#2―05
そこには世界があった。
いや、世界だけしかなかった。
そこはすでに滅んでしまった世界で、ありとあらゆるものが姿を消した、ただただ闇が広がるのみだった。
ゆえに観測するものも記録するものも既に無く、一体どれくらい前に滅んでしまったのかも、そこに何の理由があったのかも知る術は無く、また知る必用は誰にも無かった。
それでも世界は存在している。
別に死の世界というわけではない。なぜなら死と生は相対的な価値であり、生が存在していないこの世界には、死という概念自体が成立しないからだ。
けれど、ここは淋しいです。――私は……淋しいと思います。
彼女はそう思った。それに性別があるわけではないが、その存在の在りようから主体となる精神が女性的なものになっていた。
彼女は世界だ。世界そのものが意思を持った、その主体が彼女だった。
かつてこの世界に存在していた生きとし生けるもの全ては、死を迎えたときに想いや知識が刷り込まれた力を開放した。力は長い時間をかけて個々のノイズが消え、淘汰し洗練され、合一し昇華される。それらが束ねられ、縒り合わされていき――やがて彼女という意志が生まれた。
淋しいと感じた彼女は、茫漠たる闇が広がるだけの世界を再び命で溢れ返らせることにした。
彼女自身は内包する記憶から、命の存在を感じられる世界の欠片を集めた。
たくさんの小さな世界一つ一つを島に作り変え、両手いっぱいに抱えたそれを解き放った。
世界の欠片たちは互いに関わり合いながら進化し、いつしか無数の島々を支える海と、それを覆う宇宙が生まれた。
ただ闇が広がるだけの淋しい場所だった世界は、無数の命が溢れるにぎやかな場所になっていた。
でも、彼女はまだ満足していない。もっとたくさんの命に溢れ、もっと楽しくて賑やかな場所にできるはずだ。
そう、幾百万の世界が、命の輝きに満たされている、そんなところに。
――ミリオンワールド プロローグより――
『おはようございます。<ミリオンワールド>運営スタッフの小倉と申します。どうぞ、よろしくお願いします。
皆さん準備はよろしいでしょうか? 十時ジャストより、<ミリオンワールド>正式稼働兼実働テストの1stセッションを開始します。
事前に配布した資料の通り、<ミリオンワールド>は八月中に休みを挟みながら二十日間、セッション数にして五十回の稼働を予定しています。
少ない、と思われるかもしれませんが、残念ながら存在すると予想される、我々運営スタッフでは見つけられなかった不具合の修正や、数多くの<冒険者>の方が参加されることによって必要となるバランス調整など、稼働直後からしばらくは何度もアップデートすることになると思われますので、どうぞご理解のほどよろしくお願いします。
実働テスト期間中は、VR空間での体感時間は計四回実施予定の特別セッションを除いて二倍に設定されています。従いまして、現実で三時間のセッションでは体感で最大六時間のプレイが可能となりますが、何か不調を感じられるようなことがあれば、無理をせずに速やかにログアウトをお願いします。
……さて、あと五分足らずで記念すべき1stセッションを開始します。我々スタッフ一同が全力で皆さんのサポートをしますので、どうぞ安心して<ミリオンワールド>を存分に楽しんでください。
それではみなさん、よい冒険を!』
VR空間で目覚めたとき、清歌は少々面食らった。
高校の最寄り駅にある<ワールドエントランス>で落ち合った弥生ファミリー五人は、グループ用設備から<ミリオンワールド>へログインした。
清歌たちがこれから最も多く利用すると思われるこの<ワールドエントランス>は、全体的に落ち着いた色合いの内装で、それはVRデバイスの設置されている部屋も同様だった。おそらくこのシンプルな内装がスタンダードで、あのチュートリアルで利用した施設はやりすぎの類だったのだろう。
VR空間へ接続し目を開ける瞬間まで、清歌はチュートリアルの時と同様に現実と変わらない光景が目に映るものとばかり思っていたのだが――
「ここは……」
立ち上がって周囲を見回す。そこは鬱蒼と茂る森の中にぽっかり空いた広場、という風情の場所だった。直径10mほどの円を木々の壁(おそらくそれより先には行けないのだろう)が取り囲み、まばらに草が生え花の咲く地面は明るい日差しに照らされている。そして広場のちょうど真ん中には、腰の高さほどの四角い石柱がポツンと立っていた。
(ここには私だけ……ですか。何をすればいいのか明白なのは助かりますね。絵梨さんなんかはあからさま過ぎで、不満を漏らしているかもしれませんけれど)
クスリと笑って、あからさまに怪しい石柱へ向かう。素足に感じる地面の冷たさと湿り気が、少しくすぐったい。――そういえば今はまだデフォルトのアバターのままだ。さすがに装備的に裸のままで、人が大勢いる外の世界へ放り出されることはないと思うのだが、ここで装備ももらえるのだろうか?
などと考えながら石柱の上面をのぞき込む。正方形の台座になっているその中央には無色透明の水晶玉があり、その周囲には色とりどりに光り輝く宝石が並べられていた。――なんとな~く、中央の水晶玉を取るとトラップが作動しそうな予感がしなくもない。
「あら?」
そのお約束ネタ的な予感は杞憂に終りそうだ。中央の水晶玉の上に半透明のプロペラが現れ、ふわりと浮き上がったのである。ちょうど目の高さまで浮かび上がって静止した水晶玉の表面に、白い光で丸い点が二つと×印が現れた。二つの点が目だとすると、×印が口の位置になる。
「はじめまして、<冒険者>の方。私は<ダイアローグジェム>と申します。どうぞお見知りおきを」
口らしき×印を点滅させながら、水晶玉が自己紹介をする。ゆっくり回転するプロペラの位置は変わらないのに、目と口らしきものが下に移動して元に戻ると、頭をペコリと下げているように見えるのが面白い。ちなみに声は十代前半の少女といったところだろうか。
「これはご丁寧に。私は<冒険者>の清歌と申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。……早速で申し訳ありませんが、ここは何をする場所なのでしょうか?」
名前から察するに<ダイアローグジェム>は、対話型のヘルプAIのようなものなのだろう。清歌はそう判断して、余計なことは聞かずに話を先に進めることにした。
「ハイ! ここは<ミリオンワールド>に初めて訪れる<冒険者>の方が転移されてくる場所で、やるべきことは三つです。一つは私と知り合うこと。二つ目はここにある<心得のジェム>から一つ選んで<心得>を習得すること。そして最後に初期装備品を受け取れば、ここでやるべきことは完了です」
「なるほど。……では一つ目はすでに完了している、ということでしょうか?」
「その通りです。<冒険者ジェム>に私のアイコンが追加されていますので、後ほど確認してみて下さい。私は対話型のマニュアル兼ヘルプなので、<ミリオンワールド>内でシステム関連に疑問があったら、遠慮なく呼び出してください。ちなみに音声入力のキーワードは“オープンダイアローグ”です」
「分かりました。困ったことがあったら遠慮なく呼び出すことにしますね」
「ハイ! 町のガイドブック的な役割も持っていますので、どうぞお気軽にご利用ください。では、次に<心得のジェム>についてご説明します」
<ミリオンワールド>において<冒険者>が習得できる能力は、<タレント><スキル><アーツ>の三種類に分類されている。
<タレント>とは覚えているだけで効果を発揮する能力で、ものによっては才能と言った方がいいものもある。特定の能力値を上昇させるものや、自然回復力や耐性を強化するもの、非常に重い鎧など特定の装備品で生じるペナルティを軽減するものなど、一般的なRPGでいわゆるパッシブスキルと呼ばれる類はおおよそ<タレント>に属する。また、アイテムや装備品などを作るのに必要な才能もここに属している。
<スキル>は主に動作に関する能力で、これを習得すると該当するシステムアシストを受けられるようになる。<スキル>は剣術などの戦闘技術だけではなく、非常に多く多岐にわたる。走りや跳躍などの日常動作から、ロッククライミングなど日常とは言えない類のスポーツ、果てはスカイダイビングなどのかなり特殊なものまで用意されている。これら<スキル>の、というかシステムアシストの特徴は、思考スイッチのみで発動が可能という点と、発動中はスタミナを消費するという二点である。
<アーツ>は一言で言えば必殺技の事だ。攻撃で敵を遠くへ吹っ飛ばす、生身では不可能な速度で複数の斬撃を繰り出す、などの物理攻撃系統だけでなく、全ての魔法も<ミリオンワールド>においては<アーツ>のカテゴリーに属する。あらゆる<アーツ>は魔力(MP)とスタミナを消費し、また発動には必ず予備動作とキーワード(必ずしも技名である必要はない)の音声入力が必要になるのが特徴である。
チュートリアルではあくまでもゲームシステムの習熟が目的だったため、<マジックミサイル>と武器関連のスキルを全て習得済みの状態で、しかも魔力とスタミナは消費しない状態になっていた。正式稼働ではそんな至れり尽くせりな訳もなく、能力は何もない状態でスタートになるのだが、単に観光するだけならともかくRPG的な冒険をするにはあまりにも心許ない。
「というわけで、<冒険者>の皆さんにはここで<心得>を選んで頂きます。<心得>とは、<冒険者>の方がそれぞれに目指すスタイルに必要になりそうな能力をパッケージにしたものです。
<心得のジェム>を使用するとパック内の能力全てを習得した状態になりますが、最初はほとんどの能力はロックがかかっていて、レベルの上昇とともに徐々に解放される仕組みになっています」
そして<心得>のすべてが解放されるレベル20に到達したら再びこの場所を訪れて、今度は<得意分野のジェム>を選択することになる。それは<心得>で習得した能力の中から一つの分野に特化・発展させた能力のパッケージで、こちらはレベル50ですべての能力が解放される。
ただこれはいわゆる“職業”を決定するものではなく、プレイスタイルの方向性を大まかに決定するものでしかない。というのも、あらゆるスキルは条件を満たせば習得が可能だからだ。ゆえに、武器攻撃に向いた<心得>を取得したものが強力な魔法を使うことも、生産に向いた<心得>を選んでおきながら魔法剣士的なロールプレイをするのも不可能ではない。
もっとも初級の能力なら店売りされているので簡単に入手できるが、<得意分野>で習得できるような能力は、一定条件をクリアした上でクエストに挑まなければならないなど、かなりの手間を掛けなくてはならないのも事実だ。――というか、そうでなければゲームバランスも何もあったものではない。
要するに根性と時間があれば転向も可能だが、方向性が決まっているのなら<心得>で選択しておいた方が楽に成長できるということなのである。
「従いまして、あまり深刻になる必要はありませんが、おざなりに選ぶと後悔することになる……かもしれません。では、こちらが<心得のジェム>の解説になりますので、じっくり吟味してください。なお、ランダム選択はありませんし、隠しのレアやユニークなどは絶対に存在しません」
<ダイアローグジェム>の方からふよふよと飛んできたウィンドウを受け取りつつ、清歌は首を傾げた。
「あの、重要な選択にランダムがないのは当たり前のことだと思いますけれど、レアやユニークとはなんのことでしょうか?」
「え~、それにつきましては、固定のフレーズとして必須伝達事項の一つに指定されているのです。私にも意味が分からないので、申し訳ありませんが回答できかねます」
「はあ、そう……なのですか」
<GOD BEATER>にも敵を倒した時に低確率で出現するアイテムがあり、それをレアアイテムやレアドロップなどと言っていた。しかし、用意されている固定の選択肢に“レア”という言葉が出てくる理由が良く分からない。分かる人には分かるという類の、何かの隠語だろうか?
ともあれ“絶対にない”と断言しているのだから、それが何か分からなかったとしても特に問題はないだろう。清歌は謎のフレーズについては意識からあっさり消し去って、<心得>に関する解説に集中することにした。
解説ウィンドウは上部に<心得のジェム>が表示されていて、タップしたものに関する詳細が下に表示されるようになっていた。左上から順番に<ジェム>をタップし内容を確認していく。
(たぶん弥生さんは<戦士の心得>で、相羽さんは間違いなく<体術の心得>でしょうね。絵梨さんはポーションを作ると仰っていましたから……<学者の心得>で、鍛冶をする里見さんは<職人の心得>で決まりですね。
……さて、私はどうしましょうか?)
魔法をメインに据えるのならば簡単で、<魔法使いの心得>一択である。
ちなみに<魔法使いの心得>では回復・攻撃・付与などの方向性は定めずに、初級の魔法全般に関する能力を習得できる。これは他も同様で、例えば<戦士の心得>では武器攻撃での近接戦闘に必要な能力全般になり、重装備の壁戦士でも華麗なるレイピア使いでも可能だ。そういった特化は<得意分野>の方で明確になる。
だがどうもあまりピンと来ない。確かに魔法を使ってみたいとは思ったが、巨大な魔法をぶっ放して敵を消し炭にしてやろう、などと思っていたわけではないのだ。もしかするとチュートリアルで<マジックミサイル>をばんばん撃ちまくって、ある程度の満足感が得られたため、冷静になってしまったのかもしれない。
(え~と、<隠密の心得>だと……忍者みたいなことができそうですね。<芸能の心得>は効果範囲が広い演奏や踊りの<アーツ>が使える……戦闘中に踊り? あ、でも変装は楽しそうかもしれませんね。あとは……<町人の心得>? 生活を楽しむ系統の能力……ああ、料理人や商売人になるのはこれなのですね)
そんな能力にまで用意されているのかという類の、半ば呆れ混じりの妙な感心をしつつ説明を確認していく。特に<スキル>には妙なものも多く、<愛想笑い>程度ならまだしも、<悩殺ポーズ>やら<思わせぶりな仕草>などといったものまである。一体どんな状況で使うのを想定しているのやら、一度は開発者を厳しく追及するべきかもしれない。
どの<心得>を選択しても、自分の個性を活かしてユニークな遊びをできそうだと思う反面、明確にこれがやりたいと心惹かれるものも見つからない。いくつか有る候補のうちから選ぶのも悪くはないが、弥生も言っていたようにせっかくのゲームなのだから目一杯楽しみたい。
(<町人の心得>は意外性があっていいですね。自由度が高そうですし、便利そうな<タレント>や<アーツ>が多いです。戦闘面の不安は、なんとかできそうな気がしますし……)
どんなに迷っても選択肢が増えるわけではないのだから、最終的にはそれで妥協することになるかな、と思いつつ最後の<ジェム>の説明を表示させようと指を伸ばす。それは一見大粒の黒真珠のようで、しかしよく見ると深いワインレッドをした宝石のようだ。
(私の瞳と同じ色をした<ジェム>……ふふっ、運命を感じてしまいます)
果たしてそれが本当に運命であったのかは、それこそ開発や<ミリオンワールド>の女神ですら知る由もない。ただ清歌がその説明を見た瞬間に、これしかないと決定してしまったのは紛れもない事実だった。
「では、私はこれに決めます」
説明ウィンドウを消し、全く迷いなく<ジェム>を手に取った清歌に、<ダイアローグジェム>が慌てて声をかけた。
「ちょ~っとお待ちください、清歌さん。その、<心得>は非常に癖が強く、扱いの難しいものなのです。決めてしまう前にちょっと補足……というか忠告をお聞きください」
おざなりに選ばない方がよい、という忠告は解説ウィンドウを受けとるときにすでに聴いている。にもかかわらずもう一度忠告をしてくるということに、清歌は少し引っ掛かるものを感じた。
「もしかして……その補足というもの、必須伝達事項に指定されているのでしょうか?」
「ギクゥ!! す、鋭い! よくお分かりですね……」
今度はプロペラごとのけぞって見せる<ダイアローグジェム>。顔の表示も冷や汗をかいていて非常に芸が細かい。
「ふふっ。もう決めてしまっていますので……と言いたいところですけれど、お役目ならば仕方ありませんよね。拝聴します」
「ほっ。ご理解に感謝します。では補足説明を……。その<心得>は最終的には非常に高いポテンシャルを発揮する可能性を秘めています。ですが、解説を見てご理解いただけたと思いますが、その性質上、得られる能力は外部に依存していることになります」
「<冒険者>本体が強くなっているわけではない、ということでしょうか?」
「当然レベルの上昇で<冒険者>自身も強くなりますが、<ミリオンワールド>の成長システムを考慮すると、恐らく全く平均的にフラットな成長をする可能性が高いです。従いまして結果的に、同レベルの特化タイプと比べると戦闘面では見劣りするでしょう。
それを補える可能性は有りますが、外部から得られる能力がない序盤は非常に苦しい冒険になることが予想されます」
補足説明はゲームシステム的によく理解できるものと言えるだろう。最終的に高い能力を発揮する大器晩成型なら序盤が大変というのはよく有る話で、また能力を外から引っ張ってくるタイプは、本体まで強くなってしまうとバランスを崩しかねないだろう。
(ゲーム初心者の私でもよく考えれば分かりそうなことを、わざわざ補足してまで引き留めようとしている? 何とな~く、どこかに落とし穴があるような気がしますね……)
なにか引っ掛かるものを感じるものの、ゲーム内のことでは考えたところで自分では正解にたどり着けそうもない。清歌はたいして悩むこともなく即決する。ただ開発のトラップにわざと引っ掛かってあげるのだ、ちょっと揺さぶって反応を見るくらいの意趣返しはいいだろう。
「……でも、考えても仕方がないですよね……」
「はい? なんのことでしょうか?」
「開発の方が仕掛けた落とし穴のことなんて(ニッコリ★)」
「ギギギクゥゥ! な、なななんのことで、ででしょう。おお~としあな、なななんてあるわけない~じゃ、あありませんかっ」
「どもってましてよ? ダイアローグさん(ニッコリ★)」
<ダイアローグジェム>の焦りっぷりは半端じゃなかった。無色透明だった本体は赤と青に明滅し、瞬きを繰り返す目は上下左右にぶれ、プロペラの回転が不安定になったせいで高度も安定していない。芸の細かさもここまでくると、ムダにというレベルだ。
「ふふっ、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。あなたはちゃんと仕事を果たしていましたし、そもそも私はこれを選ぶと決めていたのですから、クレームをつけたりもしません」
「あの~、でしたらなぜあのようなことを?」
「あなたの反応を見てみたかった……、というのは半分冗談ですけれど。そうですね、私も最近知ったことなのですけれど、見え見えの振りにはちゃんと突っ込まなければいけないらしいですよ」
「え~っと、別にフリのつもりではなかったのですが……」
「ふふっ。突っ込みをいれたい相手はあなたではなく、この世界を創った意地の悪いどなたかですよ?」
突っ込みを入れたところで何が変わるわけでもなし、個別のやり取りをいちいち覗いているほど暇なスタッフもいないだろう。しかし清歌は落とし穴の存在なんて気がついていた、という記録は残る。要するにこれは単なる気分の問題で、罠に引っ掛かったと思われるのはちょっと面白くないから、証拠を残しておこうというだけの話なのだ。
「はぁ、そうですか……。ともかく決めてしまったのでしたら、私から言うべきことはもうありません。<ジェム>を使用して<心得>を習得してください」
「分かりました。では“起動”!」
<心得のジェム>を使用すると、それは光の粒子に変化して清歌の周囲を螺旋状に取り囲んで回転したあとで、体のあちこちに吸い込まれていった。
その様子を興味深げに眺めていた清歌は、光がすべて収まったとき、<ジェム>を持っていた手のひらに、指輪につけるのが相応しいほどの大きさの欠片が残っているのに気がついた。
「その<ジェムの欠片>は<冒険者>の成長と共に少しずつエネルギーを貯めて、20に到達するとこの場所へ転移できるようになります」
「なるほど、分かりました」
清歌は頷きつつアイテムを収納する。なお<ジェム>の使用法も含めて、この辺りの操作方法はチュートリアルの時に教わっているので戸惑うことはない。
その後、<ダイアローグジェム>から装備品を受けとる際、武器の選択でまたもや若干の補足を受けるものの「もう決めましたから(ニッコリ☆)」で撃沈し、ここでやるべきことがすべて終了した。
見た目に変化があるわけでもないのに、<ダイアローグジェム>の飛び方に妙に疲れと哀愁を感じるのは気のせいだろうか?
「では、あちらの<ポータルゲート>から全ての<冒険者>初めて降り立つ、始まりの町へと転移できます。どうぞ良い冒険を!」
「はい、色々ありがとうございました。またお会いしましょう」
「ハイ! ご利用お待ちしております!」
<ダイアローグジェム>に清歌は笑顔で応えると、足取りも軽く<ポータルゲート>から転移していくのであった。
「清歌遅いな~。なにかのトラブルだったら……」
「弥生、ちょっと落ち着きなさいって。メールもボイスチャットも特殊エリアにいるから弾かれるってことは、まだあの石板のところにいるのよ」
「だろうな。解説を全部読むのは結構手間だからな、いくつか<心得>も増えていたし。第一、初っ端のネタバレは興醒めだから黙っておこうって言ったのは……」
「私だよ。そりゃ私だけどさ~。何ていうか、妙な胸騒ぎがするんだよ~」
「…………」
「だから、黛さんなら大抵のことは、自分で対処して見せるさ。たぶん」
「そそ、だから私らはのんびり待ってればいいの。……ってか、ソーイチさっきからどうしたの? だま~って腕組んで、考え事?」
「むぅ。どうも少し前から……正確には<心得のジェム>を見た時辺りから、なにかが引っ掛かっている。何か重要なことを……見落としているような……。だがそれがなんなのか分からずに、どうも落ち着かんのだ」
「ん? それって弥生と同じ……ってことなのか?」
「それは……気になるわね。その手の予感って、悪い方には結構当たるものねぇ」
「だからさっきから言ってるじゃない! も~~」
「あはは……、悪かったわ、ゴメン」「ははは……、すまん」
<ポータルゲート>の前で、今後の展開に波乱の予感を感じる弥生ファミリーの面々であった。
さて、清歌の選んだ<心得>はなんだったのか?
おそらく予想通りではないかと思いますが、発表は次回で!
ちょっとテンプレ気味の展開になります。