#4―02 ただ今メンテナンス中・・(2)
『――でね、凛が言うには、そこにはピアノの女神様がいたんだってさ~』
その日の二十時過ぎ、清歌は黛家の敷地内にある専用のアトリエにて、ちょうど一息つこうかと思っていたところ、弥生からの電話がかかってきた。
明日直接会うというのに一体何の連絡だろうと電話に出ると、凛が今日受験先の学校見学会のようなものに出かけた、という話を弥生に切り出される。出だしから既になんとなく清歌自身が関わっている事のような気もしたが、弥生の話の続きを聞いてみることにする。
見学会から帰宅した凛の様子が変だったので、とりあえずどんな感じだったのかを弥生が尋ねたところ、見学会自体はとても有意義なものだったらしい。最初にお茶会のような緩い雰囲気でOGの方々からいろんな話を聞いて、その後落ち着いた上品なデザインの校内を誘ってくれた友達と一緒に見て回ると、この学校に通いたいという気持ちが強くなったと、凛は割と真面目な口調で語った。
――が、言うまでもなく本題はそこではない。ミニコンサート会場の多目的ホールへと移動し、そこで待っていたとある人物を見た瞬間、それまでの落ち着いた雰囲気から一変、初等部の生徒たちが大騒ぎになったのである。
『キラキラ光る金の髪を揺らしながら、難しい曲も穏やかな微笑のままで難無く軽やかに弾いてしまう、まさしく女神様だったって言ってたんだけど……これってさ?』
「その感想を聞いた後では少々言いづらいのですけれど、恐らく私のことだと思います。……そうですか、ではあの子が妹さん……凛ちゃんだったのですね」
『あれ? 凛と話したの?』
「いいえ、直接は。ただ一緒にいた千代ちゃんとは面識がありまして、今日も少し話しましたので。……その時、隣の子にどことなく弥生さんの面影があるな……と思いましたから、話を聞いてやはりそうだったのかと」
凛の容姿は目や口許に弥生との共通点はあるものの、顔の輪郭や髪質などが違うので、並んで立っているならともかく、初対面で姉妹だと気付くことは少々難しい。
映像的な記憶力に関しては極めて優れている清歌にしても、弥生の妹だと確信を持つには至らず、また話しかけられたのが他の演奏者や井上先生と一緒の時で、あまり待たせることもできなかったために、その場で話しかけることはしなかったのである。
「以前、凛ちゃんが名門女子高を受験されると聞いていたので、清藍のことかもしれないとは思っていたのですけれど、まさか……」
『あはは。代役で行った母校でバッタリとはね~。……っていうか、ちーちゃんと知り合いだったんだ』
「ええ、千代ちゃんとは、中学の頃にパーティーで知り合いました」
凛の友人であるちーちゃん――小澤千代と清歌は中一の頃、とあるパーティーの席で知り合ったのだ。黛家と小澤家は特に深い関わりはなく、出会いは本当に偶然だったのだが、同じ清藍女学園に通っていることから話が合い、それ以来妙に懐かれてしまったのである。
ちなみにいつの間にか凛のことをちゃんづけで呼ぶようになっていたのは、千代の隣にいたことから、無意識に扱いを同列にしてしまっているからのようだ。
『ぱ……ぱぁてぃ、ですか……。そうだよね、清歌はそういうのにも出席するんだよねぇ』
清歌から飛び出た耳慣れない単語に、弥生は改めてこの親友がとんでもないお嬢様であることを思い出した。――特に八月に入ってからは毎日のように一緒に遊んでいるので、そういうところを忘れがちなのだ。
「ふふっ、これでも一応、黛の娘ですから。千代ちゃんはそういう場で顔を合わす度に、学校での様子などを話す、そんな間柄です」
ただの知り合いというよりは親しく、友達というのとも少し違う。学校の先輩と後輩というのが一番正確なのだろうが、初等部と中等部は敷地が離れているため、実際に学校で会ったことはないという、不思議な関係である。
『ふむふむ。そのちーちゃんからの情報によると、清歌は中学時代、伝説の生徒会メンバーだったんだってね?』
「もう、千代ちゃんは大げさですね……。例年よりも少し、目立っていたというだけです」
『少し、ね~(たぶんちょっとどころじゃないんだろうなぁ)。あ、そうだ清歌、こんど中学の卒業アルバム見せてくれないかな?』
「はい。……ではせっかくですから、明日お持ちしますね」
『わーい、ありがと~。あ、でも嬉しいけど……重くない? 清歌の家に遊びにいった時でもいいよ?』
「いえ。車で送ってもらうことになりましたので、荷物の重さはあまり関係ありませんから」
『ああ、なるほど。じゃ、よろしくね!』
「はい。では、また明日」
『うん。また明日~』
翌日、午前十時ごろに清歌たちは弥生宅へと集合した。本日弥生の両親は出張で不在であり、妹の凛も既に塾へと出かけてしまっている。ちなみに清歌のことはまだ秘密にしたままで、単に「帰ってきたら、新しい友達を紹介するね」とだけ伝えている。勉強が手につかなくなってはいけないという大義名分の元、ちょっとしたサプライズを仕掛けたのである。
清歌にちょっとだけ部屋を案内してから、さっそく本題である課題を、苦手な分野などを助け合って順調に片付けていった。できれば今日中に目処を立ててしまって、明日はちょっと遊びたいと考えているのだ。
もっとも助け合ってとはいっても、理数系の課題で教師役ができるのは、このメンバーの中では悠司だけなので、負担の割合は少々不公平のようである。悠司の苦労性ポジションは相変わらずなのであった。
ちょっと一息つきたいというところでお昼時だったので、女性陣三人で昼食の用意をすることとなる。キッチンへと移動してそれぞれエプロンを装備し、いざ調理を始めようとしたところで清歌が爆弾を投下した。
「あ、ちなみに私は料理ができません」
「え~~!! 本当に!?」「うそ!? 清歌が!?」
突然上がった大きな声に、何事かと男子二人がキッチンを覗き込むが、三人が揃って「なんでもない」と返事をするので、取りあえずその場は引き下がる。
「料理の経験は、授業の調理実習程度です。ただ手先は器用ですし刃物の扱いも慣れていますので、指示していただければ、材料を切るくらいのお手伝いはできますよ」
にっこりのたまう清歌に、弥生と絵梨は思わず顔を見合わせてしまう。
「え~っと、今日のお昼はお好み焼きにしようと思ってたから、それで充分……なんだけど。ちょっと意外だよ……ね?」
「え……ええ、驚きね。……でも、アレね。たぶん料理ができないって言っても、私より包丁の扱いは上手そうよね」
などという清歌の意外なカミングアウトに驚かされつつ、三人は手分けして材料を刻んでゆく。清歌の自己申告、あるいは絵梨の予想通り、清歌の包丁さばきは鮮やかなもので、そこだけ見れば料理ができないなどとは想像できないほどであった。
料理ができるかどうか、というのを作業の様子から判断すると、包丁捌きというのは分かりやすい指標である。しかし本当の意味で料理ができるというのは、基本的な味付けの順番や割合を理解しているとか、料理本に書かれている用語を正しく理解しているとか、複数の調理を効率よく並行してできるとか――などなどが、ちゃんと身についているということである。
そういう意味では、この三人で料理ができるのは弥生だけだ。清歌は自己申告の通りであり、絵梨の方もたま~に母親の手伝いでキッチンに立つ程度なので、料理をしようと思ったらレシピ本は手放せないという有様なのだ。
ともあれ、材料などの準備は滞りなく完了し、男子に用意してもらっておいたホットプレートのある食卓に全員が揃う。弥生レシピのお好み焼きは、基本のタネは一種類でトッピングを変えてバリエーションをつけるようである。
焼きあがった一枚目を等分して、それぞれの皿に取り分け、お好みでソースにマヨネーズ、削り節などで仕上げをする。
「では、いただきま~す!」「「「「いただきます!」」」」
弥生のいただきますに四人も続き、それぞれ箸を取って食べ始める。ちなみに弥生は食べながら、二枚目を焼く作業も行っていて、その作業はとても手馴れている。
実はもっと幼い――まだ料理に慣れていない小学生の頃は、妹と二人だけで食事を作らねばならないという時に、良くお好み焼きを作っていたのだ。火を使わずホットプレートだけで完成し、野菜や肉、シーフードなどその時ある食材を刻んで混ぜれば、まあまあ美味しく食べられるお好み焼きは、かなり重宝するメニューだったのだ。
それ故に、しばしば凛からは「またぁ~」と言われてしまったというのは――まあ当時としては、仕方のないところだろう。
「でもちょっと……ううん、かなり意外よね、清歌が料理できないなんて」
「うむ。料理も洗練されたものは芸術といっていいだろうからな。清歌嬢が興味を持つのは、むしろ自然という気がするな」
「確かにアートっちゃあ、そうだよな。まぁ、俺らが普段食べるのは、そうでもないが……。そこらへん、どうなんだろ? 清歌さんは料理を自分でやってみたいとは思わなかったのかな?」
口々に疑問を述べる友人たちに、清歌はちょっと首を傾げて考える。清歌はアートと名の付くものは片っ端からといいっていいほど興味を持ち、かつ手を出しているが、どういうわけか今まで料理を自分の手で作りたいと思ったことがない。
一方で食に関する興味は大いに持っている。というかご存知の通り、清歌はそのスタイルからは想像できない程の健啖家、要するに大食いなので――「だ、だからそういうことは言わなくていいです!(怒)」――これは失礼。とはいえ皆さん既にご存知ですからねぇ……。ともあれ、いろいろとエネルギー消費の激しい清歌が良く食べるのは事実で、食べること自体も大好きなのである。
「言われてみれば、自分のことながら不思議ですね……。部屋のキッチンでもお茶を淹れるくらいですし」
「う~ん、でも私は逆に当然なんじゃないかって……よっと、……思うけど?」
片面が程よく焼けた二枚目をひっくり返しながら、弥生は三人とは異なる感想を口にした。
「だってさ、普通お嬢様は食べる人、じゃないかな?」
「あ、そうよね!」「言われてみりゃ、確かになぁ」「うむ。そういう見方もあるな」
納得する様子の三人に、清歌はまたもや少し首を傾げてしまう。
世間一般の認識している――というよりもマンガや小説などからイメージされるものでは、おそらくお嬢様は料理を作るのは専門の人に任せ、自分は優雅に味わって感想を言うだけ、という感じなのだろう。
実際には、世間的にお嬢様カテゴリーに属するであろう清歌の知りあいにも、料理が趣味という子はいるし、そもそも家族の食事は母親が作っているという家も少なくない。そのため弥生たちの抱くイメージに、清歌は微妙に違和感を持ったのである。
もっとも、黛家に関して言えばまさしくその通りなので、四人のイメージが間違っているというわけでもない。
「そうですね……所謂お嬢様が皆そうではないと思いますけれど、私に関しては確かにその通りかもしれません。家のキッチンはメイドさんたちの仕事場ですから、邪魔をしないようと……幼い頃に教わった覚えがあります」
「なるほど。それで料理からは遠ざかってしまったのね。でも変な話、ちょっと安心しちゃったわ。料理が苦手だったり、頭の上がらない先生がいたり……って、清歌にも弱点があるのね」
絵梨の言葉に、清歌を除く三人がそれぞれ相槌を打つ。特に弥生などは自分の得意分野である料理が、清歌のできないことだったというのがちょっとした衝撃だったようで、しきりに頷いていた。
一方、清歌の方はというと、ちょっと眉を下げてトホホな表情だ。被っていた猫がばれてしまい、ガッカリしている――というわけではなさそうである。
「それです、絵梨さん」
「ハイ? それって……どれ?」
「私にも苦手なことや欠点は、普通にあります。そういうところを殊更、隠してはいないのですけれど……」
「あ~、そうだよね。……ゴメン! 清歌。私もなんとな~く、清歌は何でもできるっていうイメージ持ってたかも」
清歌は語尾を濁していたが、言わんとすることを理解した弥生はそう白状して頭を下げた。両手にフライ返しを持っているのが、びみょ~に締まらない感じである。
自己申告した弥生同様、他の三人も清歌に対して持っていた大まかなイメージは共通していて、一言で言えば完璧超人といったところだ。一緒に行動するようになり、パーソナルな部分に接することが多い弥生たち四人ですらそうなのだ。いわんや、会話すらほとんどしないただのクラスメートとくれば、である。
この際、黛の娘であるということは別問題としても、清歌には非常に稀有な才能があり、その特異性に関しては彼女自身ちゃんとした自覚がある。故に自分のことを、ごくごく普通の女の子であるなどとは思っていないが、同時に能力的にも性格的にも完璧には程遠いとも思っているのだ。
「う~む、恐らくだが、立ち居振る舞いがそういう印象を与えるのではないか? 容姿も合わせると、なんというか……隙がなさすぎる」
聡一郎のなかなか鋭い分析に弥生たちは大いに納得して何度も頷いているが、当の清歌は今ひとつピンと来ていないようだ。才能面の特異性は理解しているというのに、幼い頃からの習慣や訓練で身についたものに関しては無自覚というのは、興味深いところであろう。
「確かに、そういう面はあるな。清歌さんはいつも優雅な感じがするから、その調子でなんでもあっさりできそうな気がするんだよなぁ」
「ああ、それ分かるわ。きっと優雅な所作っていうのは、余裕があるように見えるのよ。ついでに言うと、清歌ってあんまり物事に動じないから、なおさらなのよね」
「そういうもの……なのでしょうか? 意識はしていないのですけれど……」
少々古めかしい表現になるが清歌の立ち居振る舞いはまさしく、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花というものだ。そしてそれは完全に身に染み着いてしまっており、彼女の一部になってしまっている。意識的に行っているわけではないのだ。
それが要因で完璧超人的イメージになるというなら、清歌としては受け入れざるを得ないことなのかもしれない。とはいえ、清歌の本性――もとい真実を知っているはずの友人たちからさえも、そう思われているというのはなんとなく面白くない気がする。ここは何かしらのイメチェンを図るべきだろうか?
清歌はそんなことを考えつつ、弥生に取り分けてもらった二つめのお好み焼きを、綺麗な箸遣いで切り分け、そっと口へと運ぶ。
「弥生さんのお好み焼きは、ふんわりとした食感でとても美味しいです(ニッコリ☆)」
「そ、そう……かな? さ、清歌の口にあったなら何よりだよ」
料理は弥生の特技といっていいが、このお好み焼きは所詮庶民的な食材のみで作ったお手軽なメニューだ。本当に美味しそうに褒められてしまうと、嬉しいけれど照れてしまう。
「それにしても、実像と離れたイメージを持たれ続けるのは少々不本意です。立ち居振る舞いは無意識なのでどうにもなりませんけれど、他のところなら何かできるかもしれませんね……」
清歌の言葉になにやら不穏な響きを感じ、四人の動きがピタリと止まった。
「えっと……、ねぇ、清歌? ナニかって、いったい何をするつもりなのかな?」
代表して尋ねる弥生の言葉に、清歌は左手を頬に当てて「そうですね~」とちょっと考えてから、思いついたことを言ってみた。
「例えば……そうですね、制服をちょっと着崩してみる……などでしょうか」
四人は清歌が制服を着崩しているところを想像してみる。スカートの丈をミニにして、リボンを緩めてブラウスの第一ボタンを外し、ちょっとぶかっとしたカーディガンを怠く着て袖から指先だけ出している――というところだろうか?
これに天然ものの金髪と、ちょっとしたネイルアートも加えれば、今までとは違うベクトルの風格がある女子高生が誕生しそうだ。しかし――
「ダメだね!」「うん、却下ね」「ん~、ナイわな」「うむ。俺もそちらに一票だ」
「ええ~~! ……どうしてでしょうか?」
確かに外見だけなら似合わないわけではない――というか、基本的に清歌は派手な容姿でスタイルも良いので、衣装に負けてしまうことはないのだ。とはいっても、やはり向き不向きというものはある。いわゆるギャルっぽい着崩しにはそれ相応の雰囲気が必要だが、どこまで行ってもお嬢様である清歌には、それが欠けているどころか皆無なのだ。
「……というわけだから、清歌はいつもどおりが一番よ。まあ、清歌がそういう着崩した方が好きっていうなら構わないと思うけど、そう言うわけじゃないんでしょ?」
「ええ。単にちょっとイメチェンするなら……と思っただけですから」
「じゃあ今まで通りにしとこうよ~。ね?」
やたらと真剣な表情で引き留めようとする絵梨と弥生に、清歌は苦笑気味である。
「ちょっと残念ですけれど……、皆さんがそう仰るのでしたら、イメチェンは見送ることにしますね」
どうやら清歌のイメチェン計画は未然に阻止できたようで、四人はホッと一息ついた。
しかし今回のこととは別に、クラスメートが抱いているであろう清歌の完璧イメージは、どこかで払拭しておくべきかもしれない。クラス委員という立場でもある弥生は、そのことを心に留めておくのであった。
昼ご飯を食べ終えてから一休みして、五人は再び課題を片付けにかかった。
理数系科目については頼りになるのは悠司だけだが、現国や古文については絵梨が、英語については清歌が教師役になれるので、このグループはある意味助け合って課題を片付けるには理想的と言えるかもしれない。
ちなみに弥生と聡一郎の名前が全く出てこなかったのは、得意な科目がないというだけであって、極端に成績が悪いというわけではない。
実際、前期中間試験の総得点で言えば、悠司が一位で、次に弥生、ほんの少し下回って清歌、ほぼ同じの聡一郎、そして意外なことに絵梨が最下位となる。なお、前期の最終的な成績が出るのは、夏休みが明けて期末試験を受けた後のこととなるが、順当にいけば総合的な成績の順位は、悠司の一位は変わらず、体育と芸術科目の加点がある清歌が二位に上がり、次いで弥生、僅差で聡一郎、絵梨は変わらずの最下位となる。
言うまでもなく、これは単なる学校の成績であり、それぞれの本質的な頭の良さを示しているわけではない。特にこのグループは、学校の成績方面での偏りが激しいメンバーが多いのだ。
一番顕著なのは絵梨で、彼女は教科の好き嫌いが激しく、興味のない分野に関しては本当に最低限の勉強しかしないのだ。それゆえ現国や古文などはトップクラスの得点をたたき出すのに、嫌いな数学や生物などは平均点以下という有様だ。そんな彼女が、ちゃんと受験勉強をして百櫻坂高校に入学できたのは、それだけこの関係を大切にしているということなのだろう。
清歌の場合は教科の得手不得手ではなく、単に時間的リソースを音楽や絵画など芸術活動に大幅に割いているため、あまり勉強に時間を取れないのだ。それでも全ての教科で平均以上の成績を出せているのは、英語に関して勉強をする必要が全くないというアドバンテージがあるためである。また、映像的な記憶力に極めて優れているために、教師の板書をよく覚えているということも大きいようだ。
聡一郎は基本的に生真面目な性格の為、宿題は忘れないし、試験勉強もしっかりとするので、中学時代は弥生と同程度の成績だった。高校に入って若干成績が落ち気味なのは、一人暮らしを始めて以来、妙に家事にのめり込んでしまって、そちらに時間を取られてしまっているのである。ちなみにだいぶ慣れてきたので、そろそろ自炊にも手を出そうかと思っているところである。
三人がこんな調子である為、学生全般の割と普通の範囲に収まっている弥生と悠司が、このグループでの上位になるのだ。なお悠司が一番なのは、やはり成績優秀な義姉を意識して、しっかり勉強しているためである。
途中おやつ休憩を挟み、たまに雑談を交えつつこなしているうちに、いつの間にやらだいぶ日が傾いている。窓から差し込む西日にふと顔を上げた弥生が、呟くように言った。
「そろそろ……かなぁ?」
「ん? ああ、今日のところは、そろそろ俺らは引き上げるか?」
「あ、ううん、そうじゃないよ。っていうか、お母さんから夕飯用にって資金をゲットしたから、ピザでも頼むつもりだから一緒に食べてきなよ」
悠司は聡一郎のところに泊まる予定だったので、弥生の申し出は素直に受けることにする。それはともかく、では一体何がそろそろなのか?
「そろそろ凛が帰ってくる時間なんだけど……」
「ああ、塾に行ってたのよね? それにしても、ようやくマーチトイボックスのメンバーが全員揃うって訳ね。一緒に遊べるのはまだ先の話だけどね」
思ったよりも早く参加できるかもしれない、という話は、まだ確定的なことではないので弥生は皆に話していないため、凛が合流するのは来年の話だと絵梨は思っているようだ。
「まあ、受験生なのだからな。……俺たちはもう何度も会っているが、清歌嬢は今日が初対面になるのだな」
「それが、初対面のような……そうでもないような。ただ、少なくともちゃんとお話しするのは、今日が初めてになりますね」
清歌の今一つはっきりしない言い回しに、事情を知らない三人は頭の上に?マークを浮かべている。
「詳しく説明すると長くなっちゃうんだけど、凛は昨日、清歌がピアノを弾いているところを見てるんだ。それで……、あの子ってば清歌にハンパじゃない憧れを持っちゃったみたいなの」
「良く分からんが、そこらのアイドルなんぞ比較にならない清歌さんに、憧れるってのは……まあ理解できる。弥生の妹なんだし。で、そんなにソワソワしてるのはなんでだ?」
「私の妹だからってナニよぅ。……や~、清歌が今日来ることは内緒にしてるの。面白がってサプライズにしたんだけど、今さらながらちょっと不安に……」
これから塾へ行く凛に、勉強が手につかなくなるようなことを伝えなかったのは、ある意味正解だったというのは確かである。だが昨夜の凛はかなりおかしなテンションになっていたので、事前にちゃんと知らせて頭を冷やしておいたほうが良かったのではないか――と思えてきたのだ。
しかし時既に遅し。玄関からガチャリと鍵の開く音がしてしまった。
五人は訳もなくドキリとして、思わずドアの方を見つめてしまう。気分はサスペンスかホラーなドラマで、招かれざる客を迎える被害者のようである。
「外は暑かったよ~。ただいま~、お姉ちゃん。あと、みんなこんにちは~」
リビングへ入って来たのは、当たり前のことながら凛であり、手に持っているのも主に勉強道具の入っている鞄で、包丁だのチェーンソーだのという凶器ではない。今日の凛は、キャミソールに半袖のシャツを羽織り、素足にショートパンツ、そして髪は後ろで一つに束ねてキャップを被っている。
昨日のきっちりした服装しか知らなかった清歌は、ボーイッシュで可愛らしいいで立ちにちょっと驚くと同時に、こちらの方がおそらく普段の凛なのだろうという想像をした。
外のうだるような暑さの中を歩いてきたせいか、少々前屈みで肩を落とし、かなりだら~っとしている凛。頭の中も沸いてしまっているらしく、今日は顔見知りだけではなく、初対面(の筈だった)の人がいるということが、すっかり蒸発して抜けてしまっているようだ。
「お帰り、凛。……清歌、改めて紹介するね。この子が私の妹で凛。運よく合格すれば、清歌の後輩になる……かも?」
「ふぇ?」
弥生の言葉に気の抜けた声を出して、凛は顔を上げ――硬直した。
紹介された清歌は静かに立ち上がり、完璧な所作でお辞儀をする。
「昨日顔は合わせたけれど、改めて初めまして、凛ちゃん。黛清歌です。お姉さんとは仲良くさせて頂いています。これからよろしくね」
清歌にしてはちょっと砕けた口調になっているのは、ちゃん付けで呼んでいるのと同じ理由で、どこか千代と似た扱いにしてしまっているからだろう。
自己紹介をして微笑む清歌は、窓から差し込む光に金髪が照らされて、輪郭がぼんやりと光り輝いている。それは単なる光の加減に過ぎないのだが、昨日のピアノを弾いているときの神懸ったイメージが残っている凛にしてみると、まるで清歌がオーラを放っている――あるいは後光を身に纏っているかのように見えてしまった。
「さ……さやか、おねえさま……」
弥生相手には決して付けることはない敬称(?)をつけて、清歌の名を呟く凛。
「「「「お姉さま!?」」」」
弥生たち四人は聞きなれない言葉に声を上げ、清歌は若干諦め気味に苦笑している。どうも千代から、いらぬことを吹き込まれているらしい。
我知らず鞄から手を放していた凛は、ドサリというその音に我に返ると同時に、今の自分がどういう状態なのかに思い至り、恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
こんないつも通りのだらしない格好で、しかも外から帰ってきたそのままという、顔すら洗っていない汗だくの状態だ。こんなみっともない姿を敬愛する清歌お姉さまの前に晒すなど、あってはならない大失態である!
そんな凛の心の声を聴いたなら、弥生は「いいからキチンと挨拶しなさい!」と叱っただろうが、残念ながら姉妹といえどもテレパシーはない。分かるのは、妙に上気した顔で目を見開いていることだけだ。
「……凛?」
「…………きゃ、……きゃあああぁぁぁーーーーー…………ぁぁぁ」
ドップラー効果すら発生させる勢いで悲鳴を上げつつ凛が自室へと駆け込む。
呆気に取られて顔を見合わせる五人をよそに、凛は着替えを用意してバスルームに駆け込むと、素早くシャワーを浴びてから服装を整え、再びリビングへと現れた。なんとこの間、十分とかかっていない。
「さ、先ほどは、みっともない姿を見せてしまってすみませんでした、清歌お姉さま。坂本凛です。どうぞ、よろ……よろしくお願いします」
そう言ってお辞儀をする凛は、先ほどまでのボーイッシュなものとは真逆で、ノースリーブのワンピースという、手持ちの普段着から精いっぱいの可愛らしいものを着ている。
一生懸命丁寧な言葉遣いをしようとしているところが微笑ましく、清歌は「はい。こちらこそ」と笑顔で返事をした。
その笑顔に凛が「はぅ」と妙な鳴き声を上げて顔を真っ赤にするのを見て、悠司などはさすが姉妹だけあって、弥生と似た反応をするな――などと思っていたのだが、弥生はなぜかジト目を向けている。
「り~ん~? 猫被ったところでどうせすぐにバレるんだからさぁ、最初から素でいた方がいいと思うよ?」
「お、お姉ちゃん! そんなこと分かってるけど、最初くらいカッコつけたいじゃない!」
言ってる傍から被った猫がポロリと脱げ落ちている凛と弥生のやり取りに、清歌たちは思わず笑ってしまうのであった。
とまあ、そんな感じで清歌は完璧超人というわけではありません。
スーパーハイスペックで、紛れもなくある種の天才ですが、時間的リソースには限界があり、その振り分け方も偏っているので、学業的な方面では普通レベルに収まってしまうのです。
ちなみに性格的にもアレコレ尖ったり凹んだりしているのですが、それは別の機会に語られることでしょう…………たぶん・・;