#9―03
清歌たち五人は学校帰りに<ミリオンワールド>をプレイした日は、現実の感覚に慣れるための時間を取る他に寄り道をすることは殆ど無い。基本的に真面目な弥生や悠司は宿題と予習をちゃんとするし、絵梨は読書、聡一郎は家事と鍛錬、清歌は創作活動とそれぞれ結構予定が詰まっているからだ。
その感覚を慣らす為の時間は普段、飲み物片手にちょっとお喋りをして過ごすのだが、今日はオフィシャルショップを覗きに行くつもりでいる。というのも、アイテム出力サービスが今週から正式に始まり、サンプル品もいくつか並べられているそうなので、ちょっと見に行ってみようということになったのだ。
「そういや、ちょっと気になったんだが……、五十川と天都さんは一体どういう関係なんだ?」
天都と五十川よりも一足早くログアウトした清歌たちは、現在更衣室にて着替え中である。
悠司としては本当にただ二人の微妙な距離感に疑問を感じただけで、要するに興味本位であり、答えられないようなら別にそれでも構わないと思って、軽く尋ねてみただけである。が、女子更衣室側でそれを聞いた三人は、同時にピタリと着替えの手を止めてしまった。
物件に関する相談のために合流した時、男子には聞かれないようこっそり天都に聞いてみたところ、冒険自体はお互いに足りない部分を補いあって割とスムーズにできたそうだ。一休みしているときなど雑談も結構したが、特にグイグイ迫って来るようなことも無く、ごく紳士的に接してくれたとのこと。
話をしている時の口調や表情から察するに、どうやら天都は五十川が自分に気があるのかもしれないという可能性は、ほぼ無いだろうと判断しているようだった。
ただ最初の経緯を考えると、ただ単に同時期に<ミリオンワールド>を始めるクラスメートだから誘ってみただけというのも考え難い。しかも今日初めて会った悠司が、傍から見ていて疑問を抱くような様子だったらしいことを考えれば、やはり何かしら特別な感情はある――のかもしれない。
「ふむ。詳しくは知らんが、二人の間には今のところ特別な関係は無いのだろう。ただ五十川の方は、度々天都さんのことを気にしている素振りを見せていたな」
かなり的確な分析をする聡一郎ではあるが、実のところ恋愛感情の機微に鋭いわけではなく、視線やちょっとした体の動きなどからの分析だ。今回の場合、敵意は感じられず男女間の事なので、まあ恋愛絡みの感情があるのではないかと、かなり大雑把な推測をしたのである。
「あー、やっぱりそう感じるよなぁ。天都さんの方は、なんか戸惑ってるみたいだったが……」
ここで悠司は言葉を切った。どちらかといえば、聡一郎からではなく弥生たちの方からの返答を期待していたのだが、未だにそちらからの反応がない。どうやらこれ以上突っ込んで聞くのはやめておいた方が良さそうだ、と判断し話題を軌道修正する。
「そういえば五十川っていえば、春にウチのクラスにちょくちょく来てたな。なんだか新しく同好会を立ち上げるみたいな話をしてた」
「ん? 悠司は面識があったのか?」
「いや、話したのは今日が初めてだ。こっちに同中出身の奴がいたらしくて――」
話題が逸れたことに清歌たち三人は小さく息を吐くと、顔を見合わせて互いに微苦笑を浮かべた。
着替えを再開しつつ、三人は男子側には聞こえないようにヒソヒソ話を始める。
「ま、今のところ二人の関係は友達未満……ってところよね。それ以上は答えようがないんだけど……」
「はい。問題は五十川さんが今後どうなりたいと思っているか、ですね」
「だよね~、ぶっちゃけ私も知りたいし。っていうか、そこはむしろ悠司と聡一郎が男同士で聞き出して欲しいよね。私らが三人で聞き出そうとしたら……ね」
五十川を自分たち三人で取り囲んで問い詰めている姿を想像してみる。その状況で、美少女三人に囲まれてラッキー、などと考えられる男子高校生はそうはいないだろう。
「ふふっ、それは尋問めいてしまうかもしれませんね」
「そね、そこまでやる必要はないでしょ。それにしても五十川君って見た目ちょっとチャラいから、もっと押してくるのかと思ったんだけど……」
絵梨の五十川に対する印象はクラス内女子の平均的な評価と同じかちょっと辛めといった感じであり、この点については弥生と清歌も同じである。身近にいる男子が悠司と聡一郎なので、軽めの男子に対する評価がちょっときつくなっているのだ。
「う~ん、そう考えるとやっぱり天都さんに気があるわけじゃないのかな? 実は見た目ほどチャラくないっていう可能性もあるけど……」
「<ミリオンワールド>内だからこそ、気を付けているのかもしれませんね」
「ああ、その可能性もあるわねぇ。クラスメートへのセクハラで運営から警告……なんて、笑い話にもならないわよね」
「ふむふむ……。だとすると、普段の五十川君よりも紳士的になってるってことなのかな?」
何やら五十川の評価がチャラい男子から、ただのナンパヤローへと急降下中だ。
「フフフ……、ま、なんにしても憶測にすぎないんだから、この話はこの辺でやめときましょ。……まだ初日なんだし、“二人の物語”は始まったばかりよ(ニヤリ★)」
野次馬根性丸出しの台詞と共に人の悪い笑みを浮かべる絵梨に、弥生と清歌はクスリと笑った。三人だってお年頃の女子高生。クラスメートの恋バナ――と言えるかはまだ微妙だが――には興味津々なのであった。
着替えを終えた清歌たち五人は、いつものようにウェアの返却手続きを済ませると、オフィシャルショップへと足を運んだ。
ここに来るのは八月以来になるが、いつの間にやら商品ラインナップにトレーナーやセーターにマフラーなどが加わり、秋冬向けに衣替えしていた。
そんな中、レジ横にゲーム内アイテム出力サービスのコーナーが新しく設けられていた。サンプルが並べられたショーケースと、ワールドエントランス内でよく見かける端末が二台設置されており、この端末で手続きをすれば後日実物が自宅へ届くというシステムである。ちなみに支払いは旅行者の場合はこのショップのレジで、冒険者の場合は認証パスの利用料金と一緒に請求かレジでの支払いかを選択できる。
事前にメールマガジンで配信された内容によると、端末に認証パスまたは旅行者カードを読み込ませ、出力したいアイテムを選択、出力サイズを指定して完成予想画像を確認、それでよければ確定して手続きは終了となるらしい。
――らしい、というのは現在端末とショーケース周辺には人だかりができており、ちょっと近づけない状態なのである。本当は端末をいじって、完成予想を確認するくらいまで試してみようかと思っていたのだが、きょうのところは断念せざるを得ないようだ。
「まさかこんなに混んでるなんて……、ちょっと予想外かも」
「そうですね。確かユーザーズサイトからも注文できるのですよね?」
「ああ。ただ、昨日ちょっと試してみたんだが、サイトの方だと完成予想画像が出てこないんだわ。あとこっちには出力サンプルが置いてあるからな」
「ふむ。確かに何も知らずにこれを利用するならば、まずは実物を見てどの程度の物が出来るのかを確認しておきたいだろうな」
「まあ実際、私らもサンプルを見た時はそっくりで驚いたものねぇ。……あ、それで欲しくなっちゃった人が端末に並んでるのかしらね」
せっかくショップに来たのだからと、秋冬ラインナップになった店内を見て回りつつ、五人は新サービスについて思うところを話している。
清歌の代理人と運営による話し合いの結果、売り上げから一定割合のロイヤリティーが月毎に支払われるということで合意している。そしてそれは<ミリオンワールド>の利用料金や認証パスの通信料の支払い、他にもこのショップやフードコートなどで使用できる一種の電子マネーとして、弥生をリーダーとするチームのIDへチャージされることになっている。
この話を聞いた時弥生たちは、最も重要なアイテムの原型を作ったのは清歌なのだから、それは清歌が受け取るべきだと主張したのだが、清歌はこの点については頑として譲らなかった。<ミリオンワールド>という遊びの中で、互いにアイディアを出し合いお店を出した結果として生まれた金銭なのだから、これはチーム全体のものにするべきなのだと。
妙に迫力のある笑顔で決して主張を曲げない清歌に、結局弥生たちも説得を諦め受け入れることにしたのである。一つには、サービスが始まったとしても一部の物好きが利用するくらいで、大した額にはならないだろうとタカを括っていたというのもある。
ところが蓋を開けてみればこの状態で、ハッキリ言って予想外であった。
もっともこれは弥生たちの読みが甘かったと言わざるを得ないだろう。なぜなら運営がちゃんとビジネスになるという見通しを立てて始めたサービスなのだ。むしろサービス開始直後にここが閑散としているようでは話にならない。
「サイトの方にもサンプル出力された実物の写真が載ってたんだが……、全部俺らの店の商品だったからちょっと笑った」
「そっか~、なんかちょっと照れ臭い気がするね。……ってことは、あそこにいる人たちって皆お客さんだったってことかな?」
「……そうとも限らないんじゃないかしら? 出力できるのは何も玩具アイテムに限ってはいないんだし、例えば……普段使ってる武器のミニチュアを欲しいって人もいるでしょ、たぶん」
「ふむ。……ところで、清歌嬢。ロイヤリティーに関する件は、俺たち以外にも適用されるのだろうか?」
「はい。話し合いは私の代理人と運営の方との間で行われましたけれど、基本的に誰に対しても同様に適用されるとのことです」
「ということは、今後それを目当てにオリジナル玩具を売る冒険者が増えるかもしれんな」
「そっか、どんな玩具が出て来るかな。見てみたいね」「はい、楽しみですね」「それは……、ねぇ?」「ん~、あんま期待は……」
弥生と清歌は新しい玩具店が出来れば面白そうだと単純に考えているようだが、絵梨と悠司は若干否定的な考えだ。
確かにロイヤリティーが入ってくるのは美味しい話のような気もするが、それには現実出力に耐えうるオリジナル商品を開発しなくてはならない。マーチトイボックスの場合は清歌の卓越したセンスと技術があったからこそそれが可能だったのであって、同じような芸当ができるものがそうそういるとは思えない。
なので恐らく今後、聡一郎が予想したように小遣い稼ぎ狙いのオリジナル玩具店は生まれるだろうが、弥生や清歌が期待するようなクオリティーの玩具が並ぶことは無いだろう――というのが絵梨と悠司の見解なのである。
「折角の機会ですから、ちょっと新しい商品でも作ってみましょうか」
「ん? 清歌、何か良いアイディアでも湧いたの?」
「先日のイベントで出現した、コミカルな野菜シリーズを作ってみようかと。……ああ、折角ですからバオバブ型のディスプレイ用ラックを作ってみるのもいいかもしれませんね」
「なるほど、そりゃイイな。あ、ついでと言っちゃなんだが、カボチャ繋がりでランタン風の置物も作るってのはどうかね」
「そういえば今月末はハロウィンね。……じゃあ、コスプレ装備の方もマントとかそれっぽいのを用意してみましょうか」
清歌の言葉から連想ゲーム的にハロウィン企画が立ち上がっていく。遺跡フィールドの攻略に当てようと思っていた時間を使えばできそうだが、攻略をしたがっていた聡一郎はどうだろうか? と思い絵梨が視線を送ると、意外にも聡一郎はこの企画に賛成した。
「聡一郎は遺跡の攻略をしたいんじゃない? いいのかな?」
「まあ、本音を言えばそうだが、季節物をやってみるのも面白そうだからな。それに物件の方も今日決まってしまったから、文化祭の準備が前倒しで始まるのではないか?」
「あー、店のインテリアとか早めに作っておいた方が良さそうだよね。この手の予定は時間が足りなくなるのが常だし……。じゃあ明日からは文化祭の準備をしつつ、新商品の開発をするってことで」
こうして雑談からの成り行きで、ハロウィン向けの玩具アイテムを開発することとなったのだが、新たに商品として並べられた野菜シリーズフィギュアとともに人気を博し、その結果スベラギでは季節イベントごとに関連アイテムを並べるプレイヤーの店が現れることとなる。――相変わらずまったくその意識が無いというのに、周囲に多大な影響を与えている五人なのであった。
地域で有名になるほど派手な百櫻坂高校文化祭は、当然クラスの出し物だけでは無く、数多くある部活動や文化祭の為だけに作られた有志団体も参加している。それだけの数の団体が参加していて、その準備に費やす時間が昼休みと放課後だけで足りる訳もなく、この時期は午後の授業二時限分がホームルームとなっている。
なお、この昼休みとホームルームの時間はクラスの出し物の準備に、放課後を部活動や有志団体の準備に当てるというのが、暗黙の了解である。流石は百櫻坂と言うべきか、クラス、部活動、有志団体の三つを掛け持ちするような猛者も相当数存在し、休み時間には校内を駆けまわる生徒がいるのも風物詩となっている。
余談だが、この時期自販機や購買の――ついでに言えば近所のコンビニでも――いわゆるエナジードリンクの類が飛ぶように売れるのだとか。イロイロと心配になる話である。
さて、弥生と芦田両委員長率いるクラスは、ドタバタしがちな一年生としては非常にスムーズに準備を進めている方だ。今日は喫茶店チームの作った試作メニューの試食と、衣装合わせをやり、残った時間で台本の読み合わせをする予定となっている。
前提としてこのクラスの出し物は映画製作と上映がメインであり、喫茶店――設定としては酒場だが――の方は雰囲気づくりといった位置づけだ。よって提供される飲食物も簡単なものとなっている。お菓子類はクッキーやシフォンケーキ、ブラウニーといった前日に作り置きできるものを中心に、当日作るのはホットプレートで作ることのできるパンケーキとクレープのみである。
喫茶店班のリーダーとなった田村による指導の下、昨日家庭科室と田村の自宅で作られた試作品が、昼食後の教室に手披露された。パンケーキとクレープについては、後日ホットプレートを持ち込んで作る予定だ。こちらは味も仕上がりも大凡見当がつくので、後回しにしても問題ないだろうという判断である。
「お~、このクッキー美味いな!」
「昨日作ったものでもちゃんとサクッとしてるね! 私が作ると出来立ては美味しいんだけど……」
「あ、分かる分かる、次の日になると……ね。あっ、ブラウニーも美味しいよ! 結構濃厚な味。……コーヒーが欲しくなる味かな?」
「こっちのシフォンケーキ? も、美味いぞ。フカフカで甘さも抑えめだ」
スイーツ研究会所属の田村が指導しただけあってどれも美味しくできており、男女ともに文句のない出来栄えだ。お昼ご飯を食べた直後だというのに、振る舞われた試作品はあっという間にクラスメートの胃袋へと消えてしまった。
「……なんつーか、しょっぱいモノが欲しくならないか?」
ペットボトルのお茶を飲んで一息ついたとある男子がポツリと漏らした。
「あ~、確かにメニューが甘いものに偏り過ぎかもな。でもしょっぱいお菓子って……煎餅とかか?」
「いや、煎餅は無いだろう……っていうか、映画の上映もするんだからバリバリ音が鳴るようなのはマズい」
「じゃあ……ホットプレートがオッケーなら、お好み焼きとか焼きそばか?」
「待った待った! そんなにメニューをカオスにするわけにいかないでしょ。っていうか喫茶店にお好み焼きって……」
「でも設定的には食堂ってか酒場……なんだろ?」
「まぁ……そうなんだけど。でも材料の仕入れの問題もあるし、保管の問題もあるからなぁ。やっぱりそんなにメニューは増やせないよ」
「あ~、そっか材料の問題があるか。……じゃあポップコーンなら? 映画鑑賞には付き物だろう」
「う~ん……スナック菓子は市販されてるものを買うことになるから、結構高くつくんだよねぇ」
「あっ! ウチにポップコーンメーカーがあるぜ。確か材料費だけなら結構安くつくってオカンが言ってた……気がする。結局あんま使ってねーけど」
「それ本当? もし使わせてもらえるなら、具体的な材料費とか調べてくれる?」
「分かった、調べておく」
感想や新たな提案も一通り出尽くしたところを見計らって、弥生がパンパンと手を叩いた。
「はいは~い、取り敢えず第一回試食会はこれまで。細かい感想とか、こういうメニューが欲しいとかは、喫茶店班の人に後で直接伝えてね。田村さんの方からは何かあるかな?」
何かあったかと田村が腕を組んで首を捻っていると、喫茶店班のサブリーダー――水城瑠奈。田村の友人で同じくスイーツ研究会所属――から腕を突っつかれ、何かを耳打ちされる。基本的に田村はメニューを考えることに注力しており、それ以外の事務的なことなどは水城が任されているのだ。
「そうだった。えーっと、お客さんの回転を上げる方法とか、あと映画上映の切り替えとかその辺についてまだいい手が浮かんでないの。だからいいアイディアがあったら教えて欲しいんだ。みんな、よろしくお願いします」
田村と水城が揃ってぺこりと頭を下げると、「分かった」「考えておくね」などの声があちこちから上がった。
「う~ん、それも何パターンか候補を挙げてもらって、一回シミュレーションした方がいいだろうね。よしっ、じゃあ次は衣装合わせだから、役者以外は教室の外に出てね」
クラスメートたちがゾロゾロと教室の外へ出ると同時に、着替えをする役者たちがカーテンを閉め、衝立を用意する。この時期は着替えが必要になることが多く更衣室が混むので、演劇などを行うクラスは申請すれば、キャスター付きで屏風のように折り畳みが出来る衝立を借りることが出来るのである。クラスメートを教室の外に出したのに衝立を用意するのは、無論男女の間仕切りの為である。
ちなみに役者メンバーは皆着替えることが分っていたので、制服を脱いでも下に短パンやスパッツ、Tシャツなどを身に着けている。下着姿や、まして裸を晒すようなことには絶対にならないので、極論すると衝立も何もいらないのだがそれとこれとは別の話である。着替えるという行為を異性に見られることに問題があるのだ。
どうでもいい余談だが、実際に「じゃあ衝立なんて借りてこなくてもいいじゃん」などと口走った愚かな男子がいて、複数の女子から“虫ケラを見るような白い目で見られる”という制裁を受けることとなっていた。――合掌。
簡易的な更衣室の準備が整い、衝立の内側で清歌たちが用意してきた衣装へと着替えを始める。とはいっても、制服がベースである従業員(=天都)と女将さん(=絵梨)の二人はすぐに着替え終わってしまった。清歌が自前で用意してきた衣装に淡々と着替えている一方、着替えに一番時間がかかりそうな弥生が、机の上に広げた衣装を見つめたまま溜息を吐いていた。
「フフフ、どうしたの弥生、さっさと着替えなさいな(ニヤリ★)」
「む~、他人事だと思って……」
「坂本さん、<ミリオンワールド>ではそこまで渋ってなかったですよね? 何でですか?」
「あ~……うん、なんていうかさ……。あっちでは現実での知り合いが殆どいないから、まあ別にいいかなって思えるんだけど、クラスでこの格好を晒すのは改めてちょっと抵抗が……」
「あー、ちょっと分かるかも」「まぁ、そね。分からなくはないわね」
などと渋っていると、着替え終わった清歌が黒いマントを翻して振り返り、弥生へ笑いかけた。
「大丈夫ですよ、弥生さん。とてもよくお似合いでしたから、皆さんもきっと喜んで下さると思いますよ」
清歌の発言は紛れもなく事実であるが、一方で弥生の懸念を払拭する役にはまるで立っていなかった。なぜなら清歌の言葉それ自体が、弥生が渋っている原因そのものだったからである。
ただ幸か不幸か、清歌の言葉は弥生の耳には殆ど入っていなかった。というのも――
「ふわぁ~、さやか、かっこいい……」「あっちでも見たけど、やっぱり金髪だと印象が変わるわね」「…………黛さん、素敵です」
衣装に身を包んだ清歌に見惚れていたからである。
何にせよ、弥生をこのまま呆けたままでいさせるわけにはいかない。絵梨は弥生の脇腹を肘で突いて現実に引き戻すと、タイムリミットを告げた。
「ちょっと弥生? 見惚れてないでいい加減着替えなさいな。このままだとみんなが教室に入ってきちゃうわよ?」
「……しょうがない。覚悟を決めるよ……」
覚悟を決めると言っておきながら、弥生はビミョ~にノロノロと着替えに取り掛かる。そのどこか未練がましい抵抗に、三人は思わず小さく吹き出してしまう。
「そう言えば、清歌のその服はみんな自前なのよね? そのマント、どうしたの?」
「あー、コレ……ですか」マントの端を手で持ち、身を包むようにバサリと翻して見せる。「実は、兄の私物です」
清歌とて、まさか兄がマントを持っているなどと思ってはいなかったのだが、改造してマントにできそうな、もう使わなくなった黒いコートがないかを尋ねたところ、なんとコートは無いがマントを持っているから使っていいと渡されたのである。
ちなみにこのマント、とある仮装パーティーの為に購入したもので、結局使ったのはその時の一回だけだったとのこと。決して普段からこれを着て出歩いているわけではない。ただその一回の為だけに、かなり上質な生地としっかりとした縫製のコレを買ったのかと思うと、妹としては何をやっているのかと突っ込みたくなるところである。
「フフ、まあそんな呆れた顔をしなさんな。清歌の衣装は一番お金がかかりそうだったんだから、ある意味お兄さんはファインプレーよ」
絵梨の言葉に清歌は肩を竦めて見せた。絵梨の言葉は事実だが、素直に認めたくないという、ちょっと複雑な妹心である。
「そうですね……、お陰で弥生さんの可愛らしい衣装を揃えることができましたから、良しとしましょうか」
今回の衣装は予算の都合上、基本的にはなるべく制服を流用し、それ以外の服は<ミリオンワールド>と同じ大手衣料品量販店で購入している。最も衣装代がかかりそうな清歌が全て私物で揃えられた分、弥生の衣装に予算を回せたという側面もあるのだ。
余談だが、購入した衣装は文化祭終了後に役者が貰ってよいこととなっている。ちょっとした役得なのだが、ガウチョパンツやワンピースはともかく、スカートを膨らませるパニエなど普段は使わないから貰っても困ると弥生が嘆いて、皆の笑いを誘っていた。
「着替え終わったよ~。どうかな? これで大丈夫そう?」
可愛らしい衣装に身を包んだ弥生が、どこか疲れたような口調で尋ねると、清歌たち三人は笑顔で大きく頷いた。
「ふぅ~、じゃあ仕方ない、お披露目といきますか」
念のために衝立の向こう側の男子にも声を掛け、準備完了の返答を得てから、弥生は教室の外へ出ていたクラスメートを呼び戻した。
カーテンを開け、明るくなった教室に一列に並んだ役者一同をみて、クラスメートたちが感嘆の声を漏らす。見慣れているはずのクラスメートが、こうやって衣装を着ているところを目の当たりにすると、いよいよ本格的に文化祭が近づいてきているのだという気がしてくる。
「わ~、なんか本当に喫茶店って感じがするね!」
「や、だから本当に喫茶店をやるんだって。相羽がなんだがコダワリの店にいるマスターっぽい感じだな」
「あはは、ホント、そんな感じね。こうやって並んでいるところを見ると、黛さんがちょっと浮いてるかな?」
「まあ、魔法使いは店員じゃないんだし、それは当然なんじゃない? っていうか黛さんカッコイイ……スタイル良い……。ヤバイ、惚れちゃいそう」
「マテマテ、踏みとどまれ! 変な扉を開けるんじゃない! ってか、みんな敢えて触れるのは避けてるようだが……」
「ああ、分かってる。だが、アレは……、ある意味黛さん以上だな」
「ちょっと、男子たち。おかしなこと言うのは禁止だからね!」
「わ、わわ、分かってるともさ。おかしなことじゃなきゃ、いいんだろ?」
「ええ、いいわよ。……じゃあ、いくよ? せーのっ!」
「「「「「委員長、カワイイ!!!」」」」」
その後しばらく、教室内は阿鼻叫喚――とまではいかないが、かなりの時間混沌とした状況に陥った。
聡一郎と夫婦役の絵梨がクラスメートにからかわれたり、清歌がリクエストに応えて吸血鬼っぽく女子の首筋に迫って黄色い悲鳴が上がったり、聡一郎がなぜかあったシェイカーを手にバーテンダーっぽくポーズを取らされたり――などなど。
ただやはり一番人気は娘役の弥生であり、クラスメートたちがぐるっと取り囲んでひたすらチヤホヤしていた。
最初の内は「カワイイ」とか「似合ってる」とか言っているだけだったのだが、次第に「小学生にしか見えない」やら「これが合法○○か!」などと言うものが現れ、しまいにはどこからか取り出したロリポップキャンディーなどのお菓子を上げようとする者まで現れる始末。
さすがの弥生もこれには我慢の限界を超えてしまったらしく、「うがーっ!」と奇妙な叫び声を上げるとクラスメートの包囲を突破して自分の席にドカッと座り、そっぽを向いてしまった。――完全にムクれてしまったようである。
ここに来てようやく、弥生を囲んでいた者たちもやり過ぎに気付いて、オロオロし始めた。普段ならば大抵傍にいる絵梨や清歌が、限界を超える前に制止に入るところなのだが、今回は二人とも手を外せない状況だったというタイミングの悪さも、この不幸な結果を生んだ一因であった。
ともあれ、やりすぎは反省するとしても弥生の機嫌を戻さないことには、この後の読み合わせも出来なくなってしまう。ヘタなことを言ってさらに機嫌を損ねては目も当てられないので、彼(彼女)たちは清歌と絵梨に助けを求めた。
「あちゃー、アレは完全に拗ねてるわね。滅多にないんだけど、ああなっちゃうと結構大変なのよねぇ……」
「弥生さんは寛容な方ですから……、ちょっと意外です」
「ああ、清歌は見たことが無かったかしらね。ま、本当に滅多にないから。今回はコンプレックスをしつこく弄られたから、堪忍袋の緒が切れたんでしょうね。……アンタたち、ちゃんと反省してる?」
絵梨にジロリと睨まれ、弥生を囲んでいた者たちが頭を下げて謝罪の言葉を口にする。どうやら本当に悪いことをしたと思っているようなので、絵梨はそれ以上追及するのを止め、一つ溜息を吐いた。
「さて、どうしたものかしらねぇ。責任感はあるから、読み合わせが始まればちゃんと参加すると思うけど……」
「その前に機嫌を直して頂きたいですよね。ちょっと私が行ってみます」
「そ? じゃあ、よろしく頼むわ」
クラスメートが固唾を飲んで見守る中、清歌が弥生の元へ歩み寄る。
「弥生さん、皆さんもちゃんと反省していますし、赦してあげられませんか?」
「清歌……、そう言われても……」
弥生としてはコンプレックスを刺激される役を頑張って演じるつもりなのに、それを面白可笑しく突っつかれるのでは、何も報われないではないかと思ってしまったのだ。
もうそんなことはしないとちゃんと反省しているのなら、この件は水に流してもいいと思うのだが、なんとなくささくれだった感情がおさまらない。そんなわけで仲裁に来た清歌の言葉を、素直に受け入れられないのである。
清歌にだけ聞こえるような小さな声で、自分の感情を吐露する弥生に、清歌は柔らかく微笑んだ。どうやら弥生は理性の部分では既に赦していて、怒りの感情を引っ込めるきっかけが欲しいようだ。
「やはり弥生さんは優しい方ですね。……では、これで機嫌を直して頂けませんか?」
そう言うと清歌は弥生の頬に唇を寄せ――チュッとキスをした。
「~~~~っ!!??」
「「「「「キャーーーッ!」」」」」
弥生は思わず立ち上がると、清歌の柔らかい唇の感触が残る頬に手を当てた。一瞬遅れて顔が真っ赤に染まる。
「さ、ささ、さやか、いったいなにを……」
「何をって、弥生さん。それはもちろんほっぺに……」
「ま、待った! その先は言わなくていいよ! あ~、も~、ビックリしたよぉ~。……まぁ、お陰で怒ってた気持ちもどっか行っちゃったけど……」
「ふふっ、それは何よりです。けれど弥生さん、もうちょっと慣れて頂かないと困りますよ?」
「ふぇ? 慣れるって……なんで?」
弥生の問いかけに、清歌は不思議そうに首を少し傾けた。
「……確か、脚本にありますよね? 娘さんの機嫌を直す為に、魔法使いが頬にキスをするシーンが」
「……あっ! そ、そういえば……」
脚本のト書きで読む分には、頬にキスくらい大したことないかなと思っていたが、実際にされてみると結構恥ずかしいものだということに気付き、愕然とする弥生なのであった。