#11―02
冷たく乾いた風が強く吹き、昇降口へと向かう百櫻坂高校の生徒たちが思わず身を縮こまらせて立ち止まる。冬休み明けの初日は真っ青な空が広がる快晴で、しかしそれ故の放射冷却で非常に寒く、家の中でぬくぬくと過ごしていた者たちには試練の日となっていた。
とにかく風の来ない校内へと早く向かおうと急ぐ生徒たちの流れの中、朝日を受けて輝く金色の髪を靡かせて、凛とした姿勢を崩さず、いつもと変わらない速さで歩く清歌がいた。そこだけを切り取って写真を撮れば、小春日和の一コマにすら見えそうだ。
いろいろと突出したスペックを持っているとはいえ、清歌とて寒いものは寒い。なので今日はコートにマフラー、手袋、ストッキングと完全武装している。ただそれは校内へと小走りする生徒たちも似たり寄ったりであり、今日の冷え込みはその程度では防ぎきれるものではない。
要するに清歌はやせ我慢をしているわけで、その片鱗たりとも周囲に悟らせないのは、幼い頃から叩きこまれたお嬢様教育の賜物と言うべきであろう。いつ何時でも隙無くお嬢様然としているのは、なかなかに大変なことなのである。
昇降口に入ったところで清歌は立ち止まった。
「おはようございます、皆さん」
「あ、清歌。おはよー」
清歌が挨拶をすると、振り返った弥生がニッコリ笑って返事をする。次いで彼女のすぐ傍にいた絵梨、悠司、聡一郎も挨拶を返した。待ち合わせをしているわけでもない五人が、昇降口でばったり出くわすのはこれが初めてのことである。
弥生たちが暖かい教室へ向かわず何故昇降口にいたのかと言うと、ここで四人が揃うなんて珍しいこともあるものだねと、話していたのだそうだ。図らずもいつもの五人になったところで、教室へと向かう。
「しっかし寒いなー。初日にコレはちょっとキツイ」
「体を動かせばどうということは無いが、ただ歩くだけでは確かに寒いな」
「寒いのもつらいけど、この乾燥はホントどうにかして欲しい所ねぇ。ま、男どもには実感の無い話かしら?」
「あら、男性もスキンケアはきちんとするべきだと思いますよ、絵梨さん」
「それはそう。ソーイチもユージもベースは悪くないんだから、勿体無いというかなんというか……」
二人の会話を聞いて、悠司と聡一郎がさり気なく目を逸らす。二人とも清潔にすることは心掛けているし、寝癖がついたまま登校するようなこともしないが、スキンケアという程の事はしていない。素材は良いのだから、もっと気にすればいいのにという絵梨の主張はもっともであろう。
もしかしたら幼い頃から距離感の近い異性が近くにいると、そう言うところを気にするようになる動機が一つ減るのかもしれない。そう考えた清歌がこのグループの中心である人物に視線を向ける。するとタイミングが良いのか悪いのか、ちょうど弥生が小さく、憂鬱そうな溜息を吐いたところだった。
「弥生さん、どうかされましたか?」
「そういや、さっきから何もしゃべってないな。朝ごはんでも食い損ねたか?」
「悠司……、仮に朝ご飯を抜いたところでこんなに憂鬱になったりしないよ。なんか学校に来たら、今年も嫌ぁ~~な時期が来ちゃったなって思い出しちゃってさ……」
眉間にしわを寄せて、心底嫌そうな表情で弥生が愚痴を零す。
「いやな時期、でしょうか?」
「あー……、そういやそんな時期だわな」
首を傾げる清歌に対して悠司は納得の声を上げる。流石は付き合いの長い幼馴染。弥生の考えることなどお見通しのようだ。
さて、弥生が嫌がることと言えば運動関連の事なのはもはや言うまでもない。そして冬の時期に行われる、運動関連の行事と言えば――
「……持久走大会が近いんだよねぇ……はぁ~~」
モコモコのコートを着てマフラーを巻き、体形が良く分からなくなっているにも拘らずハッキリと分かるほどに肩を落とし、盛大に溜息を吐く弥生に仲間たちは苦笑する。
学校によってはマラソン大会とも称される持久走大会は、冬の定番行事の一つである。イベント好きの百櫻坂高校でも当然開催され、例年通りであれば五駅ほど離れた場所にある広い公園で行われるか、高校周辺を大きく一周するコースで行われるかのどちらかのはずだ。
冬はマラソンや駅伝のシーズンでもあるし、この時期に行われるのは理解できる。とは言え寒い中ひたすら長い距離を走るのに気乗りしない生徒も多く、ぶっちゃけ不人気行事のトップを独走していると言っても過言ではない。ましてや運動全般が苦手の弥生にとっては苦行以外の何物でもない行事なのだ。
「この時期は体育の授業でも千五百メートルのタイムを計ったりするし、何も行事にする必要は無いと思わない? こういう大会は、陸上を専門にやってる人だけでやればいいんだよ! 応援だったら行くから」
弥生の主張に絵梨がウンウンと頷き、悠司も「まぁなぁ~」と消極的に同意する。さらにたまたま近くを歩いていた数名の生徒までもが深く頷いている。持久走大会を自由参加にして欲しいという意見は、生徒全員で多数決をとったら可決されてしまいそうな勢いだ。
「ふふっ、弥生さんったら。……そういえば、体育祭や水泳大会の時はそれほど嫌がってはいませんでしたよね? なぜ持久走大会だけ、そんなに嫌なのでしょうか?」
「え? だって水泳大会は基本的に自由参加でゲームみたいなものだし、体育祭だって参加する競技は大した数じゃないから。……ああ、でも持久走だって始まっちゃえば割とすぐ終わるんだよね……。う~ん……」
持久走大会で走る距離は男子が十キロで女子は八キロだ。本物のマラソン大会のように何時間もかけて走るようなものではない。始まるまでは気が重い割に、意外と早く終わってしまうのも事実である。
それでは何故、こんなにも気乗りしないのか? 弥生は一つの結論を出してポフンと――ニットの手袋をしているせいでいい音が鳴らなかったのである――手を打った。
「たぶん、つまらないからだ」
体育祭にせよ水泳大会にせよ、競技をする選手を応援したりされたり、全体の順位に一喜一憂したり、幕間の応援パフォーマンスに誰かさんが飛び入り参加したりと結構楽しかった。競技自体ではあまり活躍できなくとも、イベント全体としては面白かったのである。
対して持久走大会の場合は一斉にスタートしてしまったら後はもはや孤独な戦いであり、結果として残るのは順位とタイムだけだ。
「トップ争いができる程の人とか、自己ベストを計ってる人にとっては面白みもあるのかもしれないけどさ~」
「下位グループだけど最下位争いをするほどじゃない私らにとっては、たしかにつまらない行事よねぇ」
「考えてみりゃ、沿道から声援があるわけでもねーしなぁ……」
絵梨と悠司が弥生の“持久走大会=つまらない”説に同調する。ちなみに絵梨の台詞の中の下位を上位に、ビリをトップに置き換えると大体悠司の立ち位置になる。
普通に走ればトップグループに入ることのできる清歌と聡一郎は、微妙に口を挟みづらい話の流れであった。
持久走大会への愚痴など、どこの学校でも話題になるようなありふれたものである。が、この日の午後のこと、もしかしたら今朝の会話は弥生たちが言うところの“フラグを立てる”というものだったのではないかと、清歌は思い返すことになる。
「え~、今年の持久走大会は、無くなりました」
午後のロングホームルームにて、いつものように教壇に立った弥生の口から驚きの発言が飛び出し、教室がどよめく。クラスメートたちは明るい表情をしていて、中にはガッツポーズをしている者すらいる。不人気行事というのはダテではないのだ。
「……その代わり」
弥生が続けた言葉に何やら不穏なものを感じたのか、ピタッと静まり返る。まるで事前に打ち合わせでもしたかのような反応は、このクラスのノリの良さ、そして弥生の人望と統率力のなせる業であろう。
弥生のアイコンタクトを受けた芦田が、ホチキスで留めてあるプリントを見ながら先を続ける。
「えー……、“大駅伝大会ウィンタースペシャル(仮称)”? が、開催されることとなりましたー」
発言した芦田自身が疑問形だったように、それを聞いたクラスメートたちの頭の上にも?マークが浮かび上がっていた。そして最初の混乱が収まると、めいめいが思うところを口に出し始めた。
「駅伝っつってるが何のことは無い、持久走大会をリレー形式にしただけだろ」
「もー、ぬか喜びさせないでよー」
「なんだ、看板を架け替えただけかよ」
「いやいや、ウィンタースペシャルなんて言ってるんだから、ただ走るだけのはずがないだろ」
「でもこの段階で(仮称)とか言ってるよ?」
「そうそう。ちゃんとした計画が立ってないんじゃね?」
「ありそうだな。そこはかとなく不安を感じる……」
それらを聞いていた弥生と芦田が顔を見合わせて苦笑する。昼休みに臨時招集された委員会で、ほぼ同じ意見が出たのである。
「って言うか委員長、なんだってそんなことになったの? 持久走大会が無くなるんなら有難いんだけど……」
「え~っと、掻い摘んで経緯を説明するとね……」
弥生は委員会で聴いた、持久走大会(旧称)実行委員による解説を話した。
そもそもの発端は、今年度の持久走大会実行委員会が初めて召集された時にまで遡る。この委員会は例年だと、淡々と事務作業をこなすだけの組織だったのだが、今年の委員会はどういう因果か、暑苦しい――もとい、熱意ある人材がそろっていたようだ。
実行委員長曰く、伝統あるGIイベントにも関わらず、不人気行事の名を恣にしていていいのか? いや、ない!(反語)――とのこと。
この主張に奮起した委員会が力を合わせ、持久走大会を面白い行事にするべく東奔西走(実行委員談)したのだそうだ。
基本的には長距離を走る大会であることを意識しつつ、ただ走るだけの単調なものにならないよう様々な趣向を凝らし、持久走大会は原形をとどめないほど革新的な変化を遂げた。今年はその記念すべき第一回大会となるのである。
ちなみに第二回大会が開催されるかは、今年の評判によってきまるそうだ。
「え~っとつまり、今年に限って実行委員が頑張り過ぎちゃったってところかな?」
弥生がそう纏めると、教室を沈黙が支配した。要するに今年の生徒は新行事の実験台になるという事らしい。
「ま……まあ、経緯は分かったよ。それにしても百櫻坂では持久走大会ってイベント扱いなんだ。てっきり授業の一環かと思ってたよ……」
「あ、それ俺も」「私もだよ」「イベントにしては地味だもんね」「だな~」
その意見には弥生も同意する――というか、実は委員会で話を聞くまで授業の延長線上の行事だと思っていたのである。ちなみにこの点については芦田も同様であった。
ともあれ、イントロダクションが終わったので次は具体的な競技の説明だ。弥生と芦田がプリント片手に板書をしていく。高さが揃っていないのはご愛敬である。
名前には大袈裟に“大”だの“スペシャル”だのと付いていたが、つまるところ駅伝なのだから、コースに凝るくらいしかやりようが無いだろう。そうタカを括っていたクラスメートたちも、板書が進むにつれてざわつき始め、書き終わった頃には絶句していた。それも感心しているというよりは、開いた口が塞がらないという感じである。
「スタート地点が学校ってのはいいが……、なんで第二走者が校舎内を走るんだ?」
「サイクリングコースを走るところもあるけど、これって自転車で走るんだよね?」
「この区間、ラストが神社の境内って……あの階段を最後に登るのか? ちょっときつ過ぎるんじゃね?」
「アイススケートを滑る区間もあるから、ウィンタースペシャルなのかな?」
「うーん、ネーミングはかなりテキトーな感じがするけど。ってか、そこってどうやって襷リレーするんだろ?」
――とまあこんな具合に、一応リレー形式のレースではあるものの、本来の駅伝とはかけ離れたものになっているのだ。実行委員が頑張り過ぎたと弥生が言ったのも、納得できるプランである。
少なくとも単調でつまらないと評価されることはなさそうだが、果たしてこれがきちんと競技として成立するかどうかは未知数だ。特に今回は初回でノウハウも何も無いので、競技の運営にも不安がある。
ツッコミどころは多数あるもののGIイベントである以上、参加を回避することは出来ない。なので弥生は選手の立候補を募る。
「あ、ちなみにサイクリングコースを選択した人は、自転車を自前で用意する必要がありま~す」
「自転車はママチャリでもロードバイクでもクロスバイクでもなんでもいいけど、電動アシスト付きはダメとのことです」
「それから選手にならなかった人から、実行委員会のお手伝い要員も選ぶことになっていますので、そっちもよろしく。……私はお手伝いの方をしようと思ってます」
トホホな表情で付け加える弥生が、皆の笑いを誘う。選手としては参加できないものの、委員長という立場上何もしないわけにはいかないのだろう。
コースは学校からスタートし、街をぐるっと大きく回って学校へ帰って来るようになっていて、クラスの約半数が選手として参加することになっている。なお区間によって女子と男子の指定があり、女子の区間の方が比較的短距離となっている。
なんだかんだで持久走大会よりも面白くなりそうだということで立候補者が次々と現れ、割とあっさり全ての選手が決まるのであった。
冬休み明け最初の土曜日の午後。清歌たちいつもの五人は、駅伝大会の会場の一つとなるスケートリンクへとやって来ていた。会場の下見に来た、というのも無くは無いが清歌と聡一郎がスケート区間の選手になったので、単純に練習しにやって来たのである。ちなみにスケート区間は男女一名ずつがリレーすることになっている。
この二人なら練習なんて必要ないのでは? という疑問はもっともで、二人とも間違いなく滑ることはできるのだが、最後にスケートで遊んだのが二年以上前だったために、感覚を取り戻しておいた方が良いだろうという話になり、こうしてやって来たのである。
余談だが、清歌たちのクラスはスケート区間だけ最後まで決まらず、他の区間に立候補していた清歌と聡一郎がスケートへと移ることとなっていた。なお清歌は立候補していたのはバイク(サイクリング)区間であり、なんでもその理由は――
「家に放置されているロードバイクがありますので、たまには使わないと勿体ないかなと」
という事らしい。その持ち主はもはやお馴染みである清歌の兄で、弥生たちは「一体どれだけ多方面に手を出しているのか」と、ある意味感心していた。
「私は見てるだけでも全然かまわないんだけど……」
スケート靴をレンタルする段階になってもまだ絵梨が渋っている。この五人の中でスケート未経験者は絵梨だけなのだ。スポーツ系の遊びにも関わらず弥生もスケートには何回か来たことがあり、普通に前に滑って止まるくらいならばできる――らしい。
「もう着替えもしちゃったんだから、今更それは無いでしょ……」
「何事も経験ですよ、絵梨さん」
「そうは言うけどねぇ……。なんて言うか、見るからに相性が悪そうなのよね……」
「でもほら、ちゃんと教えてくれるよ。……総一郎が(ヒソヒソ)」
「ふふっ、そうですね。手を取って一緒に滑って下さいますよ、きっと(ヒソヒソ)」
「ちょっ! また二人ともそんなこと言って人を乗せようと……(ヒソヒソ)」
あからさまに釣りの台詞と分かりつつも、それなら悪くないかなと考え直し、結局絵梨もスケートに初挑戦することに。
まあそもそもここまで来ておいて、仲間たちが滑るのを見ているだけというのも間が抜けているので、絵梨も最初から滑るつもりではあったのだ。ただどう見ても苦手なものなので、本当は気が進まないというアピールをしておきたかっただけなのである。
ちなみに会話にも出て来たように、流石に制服のままスケートをするという訳には――特に女子は――いかないということで、全員動きやすい服装に着替えている。
「っていうか、日曜日に来ればよかったんだよね。着替えを用意して来る必要も無かったし」
「いや、明日は結衣を連れてテーマパークに行くという重要な用事がだな……」
「あら、じゃあユージは別行動でもいいじゃないの?」
「……久しぶりにスケートをやりたくなったんだよ。あんまり機会が無いからな。ってか、スケートなんて一日中遊ぶもんでもないから、土曜の午後でちょうどいいんじゃないか?」
「まあ、それもそうなんだけどね~」
「……ところで、結衣ちゃんの機嫌は直ったというお話でしたよね?」
「ああ、お陰様で。ただ<ミリオンワールド>がメンテ中でちょうどいいから、家族で遊びに行こうってことになってな」
「なるほどな。……さて、では滑りに行くとするか。絵梨?」
準備を済ませて荷物をコインロッカーに預けた聡一郎が意気揚々と言う。一方、絵梨の方はというと、準備は終わっているものの相変わらず気は進まなそうだ。
「本当に、本っ当ーーにっ! 苦手だと思うから、ちゃんと教えてよ?」
「うむ、分かっている。任せておけ」
実際、スケート靴を履いた絵梨は、まだリンクに出ていないにもかかわらずちょっとバランスが怪しい。慣れ云々以前に、おっかなびっくりし過ぎて体が硬くなっている印象だ。そんな絵梨をエスコートしてリンクに出る聡一郎は、流石のバランス感覚で全く危なげが無い。
二人がリンクに出て、ゆっくり歩く――滑るでは無い――ところから始めたのを見届けたところで、残る三人も立ち上がった。
「では、私たちも参りましょうか」
「うん! ……実は私もちょっと不安なんだけど」
「ま、体で覚えたことはそうそう忘れんだろう。大丈夫大丈夫」
リンクに出てウォーミングアップがてら軽く一周して回った清歌は、前方に並んで滑る弥生と悠司の姿を見つけた。悠司が言っていたように、だいぶ前の経験だったとはいえ体がちゃんと覚えていたようで、弥生も普通にスケートを楽しんでいるようだった。
清歌は二人を少し追い抜いたところでくるりと反転し後ろ向きに滑る。
「あ、清歌、おかえり~……っていうのも変な表現か」
「ふふっ、ただ今戻りました。弥生さんも感覚を取り戻せたようですね」
「今のところ何とか転ばずに済んでるよ。……ちょっと悠司の手を借りたけど」
「……こっちは危うく巻き込まれて転ぶところだったがな」
手を後ろに組んでスイスイと滑る悠司が、ジトッとした目を弥生に向ける。どうやら手を借りたというよりも、転びそうになって近くの悠司に掴まったというのが真相のようだ。
「あ、あはは……そ、そうだった……かも? ところで絵里たちはどうしてるかな?」
「絵梨さんでしたら、あちらで聡一郎さんと練習中です」
清歌が手で示した方には、リンク外周の手摺際で後ろ向きに滑る聡一郎に手を引かれている、若干腰の引けた絵梨の姿があった。歩くと滑るの中間くらいにはなっているので、もう少ししたら手を離して滑り始めるのではないか――という感じである。
傍から見ればスケートに初挑戦する彼女の練習を手伝う彼氏、という構図なので、絵梨としては必ずしも滑ることができるようになる必要はないと思っているかもしれない。
そんなことを考えているとニヨニヨしている弥生と目が合い、同時に吹き出してしまった。
「なんつーか、アレはアレでリア充っぽいよな?」
「だね~」「そうですねー」
ある意味でスケートデートの正しい姿と言えなくもない、というのは三人共通の見解だったようだ。
もっともこれでは聡一郎の練習にはならないのだが、そもそも感覚を取り戻す為に来ただけなので、一人で滑る時間を後で作れば問題は無いだろう。
「それにしても清歌も聡一郎もよく後ろ向きで滑れるよね。……怖くない?」
「慣れてしまえば大丈夫ですよ。怖いという意味では、このような場所ではスピードを出してしかも不規則に滑る方や、どう動くのか読めない子供の方が怖いかもしれませんね」
「あー、それ分かる。前に横から子供に突っ込まれてひっくり返ったことがあるんだが、何であんな方向から来たのか全く分からなかったからなぁ……」
「まあ子供のすることだからね~。そういえばここには子供が殆どいないね。冬休み明け直後だからかな?」
「だろうな。その代わり高校生が結構多い。っつーか、これって……」
「ええ、恐らく百櫻坂高校の生徒でしょうね」
恐らく駅伝大会の練習に来た、或いはそれに付き合って遊びに来たというところなのだろう。中には余程自信があるのか、制服のまま滑っているツワモノも数名いる。何かの拍子で転んでしまいかねないレベルの弥生などは、他人事ながらちょっと心配になってしまう。
そんな弥生の内心がフラグになってしまったのか、三人がたまたま目を向けていた百櫻坂高校の制服を着ている女子が、バランスを崩して尻餅をついてしまった。スカートの下にジャージを着ていたので、パンツが丸見せになるような惨事にはならなかったが、制服はかなり濡れてしまったようだ。
「……まあ、私らは着替えて来て良かったねってことで」
「そうですね。……ところで、彼女たちはなぜ上下ともジャージに着替えなかったのでしょうか?」
「そりゃあ……なんだ、可愛くないから、とか?」
「でもさ、悠司。制服のスカートの下にジャージを履くのって可愛いと思う?」
「あくまで個人的な見解だが……、思わんな。う~ん、確かに謎だな」
「謎だね~」「謎ですねー」
そんな取り留めのない話をしつつ、スケートを楽しむ三人なのであった。
その後、全員が心地よい疲れを感じるくらいまでスケートで遊んだ五人は、スケート靴を返却し、ロビーで一休みしていた。それぞれの手には自動販売機で買った飲み物がある。
「あ~、結構遊んだね。なんか足がフワフワして面白い感じ」
「滑っている時はあまり感じませんけれど、意外と重いものですからね」
「この感じ久しぶりだなー。スケートなんていつ以来だったかな……。二年……いや、もっとか?」
「正真正銘初めての私は結構疲れたわ。結局何度も転んじゃったし……」
「しかし一人で滑れるようになっただろう。やはり最初は誰もが失敗するものだから、そのくらいは仕方あるまい」
「あら、言うじゃないソーイチ。だったら聞くけどあなたが最初にスケートをした時、どのくらい転んだのかしら?」
絵梨の問いに聡一郎がそっと目を逸らす。どうやら彼は、最初からあまり苦労することなく滑れたようだ。そんな聡一郎を見て、絵梨は小さく溜息を吐いた。
「あはは。聡一郎もだけど、やっぱり清歌も上手かったよね。もしかしてフィギュアスケートも出来たりするの?」
弥生が期待を込めた瞳で清歌に尋ねた。
「そうですね……、ダブルのジャンプとスピンくらいなら、恐らく今でもできると思いますよ」
「ホントに!? え~、じゃあ見たかったなぁ……」
「ふふっ。お見せできれば良かったのですけれど、一般に開放されている時間帯は、そういった練習をするのが普通禁止されていますから……」
「あ……そっか、危ないもんね」
「まあ清歌がそのくらいできても今更驚きはしないけど……」
ホットのミルクティーをちびちびと飲みながら、絵梨が不満げな視線を弥生に向ける。
「私があんなに苦労したっていうのに、弥生が結構上手に滑れるっていうのがどうしても納得いかないのよねぇ……」
その理不尽な物言いに、弥生が笑いながら「え~っ!?」と仰け反るリアクションをする。
ただ考えてみれば、自分のことながら少し奇妙ではある。原因として考えられるのは――
「たぶん……小さい頃に経験したのが良かったんじゃないかな?」
子供というのは、大概怖いもの知らずなところがあるものだ。弥生の場合はその頃にスケートを経験していたために、転んで痛い思いをしたり怪我をしたりという事を考えることなく、思い切りよく滑ることができたのだろう。
逆に絵梨の場合は、転んだ時のリスクを過剰に考えてしまって腰が引けてしまっていた。痛みや怪我をリアルに想像できるほど大人になっているが故の問題と言えよう。
「なるほど、確かにそういう面はあるかもしれないわね。なんにしても、私はスケートと相性が悪そうだから、今後は関わらないようにするわ」
「え~っ!? せっかく練習したのにその結論なの?」
「ナニ言ってるのよ、弥生。練習してみたからこそ出せた結論なんじゃない」
言っていることは間違ってはいないが、ビミョ~に情けないことを堂々と胸を張って宣言する絵梨に、思わず笑ってしまう清歌たちなのであった。