#4―11
今回はちょっと短めです。
パンツァーリザードを討伐したその日、帰宅した絵梨を出迎えたのは、ここ最近顔を合わせていなかった彼女の兄だった。
「お帰り、絵梨。<ミリオンワールド>ではいろいろ楽しんでるみたいだね。フルダイブVRの調子はどう?」
「あら兄さん、今日は帰ってたのね。そっちもお帰りなさい。<ミリオンワールド>は……、そーね、確かにいろいろやって楽しんでるわよ。VRの調子は……長くなりそうだから、ご飯の時にでも報告するわ」
「了解。よろしく頼むよ」
絵梨の兄、中原真也はフルダイブVRの研究機関に所属し、システムの開発に携わっている。弥生たち四人グループがテストプレイに参加できたのは、真也の伝手によるものだ。
ヒョロリとした長身で、痩せ型、短髪、眼鏡と、いかにも白衣が似合う研究員と言う容姿で、顔だけでなく全体的な雰囲気が絵梨と良く似ていた。ちなみに現在二十五歳独身で、絵梨と十も年が離れているのは、両親が学生結婚であることが理由であり、悠司のように義理の兄弟というわけではない。
<ミリオンワールド>実働テスト開始に伴って、VRシステム側でも検証すべきことが多々あり、真也はこのところ職場に泊まっての作業をすることが多い。家に戻ったとしても着替えを取りに来るだけということもあり、前に絵梨と直接顔を合わせてから、かれこれ十日は経っていた。
今日の夕食は、久しぶりに一家四人が全員揃っていた。絵梨の家族は兄だけでなく、父親はとある製薬会社の開発研究に携わっており、母親は図書館の司書、ついでに祖父はかつての大学教授と、一家揃って見事に学術系に偏っている。絵梨の検証好きなところは、間違いなく家族の影響を受けてのものであろう。
両親はいい意味で不干渉の放任主義であり、絵梨の成績などについても特にあれこれ口を出すことはない。彼ら自身が学者肌であるがゆえ、本人の探求心や好奇心がなければ、本当の意味で身に付かないという実感があるからであり、その理由も子供たちに説明している。言うまでもなく、勉強を疎かにすることについてのリスクも合わせての、である。
そんな一家が揃っての団欒は、話題そのものは尽きないのだが、それぞれの分野での活動に関する質疑応答の様な雰囲気になってしまい、他人から見るとあまり団欒という雰囲気ではない。もっとも、当人たちはちゃんと楽しんでいるので、他人がどう感じるかなど、まったく気にしないところだろう。
さて、本日のテーマは主に絵梨からの、<ミリオンワールド>内での活動に関する事柄だ。両親に話しても分からなさそうなネタについては適当に済ませて、グループの活動として一風変わった露店を開いていることや、NPCのAIが良くできていることなど、話題は尽きない。なにより、新メンバーである清歌について、報告したいエピソードがたくさんあった。
「……と、まあ、そんな感じで、いろいろと楽しんでるわ。……振り返ってみると、やっぱり清歌があのバカ高い難易度のクエストをクリアしてから、私らの活動があっちこっちに転がり始めたのよねー」
食後のお茶を飲みながら、絵梨は自分たちグループの活動をそんな風にまとめた。<ミリオンワールド>を始めてからあった主だった出来事を改めて振り返ってみると、全ての元凶――もとい、起点はそこにあることを思い知らされる。
絵梨を含む四人が突発クエストを初トライでクリアできたのは、間違いなく清歌の資金で購入した移動系アーツのお陰であり、浮島のポータル修復クエストも空飛ぶ毛布がなければ、そもそもあの場所へ行こうなどと考えないだろう。露店に関しては悠司の思い付きがきっかけだが、それにしたところで、四人のクエスト報酬でさらに膨れ上がった資金がなければ、実現には至らなかったと思われる。
「うん。それは確かにそうなんだろうけど、それだけじゃないだろうね」
「? ……どういうこと、兄さん」
特に思い当たることのない絵梨は首を傾げる。しかし両親は、真也の言葉に思い至ることがあるようで、二人揃ってニヤリと笑っている。その笑い方は絵梨とそっくりである――のではなく、絵梨の笑い方は間違いなく親譲りのようだ。
「えー、ちょっと何よもー、その反応。分かってるなら早く教えて、兄さん」
自分だけが分からないというのが気に入らず、普段仲間といるときは見せない様な、ちょっと子供っぽい反応を思わずしてしまう。グループのブレーン的存在で、比較的大人びた性格の絵梨であっても、家族の中ではごく普通に末っ子の立ち位置なのである。
「はは……、大した話じゃないよ。いろんなことの起点がその黛さんにあるとしても、たぶん絵梨たちの方も、ゲームに対するスタンスが変わってきているんじゃないかなと思ってね」
「そうだね。話を聞いていて、テストプレイをしていた時とはゲームの楽しみ方が少し、変わってきている様な気がするね」
兄と父の二人に指摘されて改めて考えてみると、確かにテストプレイをしていたころとはだいぶ<ミリオンワールド>の遊び方が変わっていることに気づく。
思い返してみると、テストプレイなのだからそれを求められていたという側面もあるが、あの時はあくまでも既存のRPGを遊ぶ時と同じように――要するにバトルやスキル等の検証などをメインにプレイしていた。それに比べると今は、<ミリオンワールド>という一つの舞台で、どんな遊びをするのかを考えている気がする。
「……絵梨ちゃんは軽く考えているかもしれないけど、それは結構大きな違いよ。そうね、一種のイノベーションと言ってもいいかもしれないわ」
「そんな大げさな……」
「ううん、大げさじゃないわ。今までは用意された遊びを楽しんでいただけだったのが、どう遊ぶのかを考えるようになった。これはとても大きな違いよ?」
少々呆れたような表情で否定的なことを言う絵梨に、母親は重ねて重要なことなのだと語った。
いくつかのオンラインゲームも、弥生たちと一緒にプレイしていた絵梨にしてみれば、単にちょっとしたユーザーイベントを企画しただけの事、という認識でしかないのだが、この場合は母親のいう事の方がどちらかといえば正しい。
一般的なオンラインゲームのユーザーイベントというと、掲示板などで呼び掛けてメンバーを集めて、狩りや釣りなどに一定のルールを設けて競技会を行ったり、あるいは情報交換や雑談を楽しむ交流会を行ったりすることが主なもので、基本的には搭載されているゲームシステムを多人数で行う、という形が多い。
一方、マーチトイボックスの始めた露店は、旅行者というゲストプレイヤーをターゲットに選択するところを始め、システム的には存在しない、ゲーム的には意味の無い商品の考案、それを量産化するためのお遊びスキル類の発掘などなど、システムの隙間を突くような形になっている。
もっとも彼女たちとしては、ことさらシステム外のことをしようと意図しているわけではなく、自分たちなりの遊びを考えた結果そうなってしまっただけのことだ。
「私らは今まで通り、遊んでいただけなんだけどね~。……ああ、でも言われてみると、最近は<ミリオンワールド>をゲームだって意識していないかもしれないわね」
「なるほど、意識していないからこその結果なのか。……なんにしても<ミリオンワールド>を満喫しているようだね。……う~ん、ちょっと僕もやってみたくなってきたなぁ」
腕を組んで椅子の背もたれに寄りかかりながら、真也がしみじみと言う。彼はフルダイブVRシステムの開発に携わっているのであって、<ミリオンワールド>に直接関わっているわけではないのだ。
一般人から見た場合、フルダイブVRとは<ミリオンワールド>のことで、両者は同一のものと思われている。が、経緯から言えばVR技術の開発が先であり、<ミリオンワールド>はその技術をアミューズメントに転用されただけに過ぎない。――もっとも、その辺りは最初から込み込みで計画されていたようにも思われるのだが、少なくとも開発の順序で言えばVR技術の方が先である。
ともあれ、フルダイブVRシステムの開発は――無論、緊密なやり取りはあるが――基本的に<ミリオンワールド>の開発・運営とは全く別の組織なのだ。ゆえに、真也はフルダイブVR空間への累計接続時間は、それこそ絵梨よりもずっと多いのだが、<ミリオンワールド>は未だ体験したことがない。
真也も学生時代は、ごく普通にテレビゲームで遊んでいたので、話を聴いてしまうとやはりプレイしたくなるのだ。ましてや、使われている技術に自身が関わっているのだからなおさらだ。
「フフ。兄さんなら、私らのギルドに入れてあげてもいいわよ」
「それは実にありがたい。まあ、プレイする時間もなかなか取れないし、プレイするなら旅行者になるだろうね」
「あら、それは残念」
兄の忙しさを見ていれば、定期的なプレイなど不可能と分かっていたことなので、絵梨は「やっぱりね」という表情で肩を竦める。久しぶりに兄と一緒にゲームができるかもしれないという小さな期待は、やはり叶わないようだ。素っ気ない返事は、照れ隠しである。
「ま、ゲームの方はいずれ機会を作るとして……。VRシステムの方はどんな具合だろう?」
「そっちの方は、私には感想程度しか言えないわよ?」
「それで構わないよ。こっちに上がってくる感想は、なんというか……生の声という感じじゃないから、率直な感想を聴きたいんだ」
そういうものなのかと六割ほど納得しつつ、絵梨はフルダイブVRシステムについての感想を、思いつくままにいくつか話す。とはいっても、システムは極めて良くできていて、これといった不具合を絵梨は感じられない。
「そうね……本当に必要な違和感なくプレイできてるからねぇ。……ああ、私の場合は眼鏡無しで普通の視力っていうのが、違和感といえばそうかしら」
「ああ、それは僕も感じたね。……他には?」
他に何かあっただろうかと、首を傾げていると、母親の方から質問が飛んできた。
「絵梨ちゃん。VR空間の中で体を動かすのは、現実と同じように違和感なく、簡単にできるものなの?」
「それは全然問題ないわ、驚くくらい現実と同じように動かせるの。……あ、思い出した。これは露店をしているときに、旅行者さんから聞いた話だけど、ログイン直後の違和感は割とすぐに解消されたけど、調整の入ったタイミングが結構はっきり分かるそうよ。それがちょっと気になったとかなんとか……」
絵梨が人から聞いた話として気になった点を報告すると、真也は何かに気づいたらしく、ハッとした表情をする。
「……そうか、キャリブレーションはもっと無段階に、時間をかけないと感じ取れるレベルなのか、なるほど……。他には何かないかな? 聞いた話でもいいよ」
「私自身の感想じゃなくてもいいなら、そうね結構あるかも。……あ、でもこれはVRシステムというより、<ミリオンワールド>側の問題なのかしら?」
マーチトイボックスのメンバー五人は、身体能力が突出して優れている二人と、真逆の二人、そしてかなり運動神経はいい方が一人というバランスが取れているんだか、バラつきが激しいんだか分からない感じの構成だ。五人の感想を集めてみると、VRシステムに関する不満や違和感は、現実の身体能力や感覚が優れている者の方が、より強く感じられる傾向があるようである。
さて、その突出して優れている二人の内、男子の方曰く――
「なんか、アーツをヒットさせた時に感じる手応えと、効果が一致しないことが多い……らしいわよ?」
「ん? それはいったいどういう……」
「うーん、聞いた話だから、私には実感がないんだけどね」
そう前置きをして、聡一郎から聞いていたことを説明する。
彼が言うには、アーツを使用して攻撃を加えた場合、与えたダメージの大きさや派手なエフェクトの割に、感じられる手応えが通常攻撃とあまり変わらないということに違和感があるのだそうだ。それは普通に打撃を加えた場合、かなりリアルな手応えがあるからこそ感じるのかもしれない、とも言っていた。
この辺りの感覚は、現実で格闘技を修めている聡一郎なればこそ、なのだろう。清歌の方はというと、幸か不幸かまともに参加したのがパンツァーリザード戦のみで、それも直接攻撃はしていないために、今のところ戦闘関連では違和感を覚えるに至っていない。
「うーん、手応えねえ……。現実に存在するものは、物理演算でかなり正確に再現できるけど、RPG的な技についてはなぁ……。アーツ発動のモーションに入った後は、基本一律だし……。要検討だな」
「ま、私の実感じゃないから、微妙なニュアンスは伝わっていないかもしれないわ。詳しい話を聴きたかったら、ソーイチに直接聞いて」
「うん。その必要があったら、お願いすることにしよう」
真也は清歌を除く三人とは面識があるので、電話なりメールなり必要とあらば連絡は取れるのである。
「絵梨? 黛さん……だったかな? 彼女からは、他になにかないのかな?」
お茶を飲みながら二人の話を聴いていた父親が、気になっていたことを尋ねた。露店の商品開発の際、素材の質にムラがなさすぎるという話を聴いていたので、楽器演奏の方でも似たようなことがありそうな気がしたのだ。
「う~ん、それはあるんだけど……ね」
「ああ、彼女の事情的な面で放せないことでもあるのか」
「それだったら話は簡単なんだけど。……単に私は楽器なんてやったことないから、本当によく分からないのよね……」
絵梨は頭を抱えつつも清歌から聞いた話を思い出し、かいつまんで、などとは考えずにそのまま話してしまうことにする。
清歌はピアノを演奏する時、見た目は本物そっくりでも全く別物の楽器というつもりでいる、と言っていた。――このピアノは“唄わない”のだと。
それを聞いた時、絵梨はずいぶん詩的な表現をするものだと思ったのだが、よくよく聞いてみるとそういう事ではなかった。彼女が言うには手に伝わる感触はかなり本物に近いのだが、どうも鳴り方に違和感があるのだそうだ。表面的にはそれっぽく響いているのに、内側の方から伝わってくるものがないのだと。それを彼女は、“唄う”と表現していたのである。
構造自体がピアノに比べてシンプルな弦楽器や管楽器について、そういった違和感はないのかというと、こちらもまた別の種類の違和感があるらしい。モノによっては、楽器の手触りなどの質感と音がそぐわないのだとかなんとか。
総じて言うと、ものすごくリアルな電子楽器を演奏しているつもりでいる――のだそうだ。
「う~~む。一流の腕があって、一流の楽器を演奏したことがあるからこそ、分かるんだろうなぁ」
「そういう……楽器の個性まで、完璧に再現することはできないのかしら?」
母親はずいぶんとあっさり尋ねてくれたものだが、正直言って難しいと言わざるを得ない。構造や材質だけでなく、経年や置かれている環境による変化の具合、どのように演奏されてきたかという楽器自体の経験など、数多くの要素の組み合わせで、個性というのは決まるのだ。そして驚くべきことに、一流のアーティストはその微妙極まりない違いを、感じ取ってしまうのだ。
そんな測定機械にすら匹敵する、プロの感覚を満足させる楽器をVRで再現するとなると、凄まじい労力が掛かる上に、膨大なデータ量になるに違いない。絶対に不可能とまでは言わないが、それだけで一大プロジェクトになってしまう。
ぶっちゃけ、そんなごくごく一部の特殊な才能を持つ人を満足させるためだけに、時間も予算も割けないのである。
「……とまあ、そんなわけで現状では難しいな。ついでに言うと、<ミリオンワールド>に於いて楽器演奏は、恐らくおまけに近い扱いの要素なんだと思うから、リソース的にも難しいだろうね」
「そね。清歌にしても、<ミリオンワールド>での演奏……というか芸術関連は、あくまで遊びの一環としてしか考えていないみたいだから、そこに文句をつける気はないみたい」
「はは。……それはなんというか、ありがたいような、技術者としては情けないような」
難しいとか、期待していないとか言われてしまうと、どうにか実現させたくなってしまうのは技術者の性だ。基本的に温厚な真也だが、彼にもそういう一面は確かにある。今はフルダイブVRシステムが実用化されたばかりで、そんな余裕はどこを叩いても出てこないが、将来的には或いは――
「……今はまだ無理そうだけど、近い将来そういう楽器の再現……というか、ヴィンテージ楽器のVR保存プロジェクトが立ち上がることもあるんじゃないかな?」
「そうねえ。名器と呼ばれる楽器も、いつかは劣化してしまうもの。手作りゆえに実物として完璧にコピーはできなくても、VRでは保存できるかもしれないわね」
両親の会話に真也は何度も頷いていた。フルダイブVRシステムの利用法として、そういう方面も十分アリだろう。新たな方向性の発見に、無意識にグッとこぶしを握り込む。
いろいろとヤル気を出している兄にはちょっと悪いかな……とは思いつつ、絵梨は一つ釘をさしておくことにする。短い付き合いではあるが、絵梨は知っているのだ。アーティストと呼ばれる人種は、生半可なものではないと。
「兄さん。一度機会を作って、清歌の演奏を生で聴いた方がいいわよ? アレに釣り合うだけの楽器をVRで完全に再現するなんて、どれだけ大それたことを言っているのか……きっと実感できると思うわ(ニヤリ★)」
絵梨の黒い笑みに紛れもない本気を感じ取り、返す言葉を飲み込んでしまう真也であった。
リアル多忙につき、これから数回は短めになりそうです。
更新そのものは、どうにか止めずにいきたいと思っています。