#11―08
香奈の頼みごととは、つい先ほど清歌と弥生の話題にも上っていた音楽祭に、特別枠で清歌にも出演して欲しいという内容だった。特別枠には今のところ、先生方による例のバンドや音楽教諭による演奏が決まっているとのこと。
話を聞いた二人――弥生は厳密には無関係だが成り行きで一緒に聞いていたのだ――は、香奈に少し待つように断りを入れて後ろを向くと、頬を寄せ合ってヒソヒソ話を始めた。
「このお話、悠司さんから何か聞いてらっしゃいますか?」
「ううん、全然聞いてない。だからきっと、すごく急に決まったことなんだと思うよ」
「つまり、特別枠自体が急遽設けられたということになりますね」
「ま~先生方も参加するって言ってるけど、本命は間違いなく清歌だよね」
「……けれど私が百櫻坂高校で歌ったのは、文化祭での弾き語りくらいのものですよ?」
「あれ? そういえばそうだよね。あの時の清歌は、雰囲気作りのためにあんまり目立たないような感じで歌ってたから……」
あの程度の演奏をしたくらいで、わざわざイベントのプログラムを変更してまで清歌を出演させようとするだろうか? と、二人の見解は一致した。
参加するかはさておき、先ずは疑問点を解消しておこうとヒソヒソ話を止めて香奈に尋ねる。すると香奈は困ったような、やや呆れたような表情で一つ小さく息を吐いた。
「その弾き語りが、既に伝説みたいに語られてるのよ。……知らなかったの?」
そんなアホなと吹き出した二人であったが香奈の表情が思ったよりもマジで、まさかと思い視線で尋ねると、彼女は目を閉じて重々しく頷いた。
どうやら本当らしいことが分かり、二人はそれぞれ溜息を吐いた。
もっともこの点に関しては、二人の認識が一般的百櫻坂高校生徒からズレていると言っていい。
ただでさえこの上なく目立つ容姿をしている清歌が、ごく一般的な高校生基準で考えれば十分素敵な演奏をしていたのだ。しかも文化祭という特別な雰囲気の中、それっぽい衣装を着て、である。つまり清歌としては軽く演奏していたつもりでも、雰囲気との相乗効果でとても素晴らしく聴こえたという側面があるのだ。或いは清歌の全く気負わない自然な態度も、その印象を強めていたのかもしれない。
その上クラスの出し物としては喫茶店だったこともあり、この時の弾き語りを聞き逃した生徒も多い――というか、聴けた生徒の方が少数派だ。それゆえに噂に盛大な尾鰭が付き、元気よく泳ぎ回ることになってしまったのである。
「ま、まあ噂については置いておいて……。結局は清歌を目当てにして特別枠っていうのを作ったってことですよね?」
弥生の指摘は痛いところを突いていたようで、香奈は困ったような微苦笑をして、ちょっと首を傾げて見せた。
「うーん……、実行委員長たちがハッキリとそういったわけじゃないんだけど、恐らくそういうことだと思うわ」
「なるほどねぇ。つまり実行委員長は清歌を引っ張り出したいがために、生徒会長に泣きついた……っていうところですかね?」
「ふむ。確かに初対面の先輩がいきなり来るよりも、面識のある生徒会長の方が話をし易いからな」
と、ここで既に教室に来ていた絵梨と聡一郎が口を挟んだ。どうやら二人とも、少し離れて話は聞いていたようである。
「でも、だったら実行委員長も会長と一緒に来るべきだったんじゃないですか? 清歌にお願いする立場なんですから」
「そうなんだけど……、先輩が何人も下級生の教室に押しかけてお願いなんてしたら、圧力をかけてるようにしか見えないでしょ? だから相談して私一人で来ることにしたの」
「圧力……って」「かかる……のかしら」「う~む。相手が悪いような……」
弥生たち三人から何とも言えない視線を向けられた当の清歌は、キョトンとした表情で軽く首を傾げている。
香奈たちとしては配慮したつもりなのだろうがそれは杞憂というもので、このお嬢様は先輩の二人や三人が押しかけて来たところで微塵も動揺することは無いだろう。弥生たちのビミョ~な表情を見て、香奈自身も確かに無用の配慮だったかもしれないと思うのだった。
それはさておき絵梨の推測は正しくその通りで、清歌と面識のある香奈は実行委員長からの依頼で、こうして清歌に出演の打診にやって来たのである。
生徒会は基本的に個別のイベントに肩入れすることは無い。数多くのイベントが開催される百櫻坂高校に於いて生徒会は、それらの予算配分やスケジュール調整などを行うのが主な仕事なのだ。
なので本来であれば、生徒会長たる香奈が一生徒に対し特別に出演依頼に来るというのはあまりよろしくない。これが変な前例となってしまうと、他のイベントでも生徒会長が何かと駆り出される――もっといえば利用されてしまう――可能性ができてしまう。
それを理解した上で香奈がこの依頼を引き受けたのは、音楽祭で清歌の演奏や歌を聞きたいという要望を周囲で耳にしたことがあり、また生徒会の方にも投書として届いていたからである。ついでに言うと常日頃悠司が素晴らしいと言い、妹の結衣までもが家で聞いたことがあるという清歌の歌を自分もちゃんと聴いてみたかったという、かなり個人的な願望もあったのだが――これは内緒の話である。
「音楽祭っていうイベントは、バレンタインデーに開催されるっていうのもあるんだと思うけど、なんて言うかこう……とても楽しくて華のあるイベントなの。一応順位は決めるんだけど、そんなことは二の次でね」
「合唱コンクールみたいなのを想像してたんですけど違うんですね」
「ええ。衣装に凝ってたり、ダンスをしたり、歌って言うよりは殆ど台詞で演劇仕立てにしたり……とにかく色々あるの」
「あ~、だから印象点なんですね。上手い下手じゃなくって、どれだけ強い印象を受けたかを審査すると」
一般生徒の審査員が付ける点数が何故“印象”なのかという謎が解けて、弥生は思わずパチンと手を合わせる。
香奈がは「そうそう」と頷くと、思い出し笑いをしつつ去年の音楽祭に出場したとある団体のネタを披露した。
「どう考えても明らかに特定の個人に向けたメッセージを歌っていたバンドがあったわ。まあこれもバレンタインデーのイベントならではってところかしらね」
ちなみに驚くべきことにそれは去年の話だけではなく、毎年必ず一~二組はいるのだそうな。これもまた一種の伝統と言える――のかもしれない。
「……それで、どうかしら? あなたの演奏や歌を聴きたいっていう生徒が沢山いるのは本当だし、生徒会長としても私個人としても出演してくれると嬉しいわ」
香奈が清歌の目をちゃんと見て改めて言う。弥生たちのように慣れてしまっているならともかく、清歌の目を見て話をできる人物というのは男女問わず、それこそ教員であっても少ない。そういう意味では、香奈はなかなか生徒会長向きの人物であると言えよう。
この時、弥生たちは清歌が回答した後でどうフォローを入れようかと考えていた。
ちなみに予測を承諾と拒否の比率で言うと、弥生は五分五分より若干承諾より、絵梨は承諾三に拒否七、聡一郎は承諾六に拒否四という感じに予想していた。比率の違いは誤差の範囲であり、要するに三人ともどっちに転がる可能性もあると考えていたのである。
清歌は基本的に他人の要請やら思惑やらで自身の行動を決定づけることは無い。特に今回のような自分とは無関係のその他大勢による願望など、清歌はサラッとスルーしてしまう。なので清歌がこのイベントに出演するか否かは、彼女がこのステージを面白いと思うか否かにかかっていると言えよう。
拒否した場合は、先輩相手に余り角が立たないようにフォローするべきだ。もし承諾した場合は、下手に話が大きくなり過ぎないように注意する必要がある。清歌は周囲に与える影響に関して無頓着なところがあるので、その辺は周囲の人間――今回は弥生たちということになる――がしっかりマネージメントしなくてはならない。
ある意味香奈よりも身構えていた弥生たちにとって、清歌の返答はとても――それこそそんな可能性は全く無いと思っていたほどに意外なものだった。
「少し……考える時間を頂いても宜しいでしょうか?」
結局、清歌は放課後に生徒会室へ返事に伺うと約束して、生徒会長との話は終わりとなった。香奈はまた教室に来ると言ったのだが、帰る途中に立ち寄るだけなのでそのようになったのである。ちなみに実行委員会室ではないのは香奈のメンツを立てたから――ではなく、初対面の人に自己紹介から始めるのはハッキリ言って面倒臭いから、香奈に引き続き窓口役になって貰うことにしたのである。
その後、何事かを考えている様子の清歌はそっとしておいて、弥生が悠司に連絡を取って状況を伝えた上で情報集めに専念した。
――そうして迎えた昼休み。清歌たちいつもの五人はラウンジの一角を陣取って昼食兼会議と洒落込んで(?)いた。
「……で、悠司は香奈さんから何も聞いてなかったの?」
「ああ、な~んも知らなかった。一応メールを入れて聞いてみたんだが、義姉さんに話が来たこと自体昨日の事だったらしい。昨夜は夕飯の後は何か忙しそうにしてたから、話す暇が無かったみたいだな」
「ん? それならば夕食の時に話せばよかったのではないか? こう言っては何だが、清歌嬢と生徒会長は面識があるとはいってもさほど仲が良いわけではあるまい?」
「そね。悠司から用件だけでも清歌に伝えておいた方が賢明よね」
聡一郎と絵梨による追及に対し、悠司は食事の手を止めると「キリッ!」という効果音が聞こえてきそうな程の真顔で堂々と言い放った。
「何を言ってるんだ? 夕食の時間は結衣の話を聞くに決まってるじゃないか」
「このシスコンが!」「シスコンですね~」「処置無しね」「フォロー出来んな」
どうやら里見家の夕食は、少なくとも悠司と香奈にとっては結衣をちやほやと構い倒す時間と決まっているらしい。四人はわざとらしく大きな溜息を吐くと、その点についてはこれ以上突っ込まないことにして本題へと戻ることにした。
「相当慌ててるみたいだから、きっとスケジュール的にギリギリだったってことなんでしょうね」
清歌の返答如何に関わらず、特別枠自体は既にプログラムに組み込まれているらしい。つまり場合によっては清歌という目玉がいない特別枠という事態もあり得るということだ。
本来ならもう少し余裕をもって、まずは香奈を介して悠司から清歌に参加の意思を確認するなりして、ある程度の確約を得られてから特別枠の設置に動くべきであろう。それが出来なかったのだから、これはかなり急いでいたのだろうと絵梨は推測したのである。
「まあ、音楽祭に参加するクラスは遅くとも年明けから練習してるからね」
「遅くとも、ですか? では、早いクラスは何時頃から練習しているのでしょう?」
「二年生はほぼ毎年全クラスが音楽祭に参加するんだけど、熱心なクラスだと冬休みに集まって練習してるみたいだよ」
「へ~、それはまた熱心ねぇ……。まあ時期的に二年生が中心になるのは当たり前の事よね」
「うん。……それでも毎年、何組かはクラスで参加する三年生がいるっていうのがこの学校の凄いところなんだけどね」
弥生が委員会で聞いたことを話すと、それでこそ百櫻坂高校だよねと全員が妙に納得していた。彼女たちも百櫻坂高校の流儀に大分染まっているようである。
「ああ、それから投書の件だが、ざっと聞き込みをしたところウチのクラスからも何人か実行委員会と生徒会に出したやつがいるらしい」
「やっぱり文化祭で聴き逃したから?」
「ま、そういうこったな。噂を聞いたり、聴いた奴から自慢されたりして悔しかったんだとさ」
悠司の話に弥生はなるほどと頷く。どうやら香奈が言っていたように、噂はかなり派手に独り歩きしているようだ。そして噂というものは大抵の場合当事者を避けて通るものだから、噂の主役である清歌と、共に行動することが多い弥生たちの耳に入らなかったのは当然と言えよう。
「集めた情報はこんなところかしら? 実行委員会が苦肉の策で特別枠なんて作ったっていうのも……、ま、分からなくはないわよね」
そう言って絵梨はお弁当のおかずの定番である卵焼きをパクリと口に放り込む。
「だよね。面識があるから駆り出されちゃった香奈さんは、ちょっとお気の毒だったかもだけど……」
これまたお弁当の定番おかずである唐揚げを箸で摘まんだ弥生が、少し言葉を濁しながら悠司を窺う。悠司はキノコの炊き込みご飯を箸で四角く切り取って口に運んでいるところだった。
「まあそこは生徒会長の仕事でもあったから気にして無いと思うが……。それにしても噂ってのは凄い……っつか、怖いな」
「うむ。そんなに話が大きくなっているとは思っていなかったから、正直驚いたな。或いは清歌嬢の演奏が割と身近な俺たちは、感覚がマヒしてるのかもしれん」
そう言った聡一郎の本日のお弁当は、白ご飯に梅干しと冷凍食品のおかず詰め合わせ&ゆで卵というものである。もちろん自作であり、ゆで卵を卵焼きにバージョンアップするのが目下の課題である。
「それはちょっと怖い話ね。……でもまあ驚いたというならそんなことよりも、ね」
「うん。すっごく驚いた。思わず声を上げちゃいそうだったよ」
「っつか、俺なんかメールを二度見したぞ」
「だろうな。目の前の事でも、信じられなかったくらいだからな」
四人の向けた視線の先では、清歌がサンドイッチをパクついている。ちなみにハムやたまごサラダにツナマヨなどの定番に加え、カツサンドもあるという結構ガッツリ系のサンドイッチ弁当である。――それでもどことなく上品に見えるあたり、さすがはお嬢様スキルがカンストしている清歌と言うべきであろう。
弥生たちが何をそんなに驚いているのか? それは清歌が返答を保留したことについてだった。
清歌は決断に迷うことは無く、何事も即断即決するイメージが弥生たちにはあり、それは概ね事実でもある。
例えば沢山ある項目から一つを選ぶような場合でも、じっくり吟味することはあっても絞り込んだ候補のどれにするか迷うようなことは無い。また一度何かに決めた後で、「いや、やっぱりあっちの方にしようかな?」などと考え直すようなことも無い。優柔不断とは無縁の性格なのである。
そんな清歌が参加するしないという二者択一のシンプル極まりない決断を保留したのだ。清歌の性格をよく理解している弥生たちが驚いたのも無理からぬことである。
「でもさ、なんとな~く……だけど、清歌は参加するかしないかで迷ってるわけじゃないよね? っていうか、多分そこはもう決めちゃってるんでしょ?」
弥生の言葉に皆が清歌へ視線を向ける。すると清歌は「そうですね」と頷いた。
清歌は少しの間考えを纏めている様子だったが、一口お茶を飲んでから徐に語り出した。
「まず根本的に私は、いわゆる日本的なバレンタインデーというものに、あまり良い印象を持っていません」
お菓子メーカーの陰謀などとはよく聞く話だが、まんまと乗せられてチョコレート等を渡すということ自体をある種のイベントとして楽しんでいるような面が一部に見受けられる。そういった者にとって、チョコを渡す対象として清歌はうってつけの人物なのだが、勝手にイベントの当事者にされてしまうのはあまり愉快な話ではない。
またそれとは別に、バレンタインデーの雰囲気に乗せられて想いを伝えるということ自体に、清歌は疑問を感じる。相手との関係を変えようと一歩踏み出すのにはエネルギーがいるものだが、それは誰かの後押しやイベントの勢いの力を借りるのではなく、自分自身で勇気を出して行うべきだと思うのだ。もし一人でそれが出来ないのであれば、まだその時期ではないという事なのだろう。
一方で告白というとても大事な決断を、イベントのネタにしてしまっているようなところにも、何やらモヤッとするものがある。本命だの義理だの友だのと、場合によっては誤解とトラブルを生む元にもなりかねない。
想いを伝えるという行為自体はとても大切なことだと思うからこそ余計に、バレンタインデーというイベントに関して、清歌は否定するほどではないにしても懐疑的なのである。
「確かに勘違いから大惨事に発展することもあるよね……。っていうか、中学の時に実際目の当たりにしたことあるし」
「ああ! あれなー、中二の時だったっけか? 確か弥生は事態の収拾に駆り出されて、休み時間に走り回ってたよな」
「ホンットーに、勘弁してほしかったよ……」
清歌の話から中学時代にあったトラブルを思い出してしまったらしく、弥生がハイライトの消えた虚ろな目を過去に向ける。
「ま、傍から見る分には結構面白かったわよ(ニヤリ★)」
「絵梨……。当事者にとっては深刻な話なのだから、それを面白いというのは……」
「そうは言うけどねぇ……。勘違いから始まる恋愛トラブルなんて、他人からすればただの笑い話よ? そもそもトラブルの種は自分で蒔いてるんだし、自業自得ってやつでしょ」
聡一郎が窘めるも、絵梨はそれを自業自得の一言でバッサリ切り捨てた。
ちなみに弥生が仲裁に駆り出されたトラブルとは、クラスの女子が義理のつもりで渡したチョコを本命だと勘違いしたことに端を発する三股疑惑からの騒動である。その女子が結構可愛い子であったこと、チョコを渡す時たまたま――と本人は言っていた――二人きりだったこと、チョコを渡された男子の一人に彼女がいたことで、単なる勘違いが複雑かつ深刻な事態になってしまったのである。
幸か不幸か男子三人と巻き込まれた彼女がそれぞれ別のクラスだったために、教室内がギスギスした空気になるようなことは無かったのだが、逆にトラブルの発覚が遅れてしまい、非常に面倒な事態になってしまったのだ。結局当人たちだけで解決することができずに、弥生を含む関係者の友人が数人仲裁に乗り出すことになったのだ。
「中学時代と言えば、清歌はカリスマ副会長だったんでしょ? バレンタインなんて大変だったんじゃないの?」
「いいえ、それ程でもありませんでしたよ。……というのも、清藍女学園ではバレンタインデーにチョコなどの食べ物を贈るのは原則禁止で、代わりにメッセージカードを贈るというようになっていますので」
「あら、なかなかいい風習ね。清歌の代からの話……じゃないみたいね?」
「ええ。以前とても人気のある先輩が、バレンタインに山ほどのチョコを貰って大変なことになったことから生まれた風習なのだそうです」
「なるほど。……女子校ってのは定期的にそう言う人物が現れるのかね?」
「え? 私に聞かれてもさ~。……っていうか話がズレてる! とにかく清歌がバレンタインに良い印象を持ってないのは分かったし、その理由も理解できるけど、音楽祭はバレンタインと直接は関係ないよね?」
話があらぬ方向へ流れそうになったことに気付き、弥生が本流へと引き戻すべく清歌に質問を投げた。なお生徒たちの間では音楽祭ではなく、バレンタインイベントなどと呼ばれることもあるのだが、直接的に関連のあるイベントではない。
「そうですけれど、バレンタインの雰囲気を盛り上げるのに一役買っているのは事実ですよね?」
清歌に問い返された弥生は素直に頷く。なにしろ開催日がバレンタインデーなのだから、全くの無関係ということは無い。
「だからこそ……」
清歌はそこで一旦言葉を切ってやや目を伏せた。やがて微笑に近い曖昧な表情を浮かべると、自分の思いを吐露した。
「不思議……だったのです。香奈さんから話を伺って、とても自然に出演しようと思えたことが」
清歌の言葉を聞き、弥生たち四人は大きく息を吐いた。それこそがこの話し合いの核心部分だ。
つまり清歌は出演すること自体は既に心に決めていた、という訳である。ただそれは良い印象を持っていないバレンタインの片棒を担ぐようなものなので、何故自分がそうしようと思ったのかが分からなかったのだろう。
ある意味、感性の人である清歌らしいと言えばらしい話ではある。直感が命じるままにやると決めておいて、動機や理由については後からじっくり考えているのだから。
「それでずっと考え込んでたのねぇ。……で? 心境の変化について何か分かったことはあるのかしら?」
絵梨の問いかけ対し、清歌は悩まし気な表情でゆるゆると首を横に振る。どうやら自分の心の解読は、彼女にとって難しいことのようだ。
そんな意外な一面に弥生は小さく微笑むと、空っぽになったランチボックスを片付けつつ口を開いた。
「私は……なんとなくだけど、そんなに不思議でもないんじゃないかなって思うよ?」
「弥生さん?」
「もちろんこれが正解かは分からないけどね? ……ほら、去年は私らも恋愛絡みの話に首を突っ込むことになったでしょ。夏には早見くんと仙代先輩の話で、秋には天都さんと五十川君の話。まあ天都さんたちの方は現在進行形なわけだけど」
どちらも言ってみればイベントをきっかけにして関係を先に進めたと言っていい。
言うまでもなく、この二組の場合はイベントの勢いに任せて告白したわけでは無い。早見と仙代の場合は時間をかけて育んできた想いを伝えるきっかけとして、たまたまタイミングが合った<ミリオンワールド>を利用しただけで、天都と五十川の方はイベントをきっかけに変化はあったものの交際を始めたわけでは無く、今でもマイペースに少しずつ距離を縮めているところだ。
清歌が言うように、多分告白とは本来自分自身で勇気を出さなきゃいけないものなのだろうと弥生も思う。しかしながら誰もが清歌のように潔く決断できるわけでは無い。最後の最後でほんの少しだけでいいから背中を押して貰いたいと思うこともあるのではないだろうか? そしてそのひと押しが何かのイベントだったり、友達の協力だったりするのは、別に悪いことではないはずだ。
「そんなことがあったからね。ま~バレンタインっていうイベントそのものの印象はこの際別にして、恋する女の子に演奏でエールを送るのも悪くないかもって、清歌は思ったんじゃないかな?」
弥生の分析はなかなかに説得力があり、四人は真剣に聞いていた。弥生はこれまで様々な相談ごとに乗ってきた経験からか、こんな風に時折とても鋭い考察をすることがあるのだ。
「なるほど……確かに、その通りですね」
清歌が半ば無意識に小さく呟く。
「ありがとうございます弥生さん! これでスッキリしました」
満面の笑顔でお礼を言う清歌に、逆に弥生は慌てて付け加えた。
「待って待って! あくまでも私の想像なんだからね?」
「ええ、もちろんそれは承知しています。その上で弥生さんの推測は、とてもすんなり納得できましたので」
清歌は右手を胸の辺りに当て、目を閉じて一つ大きく頷いた。朝からこっち、ずっと何かを考えているような表情が、すっかりいつもの彼女に戻っている。どうやら自分自身の心の謎は解明されたようだ。
そういうことであれば、議題は先に進めなくてはならない。というか弥生たちにとってはこれから先の話の方が重要と言えよう。
「ま、なんにしても良かったわ。……さて、じゃあ謎も解明されたことだし、やっぱり清歌は出演するつもりってことでいいのかしら?」
「はい。学校のステージは久しぶりですから、ちょっと楽しみですね」
絵梨の問いかけに、清歌は全く躊躇することなく返答した。いつもと変わらない様子――と、弥生たち以外だったならばそう感じたことだろう。
しかし、とても密度の濃い時間を共に過ごしてきた弥生たちには分かる。このお嬢様は何やら妙にワクワクしているご様子だ、と。
これはマズいかもしれない。今のうちに釘を刺しておくべきではないかと、四人は素早く目配せを交わした――のだが、ほんの少しだけ遅かった。
「せっかくですから恋する女の子の為に、とびきりのエールを送ってあげたいと思います」
――などと清歌がニッコリ笑顔でのたまう。こうなってしまった清歌を、一体誰が止められようか。
推測を語る過程で余計なヒントを与えてしまったらしい弥生に、清歌を除く三人がジト~ッとした視線を向ける。
「弥生、あなたねぇ……」「あんなこと言うから……」「うむ。責任重大だな」
「ちょっ、濡れ衣だよ~!」
何やら今後のフォローを丸投げしようとしている感が丸出しの仲間たちに、弥生は抗議の声を上げる。
ただ悲しいかな、リーダーとしての性とでも言うべきか、理性的な部分でこれはちゃんと自分がフォローしなくてはマズいだろうという事も分かっていた。もっとも自分一人でというのは納得がいかないので、道連れを一人指名することにする。
「まあ、しょうがないか……。じゃあ放課後は、清歌と一緒に私と悠司も生徒会室に行くことにするよ」
「ファッ! 俺もかよ!?」
「ああ、それは適任ね。香奈さんへの牽制にもなるでしょうし」
「物理的な威圧感が欲しければ、俺が行っても構わんのだが……」
「今回はオハナシアイだから、ソーイチのガタイは必要ないでしょ」
「うむ。という訳で、任せた悠司」
「……イマイチ納得いかんのだが、弥生一人でフォローに行かせるのもアレだし、女子三人組ってのもちょっとな……。仕方ない、拝命しよう」
道連れにされた悠司は、抗議はしたものの結局消去法で自分が適任であろうと結論づけ、同行することとなった。
「あ、でも二人とも知恵は出してよ? 清歌の出演にはイロイロ条件を付けないと拙いからさ……」
「分かってるわ。裏方で知恵を出すのなら任せなさいな(ニヤリ★)」
とその時、聡一郎が顎に手を当てて首を捻りつつ、清歌というアーティストとフォローに回る自分たちという関係について感じたことを言った。
「……なんと言うか今回弥生と悠司は、清歌嬢のマネージャーのような立場になるのだろうか?」
「あら、なかなかうまい例えをするじゃないの、ソーイチ。じゃあさしずめここは清歌専門の芸能事務所ってところかしらね」
「ふふっ、よろしくお願いしますね、皆さん」
清歌の百櫻坂高校内事務所が爆誕した瞬間だった。もっとも――
「清歌の学校内事務所? 本当にそんな看板を掲げたら、滅茶苦茶忙しくなりそうだよ~」
リーダーの意向で、それはあくまでも非公式のモノとなるのであった。