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#12―03




 造船ドックには既に弥生たち戦闘組が来ており、素材を投入しているところだった。清歌もそれに加わると西海岸の様子などを話しつつ、集めて来た素材を披露する。


 場所が場所だけに初見の素材も多く、またレアリティも高いので――これは弥生たちが集めてきた魔物素材も同様である――船の製作状況も大幅に進みそうだ。この分だと、試験最終日である明日中には船が完成しそうである。


「え~っと……それってもしかして、浦島太郎的な?」


 清歌からマッコウクジラを見つけた時の状況を聞いた弥生が感想を述べる。あの状況に遭遇したら、誰しもかの有名な昔話を思い浮かべることだろう。


「やっぱりそう思いますよね。私もこれが亀なら完璧だな……と、思いました」


「だよね~。あ、でもゲームに出て来るモンスターとしては、クジラよりも亀の方が良く出てくると思うけど……なんでだろ?」


 RPGではありふれた存在である亀型のモンスターを想像した弥生が首を傾げる。


「そこまで似せちゃったら、亀をいじめるのは子供たちにしないとダメよね」


「スベラギの西端の海岸で亀をいじめる子供たち……。想像すると結構シュールだな」


「あ~……、まあゲームだと結構あるけどね。何でこの場所に人が居るの? みたいな状況」


 イベントなどの関係上仕方のないこととは言え、ゲームではプレイヤーが苦労して辿り着いた場所に、何故かNPC――それもただの村娘だったりする――が居ることも多々ある。


 今回のケースだと、子供が巨大な恐竜型魔物が跋扈する西エリアを抜けて、海岸まで辿り着いただけでも驚きの話である。もっともそれだけの実力がある子供たちなら、魔物をいじめて遊ぶというのも頷ける話――なのかもしれない。


「それにしても素材収集を手伝ってくれるのは良いとしても、イベントにしてはちょっと弱いわよねぇ……」


「そうですね。……それでも十分助かりましたし、いじめていた魔物を追い払うのも簡単でしたから。……あら?」


 ウィンドウを操作して次々と素材を取り出していた清歌が手を止める。収集した記憶の無いモノの名称がそこにあったからである。ついでに言えば、これを果たして素材と言っていいものか、甚だ疑問なモノであった。


「どうかした、清歌?」


「ああ、いえ……なんと申しますか、回収した覚えはなかったのですけれど……」


 とりあえず素材を投入する作業台ではなく、スペースのある床にそれを取り出してみる。


「……いつの間にか、ついてきてしまったようですね」


「キュー!」


 話題の主人公であったマッコウクジラが、まるで「こんにちは!」と挨拶するように右ヒレを挙げて一声鳴く。どことなく愛嬌のあるその姿に、マーチトイボックス(弥生のおもちゃ箱)のメンバー全員が騒ぎ出す。


「「カ、カワイイ!」」


「えっ!? この子がもしかして今話してたマッコウクジラなの?」


「へー、なかなか愛嬌があるな」


「ふむ……、クジラのようでもあるが、サメのようでもあるな」


「哺乳類か、魚類か。現実リアルの動物なら大違いだけど、この子は魔物だもの。どっちでもいいんじゃない?」


 マッコウクジラをナデナデ――というよりもぺたぺたと触りながら、それぞれ感想を言い合う。マッコウクジラの肌はひんやり、つるんとしていて触ると気持ちが良い。少なくともお肌に関してはサメに似てはいない。


 清歌の従魔はモフモフが基本で、例外はジェリートマトのみだ。魚っぽい魔物は今まであまり触れあってこなかったので、新顔のマッコウクジラは大人気である。


「っていうか、従魔にしてきたなら言ってくれればいいのに。サプライズ?」


「いいえ。実は連れて帰りたかったのですけれど、そもそもこの子は従魔にできる魔物では無かったのです」


 清歌の説明に一同がキョトンとする。てっきり新しい仲間が増えたのかと思っていたのだが、そうではなかったらしい。そう言えば先ほど清歌は「いつの間にかついて来た」と言っていたのではなかったか?


 となると、このマッコウクジラは一体ナニモノなのだろうかという疑問が湧く。


「えっと、じゃあこのクジラって……いったい何なんですか、お姉さま?」


 右ヒレを手に取って握手をしていた凛が、顔だけを清歌の方へ向けて尋ねた。ちなみに左の方は千代と握手をしている。


 清歌も半ば疑問に思っている事なのだが取り敢えず確かな事実、つまり回収した素材のリストの中にこのマッコウクジラがあったということを答えた。


「はい? あ~、まあゲームによっては、ペットがアイテム扱いになってることはあるけど……」


「仮にそうだったとしても、<ミリオンワールド>なら玩具アイテム扱いになるはずだろ? 素材じゃないわな。……っつーことは、だ」


 一同が顔を見合わせてから、マッコウクジラへと視線を移す。


 いじめられているところを助けて以降、勝手について来てしまうだけでこれといったクエストが始まる気配がないこと。素材アイテムであること。なによりイベント開催中というタイミング。これらを合わせて考えると、答えは一つだ。


「……やはり、船を作る素材という事なのでしょうか?」


 少し首を傾げて頬に手を当てた清歌が口にした言葉は、全員の考えていたことを代弁していた。


 どう見ても生きている――ゲーム内だというツッコミは脇に置いておく――マッコウクジラを素材扱いとはいかがなものか? そんな気持ちも無くはないが、そもそも他の素材にしても魔物を斃してゲットしたドロップ品なので、今更という見方も出来なくはない。


 しかしながらマスコット扱いしていたマッコウクジラを、素材投入用の作業台に乗っけるというのは、なんとな~く後ろめたいものがある。


 清歌たちが躊躇していると、そんな雰囲気を察したのかマッコウクジラは「キューッ!」と一声鳴くと、自ら作業台に飛び乗ってしまった。


「「「あっ!」」」


 作業台に乗ったマッコウクジラは、他の素材と同じようにシュンと音を立てて消えてしまった。文字通りあっと言う間の出来事で、止める間もなかった。


「「マッコウちゃん!」」「そ、そんな……」「こんなに早く……」「仲良くなれると思ったのに……」「……残念だ」「マッコウ、カムバーック!」


 作業台に消えてしまったマッコウクジラを思い、何やら小芝居を始めるマーチトイボックス一同。ある意味、非常にチームワークの良いギルドである。


 もっとも折角の小芝居も観客がいないのでは意味がない。幕が下りるわけでもシーンが切り替わるわけでもないので、造船ドック内にかなりビミョ~な空気が漂う。


 こういう「やっちまった」感がある時は、全てを無かったことにして話を進めるのが一番である。いち早く気を取り直した清歌が弥生に話しかけた。


「弥生さん、取り敢えず船の種類を確認してみませんか?」


「そ……そうだよね、マッコウちゃんの犠牲を無駄にしないためにも、どんな船が出来るようになったかを見てみないと」


 なんにしてもマッコウクジラは今回のイベント限定で用意された、船用の素材アイテムだったということだ。ということは、きっと造船可能な船の種類が増えているはずである。


 ウィンドウを操作して船の種類を確認すると、果たしてそこには確かに新しいタイプの船が増えていた。いたのだが――


「おーい、弥生さんや。新しいのがあったなら、早く表示してはくれまいか?」


「あ~、うん。増えてはいたんだけど……」そう言いつつプレビュー表示させる。「これって船……って言っていいのかな?」


 今までヨットが表示されていた場所に、先ほどまで戯れていたマッコウクジラを巨大化したさせたものが表示された。ヨットよりもかなり大きく、中々迫力ある姿に感嘆の声が漏れた。


 無論、ただ単に巨大化させただけではない。マッコウクジラの背中には白い壁と、急勾配の青い屋根が可愛らしい家が一軒建っているのだ。ご丁寧に家の庭に当たる部分には緑の芝生も生え、リゾート気分の演出なのかヤシの木とデッキチェアまでもある。さらに芝生の外側は白い砂浜のようになっていて、どこぞのリゾート地のコンドミニアムな風情であった。


 どう見てもこれは船じゃないだろうとツッコミを入れたくなるのが、むしろ自然であろうという代物であった。なおマーチトイボックスには無縁の話だが、このクジラ船(仮称)には中型船と大型船のバージョンもあり、中型船では家が二階建ての洋館に、大型船ではなんとプール付きの豪邸になるのである。


「なんというかアレね。動く島に住んでいるんだと思っていたら、実は生き物の上だった……っていう物語に出てきそうよね」


 恐らくこのクジラ船が海を行く時は、背中を少し海面に出した状態のはずである。遠くから見ればクジラの身体は波に隠れてしまい、一軒家がぽつんと建っているとても小さな島が、どんぶらこと移動しているようにしか見えないだろう。


「ふむ。そういう話ならば、それこそ亀の方が適しているのではないか?」


「それは……確かに、そね。亀の甲羅なんてまんま島だものねぇ。亀よりはクジラの方がまだしも船っぽいから……かしら?」


「そういう議論はさておき、だ。今問題なのは、このどう見ても目立ちそうな船……っつかクジラ? を採用するかどうかなんだが……」


「え~っ! マッコウちゃん可愛いよ?」


「マッコウちゃん自ら素材になってくれたんですから、使ってあげないとかわいそうです!」


 すっかりクジラ船を気に入ってしまっていた年少組二人が抗議の声を上げた。


 それに対して悠司としては見た目云々ではなく、スペックについて冷静に検証するべきだと説明した。もっとも悠司自身も折角こんな変わった船を使えるようになったのなら、これを選ばないのは勿体ないだろうと思っていたりする。ただ妙なリスクが仕込まれているという可能性はあるので、スペックを確認は必要であろう。


 詳細を見たところスピードは平均的で天候の影響は受けにくく、基本的にはクルーザータイプに近いようだ。居住性に関しては家具完備の家を使用できるので、クルーザーよりも数段上であろう。なお釣り関連の道具や設備は無い。


 他の船と大きく異なる点は二つ。


 一つはベースが魔物である為に魔法が使用できる点だ。これは大砲などに変わる武装として使用できるほか、水面に浮上して通常よりも速いスピードで移動することもできるとのこと。


 そしてもう一つは、これもベースが魔物であることが関係しているのだろうが、耐久値の設定がない代わりに満腹度の設定がある。要は定期的に餌を食べなければならないのである。ちなみに魔法を使用すると通常よりも満腹度の減りが早くなるので、即ちこれはHPとMPを兼ねていると考えて間違いない。


「ちょっと待った。餌を食べる必要があるってことは、海に潜るんだよな? 家はどうなるんだ?」


「え~っとね、家の周りは見えない魔法障壁で覆われてるから問題ないんだって」


「そいつは一安心……ん? ってことはだ、海の中にも普通に入れるってことか」


 悠司の言葉に一同「なるほど!」と目を見開いた。どうやらこのクジラ船は、普通の船であるだけでなく、水面から浮かび上がることも潜水もできるというスグレモノだったらしい。


「ふむ。潜水できる船があるということは、海底に何かがあるという可能性もあるだろうな」


「沈没船とか海中都市とか? 確かにありそうな気もするわね……。フフフ、なんだか儲かりそうな予感ね(ニヤリ★)」


 何やら黒い笑みを浮かべつつ皮算用をする絵梨に弥生はジト目を向けつつも、話の内容自体は確かにありそうだとも思う。


 儲かるかどうかは置いておくとしても、例えば綺麗なサンゴ礁や、無数のが群れを成して泳ぐ様などが見られるかもしれない。――というか、絶景スポットなどをちょこちょこ用意している開発の事だから、必ず何かしらは仕込んでいるはずだ。生まれてこの方ダイビングどころか、シュノーケリングもしたことない弥生にとっては未知の景色であり、それだけでもクジラ船を選ぶ意味があるというものである。


 そう考えると定期的に餌をとりに潜るというよりも、逆に普段は潜っていて息継ぎの為に海面に浮上するという、本物のクジラのようになってしまうかもしれない。まあ、それはそれで面白そうである。


 そんなわけでスペックの確認もできた。もう既に決まっているようなものだが念のために多数決を取ると、案の定、満場一致でクジラ船に決定するのであった。




 ところでマッコウクジラのインパクトと、その後のクジラ船に決まるまでの一連の流れですっかり忘れ去られてしまっていたが、今日の探索で清歌はイベント専用アイテムをもう一つ拾ってきている。そう、ツッコミどころがあるという意味ではマッコウクジラに匹敵(?)する、例の手紙入りのボトルである。


 もう既にクジラ船にするという方針が決まっているとはいえ、せっかく拾って来たキーアイテムだ。確認くらいはしておこうと見たところ――クジラ船とは違う方向性で驚くべき船が現れた。


 全体のデザインは太い木をくりぬいて作ったと思しき二本の船体の間に板を渡して繋げている、いわゆる双胴船型の大きな筏である。


 適当に板を打ち付けただけの壁に、大きな葉っぱを重ね合わせて結び付けた屋根という簡素な船室。飲み水や保存食が入っていると思しき古ぼけた樽。中央のマストに張られたつぎはぎだらけの帆。――などなど、細部を見ていくとこの船を作るために数少ない物資をかき集めたという苦労が偲ばれる、何とも頼りない感じの筏である。


「……なんていうか、こっちも物語に出てきそうな船よね。事故で漂着してしまった無人島から脱出するっていうタイプの話に」


「あ~、そういう話って結構あるよね。同じ漂流した仲間を探しながら、サバイバルな感じで生活基盤を整えていく過程とかがゲームっぽくて、私はけっこう好きだよ」


「序盤は割と能天気にアウトドア生活を楽しんじゃったりするのよねぇ。最終的に救助船が来るっていう話もあるけど、これは自力で脱出するパターンの方ね」


「もしかして、あの手紙入りの瓶は救助を求めて流した……という設定なのでしょうか?」


「なるほど、それでこの筏になるわけか! ……っつーことは結局、誰にも届かずに筏を作ったってことか……世知辛いな」


「ま、現実的に考えれば、あんな瓶入りの手紙が誰かに届いて、その上救助に来てくれるなんて奇跡は有り得ないでしょ」


「え~? でもそういう奇跡みたいな話だからこそ、物語になるんじゃないの?」


「あら、なかなか鋭い指摘じゃないの。……でも、そういう奇跡が起こらないから、漂流者全員で力を合わせて脱出を試みるっていう物語もアリじゃない?」


「ふむふむ、確かに。でもな~、この船で脱出はちょっと遠慮したいかも……」


「うむ、かなり安普請に見えるからな。……仮にイベントでこの船を使うとして、本当にゴールまで辿り着けるのか?」


「それが、スペックだけ見るとプリセットで選べたヨットよりも、性能は良いんだよね……。居住性は最低ランクだけど」


「「「あ~」」」


 こう見えても一応イベント専用のアイテムを投入して初めて造船できる船ということで、一応基本的なスペックは高く設定する一方、居住性は見た目通りにしてバランスを取ったということ――なのかもしれない。


 いずれにしても折角のイベントに乗り心地が最悪の船で参加する必要は無い。どう考えてもネタとして用意された船である。まあネタだけに使用する物好きなプレイヤーがいないとも言い切れないのだが。


「まあ、なんにしてもこれはボツってことで」


「そうですね、何も乗り心地の悪い船をわざわざ使う必要はありませんし。それにしても、ずいぶんと面白い船が用意されているようですね」


「あはは、そういう意味ではクジラ船もだよね。どんな船に会えるのかも、ちょっと楽しみになって来たね~」







 期末試験最終日の早朝。認証パス(スマホ)のアラームが鳴る前に目が覚めた弥生は、ベッドからむくりと体を起こした。とても眠りが深かったのか、いつもなら起きてしばらくはぼんやりとしている頭がすっきりとしている。


 時間的にはまだまだ早いのだが、完全に目が覚めてしまって二度寝ができるような感じでもない。ここはもう起きてしまって試験範囲の復習でもしようと決断し、弥生はベッドから出てカーテンを開けた。


 窓の外には良く晴れた空が広がり朝日が輝いている。そう言えば昨夜見たニュースのお天気コーナーで、今日は季節を少し先取りして桜が咲く時期くらいの温かさになると言っていたなと思い出した。


 今朝は両親も家にいるので、妹の朝食を用意する必要もないし、折角早起きしたのだから、もう登校してしまおうか? と、ふと思いつく。のんびり学校まで歩いて、静かな教室で勉強するというのもいいかもしれない。


「うん、たまにはそういうのもいいかも」


 弥生は小さく呟くと、身支度を始めるのであった。




 外は既に暖かくなりつつあり、すれ違う人たちも今日はマフラーをしている人は見当たらず、コートのボタンを留めていない人も多かった。弥生も今日は制服の上に、少し薄手のコートを羽織っているだけである。


 校門を抜け百櫻坂高校の敷地内に入ると、ほんのまばらではあるが生徒の姿があった。弥生と同じように早めに登校して、教室で勉強をしようと考えているのだろう。


 自分の場合はたまたま早起きしたからなのだが、彼らは試験日には毎回そうしているだろうか? そんなことを考えつつ教室のドアを開けると、思った通りまだ誰も来ていなかった。どうやら早起きして教室で最後の復習をするようなタイプの生徒は、このクラスにはいなかったようだ。


 今年度最後の席替えで窓際になった自分の席に鞄を置き、脱いだコートをハンガーにかけて教室の後ろにあるラックに収める。


 弥生は鞄から試験対策ノートを取り出し、途中で立ち寄ったコンビニで買った小さなペットボトル入りのミルクティーを机の上に置いた。そして席には座らずに、窓際に寄りかかるようにしてノートを開く。こうしていると朝日が背中に当たってポカポカと温かいのだ。


 時折ミルクティーを口にしながら、ノートのページを捲っていく。不思議なことに家で勉強している時よりも集中できているようで、内容が頭の中にすんなり入っていく。今日の試験はいい結果を出せるかもしれないと、弥生は小さく微笑むのであった。







 試験の有る無しに関係なく、清歌の朝はいつも早い。いつも通り朝の鍛錬を行い、シャワーで汗を流してから朝食を取り、学校のある日は身支度をして登校するのである。


 試験の開始時刻は普段の始業よりも遅いので、少々空いた時間を清歌は自室での復習に充てている。しかし今日に限ってはいつもよりも早い時間に登校することとなった。たまたま朝食の時間が同じだった兄がこれから出かけるということだったので、それならば一緒に出ようということになったのである。


 何かと話題に出る清歌の兄ではあるのだが、今のところ弥生たちと直接会ったことは無い。兄の趣味的アイテムを使う時――場合によっては使った後だが――には弥生たちの話もしているので、お互いになんとなく知り合いになっているような気はしているし、弥生たちが遊びに来た時には挨拶をしたいとも思っているのだが、どういう訳かタイミングが合わないのである。


 弥生たちとのこと――というか<ミリオンワールド>の話をしている内に百櫻坂高校の前に着いたので、清歌は車を降りると教室へ向かった。


 静かにドアを開くと、誰もいないかと思っていた教室に一人だけ、弥生の姿があった。


 清歌はいつものように朝の挨拶をしようと開きかけた口を閉じた。


 窓を背に少し寄りかかるように佇む弥生は、朝日の逆光に照らされてふんわりと波打つ髪と柔らかな頬の輪郭がほんのり輝いて見える。口元に微かな笑みを浮かべてノートのページを捲る姿がとても絵になっていた。


 清歌はほとんど無意識のうちに、鞄の中から常に持ち歩いているスケッチブックを取り出していた。




 弥生は何度目かのミルクティーに手を伸ばした時に、教室に人影が増えていることに気付いて視線を上げた。するとそこには一体いつの間に来たのか教壇の近くに清歌が立っており、手にしたスケッチブックらしきものに鉛筆を動かしていた。


 恐らく――というかどう考えても、間違いなく、百パーセント確実に自分の事を描いているのだろう。自分が絵のモデルなんて恥ずかし過ぎると、思わず止めようと声を掛けようとして――弥生はギリギリのところで踏みとどまった。


 今の清歌からは、何度か聴かせてもらった本気の演奏をしている時と同じ雰囲気を感じる。これはきっと、止めてはいけないものだ。


 そりゃ、やっぱり自分が絵のモデルなんて恥ずかしいとも思うし、ちょっと趣味が悪いのではと突っ込みたくもなるし、そもそも最初に絵を描くと一声かけて欲しいと苦情を言いたくもなるのだが、それらは全て後で解決すればいいことだ。


(まったくも~、一体何が清歌の琴線に触れたのやら……)


 内心でそうツッコミつつ、弥生はミルクティーを一口飲んでから再びノートに視線を落とす。自分が絵のモデルになっているという事に気付いたというのに、さっきまでと同じようにまた集中することができた。


(ホント、なんか不思議な朝だな~)







 絵梨の場合、試験日の朝はいつもよりも遅い。一夜漬けタイプに近い彼女は夜遅くまで勉強して、朝は割とギリギリまで寝てから登校し、試験直前にノートをざっと見返すというのが基本方針なのである。


 そんなわけでいつも通り試験開始十五分前くらいに教室前に到着した絵梨は、その光景を見て唖然としてしまった。教室前の廊下にクラスメートたちがたむろしているのである。見たところほとんど全員いるようだ。


 いつぞやにも似たようなことはあったが、何しろ今日は試験日である。教室内で何が起きているのかは分からないが、試験直前の悪あがき――もとい、復習を優先するべきではないのか。


「おはよ。皆何やってるのよ、もう試験まで十五分を切ってるわよ?」


「あ、おはよー。まあ、それは分かるんだけど……ね?」


「うーん、あの空気は壊せないわー。っていうか、私()壊したくない」


 一体教室では何が起きているのかと窓から覗き込んで見ると、案の定そこには弥生と清歌がいた。


 とはいっても二人は離れた位置に居て、特にぴとりとくっついているとか、殊更いちゃいちゃしているとかいうことでは無い。弥生は自分の席でノートを見ており、清歌はその様子を絵に描いているだけである。


 ただそれだけの事なのに、確かにここに割って入るのは少々憚られる気がする。静かに凪いだ空気には、どこか神聖な雰囲気すらあった。


 しかしながらこのままずっと見ているわけにはいかない。お隣の教室に目をやれば、既に廊下には人っ子一人おらず、しんと静まり返っている。


 はて、これはどうしたものかと思ったその時――


「えっと、これって教室に入ってもいいの……かな?」


 いつの間にやって来ていたのか生徒たちと並んで教室を覗き込んでいた担任が、口調は困ったように、そのくせ目はキラキラさせて小声で言う。手に大きくて厚みのある茶封筒を持っているところを見ると、一科目目の試験官は担任だったようだ。


 と、ここで男子のクラス委員たる芦田が、状況を打破する発言をした。


「先生が入って声を掛ければ、二人もたぶん我に返るんじゃないですか?」


「えっ!?」「「「それだっ!」」」


 この時、クラスの心は一つになった。


 皆、教室に入らなければと思っていたのはもちろんなのだが、この“神聖なる二人の世界(サンクチュアリ)”を壊す最初の一人という十字架を背負いたくなかったのだ。担任が試験官だったという幸運を活用し、体よくその役目を押し付けてしまうことにしたのである。


「ささっ、先生、教室にどうぞー」「そうそう、もう時間ですし」「サクッと二人に声を掛けちゃってください」


 先生は若干ジトッとした恨みがましい視線を生徒たちに向けるも、時間が押しているのも事実なので、意を決すると教室のドアに手を掛けるのであった。







 最後の試験も無事終了し、その後のホームルームも終えた後の事。


 担任が清歌と弥生の二人を呼び止め、今朝のように教室に入りにくい状況を作るのはいかがなものかと婉曲な表現で注意を促したところ、キョトンとした表情で「そんな事をしたつもりない」と返されてしまった。


 確かに弥生はノートを見返し、清歌はそんな弥生の絵を描いていただけで、二人とも殊更問題行動をしていたわけでは無い。が、それが引き起こした現象に対する責任が無いとも言い切れず、これをどうやって説明したものかとしばらくの間思い悩むことになるのだが――それはまた別の話である。





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