#11―10
弥生たちに吸い込まれた精霊は、正確には体にではなく、彼女たちが普段もっともよく使っている得物に吸い込まれたらしい。それによって武器には神様の加護が宿り、一段階の強化と、アンデッド系やゴースト系の魔物に対して威力が増すという効果が付与されたのである。なおこの武器を素材としてグレードアップした場合も、これらの効果は引き継がれる。
清歌を除く八人にしてみると、お祭りの奉納舞をただ鑑賞していただけで貰えたものなので、それを考えれば中々に良い報酬なのだが、例によって期限付きで現実の一年で効果が切れてしまうとのこと。ちなみに先日購入した神棚では、この効果を延長することはできない。――というか、武器を乗せられるほど神棚は大きくない。
「ふむふむ……期限付きの強化か。舞を見てただけなんだから、結構良いモノ貰えたね! あ、でも……」
考えてみると、これまで<ミリオンワールド>でゾンビだの幽霊だのという魔物に遭遇したことが無い。RPGというかファンタジーの定番モンスターなので、きっと何処かに出現するのだとは思うのだが、正直言ってこのリアルなVRでは遭遇したくない類の相手ではある。弥生は基本的に前に出るタイプなのでなおのことだ。
同じ想像をしたらしい悠司も何やら渋い顔で相槌を打つ。
「古典的なゾンビにしてもウィルス的な方にしても、あんま遭遇したくないわな。……俺らの方では見たことないんですけど、オネェさんの方では見たことあります?」
「私たちの方でもないわ。ただアルザーヌには町の外に墓地らしき場所があるのよね」
「あそこには出るんじゃないか……って、掲示板では噂されているニャ」
何故そんな所にあるのか? というような場所に墓地があるのも、そこにアンデッド系の魔物が沢山湧いて出るというのもRPGの定番の一つだ。そして<ミリオンワールド>はその手の定番を外さないので、可能性は低くないだろう。
「せっかく加護を貰ったんだから、今度行ってみるのニャ!」
「そお……ねぇ……あんまり気は進まないけど。出来ればゴースト系を希望したいところね」
行く気満々のニャーさんに対してオネェさんは若干渋い表情だ。二人の様子を見るに、グロ耐性がある云々ではなく、所謂ゾンビの類をどれだけリアルに想像できているかの違いようだ。――目の当たりにしたときのニャーさんがどんな反応をするのか少々心配なところである。
「……それにしても、イツキの神様は期間で区切るのが好きなのね。どうせなら気前よく永続的な加護をくれればいいのに……って思うのは私だけかしら?」
オネェさんと同様、ゾンビに遭遇したくない派の絵梨が話を逸らした。
ちなみに絵梨は小説や映画、テレビゲームなどの媒体ならば、ゾンビだろうが幽霊だろうが問題なく鑑賞できる。ただお化け屋敷の類は苦手であり、特に自分で歩いてゴールまで辿り着かなくてはならないタイプは決して手は出さない。この点は弥生も同様である。
画面越しや活字の上でならエンターテインメントとして楽しめるが、実物が伴うと、それが作り物と分かっていても怖いのである。特にウォークスルー型お化け屋敷の場合だと、運動が苦手なことに起因する対応能力の低さも相まって恐怖は倍増なのだ。
「そう思わないでもないが、俺たちは何もしていないに等しいのだから、あまり贅沢を言うものでは無いだろう?」
「そね。……そう考えると、実際に代役で舞台に立った清歌も同じ報酬っていうのは、ちょっと割に合わないわよね?」
絵梨の言葉に、皆の視線が清歌に向かう。
「ああ、これは報酬と言っていいのか分かりませんけれど、舞台に立つ前に<祝詞>というアーツを習得しましたよ?」
「あ~、舞の後の……」「そういえば唱えてたわねぇ」「アレはアーツだったのか」
奉納舞が終わった後で清歌が他の巫女さんと一緒に祝詞を上げていたのを思い出し、弥生たちが納得する。その後の光景が印象深くて忘れていたが、確かにあの時いつの間に覚えたのだろうかと不思議に思ったのである。
さておき祝詞の効果についてである。このアーツは祝詞を唱えることで、声の届く範囲全ての冒険者に対し、HP及びMPの自動回復量と物理魔法両防御力が若干向上するという効果がある。少々微妙な効果のような気もするが、これは魔法とは異なる体系の技術という設定であり、魔法による強化はちゃんと上乗せされる。そう考えると気休め以上の価値はありそうだ。
ちなみにゲーム内時間で二時間効果が持続し、クールタイムは六時間となっている。つまり一回のログインにつき一回のみ使用できるという計算になる。
「なるほど……。うん、ボス戦の前に使っておくと良さそうなアーツだね!」
「そうだな。効果自体はちょいと弱い気もするが、二時間も持続するなら戦闘中に切れることはなさそうだからな」
「ふむ……ところで祝詞というからには、先ほどのようにちゃんと口に出して唱えなければならないという事なのだろうか?」
聡一郎の疑問に清歌が頷く。<ミリオンワールド>の魔法は、所謂“詠唱”に当たるチャージ時間は設定されているものの、実際に呪文を唱える必要は無い。なのでこれは珍しい仕様と言えよう。魔法とは異なる技術体系というのも分かる話だ。
これは余談だが、魔法の仕様を決定する際、味気ないチャージ時間などと言う設定ではなく実際に呪文を唱える仕様も一応検討されたが、これはすぐに却下されることとなった。実際にやってみると呪文を唱えつつ戦闘というのが難しい――というのもあるのだが、呪文を唱えるという行為が割と恥ずかしかったという方が理由としては大きかったそうな。
さておき祝詞の仕様である。これは中二っぽい「黄昏よりも……」とか「我が契約により……」などという呪文ではなく、所謂神道的な台詞回しなのでそういった恥ずかしさは比較的少なそうではある。とは言え、戦闘中に動きながら唱えるのが難しいのには違いない。
「難しいというのもありますけれど、なにより戦闘中は割と騒々しいですから、祝詞が聞こえなくなってしまうのではないかと思いますよ」
「あ~、そっか。声の届く範囲って、そういうことになるのか。じゃあ戦闘中でなくても、凄く煩い場所とかだと効果が無くなっちゃうってこと?」
「恐らくは。逆にとても静かで開けた場所でなら、かなりたくさんの人に効果がでるのではないかと」
そしてそれがこのアーツの一番の特徴とも言えるポイントである。声の届く範囲という指定があるだけで、必ずしも同一パーティーやレイドに属している必要は無いのだ。例えば秋の収穫祭イベントのような場合だと、拠点にメンバーを集めてちょっと高いお立ち台でも用意すれば、全員に効果を付与することも可能なのである。
もっとも冒険者がずらりと並び、神妙に祝詞に耳を傾ける様子を想像すると――
「……なんかそれって、本当に巫女さんにお祓いでもしてもらってる感じよね」
「「「……確かに」」」
その時の絵面を想像し、当然巫女役とならざるを得ない清歌は微妙に困ったような表情をするのであった。
節分と言えば、誰しも幼い時分に「鬼は外、福は内」と豆をまいた記憶があろうかと思うが、いつの間にやら恵方巻というのも風物詩として肩を並べるようになっている。
その年の恵方を向いて巻き寿司を丸かじりすると願いが叶う――などと言われる風習で、由来は諸説あってはっきりしないとかなんとか。近年はコンビニやスーパーでの商戦で盛り上がり、また巻き寿司だけでは頭打ちになったのか、はたまたお菓子メーカーが便乗しようとしたのか恵方ロールと銘打ってロールケーキを売るというもはや由来なんぞどうでも良くなってしまっているきらいすらある。
そうやってブームが過熱する一方、翌日には売れ残りが大量に投棄されることも問題になっており、毎年のようにニュースで取り上げられている。
「ま、つまるところ完全に定着していないモノだから、正確な予測が出来ていないってことなんでしょ」
「ふ~ん、そんなものなのかな? そう言えば去年スーパーで特別コーナーができてたから覗いてみたんだけど、結構高くてびっくりしちゃったよ」
「特別に用意したものだから……なのでしょうか? それで、結局購入されたのですか?」
「ううん。な~んか自分で作っちゃった方が安く上がりそうだったから、適当な具材を買って帰ったよ」
「そりゃ、自分で作れるんだったらそうだろ。……しかし、たくさん売りたいんなら割安にしても良いじゃねーかと思うんだが、なんで高いんだろうな?」
「普段作っていないものを用意するのだから、割高になるのは仕方ないのではないか?」
「フフフ……、もしかしたらロスが大量に出ても十分に儲けが出るように、価格を上乗せしてるのかもしれないわよ?(ニヤリ★)」
「ええぇ~」「闇が深いですね……」「いやいや本当なのか、ソレ?」「ありそうではあるが……」
さて、イベント大好き百櫻坂高校でも恵方巻はしっかり取り入れられており、清歌たちいつもの五人は、料理部主催GIIIイベントの「手作り恵方巻教室」に参加した。ちなみにここ何年かは同じ企画で開催しているとのこと。
用意された様々な具材の中から、自分好みの物をチョイスして太巻きを作る。作り手によってそれぞれ方向性が異なっているのが興味深い所だ。
清歌はローストチキンにチーズ、アボカド、パプリカ、バジルなど、具材だけならピザのような物を巻いている。洋風の物を選択したというよりは、普段絶対に食べられないような巻き寿司を作ってみたかったようだ。チャレンジャーな清歌らしい選択である。
弥生は料理上手な彼女らしく、太巻きの定番具材をバランスよくまとめて彩も良く綺麗に巻いている。スペシャル食材である大トロや鰻をちゃっかり確保して、途中で味が変わるようにしているところなど芸が細かい。
逆に料理に自信が無い絵梨は、下手なチャレンジをすることなく料理部提供のレシピを忠実に守って作っている。ちなみに蟹が結構好きなので、蟹の入っているレシピを使用している。ちなみに蟹は缶詰ではなく、ちゃんと丸ごと購入したスペシャル食材の一つである。余談だが、本当に本物そっくりのカニカマという裏スペシャル食材も用意されていた。
悠司についてはもはや言うまでもないだろう、激辛具材をあれこれ突っ込んでいた。ただあれこれ混ぜてしまっては味が分からなくなってしまいそうなので、弥生のように途中で具材が変わるように工夫した。ちなみ巻いた激辛具材は、山葵、キムチ、食べるラー油(激辛版)、ハラペーニョ、チョリソーなどである。
一人暮らしの聡一郎は、普段は割高であまり手を出せない魚をふんだんに使った海鮮太巻きを作った。棒状に作られた豚カツやチャーシュー――どちらも料理部による自家製――も捨て難かったのだが、そちらは普段食べる機会があるので海鮮となった。
そうして作った巻き寿司を、一応ある種の儀式として皆で恵方を向いて食べる。スペシャル具材に目を輝かせる者、奇を衒い過ぎてビミョ~な味になってしまったらしい者、巻き方に問題があったのか形が崩れそうになって慌てる者など様々だが、皆楽しそうにしている。
ちなみにこのイベントは放課後に行われているので、参加メンバーの殆どは昼食を軽めに済ませて備えていたのである。
「うん、美味しい! 今日は具材が用意されてたからスッゴク楽だった~。その分更に美味しく感じる気がするよ」
「その辺の感覚は私には分からないけど、確かに凄く美味しくできたわ。さすがは料理部お勧めのレシピね」
「私と絵梨は結構使った具材が被ってるよね。……で、全然かぶってない清歌はどう? ピザ風具材の恵方巻は成功?」
弥生に尋ねられた清歌は、咀嚼し飲み込んでから軽く首を傾けた。
「ちゃんと美味しいので失敗ではないかと。……ただ、大成功とも言い難いですね」
「え~っと、その心は?」
「普通にピザにすればもっと美味しいでしょうから」
ひょいと肩を竦める清歌に、弥生と絵梨は「そりゃそうだ」と納得する。顔を見合わせた三人は同時にクスリと笑った。
「で、ソーイチとユージは……って、ま、聞く必要も無さそうね」
「…………(モグモグモグ)」「…………(ガツガツガツ)」
お手製恵方巻に齧りついたまま二人が頷く。ある意味、完璧に恵方巻の作法に則っているといっていいかもしれない。なんでも恵方を向き、無言で、一本を丸齧りで一気に食べるのが作法なのだそうだ。
なので、清歌たちのようにお喋りしつつ、途中でお茶を飲みながら食べるというのは正しい作法ではなく、これでは縁起も何も無いという感じである。
ともあれ皆でワイワイと騒ぎながら巻き寿司を作るのは存外楽しく、清歌たち五人は大変満足してこのイベントを終えるのであった。
もっとも――
「う~、結構……いや、かなりお腹一杯になっちゃったよ」
「ふふっ、太巻きを一本丸ごとですからね」
「清歌は結構余裕そうねぇ……。私は夕飯をかなり少なめにしなくちゃ」
「まあ、カロリー調整が必よ――」「太巻きは糖質が多そう――」
「なんか言った?」「お二人ともそれ以上は……」「フフフ……(ギロリ)」
――ちょっとした弊害もあったようだが、それはまた別の話である。
音楽祭当日。全校生徒で埋め尽くされた講堂では、この日の為に練習してきた生徒たちによる合唱や演奏が披露されていた。
音楽祭はどちらかと言うと静かに鑑賞するものなので、体育祭や文化祭のように分かり易く盛り上がるわけでは無い。しかし噂で耳にしていたように出場者の演目はバリエーションに富んでおり、会場は静かな熱気に包まれていた。
清歌たちのクラスは清歌が特別枠として個人で出演するだけなので、今のところは暢気な一観客として楽しんでいた。座席はクラスごとに区切られているだけで後は自由なので、弥生、清歌、絵梨という並びで座っている。ちなみに絵梨の反対側の隣には聡一郎が着いているのだが、あくまでも聡一郎は男子グループと並んでいるだけである。
今回の音楽祭に際し、実行委員は清歌の――というか弥生と悠司の条件を全面的に呑み、徹底して実行に移している。特に生徒個人による録画録音の禁止に関しては、教室から講堂に向かう際、全員スマホなどの携帯端末を教室に置き、施錠してから移動するようにとクラス委員に通達があったほどだ。
意外なことに百櫻坂高校に於いては、ことイベントに関する限り、このような規定を唐突に要求しても一般生徒は割と素直に従ってくれる。駅伝大会の時もそうだったが、面白くなるかもしれないならば取り敢えずは従ってみるというスタンスなのだ。もっともそれ故に、イベントが盛り上がらなかった場合はキッチリ批判されることになる。
従って今回の場合で言えば、特別枠のステージが大したことなかったと判断されれば、実行委員会は突き上げられることになるだろう。
「まあ、そんなことにはならないだろうけどね」
「? 弥生さん、何の話でしょうか?」
教室を出る時の一件を思い出していたら、いつの間にか声に出ていたらしい。弥生は頬をかいて誤魔化す。
「あはは、なんでもないよ。それにしても実行委員会が約束をちゃんと守ってくれたようで安心したよ」
「ああ、それに関してはちょっと意外だったわね。私はホームルームと開演前に禁止のアナウンスをするくらいかと思ってたのだけど」
「あそこまで徹底してたのは、確かに意外だったかも」
「そね。……ま、問題なのは今年よりも来年でしょうけど」
今回の措置は初めてのことであり、今年から特別枠が設置されたこと、そのトリを務めるのが清歌となれば、誰の要求だったのかは明らかだ。正確には清歌というより弥生たち事務所(仮)の意向なのだが、そんなことを知らない一般生徒はそう認識している。
入学した時からその類稀な容姿から目立っていた清歌は、水泳大会に体育祭に文化祭と悪目立ち――もとい、大活躍したことにより、今や全校で知らぬ者はいない存在と化している。変な話、生徒会長という役職で認識されている香奈よりも、知名度は清歌の方が高いと言えよう。
そんな清歌が舞台に立つのならば、この程度の要求になら従っても構わないと大多数の生徒は思ったという事なのだろう。しかし実際に彼女の演奏を聴いてしまった後でも、同じように従うだろうか?
実際、この音楽祭での発表を鑑賞してみて分かることがある。確かにどの出場者も練習を重ね工夫をしており、中にはとても引きつけられるステージもあるのだが、やはり清歌の演奏は格が違う。仮に来年も清歌が舞台に立つとすれば、たとえ禁止されていると分かっていても録画したいという欲求に抗えない生徒も出て来るのではないだろうか?
弥生たちは現実でも<ミリオンワールド>でも清歌の演奏は何度となく聴いていて、余りにも身近になってしまった故に忘れがちなことだが、清歌の演奏にはそうさせてしまうだけの魅力があるのだ。
「ま~、来年の事は来年考えるしかないよ。っていうか、そもそも清歌は来年も出演する気はあるの?」
「そうですね……」
弥生の問いかけに清歌は自問する。
今回、清歌が出演を決めたのは、何よりも自分の心境の変化を面白いと感じたからだった。イベントに協力してもいい、と思った心に素直に従ったのである。
他にも学校のステージで演奏するのが久しぶりだったことや、百櫻坂の講堂がどういう舞台なのかを知りたかったという理由もあるが、それらは補足というか蛇足というか、とにかくあまり重要なポイントではない。
差し当たり、そういった動機はこれからのステージで全て満たされてしまいそうだ。となると、来年も同じように出演したいと思えるかというと――正直言って微妙なところだ。そして清歌は自分でやりたいと思えないことは、他人からどれだけ期待されていたとしてもアッサリかつニッコリと断ってしまうのである。
「弥生さんの仰る通り、来年の事は来年にならないと分かりませんけれど、余り可能性は高くないような気がしますね」
「やっぱりか~」「ま、学校の音楽祭なんて一度でいいかもねぇ」
「あ、もちろん皆さんがお望みであれば、喜んで出演しますよ?(ニッコリ☆)」
などと、清歌がちょっと悪戯っぽい笑顔でのたまう。
弥生たちは特別だと言われて嬉しい反面、これは非常に悩ましい問題でもある。場合によっては、本当に清歌専門の校内芸能事務所として機能せざるを得なくなる可能性すらある。
なんとなく耳に入ってしまっていた聡一郎も含め、何ともビミョ~な気持ちになった三人は、今この場にいない悠司を羨ましく――恨めしく?――思うのであった。
この時、理不尽な何かを察知した悠司が悪寒を感じて身震いしたとかなんとか。
特別枠の演奏は、教師陣の中心の有志による演奏である。体育祭以降活動している例の教師連バンド――まだバンド名は決まっていないそうな――による演奏に始まり、教師と生徒による弦楽四重奏、そして音楽教師連合によるピアノと声楽と謎の民俗楽器によるコラボ演奏と続き、残るはトリを務める清歌のみとなった。
音楽教師の一人がかなりたくさんの楽器を持ち込んだので、ちょっと片付けに手間取っている。そんな中、前の方の席からの会話が弥生の耳に届いた。
「そう言えば教室にケータイを置いてこなきゃいけなかったのって、この後の黛さんが要求したからなんでしょ?」
「噂だけどそうみたい。それがどうかしたの?」
「いや、べーつにー。黛家のお嬢様はやっぱお高く留まってるのかなー、なんて思って無いよー」
「ソレ、言ってるのと同じだし。あー、でもお嬢様だからって特別枠なんて用意しなくてもいいのに、とは思った」
「でしょ? だいたいあんなに美人で、ただそこに居るだけで目立つんだから、別に舞台に立つ必要なんてないと思わない?」
「まあね。にしてもこの後に演奏って、ちょっと可哀想かもね」
「さっきのは凄かったもんね。ま、どーでもいいんだよ、演奏の内容なんて。みんな黛さんが舞台に立つだけでいいんだろうし」
――どうやら清歌のことを全く知らない女子生徒が、噂と憶測を元に話しているようだ。別に清歌でなくともちょっと可愛かったり優秀だったりすれば、このくらいのやっかみや陰口は普通にあるものだ。実際、弥生や絵梨もその対象になった経験がある。
とはいえ、友人としては聞いていて気持ちのいいものではない。弥生が眉を顰めて、何やら不穏な空気を漂わせる。それに気づいた絵梨は、大丈夫だとは思いつつも一応釘を刺しておくことにした。
「ちょっと弥生、反論なんてしなさんなよ? 逆効果なのはあんただってよく知ってるでしょうに(ヒソヒソ)」
「分かってるってば、そんなこと。でも清歌の事を知らない他のクラスでは、あんな風に思われてるのかって思ったら、なんかこう……モヤモヤというかムカムカというか……(ヒソヒソ)」
「陰口なんてそんなモノよ。そもそもあの程度、清歌にとってはそよ風みたいなもんでしょ。精神衛生上、シカトするのが一番よ」
「む~、大人の対応」
「この場合、ずる賢い、もしくは利口な対応というべきでしょうね。本当に大人で人格者なら、ちゃんと窘めて納得させるわよ」
「ふむふむ。……まあ、いっか。どうせこの後すぐに、清歌が実力で黙らせちゃうんだし」
「……そう考えると、的外れなことを言ってたあの子たちがちょっと気の毒ね(ニヤリ★)」
そんなヒソヒソ話をしている内に舞台の準備が整ったようだ。
会場が静まり返ったちょうどそのとき、舞台袖から清歌が現れた。穏やかな表情、ピンと伸びた姿勢、美しい歩き姿、全てがいつも通りで緊張した様子は微塵も無い。
ピアノの前で客席に向かって一礼した清歌は、ピアノの椅子に着き、マイクのスイッチを入れた。予定しているのは三曲である。ちなみに特別枠の出演者は、全員曲目をプログラムに明かしていない。
一曲目が始まった時、弥生たちいつものメンバー以外の殆どの者が「おや?」と驚いた。お嬢様然とした清歌の佇まいから、てっきりピアノ曲そのものや、お堅い感じの曲が来るものとばかりに思っていたのだ。
ところが蓋を開けてみたら、数十名からなる大所帯アイドルグループの何年か前に大ヒットした曲だったのである。
実は清歌の出演が決まった後、<ミリオンワールド>をプレイした後にマーチトイボックス全メンバーでカラオケに繰り出し、選曲会議を行ったのだ。なので選曲に関しては、弥生たちがほとんど主導してしていたといっていい。
この曲はチョコではないが一応お菓子の名と恋がタイトルに入っているから、バレンタイン向きなのではないかということから選ばれのである。なおバレンタインそのものを題材にしているディスコな曲も候補に挙がったのだが、音の方向性が余りにもピアノ向きでは無いことと、基本的にダンスパフォーマンスありきの曲なのでボツとなっている。
無論今歌っている曲もピアノ曲ではないのだが清歌は見事にピアノアレンジしており、また歌声も素晴らしく、この一曲だけでも多少のやっかみなど吹き飛ばしてしまったことだろう。変な話、この曲を歌っているアイドルグループの歌唱力の低さが浮き彫りになってしまい、少々ファンの方々にはお気の毒な感じである。
一曲目が終わり、その余韻が消えた瞬間、会場からはどよめきと大きな拍手が贈られた。
会場が落ち着いた頃を見計らって二曲目が始まる。こちらも恋がテーマとなっているもので、とあるドラマのテーマソングとして――というか妙な振り付けのダンスで――大ヒットした曲である。
二曲目もキャッチーな選曲であり、客席の生徒たちも楽しそうだ。中には小さく手だけで振り付けを再現している者もいる。
会場は大盛り上がりで、特別枠は大成功したと言っていいだろう。――少なくともここまでは。
「ねぇ、弥生。結局三曲目って聴けたの?(ヒソヒソ)」
清歌の座っていた席に身を乗り出した絵梨が、弥生に耳打ちする。
「ううん。あ、でも中学時代に作った曲なんだって。作詩をしてくれた友達に、この間許可を貰ったって言ってたよ?(ヒソヒソ)」
鑑賞の邪魔にならないよう、細心の注意を払って二人はヒソヒソ話をする。
「……待って。それってもしかして例の生徒会のお友達ってこと?」
「うん、そうだって。……だから、ちょ~っと、ね?」
顔を見合わせた二人は、そこに「なにかとてもヤヴァイ香りがする」と書いてあるのを見て取った。何しろ清藍女学園というお嬢様学校に於いて、中学生でありながら様々な伝説を作った、かの生徒会のやる事である。何かやらかす為に企てたことなのではないかと疑いたくもなろうというものだ。
頭の中で派手に警鐘が鳴り響いているのだが、ここに至ってはもはや成り行きを見守るしかない。
二曲目が終わり、再び大きな拍手が巻き起こった。
ピアノの前に座る清歌が目を閉じ、軽く深呼吸をする。
再び清歌が目を開いた瞬間、さぁーっと波が引くように拍手が止まった。舞台上の清歌の放つ圧倒的な存在感に、誰もが呑まれてしまったのである。
そして静かに最後の曲が始まった。切なく美しいメロディーに乗せて、清歌の透明感のある声が響く。
歌は大切な人に向けた思いが綴られた物語だった。
とても大切な人で、一緒にいると嬉しくて、ただ楽しく毎日を過ごしていた。いつまでも続くと思っていたけれど、その人とは遠く離れてしまってもう会うことはできなくなってしまう。
伝えたい言葉が、届けたい想いが沢山あった。なぜいつまでもあの眩しい時間が続くと思っていたのだろう? なぜもっとちゃんと言葉にしなかったのだろう?
あなたが好きだった季節が過ぎ去り、あらゆるものが姿を変えていってしまう。それでも私は、あなたが好きだと言ったこの街で、あなたと夢見ていた未来に向かおう。
――そんな大切な人との別れを経て、沢山のものを喪い後悔を抱えながらも、前を向いて歩いて行こうという決意が込められた詩だ。そして伝えたい想いがあるなら、一歩踏み出してちゃんと言葉にしようというメッセージも込められている。
歌詞の内容だけならば、とても前向きな詩だ。しかしひび割れる寸前の、今にも泣きだしそうな歌声が、歌詞とは裏腹の心を伝えて来る。
大切な人との夢を叶えるために、前を向いて歩く決意はしている。あの人もきっとそれを望んでいるはずだ。けれど、どうしようもなく悲しい思いが溢れてきてしまう。
そんな声にならない叫びが観客の胸を打った。
いつの間にか、客席のあちこちからすすり泣く声が聞こえていた。ぽろぽろと零れ落ちる涙をぬぐおうともせず、ただじっと耳を傾けている者もいる。
――そして曲が終わり、清歌が立ち上がって優雅に一礼をする。
一瞬の静寂の後、先ほどよりも更に大きな拍手が起こった。観客は皆立ち上がってのスタンディングオベーションである。
清歌が舞台袖に引っ込み、拍手が鳴りやんでからもまだ客席のあちこちから鼻をすする音が聞こえてくる。客席全体が余韻に浸っているような感じで、暫くはこの後のプログラムに移れそうにない。
そんな中、清歌がひょっこりと客席に帰って来た。
「ただ今戻りました」
「お帰り清歌。良いステージだったわ。特に最後の曲は感動しちゃった」
キラキラと涙ぐんだ瞳でやや鼻声の絵梨が、清歌に労いの声を掛けた。
「ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいです」
清歌が席に着くと、隣の席の弥生にポカリと二の腕をとても軽く叩かれた。弥生は顔を伏せているので、フワフワの髪に覆われてしまって表情はうかがい知れない。が、時折肩が震えているので、どうやら泣いているようだ。
絵梨の方に視線を向けると、苦笑気味にお手上げポーズをされてしまう。
「弥生さん?」
「も~、ひっ、酷いよ清歌。あっ、あんな、歌を歌うなんて。いきなり、あんなの聞かされちゃったら……。も~、も~~~~っ!」
「ありがとうございます、弥生さん」
「わ、私は、怒ってるんだよ、も~~」
ポカポカと叩きながら苦情を言う弥生に清歌は目を細めると、彼女が落ち着くまでゆっくり何度も髪を撫でるのであった。