#1―03
「ちょっと弥生、どうどう。興奮するのはいいから、とりあえずその手は離しなって。黛さん驚いてるよ」
「へ? うわっ、ごめん。黛さん、痛くなかった?」
「大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしただけです。……こちらこそすみませんでした。勝手に話を聞いてしまった上に、割り込んでしまって……」
「ううん、それは構わないよ。教室で話してるんだから誰に聞かれたっておかしくないし、聞かれて困る内容でもないしね。……それよりも(キュピーン☆)。さっきのって、これに出てくる<最悪神>の斃し方ってことで合ってる? っていうか斃せたの!?」
「はい、大変でしたけれど何とか斃せましたよ」
にっこりと輝くような微笑を浮かべてのたまう清歌に、四人はしばし見とれてしまうが、弥生がいち早く復活して机へ向き直りやや体を伏せると、他の三人も同様に集まってさながら運動部が円陣を組んでいるような体勢になった。中学以来の仲間なので、この辺のチームワークはバッチリだ。
「どどっ、どう思うみんな?」
「間近で見たのは今日が初めてだけど、やっぱりとんでもない美少女ね。しかもニキビもソバカスもない、ツルツルスベスベのお肌。顔の造作はともかく、あのお肌だけでも分けてくれないかしら」
「怖いこと言うなよ……っていうか、あの美少女がかの有名な“黛さん”なのか?」
「ウソでしょっ!? 知らないの!? ってか、集会とかで超目立ってるじゃない。いつも悠司のクラスの方からも、視線が飛んできてるよ」
「まぁ、チラ見くらいはするけど、さすがに振り向いてじっと見るわけにもな。噂ならけっこう聞くけど。……そうか彼女が黛さんか……」
「惚れちゃだめよ、ユージ。見込み無いから。ところで噂って、あの豪邸に住んでて、毎朝リムジンで送り迎えっていうアレのこと?」
「ばっ! 惚れねーよ! ……いや俺が聞いた話はお屋敷にはメイド部隊がいて、お嬢様専属は美人揃いだとか何とか……」
「ホンット、男ってバカ」
「言うな。ロマンなんだ。ドリームなんだ。他にも敷地内には島のある湖があるとか、屋敷内にはプールとトレーニングジムと映画館とプラネタリウムがあるとか……聞いたな」
「噂なら俺も聞いたことがある。俺が聞いたのは、特別なボディーガードが密かに護衛していて、彼女もまた格闘技の達人だとかいう話なんだが……」
「えー、それってメイドさんよりありえないと思うけどなぁ。あんなに細くてスタイル良いのに、達人って……」
「だが、見たところ身体のバランスが恐ろしくいいし、全身の筋肉も程よくついて鍛えられている。何もやらずにあんな風にはならない」
「ナニ、じろじろ見てるのよソーイチ。スケベ」
「…………。それに、さっき近づかれるまで気配をまったく感じなかった」
「ぷぷっ、聡一郎、ナイススルー。ってそうじゃなくて! コ・レ・の・ハ・ナ・シ!」
コソコソと始めた会話が超高速であらぬ方向へ走り出した上、痴話喧嘩勃発の危機を感じた弥生は、携帯ゲーム機を手にとって話の軌道修正を図った。長時間放置されたことでスリープ状態になった黒いディスプレイに、四人の視線が集まる。
何の相談だろう? と首を傾げて事の成り行きを見守る清歌を置いてけぼりにしつつ、四人は方針を決定する。
「ウソってことはないでしょ? そんなこと言う意味ないし」
「ま、そうだよな。だとするとお嬢様は、弥生に匹敵するゲーマーってことに……」
「だが、違う方法があるような口ぶりだったぞ。俺には想像つかんが」
「だよね。ゲーマーには見えないんだけど……。別の斃し方か」
「……弥生、私たちが相談してても仕方ないんだから、早く聞いてしまえば?」
「我に返ったら緊張してきちゃったのよ、分かるでしょ? 時間稼ぎよ!」
「時間稼ぎて……。自分で言ってちゃ世話無いな。いいから、ホレ、いつもの調子で突撃しろって。ちなみに俺は、別に聞けなくてもいいから、お嬢様に話しかける栄誉はお前に譲ろう」
「同じく」「うむ、任せた」
「む~~」
「……あの~」
なかなか議論が終わらない四人の様子に、少し不安になった清歌が、恐る恐るといった感じで再度声をかけた。
四人は弾かれたように清歌へと向き直る。まるでさっきの映像を巻き戻しているかのように、見事な呼吸の合わせようだ。
「あの、やっぱりこういうことは言わない方が良かったですか? 解法を聞いてしまうと、面白さが減ってしまうかもしれませんし……」
どうやらお嬢様は余計なことを言ったかもしれないと、気にしているようだ。確かにネタバレを極端に嫌うプレイヤーもいるが、ちょっと大げさに考えすぎのような気がする。
(もしかすると、ゲームの攻略法を誰かと話した事など無いのかも……)
そのことに気がついた弥生は、ならば先輩(推測)ゲーマーとしてリードしてあげなければ(実際には教えてもらうのだが……)などと、さっきまでの緊張やら萎縮やらはすっかり消え失せ、いつの間にか妙に強気になっていた。
「まあ、ネタバレをすごく嫌がる人も中にはいるけどね。大丈夫、私は全然気にしてないから。……っていうか、ホントに斃せたんだよね<最悪神>」
「(ホッ) はい、時間は結構かかりましたけど何とか。正直、もう一度挑んでみたいとは思わないですけれど」
「あー、だろうねー。それより、ね、その斃し方って、教えてもらってもいい?」
「それはもちろん。えっと、まずは――」
説明を聞き終えた弥生は、超常現象愛好家御用達雑誌のような唸り声を上げて腕を組んだ。他の三人も何やら考え込んでいる。清歌はまたもや首を傾げてしまう。
「まさか、そんな方法があるなんて……」
「え~っと、そんなにおかしいですか? このやり方は」
「いや、確かに盲点って言えば盲点なんだけど……」
「うむ。方法論としては間違っていない。速さでかわし切れないならば、真っ向から殴り合う。ある意味、正攻法だ」
「聡一郎は好きそうだよね、そういう考え方。あーでも、そんなことより! この方法は確かにやれそうだけど武器がない。星の宝玉と森の宝玉なんて、最強の鎧とマントを作るときに必用な素材じゃない……。いったいどうしろと!?」
清歌の提案した攻略法は神業のようなテクニックは不要で、むしろ湯水のように消費アイテムを使ってどうにか拮抗状態を維持するという、いわばゴリ押しの力技だ。
こんな美少女からその発想が浮かんだことにも驚きだが、問題は必須となる二つの武器だ。それを作るのに必要な素材アイテムを、弥生はすでに使ってしまっていてストックがない。それを落とすボスは、シナリオのイベントとして斃すときは必ず落とすのだが、二度目以降のクエストで斃すのでは低確率のレアドロップとなる。しかも二種類の宝玉がランダムなので、運が悪いとダブる可能性もある。――レアドロップ自体は運なだけに、そうなったら目も当てられない。ただでさえボスの中でも強敵だというのに……
「あの、私の使っていた武器を使いますか? ナイフなのでリーチが短いですけど」
「ホント!! いいの!? まったく問題ないよ、ナイフでも。何しろ私は、ナイフ二刀流縛りでボスラッシュを戦い抜いた女よ!」
「(縛り? ボスラッシュ? って何のことでしょう??)えっと、とにかくナイフは得意ってことですよね?」
「いえーす、ざっつらいっ! よーし、コレで奴を斃せる。首を洗って待っていろ<最悪神>め! わははは」
「あ、でも今はゲーム機を持ってきていません」
「――ははは。……ハ?」
攻略の目処がついたことがよほど嬉しかったのか、かなりのハイテンションで高笑いをしていた弥生がぴたりと硬直する。
「そりゃまあ、学校にゲーム機を持ち込むようなタイプじゃないわよね」
「う……そうだった。しかもこのゲーム、ローカル接続しかできない。で……でも、明日になれば――」
「坂本。忘れているようだから言っておくが、今日は土曜日だ」
「しょ……しょんなぁ~~」
再度くんにゃりと机に倒れこむ弥生。絶望的な状況に光が差し込み、一度気持ちがマックスまで上昇しただけに、そこから突き落とされた今回のダメージはかなりでかかったようだ。なにやら顔を伏せたままで、「二日も……」とか「駄目元でレアドロップを……」とか「もういっそ最初から……」などとブツブツ呟いている。普段の快活さからは考えられないような、どんより具合だった。
全ての希望が砕かれ、絶望の闇に閉ざされた日曜を過ごさねばならないのか、と弥生が諦めかけた正にその時、女神(弥生限定の)が降臨した。
「だったら、今日これからうちに来ますか? それなら協力プレイもできますし」
「それは……っ! 私はものすんごい有り難い。っていうか、むしろこっちからお願いしたいくらい。けど、いきなりじゃ家の人に迷惑じゃないかな?」
「それは大丈夫です。家のものは、急なお客様にも慣れていますから」
「(アレ? いまなんかニュアンスが違ったような……けど!)じゃあ、その……図々しいけどお願いしちゃっても……いい?」
「ハイ! もちろんです! ……あの、皆さんもご一緒にどうですか?」
清歌にパッと花が咲いたような微笑みが浮かぶと、それを真正面から受け止めることになった四人は、再び目を奪われなんとなく赤面してしまう。が、今は硬直しているときではない、半ば他人事だったので三人は事の成り行きを見守っていたのだが、お嬢様から見たら彼らは四人で一セットだったようだ。
いつの間にか当事者になっていた三人は、弥生から漂ってくる「まさかアンタ達だけ逃げようなんて考えていないよね? よね?(ギラッ★)」という文字が読み取れそうなほどのプレッシャーに押し切られ、首を縦に振らざるを得なかった。
「それでは……あ、皆さんは自転車通学ですか?」
「ううん、私たちはみんな徒歩通学」
「俺は走ることもあるが……」
「イヤ、そういうことを聞いてるんじゃないと思うが」
「うむ。まあ念のためだ」
「ふふっ……、そうですか。では、ちょっと失礼しますね」
清歌はベストの内側に手を差し入れ、ブラウスのポケットからスマホを取り出すと、ポチポチと操作しつつ四人から少し離れた。マナーをきちんと身につけ自然に振る舞える清歌の姿は、友人たちの前でも関係なく使ってしまう弥生にとって、素直に見習わなければと反省させられるものがあった。
電話は程なくして繋がり、いくつかやり取りをしたところでふと清歌は会話を中断し、四人に昼食をまだ食べていないことと、その用意もしていないことを確認すると、会話を再開、さらにいくつかを伝えてから通話を切った。
清歌はにっこりと微笑んで――なんだかとても楽しそうに四人に話しかける。
「では、家にご案内します。車はちょっと待てば来ると思います。昼食も用意させましたので、準備ができたら外へ出ましょう。正門の傍なら街路樹の木陰がありますから、そう暑くもないでしょうし」
「ちょ……ちょっと待って。車ってナニ? いやいや、それだけじゃなくて、いきなり押しかけてお昼ご飯までご馳走になるなんて、それじゃあいくらなんでも悪いよ」
いつの間にか決まっていた今日の予定に、弥生が立ち上がって清歌に詰め寄り、慌てて修正を図る。背後では、絵梨が男子二人に「どうするの?」と目配せをしていたが、もはや成り行きに任せるしかないと諦めていたのか、悠司は肩をすくめ、聡一郎は腕を組み目を閉じるだけだった。
一方の詰め寄られた側の清歌は、にっこり笑顔を崩さずに説明を続けていた。
「悪いだなんて……、私からお招きしたいと言っているのですから。それから、車はちゃんとみんなで乗れる大きい方にしてもらいましたので、問題ありませんよ」
「や、そういう問題でもなくて。場所を教えてくれたら、歩いてくから」
「歩くには距離がありますし、途中に長い登り坂もありますよ? 今日は結構暑いですし、たぶんかなり堪えるんじゃないかと思います」
「え、ホント?(それはちょっとゲンナリ) あ、でも昼ごはんぐらいは……。学内のコンビニにでも寄って、買っていくから」
「それだと私だけ、別に食事を取らなくちゃいけなってしまいます。せっかくですから食事もご一緒したいです」
「(う、私の立場としてはそれを言われるとつらい)んぐっ、それは……」
「それに、もう家のものに頼んでしまいましたから」
「…………オ、オネガイシマス」
「ハイ!」
清歌の完全勝利だった。というか結論を先に決めておいてから説明をしているのだから、そもそも勝負にすらなっていない。――別に戦っていたわけではないが。
外へ出る前に改めてそれぞれ自己紹介(清歌と悠司は初対面で、聡一郎ともちゃんと話したのはこれが初めてだった)をした五人は荷物を手にとり教室を出て、さらに校舎の外へ。清歌と弥生がまたゲームについて熱く語りだしたので、前に清歌と弥生、その後ろに三人というグループに分かれていた。
清歌が言っていたように長時間歩くには堪える梅雨明けの強烈な日差しを浴びつつ、絵梨が前の二人には聞こえないような声でポツリと呟いた。
「ずっと笑顔を崩さなかったよね、さっきの黛さん」
「ん~? ああ、確かに可愛かった」
「惚れるなよ。友達の誼で二度くらいは忠告してあげる。そうじゃなくて……」
「ほ……惚れねぇって。そうじゃなくて、なんだよ?」
「(さっきよりも間があったな)俺も感じた。こう……威圧感があったな」
「そう、それ! もしかして彼女、かなり押しの強いタイプ?」
「むぅ……」「…………」
正門前の通りで五人が待っていると、程なくしてテレビ画面の向こうでしかお目にかかった事の無いようなデカイ自動車が、その大きさをまったく感じさせない静かさで停まった。シルバーグレイの車体のそれは、リムジンと呼ばれる高級車種だがいわゆる座席が対面になっているものではなく、SUVの後部を引き伸ばしてスタイリッシュかつ豪華にしたようなデザインのもので、大物芸能人なんかがロケで専用の控え室として使っていそうなアレであった。
助手席から降り立ったメイドさんによって後部座席のドアが開かれる。弥生たちにとってそれは“異世界への門”と言っても、決して過言ではない。なにしろ、いわゆる“住んでいる世界が違うお嬢様”の自宅への訪問なのだ。
しかしここまでお膳立てされてしまってはもはや退路は無く、一歩前へと踏み出すしかない。四人は意を決すると、異世界へと踏み出した。
――すでに注目の的になりつつあった状況から、一刻も早く逃げ出したかっただけかもしれないが。