も~、だったら話しかけてきてよ~。いや、こんなこと言うのはお門違いなんだけどさ……」
「ごめんなさい。坂本さんを頼れば、恐らく力になってくれると思ってはいたのですけど、やっぱり可能な限り自力で何とかしたかったんです」
「でも、弥生が黛さんを殊更気にし始めたのは、五月の連休明けくらいからじゃない?」
「う~ん、どうだろう? あ、でも球技大会(連休に挟まれた平日に行われる)でテニスのシングルスに出ていたのを見て、ちょっと気になった……ような?」
「でしょ? 黛さんは最初の頃から昼食のときに、いくつかのグループに混ぜてもらっているけど、私たちのグループに来たことはなかったわよね? 弥生が気にしているのに気づいたのが理由なら、辻褄が合わなくない?」
「ええと、それはですね。中学時代の友達にアドバイスを受けていたんです」
そのお友達曰く。共学校の女子グループには女子高のそれとは違う、独自のルールやヒエラルキーが存在し、それは瞬時に把握することは出来ない。その上、清歌は挙げればキリがない(具体的には言わなかった)多くの理由から、相手を萎縮させてしまうことや、時には謂れのない反感を買ってしまう可能性もある。そこで、まずは一番の危険を確実に回避するように。……ということらしい。
「……というわけで、特定の男子に関する話題が頻繁に出るようなグループと、男女混合のグループはとりあえず避けるようにと忠告されていたんです」
そのアドバイスで伝えたかったことは、とにかく異性関係がらみのトラブルを抱えないようにということのようだ。女子高育ちで家族以外の異性とはあまり親しくしたことのない清歌には、いま一つピンと来なかったが、その友達は中二の頃に共学校から転入してきた子で、何度か転校をしてきた経験に基づいてのアドバイスには説得力があった。
「なるほど、友達の心配はもっともね……。ま、私らのグループでその手の心配は無用だけどね」
「それは坂本さんと相羽さんがお付き合いをされているから……ですか?」
「えぇぇ!?」「むぐっ……み、水をくれ……」
「(むぅ、それは気づかなかったな)なんだお前ら、水臭いな。何時からだ」
再び投下される言葉の爆弾。急に飲み込んで喉に詰まったのか、アイスティーの入ったグラスを一気に煽る。もう少しパスタを食べようか迷っていた弥生は、危うく難を逃れていた。
小学校の高学年の頃から聞き飽きてきたその勘違いは、最初の頃こそムキになって否定して逆にからかわれる原因にもなったが、今ではもう苦笑いとともに軽くスルーできるようになっている。それが今回に限って盛大に反応してしまったのは、やはり清歌の口からそれが出たからだろう。
「えーっと、黛さん? 俺と弥生はそんなんじゃなくて、ただの幼馴染。っていうか聡一郎までなに言ってんだ」
「いや、気付かなかっただけかと思ってな。念のためだ」
「(念のためって……)う~ん、まあ確かに仲は良いんだけど、それは家族みたいな……いやそれも違うか。……仲間意識っていうのが近いかな? 絵梨とか、同性の友達に向ける感情とも違うものだし。まあ、私らからすると、幼馴染で恋人同士とか……もうファンタジーとしか思えない」
「確かに。知りたくもないことだって知っているし、幼い頃の悪行も知り尽くしているし」
「口喧嘩を仕掛けるのは自爆テロと同じだからねぇ~。いや~酷い目に遭った」
「あ~、あれは不毛で凄惨な出来事だった。封印暴露口撃がよもやあれほどの被害をもたらす物だとは……」
なにを思い出しているのか二人が遠い目になっている。しかもどことなく目が空ろで、ハイライトがなくなっているようにさえ見える。
「いったい過去のお二人になにがあったんですか?(ヒソヒソ)」
「それは……私の口からも言えないの。あの悲しみと、いやぁ~な気分は封印しておくべき物で、無闇に暴いてはいけないわ。それほどに痛ましい事件だったのよ」
「まあ、なんというか……、お互いが抑止力として持っていた武器をそれと知らずに使ってしまったら、最終兵器の打ち合いになってしまったというか」
「ソーイチ、あなたうまいこと言うわね」
「そ……それは、コワイですね……」
どうやら現在の穏やかで確かな信頼関係に至るには、それなりの紆余曲折があったらしい。
若干放心状態の二人を現実に引き戻すべく、絵梨は若干それた話の軌道修正を図った。
「まあ、もしかするとそのお友達の懸念自体が杞憂だったのかもね。ヘタレな男子どもは、黛さんを遠巻きに見ているだけだし。そこんとこどうなのよ、男子代表?」
「別に男子代表ではないんだが……。そうだな、気になっているが今はまだ様子見の段階のようだ。恐らく学校で親しくする女友達が出来れば、そちらを足がかりに……とでも考えているのではないか?」
「……男子って、これだから。すんごい失礼なこと考えてるっていう自覚、ある?」
「いや、俺が考えているわけではないんだが」
「確かに、正面からの正攻法が駄目なら搦め手で攻める……というのは、戦術として定石ではありますね」
「うむ。まさにそのとお……」
「とは言え、そんな手で近づいてくる男性は、こちらから願い下げですが」
「むぐ!」
作戦としては効果的であると評価した直後、ぴしゃりと言い放たれた拒絶の言葉に、聡一郎は自分がそうするつもりでもないというのに思わず黙り込む。
清歌の口から三度飛び出た言葉の爆弾に、直撃は避けられた三人は一瞬ぽかんとした後、弥生が噴き出したのを合図に声を出して笑い出した。
「……? 私、そんなにおかしなことを言ったでしょうか?」
「あはははは……、う、ううん。そんなことないよ。私も同感、まったくもってその通り。そんなせこいことばっか考える男子はカッコ悪い」
「そうね、ぷっ……くくっ。ま、そもそも男子なんてそんなカッコいいものじゃないってことよ。だから全然おかしくなんてないわ。しいて言えば、黛さんの口から出てきたことが面白かった」
「……少なくとも、情けない男子にだけはならないようにしようと俺は今、決意した。が、あまり俺たちの前で女子のぶっちゃけトークはしないでくれ。もう俺のメンタルはレッドゾーンだ」
悠司は自ら表明した決意の直後だというのに、いかにも情けない声でげっそりと言う。女子三人組は顔を見合わせて笑いあった。もちろん今度は三人だけでぶっちゃけトークをしようと約束するのも忘れていない。ここにはもう不自然な緊張はなく、清歌と四人の距離は確実に縮まっていた。
パスタとサラダが盛られていた三枚の大皿は見事に空になった。ちなみに男子二人に次いで量を食べたのは清歌で、なんと悠司とほぼ同じくら――「そ……そんなこと言わなくてもいいじゃないですか!(怒)」――いや、言わなくても四人はちゃんと見ていますから。意外な健啖家振りを見せる清歌に、またしてもイメージとのギャップに苦しむ絵梨と、あれだけ食べてもスタイルが維持できている謎に人の世の不公平を感じる弥生であった。
食事が終わったちょうどよいタイミングでメイドさんが現れ、食器を下げるのと入れ替わりでデザートのシャーベットと、アイスコーヒーとアイスティーのガラス製ピッチャーを用意していった。
オレンジとメロンとイチゴのシャーベットを、五人それぞれが味見しながら平らげたところで弥生が満足げに息をついた。
「はふぅ~、ごちそうさま~。黛さん、ありがと~。ほんっ……とうに美味しかった。なんていうの? 見た目普通っぽいけど素材が違うって言うのかな?」
「うん、弥生のオマケでくっついてきちゃった俺たちまで、こんな美味いものをご馳走になっちゃって、しかもデザートまで……」
「うむ。シャーベットもすごく美味かった」
「けっこうスイーツ好きよね、ソーイチ。でも確かに、パスタもデザートも美味しかった。特にトマトソースは私史上最高だったと断言できるわ。黛さん、ご馳走様でした」
「お口に合ったのでしたら何よりです。料理を作ってくれた者にも伝えておきますね」
「……今日は大収穫だったな~。美味しいご飯はご馳走になっちゃうし、黛さんとこんなにお話できたし、思ったよりずっと気さくな人だって分かったし、ギャップが面白いし」
「私の方こそ、皆さんお近づきになれて嬉しいです。高校に入ってからは、こんな風にたくさんお喋りをしながらお昼を過ごすことがありませんでしたから」
清歌が少し首を傾けて本当に嬉しそうに、はにかんだ笑顔を浮かべると、そこだけポッと明かりが灯るかのようだった。
あるいは本人も気付かないうちに新しい環境での緊張と、それから少しばかりの焦りもあったのかもしれない。けれど今の清歌からはそんな気負いのすべてが抜け、とても自然で柔らかな笑顔をしている。
完璧すぎるがゆえに普段はその笑顔でさえ相手を緊張させてしまう美少女の、親愛を向ける相手にしか見せないような無防備な微笑みは、弥生の(!?)ハートを射抜いた。……もうこの矢は抜けないかもしれない。
「カッ(……カワイイ。なにこれどうしよう、顔が熱い。なんかすごく彼女を抱きしめたい!! 落ち着け、私!)……まゆずみさんにそこまでいわれるなんて、なんだかてれるわね(だ~。また喋りがかなになってるよ~)」
「(なんだか急にカタコトのような?)そんなことないですよ? それから、今日はまだこれからですよね。本題はまだすんでいないんですから」
「へ? 本題??」
「弥生、あなたまさか……」「坂本?」「オイ」
友人三人の冷ややかな視線を向けられて、清歌の魅了で半ば陶酔状態だった弥生は自らの使命と、この場に存在する理由を、すなわちレーゾンデートルを再認識した。無闇に大げさな表現をしなければ、恥ずかしさで穴があったら入りたい思いだった弥生は、ごまかすように立ち上がり胸を張ると、高らかに宣言した。
「忘れてないわよ! さあ、やるわよ<最悪神>討伐!」