表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミリオンワールド!  作者: ユーリ・バリスキー
第十章 凛&千代、参戦!
136/177

#10―06




 十二月も半ばの土曜日のこと。今シーズン最大の寒波が来たとのことで、百櫻坂高校へと向かう生徒たちも、制服の上にコートとマフラーを着こんですっかり真冬の装いとなっていた。


 百櫻坂高校には学校指定のコートが無いので、寒がりの者はダウンコートにニットの帽子まで被ってモコモコになっている。寒波が来たとは言ってもまだまだ冬の入り口である。本当の真冬が来たら一体どれだけ着込むことになるのかと、想像するとちょっと面白い。


 そんな生徒たちの一群の中に、正門でばったり出会った天都と田村が二人並んで歩いていた。本日の装いは、天都がアイボリーのダッフルコートとグレーのマフラー、田村は紺色のピーコートにニットの黒い手袋である。


 夏休みまでは接点の殆ど無かった二人は文化祭の関係でよく話すようになり、田村が<ミリオンワールド>を始めて以降は、すっかり仲のいい友人となっていた。今の話題は、一昨日<ミリオンワールド>からログアウトした後に立ち寄った猫カフェについてである。


 予算(おこづかい)の都合もあって、たっぷり隅から隅まで堪能するというわけにはいかなかったが、雰囲気は十分に味わうことが出来た。店員さんともちょっと話をして、カフェ・トイボックスでも使えそうなネタも仕入れることが出来たので、思い切って行った甲斐はあったと二人は満足していた。


「おはよう、天都さん。田村さんも」


「あ、おはよう」「おはよー。……田村さん()、ねぇ(ニヤッ★)」


 校内に入ったところで声を掛けられて二人が振り返ると、ミリタリー風デザインのジャケットを着た五十川が靴を履き替えていた。天都が普通に笑顔で返事をしたのに対し、五十川のビミョ~な言い回しの違いに気付いた田村は細かくツッコミを入れる。


「んんっ! え、えーっと……、二人ともイベントの告知はもう見た?」


 田村のツッコミに慌てた五十川が急いで話題を振り、二人が頷いた。なおイベントといっても百櫻坂高校で行われるクリスマスイベントの事ではなく、<ミリオンワールド>でのイベントの事であり、五十川が告知と言ったことから二人もそれは理解していた。


 公式サイトにて発表されたイベントは、“クリスマス・イルミネーションレイド”と題されていて、最大十二人――つまり二つのパーティーで挑戦することが出来るイベントだ。開催期間は十二月十九日から二十五日までの一週間で、一日に一回だけチャレンジすることが出来る。


 一人から十二人でチームを作り、ポータルからイベント専用島へと転移することでイベントが始まる。なお、イベント専用島はチーム専用のものであり、他のチームとかち合うことは無い。


 イベントの内容は単純明快、制限時間内に出現した大型の魔物を斃すというレイドボス戦である。ただもちろんそれだけでは面白み――というかクリスマスらしさに欠けるので、ちょっとした趣向が凝らしてある。


 イベント島は常に夜で雪に覆われており、イベント参加者はまず一人ずつ別々の場所に転移させられる。島は全く明かりが全く灯っていない状態から始まり、島の各所に配置されているスイッチを起動させることにより、イルミネーションが灯っていくのである。


 イベント開始から一定時間が経過するとボスが出現する。基本的にボスは光に弱い性質で、つまりイルミネーションの明かりを増やせば増やすほど、ボスが弱体化するというわけである。


 弱体化などさせることなくゴリ押しで斃すことも不可能ではないが、そもそもイルミネーションを灯さないとステージ全体が真っ暗で、戦い自体が非常にやりにくいらしい。告知に掲載されているアドバイスによると、全体の三分の一以上灯すと成功率が大きく上がるそうだ。


 そして今回のイベント最大の特徴は、参加者全員のレベルが統一されるという点だ。イベントに参加する際、冒険者は取得している心得に応じた固定の能力値になり、大体レベル二十くらいの強さになる。一方で、アーツの類はそのまま使用できる。


 つまりこのイベントでは、<ミリオンワールド>を始めたばかりの初心者プレイヤーでも十分戦力として貢献でき、先行のハイレベルプレイヤーはアーツなどでアドバンテージがある反面、MP管理に気を付けなくてはならないということになるのだ。


なおポーション類の持ち込みは不可で、イルミネーションのスイッチを起動するとポーション、MPポーション、全ての状態異常を解除する万能薬、という三種の中からランダムで二個ゲットできる。


「一人から十二人までで参加って書いてあったけど、私たちはどうしよう?」


「うーん……、私たち四人ではちょっと不安だから、坂本さんたちにお願いしますか?」


「俺もそれがいいんじゃないかって思った。近藤にも聞いておいたから、二人がそれで良いなら委員長たちに相談してみよう。……ただ、あっちも付き合いがあるだろうからなー」


「あー、そういうのもあるよね。まあ、とにかく聞いてみようよ。駄目だったら四人でチャレンジするか、マッチングを使うか決めればいいんだし」


 マッチングというのは今回のイベントで採用されている、希望者を自動でチームに割り振るシステムのことである。マッチングを希望する者は、イベントに参加する時間帯――一時間ごとに参加者を募っている――を指定しておけば、後はシステムが自動的に割り振ってくれるのである。なお十二人に満たないチームでマッチングに参加して、足りない人数を揃えるという方法も可能だ。


「ですね。……っていうか、一人から参加できるって書いてあったけど、本当に一人でクリアできるのかな?」


「どうかな? 一応、参加する戦力に応じて難易度調整はされるらしいけど、一人じゃ難しそうだよね」


「うんうん。それにソロで挑戦するより、戦力を揃えて強いボスを討伐した方が沢山ポイントを貰えるように調整されてるって書いてあったから、敢えて一人でやる必要はないよ」


 田村はそう断言したが、世の中にはMMOでもボッチプレイを貫く者(孤高のプレイヤー)も中にはいるので、必ずしも一人でイベントに参加する者がいないとは言い切れないところが、MMOの奥深さと言える――かもしれない。


 この三人の中でも天都は、<ミリオンワールド>以前は若干ソロプレイヤー寄りであったため、田村の言葉にビミョ~な表情になっていた。


「えーっと、まあクリスマスイベントについては坂本さんに相談してみるとして……、取り敢えず目先の重大イベントは今日の午後ですね!」


「だね。いよいよ今日の午後に、カフェ・トイボックスがオープンだからな!」


 元気づけるように天都と五十川が声を掛けると、事実上の店長――名目上は真白ということになっている――である田村が唐突に頭を抱えた。


「うわぁー! もー……、実は今朝からちょっと緊張してるんだから、思い出させないでよ~」


 情けない声を上げる田村の様子に、二人が顔を見合わせる。


 ゲーム内でのこととは言え、自分の店をオープンさせるのだから、やはり多少の気負いはあって当然というものだ。しかも<ミリオンワールド>では未だに見かけない、プレイヤーによる飲食店で、その上魔物(モフモフ)カフェという間違いなく初めての試みである。むしろ緊張して当然というべきであろう。


「ま、落ち着くまで俺たちも手伝うからさ」


「うん、だから多少のトラブルはあって当然くらいに考えて、リラックスして頑張ろう」


 ちなみに天都がこういう風に考えられるようになったのは、映画撮影の際、責任者としていくつものトラブルに見舞われながらも、周囲の助けを借りてどうにか乗り切り、完成まで漕ぎ付けたという経験があるからである。それ以前の天都だったら、トラブルが無いようにと必要以上(・・)に考え過ぎて、ガチガチに固まっていたことだろう。


 二人がそれぞれ田村の左右の方をポンと軽く叩いて勇気づける。――なかなか息の合ったフォローだな、などと田村は思いつつ二人に「ありがとう」と伝えた。


(元気づけてくれたお礼に、ちょっと二人の背中を押してあげよう。うん、これはお礼。決してからかうわけじゃないのよ。ニッシッシ☆)


「と、こ、ろ、で~。イベントと言えば、こっちのクリスマスイベントはどうするつもりなの、お二人さんは?」


「へうっ!?」「んなっ!?」


 お二人さんと言われたからには、間違いなく“ペアでダンスパーティーに参加”するのかを聞かれたということだ。適当にはぐらかすことが出来なかった二人が、妙な声を上げて立ち止まった。


 田村が二歩ほど前に進んで振り返ってみると、顔を見合わせていた天都と五十川が弾かれたように顔を逸らすところだった。二人の耳が赤いのは、外が寒かったから――なわけではないだろう。


 こんな大きな反応をするという事は、どうやら二人は自分が想像していた以上に互いのことを意識しているらしい。軽く突っつく程度のつもりだった田村は、「これはちょっと失敗したかなー」と内心でほんのちょっとだけ反省しつつ、立ち止まった二人を促して教室へと向かうのであった。




「ねね、あの二人ってどうしちゃったの? なんか様子がヘンじゃない?」


「そうですね。なんというか、こう……見ていると、もどかしくなるような……」


「そね。気にしなきゃいいんでしょうけど、あのムズムズする空気感って妙に目を引くのよねぇ」


「あー、やっぱり? 実はアレ、私のせいなんだ。これこれしかじかで」


「なるほどね~。一応、ちょっとずつ仲が進展してるってこと、なのかな?」


「そうなんだろうけど、傍から見ればあの二人って、もう普通に両想いだよね?」


「まあまあ田村さん、そう仰らずに。無責任な外野としては、どう見ても両想いの二人が、近づいたりすれ違ったりするところを見る方が面白いのではありませんか?」


「フフフ、全くその通りね。くっついた後はもう、イチャコラするだけだものね。面白くもなんともないわ(ニヤリ★)」


「も~、二人とも? 確かにそうかもだけど、タテマエってものがあるでしょ~」


「は~い、申し訳ありません」「あら、失礼。私としたことが」


「…………(この三人って、けっこーイイ性格してるよね……)」







 現実リアルでは寒波が来てすっかり冬となっているが、<ミリオンワールド>では季節の変化というものが無く、スベラギは今日も今日とて過ごしやすい気候のままだ。


 季節の変化が無いというのはRPGではありがちなことなのだが、MMOのように年単位の長期にわたってプレイするゲームだと、現実リアルに合わせた季節感がなんとなく欲しくなるものだ。――というか、たまに変化を持たせないと飽きてしまうのである。


 なので、春夏秋冬に合わせてホームの模様替えをしたり、装備やカラーリングを変えたりするのは割とポピュラーな遊びだ。こだわる人だと、課金アイテムの家具やおしゃれ装備――外見のみを変化させるアイテム――をわざわざ購入することもあるくらいなのである。


 季節ごとに開催されるイベントも、その種の遊びの一環と言えるだろう。普通に考えると、ゲームの世界観とは決して合うはずのないクリスマスやハロウィン、バレンタインなどを期間限定でねじ込むのである。


 さて、オフィシャルの季節イベントとしては二番目となるクリスマスイベントは、発表されるなり掲示板や町中で話題となっていた。自分の予想を語る者、イベントが始まる前にアーツを習得しようとレベル上げに走る者、レイドを組む相手を探しに呼びかけを行う者など、スベラギは俄かに賑わいを増していた。




 ――そんな中、ギルド“アタシとふれんず”のギルマスことオネェさんは一人、騒々しいメインストリートから離れ、路地へと入って行った。目的地は本日オープンする予定の、恐らくは<ミリオンワールド>初となるであろうプレイヤーによる飲食店だ。


 それだけでも行ってみる理由は十分な上に、マーチトイボックス(弥生のおもちゃ箱)がプロデュース(?)している店とあらば、かの露店のお得意様第一号を自認するオネェさんとしては行かないという選択肢は有り得ない。というわけで、まだ開店時間まではちょっと時間があるにもかかわらず、こっちでも一番乗りを目指し、足早に向かっているのである。


 角を曲がると、少し先に目的のお店が見えて来た。ちょっと奥まったところにあり、隠れ家風になっているところが悪くない。ただオネェさんが想像していたよりも、かなり大きい店舗で、少々驚いてしまった。そして、驚いたと言えば――


「あ、オネェさん! 来てくれてありがとうございます。でも開店まではまだ少し時間がありますよ?」


 店の庭に出してあったテーブルセットで、弥生と清歌、そして悠司の三人が寛いでいたのである。


「大丈夫、分かってるわ。どうせならこのお店でも一番乗りを狙ってみたのよ。……それよりあなたたちは、こんなところで油を売ってて良いの?」


「あ~、実はこの店の運営は友達にお任せなんです」


 開店準備は手伝ったけれど、実際の運営に手を出すわけにはいかないので、今はこうして庭に出ているのだ。ならば三人がなぜここに居るのかというと、万が一、行列が出来るほど客が大挙して来た場合の列整理など、店の外での雑用をするために待機しているのだ。ちなみに清歌は余裕があれば、似顔絵屋をやるつもりでいる。


「まあ、なんにしても来てくれてありがとうございます。開店まで時間があるので、これをどうぞ」


「どういたしまして。何かしら……、チラシ?」


 悠司がオネェさんにチラシを手渡したタイミングで、プカリと浮かぶクラゲを連れた女性が現れた。


「海月姐さんもようこそ。よろしければこちらをどうぞ」


「こんにちは、御前。オネェさんも、おひさー」


「お久しぶりねぇ~。ギルドの調子はどう? ご活躍のようだけど」


「ご活躍って……、まあメンバーも増えたし結構イイ感じよ。御前のお陰で順調に従魔が増えたから、ホームがちょっと手狭になって来たのが目下の悩みってとこね」


 収穫祭イベントの時、清歌からノンアクティブの魔物と契約する条件をレクチャーしてもらった海月姐さんは、イベント終了後にギルドのメンバーを総動員して、より正確な条件を割り出した。そしてその情報を掲示板に上げたことで、これまでずっと不遇とされてきた魔物使いがようやく日の目を見たのである。オネェさんの言った、“ご活躍”とはこのことだ。


 ノンアクティブの魔物は戦闘能力でアクティブよりも一段落ちる傾向があるので、同レベルであれば魔物使いが戦力的に若干劣るという評価は変わっていない。が、カピバラやウサギといった、駆け出しのころに誰もがお世話(・・・)になった魔物を心置きなくモフれるというのは魅力があるらしく、最近では“ギルドを作ったら必ず一人は魔物使いを”というのがトレンドなのだとか。


 ちなみに魔物使いの心得を取得する時にダイアローグジェムから伝えられる警告は、海月姉さんが掲示板に情報を上げた一週間ほど後でなくなったようだ。


「順調そうで何よりね」


「ええ、まあ……ただねー」海月姉さんが、ほうと溜息を吐く。「従魔が増えたものだからモフりタイムも増えちゃって、冒険の方がなかなか進まないのよね……」


 なるほどそれはありそうなことだ――とオネェさんは納得すると同時に、思わず笑ってしまった。今はようやく増えた従魔で満足しているのだろうが、その内まだ見ぬ魔物モフモフを求めて冒険に出たくなる違いない。


「まあ、焦る必要も無いから、今はギルド全体がまったりモードね。だからちょっと気分転換も兼ねて、トイボックスさんのお店に遊びに来たってわけ」


「なるほどねぇ。で、このチラシは……と」


 手渡されたチラシに改めて目を落とす。A4程の大きさの紙に、店の名前と提供しているメニュー、そして他にもポーション類やマーチトイボックス(弥生のおもちゃ箱)の玩具アイテムも取り扱っていることが、シンプルかつセンス良くまとめられていた。


 用紙の下の方にはインクペンのラフな線描と水彩による色付けで店の外観が描かれていて、空の部分の一部が文字の背景になってる。このままポスターとして飾っておいても良さそうな出来である。


「あ、私のと絵が違うわね。こっちはお店の内観が描かれてるわよ」


「あら、本当ね。どっちも素敵ねぇ~」


 妙なところに凝るな――と一瞬思ったものの、そもそも彼女たちは玩具アイテムを売る露店を開くような子たちなのだ。この程度は普通の範囲内なのだろう。


 メニューを見ると、飲み物はコーヒー、カフェオレ、紅茶、ミルクティー、フルーツミックスジュース、野菜ミックスジュース(トマトベース)の六種。食べ物はクッキーとチョコレートのセット、ショートケーキ、ベイクドチーズケーキ、プリンアラモード、手作りアイスクリームの五種類となっている。それぞれ名称の横に、ステータスアップの効能が括弧書きされているのがいかにもゲームっぽくてちょっと面白い。


 数が少々物足りないのは、最初の内は数を絞って様子を見るつもりなのだろうとオネェさんは推測した。


 ――と、メニューの一番下からちょっと離したところに、まだ何か書かれていることに気付いた。


「……野菜スティック? マヨネーズでもつけて食べるのかしら?」


「ナッツアップルは分からなくも無いけど、甘さ超控えめクッキーは謎ね? あ、この蜂蜜(小皿)に付けて食べるのかしら?」


「それなら、最初っからクッキーを注文すればいいんじゃない?」


「……それもそうね。あと謎と言えば、この注釈も謎よね」


 野菜スティックなどの謎メニューが並ぶ行のさらに下に、店内では写真撮影が出来ない設定になっているという注釈が書かれていた。しかも飲食物を注文した人は、希望すれば店員さんが写真を撮影してくれるとのことだ。


 全くもって意味が分からず首を捻る二人は弥生たちに尋ねてみたものの、「それは店に入ってからのお楽しみ」とはぐらかされてしまった。


 それからさらに女性二人組のお客さんがやって来て――露店の方の常連さんだった人だ――チラシを受け取り、やはり首を捻っていた。


 そうこうしている内に予定の時間となった。カフェ・トイボックス、オープンである。




「「「「いらっしゃいませー」」」」


 先頭のオネェさんがドアを開くとカランコロンとベルの音が鳴り、さらに店員さんの声が出迎えてくれた。


 男女二人ずつの店員さんはカウンターの内側とフロアに、それぞれ二人ずつ分かれていた。少し緊張した面持ちの四人は、白いシャツに黒いベスト、男性は黒のパンツで女性は黒のスカート、そして腰から下の黒いエプロンと、オーソドックスなカフェ風の装いだった。厨房に立つ女性だけ、胸まで覆うエプロンと三角巾を身に着けている。


「どうぞ、お好きな席にお座りください」


 店員さんに促されオネェさんと海月姉さんはカウンター席へ、二人組の方はテーブル席へと腰を落ち着けた。


 取り敢えずコーヒーを注文したオネェさんは、店内をぐるっと見回した。大きな窓から光が差し込む店内は明るく、とても居心地がいい空間になっている。天井でのんびり回っているシーリングファンもいい雰囲気だ。


 店内の一角にはマーチトイボックス(弥生のおもちゃ箱)の露店とほぼ同じものが再現されている他、テーブルの上や飾り棚などに木彫りのヒナを始めとする玩具アイテムが飾られている。それらを見ながらお茶やお菓子を食べ、気に入ったものがあったら買っていける――そんなコンセプトのお店なのだろう。


 ――などと考えていたら、視界の端を何かがチョロッと掠めていった。店の角付近にある柱の方だ。そういえばあの柱には横木や小さな台が取り付けられていて、柱というよりは飾り棚の一種なのだろうが、何も置かれていない。


 一体何なのかと見ていたその何も置かれていない棚に、しゅたっと小さなものが降り立った。栗鼠のような姿をしていて耳が長く、首を傾ける仕草が可愛らしい――


「て、てて、店員さん! 大至急、ナッツアップル下さい、ナッツアップル!」


 小さな声で叫ぶという器用な真似をした海月姐さんは店員からナッツアップルを受け取ると、静かに席を立ち柱へと近づくと、ナッツアップルを乗せた手を差し出した。


 台の上に乗っていたナップルリッスンはフンフンと鼻を鳴らした後で、サッと両手を伸ばしてナッツアップルの実を確保すると、それを口にくわえたまま柱を登って行った。そして上の方の横木に座ると、カリポリと食べ始めるのであった。


「はわぁ~、かわいい……。リッスンに初めて餌付けしちゃった……」


 オネェさんからは餌を上げて逃げられてしまったようにも見えたのだが、海月姐さんにとってそんなことはどうでも良く、うっとりと蕩けた表情でナップルリッスンを見上げている。


 というのもナップルリッスンは極めて警戒心が強く、カピバラやウサギには近づけるようになってもまだ逃げられてしまうのだ。またそもそも近づくにはかなり高くまで木に登る必要もあり、ギルド全体でもまだ仲間にすることが出来ずにいる魔物の一つなのだ。


「えっ? じゃああの椅子の上にいるウサギも……まさか本物?」


 テーブル席に着いた女性が驚いて声を上げると、それに反応したのか店の壁際に置かれた予備の椅子の上で丸くなっていたウサギが目を開けて一つ欠伸をすると、ぴょんぴょんと女性の方へ近寄り、「呼んだ?」とでも言いたげに見上げた。


「こっ、これって、抱き上げちゃっても大丈夫……、なんです?」


「相手が嫌がらなければ大丈夫ですよ」


「疲れたり、飽きたりしたら自分から逃げ出しちゃうんで、その時は放してあげて下さい」


 ウサギに視線を固定したまま誰にともなく尋ねた女性に、フロアにいた二人の店員が回答する。


「分かりました。……で、では」


 女性が恐る恐る手を伸ばしてウサギを抱き上げ、膝の上に座らせる。


「いやぁ~、可愛い~、柔らか~い、あったか~い……」


「私も私も……。うわ、モッフモフだ、いい手触りー」


 もう一方の女性もウサギの横にしゃがみ込むと、頭をそっとナデナデする。ウサギの方もまんざらでは無いようで、目を細めていた。


 そして女性二人組は椅子の上にウサギを座らせると、野菜スティックを注文して交互に食べさせていた。


「あー、可愛かったー。手に乗ってはくれなかったけどねー」


 ナッツアップルを全て食べさせた海月姉さんが、満足げにカウンター席へと戻って来た。そのタイミングで注文していたカフェオレが差し出される。


「ありがと。……うん、美味しい」


「それにしても、良く考えたわねぇ。これって猫カフェ……の魔物版ってことよね?」


 コーヒーを飲みながら店内を見回していたオネェさんが、カウンターの向こうにいる店長らしき少女に尋ねる。


「はい。元ネタは猫カフェだと思います。発案者は魔物モフモフカフェと呼んでいましたね」


「発案者……ってことは、やっぱりこのアイディアを出したのって……?」


「ええ、トイボックスの皆さんです」


 笑顔で答える店長さんに、なるほどと頷く。玩具アイテムや似顔絵の時も思ったことだが、彼女たちは目の付け所がちょっと変わっている。


「うーん、ぬかったわー……。魔物使いギルドだっていうのに、こんなアイディアに気付かなかったなんて……。そうよね、自分たちで愛でるだけじゃなくて、沢山の人に可愛がって貰うっていう方法もあったのよね」


 店内をちょこまか動き回っているナップルリッスンを目で追いつつ、海月姐さんが心底感心した様子に悔しさをちょっとだけ滲ませて語った。これが全く知らない魔物使いプレイヤーが開いた店だったらもっと悔しかったのかもしれないが、この店はいわば師匠(のような存在)が手掛けた店なので、割と素直に感心できているのだ。


「サプライズっていうのはこのことだったのね。……流石はモフモフ御前」


「……ところで、ナッツアップルと野菜スティックは分かるけど、こっちのクッキーと蜂蜜っていうのはどの子にあげるものなのかしら?」


 先ほど貰ったチラシに一段おいて記載されていたメニューは、要するに魔物たちに上げるおやつだったのだろう、というのは分かっている。


「甘さ超控えめクッキーは、どの子にも上げられる汎用おやつですね。蜂蜜は店長の好物なんですけど……。あ、ちょうど今、起きました。店長~、もうお店開いてますよ、お客様も来てるんですからね」


 自分たちが話していたのは魔物用のおやつについて――だったはずなのだが、彼女は何故か唐突に“店長”の話をしだした。はてこれはいったい?


 カウンター席に座る二人が訝しんでいると、カウンターの上へ何か白くてモコモコしたものがよじ登って来た。


 固唾を飲んで見守っていると、遂に登り切った白いヌイグルミ風のクマがペタリと腰を下ろして片手を挙げた。


「モキュッ!」『いらっしゃいませ!』


「こちらが、カフェ・トイボックス店長の真白さんです」


「「ええ~~~~っ!?」


 従魔が吹き出しを使ってしゃべった上に店長と紹介され、二人は目を円くして驚きの声を上げる。そんな様子を見ていたフロアの店員二人は、なにやら「分かる分かる」とでも言いたげな表情で何度も頷いていた。




 その後、カフェ・トイボックスには露店のお客さんだった人たちが訪れ、まずまずの盛況となった。


 魔物モフモフカフェのアイディアは大当たりで、来店した者は最初に皆驚き、次いで初めて触れるモフモフにほっこりするのであった。中には何度も飲み物をお代わりして長時間居座り、今日店内にいたすべての魔物をモフっていったツワモノまでいる。


 それだけ盛況だったのなら、さぞや掲示板で話題になる――かと思いきや、奇妙なことにちらほらと話題が出るだけだった。しかも単にカフェがオープンしたという話で、魔物モフモフカフェについては全く掲載されていなかった。


 それは何故かというと――


「あんまり話題になっちゃうと、お店が混んでモフれなくなりますからね」


「そうねぇ、こういうお店って、知る人ぞ知るって感じで丁度いいのよ」


「まあ、その内掲示板にも上がるでしょうけど、それまでは……ね」


 ――ということである。そしてそれは、店を訪れた者共通の認識だったようだ。


 こうして魔物モフモフカフェの話題は口コミだけで広がってゆき、カフェ・トイボックスは図らずも“スベラギの隠れた名店”への道を歩み始めるのであった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ