#8―16 体育祭(後編)
「え゛っ?」
午前中最後の種目である借り物競争、その第三組に出場した弥生は、お題の書かれたカードを手に取って、思わず声を上げた。
お題のカードは横長のテーブルの上に、伏せられた状態でたくさん並べられており、弥生は迷うことなく正面一番手前のカードを手に取っていた。どうでもいいが、色違いだったり、大きさが異なっていたりするカードをわざわざ混ぜておくの、無用に迷うので止めて欲しいところである。
(“頭がbrilliantな人物”……ってナニ?)
確かブリリアントとは“光り輝く”という意味で、基本的には宝石などに使われる言葉――だったはずだ。あと高価な宝石の代表であるダイヤモンドの形状を、ブリリアントカットというのだと聞いた覚えもある。
だがお題は“頭が”と、しかも“人物”と記載されている。頭が光り輝く人物――と考えて、弥生の視線は自然と教員席の方へと向かってしまった。百櫻坂高校にも年配の男性教諭はおり、その内数人は頭髪の寂しいピカリと輝く頭の人も――
(いやいやいや、それは流石に頼めないよね……。いくら何でも失礼過ぎる)
競技前のアナウンスでは「選手には快く協力してあげてください」とは言っていたが、これはちょっと頼みにくいものがある。
というか恐らくこれは、選手がそう考えて躊躇するように誘導しているのだろう。だからこそ、わざわざ英単語で記述されているのだ。考えてみるとこの競技の地雷お題は、そのものズバリの地雷である場合と、解釈次第では上手く回避できる曖昧なものである場合とがあり、これは後者のパターンなのだろう。
ちなみに前者の場合は、お題を作った実行委員のせいにできるので、覚悟さえ決めてしまえば気楽と言えるかもしれない。むしろ後者には、モノによっては自分の嗜好やら性癖やらを晒さねばならないようなものも含まれるので、よりキツイと言えよう。――まあ、本音を隠して無難な選択をするという手もあるのだが、その場合は後で友達から突っ込まれる羽目になるので、葛藤はあるようだ。
チラリと周囲を見ると、どうやら単純明快な“当りお題”を引いたのは六人中一人だけだったようで、弥生を含めた五人はお題の紙を手にして微妙な顔をしたり、絶望の余りガックリとテーブルに手を付いたりしている。
ともあれ、このお題について何とかしなければならない。ポイントは“brilliant”という英単語だ。はて、光り輝くという意味の他に、何かあっただろうか?
(あっ、そだ、分からなければ聞けばいいんじゃない)
そう気づいた弥生は、知恵を借りるべく自分のクラスの応援席へと向かう。お目当ての人物は、英語がペラペラの――というかネイティブで喋れる我らがお嬢様である。
「ね、清歌、清歌~」
「私ですか? ご一緒すればよろしいのでしょうか?」
声を掛けられた清歌はお題に選ばれたのだと思ったようで、何やら嬉しそうな表情で弥生の方へ駆け寄ってくる。
「あ、ううん、そうじゃなくってちょっと聞きたいことがあるんだ。ブリリアントって単語の意味なんだけど、光り輝くって意外になんかあるのかな?」
「brilliant……ですか?」
「っていうか、弥生、一体どういうお題だったのよ?」
キョトンとする清歌の横から絵梨がお題について尋ねて来るので、弥生は「お題はコレだよ」とカードを手渡した。
「そうですね……、“素晴らしい”や“とても優秀”という意味でも使われますよ」
「フムフム、なるほど……」
日本語でも“輝かしい業績”と言った表現をするから、それと似たようなものなのだろう。ということは頭が凄く良いという意味になるが――残念ながら弥生にはそういう人物に心当たりがない。
ふと自分の正面に立ち少し首を傾げている友人のことを考えてみる。清歌は紛れもなくある種の天才であり、その才能は完全にアート方面に偏っている。既に輝かしいと言っていい程の実績を積み重ねているが、頭がとても優秀というのとはちょっと違うような気がする。
「う~ん……、頭がすっごく良い人か~。どうしよう、心当たりがないよ……」
もういっそのことお題を作った実行委員のせいにして、失礼を承知で男性教諭に協力をお願いするべきだろうか?
客席に都合よくお坊さんでもいてくれればいいのに――などと考えたところで、絵梨が溜息を吐きつつカードを返してきた。
「弥生、あんたが考えてることは分かるけど……、居るじゃない目の前に。綺麗な金髪が光り輝いてる子が」
「へ?」「はい?」
改めて清歌の頭に目を向けると、そこには手入れの行き届いた美しい金髪が、秋の日差しを受けて光り輝いていた。
「では、参りましょう、弥生さん(ニッコリ☆)」
言うが早いか清歌は応戦席から飛び出すと、弥生の手をギュッと握って、ゴールへ向かって駆け出した。
「ひあっ! さ、清歌~、ちょっ、速いよぉぉ~~」
グラウンドへ飛び出したスラリと均整の取れたスタイルの美少女と、可愛らしい面差しでネコミミを付けた、しかも意外とグラマーで走ると胸がたゆんと揺れる少女。当然のように二人は観客の注目を集める、のだが――
「なっ、一年八大美少女の二人が……」「手を繋いでる……だと」「なんと百合百合しい……」「しゃ、写真写真……」「そんなことより、坂本さんの……」「む、むむ、胸が揺れ……」「ちょっと男子! ヤラしい目、禁止よ!」「なにおぅ、そっちだって、黛さんにキャーキャー言ってんじゃねーか?」「んなっ! そ、そそそんな、ことは……」「なくもない……かな?(テヘッ)」「…………」
――どうにも客席は妙な盛り上がりをしているようだ。ちょうど一番の選手がゴールしたところだというのに、全くと言っていい程注目されていないのが、ちょっとお気の毒な感じである。
半ば清歌に引っ張られるような形の弥生は、二番の選手とは僅差で三番にゴールした。
『え~、お題は……頭がブリリアント? な人物。……確かに彼女の頭は金色に輝いていますね! お題、クリアーですっ!』
『……ま、実行委員が意図したクリアの仕方とは違うようだがな』
『あはは、そうですねぇ~。恐らくこのお題を考えた人は、テストや課題の恨みをセコーく返そうとしたんでしょうね。……それにしても、絵になるお二人でしたね! 仲良くギュッと手を繋いでる姿に、客席からは黄色い声援が送られていました。ワタクシもアナウンサーと言う立場を忘れt――』
『オーイ、もう四人目が来るぞー』
『……コホン、失礼いたしました。さて、四着目の選手が……今、ゴールしました。現国の松本先生に協力して頂いたようですが、お題は何でしょうか?』
『(ヤレヤレ、僕は解説役であってツッコミ役じゃないんけどなぁ……)』
三着でゴールした弥生と清歌は、商品として缶入りドリンクをゲットしてきていた。――のだが、二人ともちょっと変わったものを選んできたようだ。
「弥生が選んできたのは……スイカ烏龍ソーダ!? で、清歌の方は缶入りしるこ……って、なに貰って来てんのよ、二人とも……」
銘柄を確認した絵梨が、額に手を当てて首を横に振る。対してどう考えてもビミョ~なブツをゲットしてきた二人は、妙にテンションが高い。
「え~、だって烏龍ソーダだよ? 紅茶ソーダなら普通だけど、烏龍ソーダだよ!? しかもスイカのっ! こんなチャレンジャーな飲み物を売りに出すなんて、信じられなくない?」
「私、缶入りのおしるこがあるなんて知りませんでした。しかも餅入りと殊更記載されているということは、お餅が入っていないものもあるということですよね? お餅がないお汁粉は、もはやただの餡子ではないかと思うのですけれど……」
ただ今お昼休憩で、生徒たちは皆教室に戻っている。ちなみに体育祭は毎年、学食を来場した父兄たちに開放しており生徒は使用不可となっている。何でも生徒たちが学食で、普段はどんなものを食べているのかを知ってもらう為の貴重な機会なのだとか。
さて、三位の賞品にはネコミミカチューシャなどのグッズはなく、文房具類と清涼飲料水だけで、ちょうどこの後は昼食だったこともあり、二人は後者を選ぶことにしたのである。普通にスポーツドリンクかお茶を選ぼうと思っていたところ、奇妙な――というか怪しげな名称のドリンクを発見し、面白がって選んで来てしまったという次第である。
無論、普通に自販機やコンビニで買う場合、二人ともこんなものを選ぶことは無い。どうせタダなのだからということにイベント中の浮かれた空気も相まって、“こんなアホなものを貰うのもアリか”と受け狙いで貰ってきてしまったのである。
お弁当を広げた三人は、まずゲットしてきた怪しげなドリンクを飲んでみることにした。これは先に片付けてしまって、お弁当で口直しした方が良さそうだという判断である。
「おしるこは確かにおしるこですね! それにクルトンサイズのお餅が本当に入ってます。面白いですね……」
餅入りしるこを一口飲んだ清歌が感嘆の声を上げる。美味しいとか不味いとかではなく、缶入り飲料でおしるこを実現していることを評価しているようだ。
一方、スイカ烏龍ソーダを飲んだ弥生は、缶から口を離して暫くしてから顔を顰めていた。
「うわっ、これマズッ! ……でも面白い! ちょっと絵梨も飲んでみてよ」
「不味いものを薦めるなんて、友達としてあるまじき行為だけど……、ちょっと興味あるわね。折角だから一口頂きましょ」
弥生から缶を受け取った絵梨が、恐る恐る口をつけて一口飲む。
飲んだ瞬間にシュワッとしたソーダの感覚と、夏を想起させるスイカ独特の味と風味が舌と喉を流れて行く。案外美味しいじゃないかと思った直後に、ウーロン茶の後味が絵梨を襲う。それはスイカの風味と混然一体となって、なんとも名状し難い不味さとなっていた。
弥生に続いて絵梨まで奇妙な反応をすることに興味を持った清歌も一口飲み、やはりスイカ烏龍ソーダの餌食となって微妙な表情をする。
「あはは、ま~、ぶっちゃけ不味いんだけど……」
「そうですね。……ただ第一印象はスイカ味のソーダですよね?」
「不思議なことに後味の烏龍茶が混じると、滅茶苦茶不味くなるのよねぇ。……何なのかしら、コレ。もしかして狙ってるの?」
そう言ってはみたものの、絵梨自身もわざわざ狙って不味いものを作るとは思っていない。ただ普通に思わせておいて、不意打ち気味に不味くするというのが、妙に作為的に思えたのである。
二口目は飲む気に慣れなかった三人なのだが、やり取りを聞いていたクラスメートの女子が怖いもの見たさで回し飲みして、結局流しに捨てるようなことにはならずに済んだ。なお、餅入りしるこの方は誰も興味を持たなかったので、清歌が全て飲み干している。ちなみに清歌曰く、「不味くはありませんけれど、殊更缶飲料で飲みたいものでもありませんね」とのこと。
お弁当を食べ終わった頃、クラスメートの女子二名が弥生グループ(女子三人バージョン)の方へとやって来た。二人とも後ろ手に何かを隠し持っているようである。
「まっゆずっみさ~ん」「なっかはっらさ~ん」
二人が顔を見合わせてニヤリと笑みを浮かべ、さらに一部のクラスメートたちが緊迫した空気を漂わせる。
「はいっ、どーぞっ!」「二人にプレゼントだよっ!」
二人の手の中にあったものは、弥生が身に着けている物と同じシリーズと思われるカチューシャだ。一方は大きな三角形で、色は全体が黄色――というよりも金色で先の方がちょっとだけ白くなっている狐耳。もう一方は黒毛で縦に長く先が丸い兎耳で、片耳が中ほどで折れているものだった。狐耳が清歌へ、兎耳は絵梨の方へ差し出されているのは言うまでもないだろう。
コスプレ系のアイテムは、人に勧める時はなぜだか楽しいものだが、いざ自分が身に着けるとなると少々気恥ずかしいものがある。これはどうしたものかと清歌と絵梨が顔を見合わせていると、キュピーンと瞳を輝かせた弥生が、ここぞとばかりに攻め込んできた。
「フッフッフ、せ~っかくクラスメートがゲットしてきたものなんだから、二人とも着けなきゃダメだよね~。もちろん体育祭が終わるまでだよっ!」
「……分かりました」「……仕方ないわねぇ」
同じことを言って弥生に勧めた手前、自分たちだけ回避するわけにはいかない。ついでに言うと、いつも固まっている三人全員で身に着けるのならば、恥ずかしさも薄れるというモノである。
「は~い、それじゃまずは清歌に狐耳を……、で次に絵梨にウサ耳を……っと」
弥生の手で清歌の頭に狐耳が、絵梨には兎耳カチューシャが装着される。弥生も含めてケモミミカチューシャを身に着けた三人は、それぞれの雰囲気ともマッチして良く似合っていた。特に金色の狐耳は、学校中探しても清歌以上に似合う者などいないだろう
ちなみにクラスメートが受けた印象を纏めると、清歌は美しさで人心を惑わす妖狐、弥生は飼い主を翻弄する気紛れな仔猫、絵梨はちょっと腹黒で悪戯好きな黒兎といったところである。――なぜか揃いも揃って人に良くない影響を与えそうなところが興味深い。
「おお~」「三人ともよく似合ってる!」「写真撮ろうよ、写真!」「っていうか、一緒に写りたいっ!」「いいねいいね! 何組かに分かれて記念撮影しよう!」
こうしてお昼休みの残り時間は、ケモミミ三人娘の即席撮影会となった。
なお、男子諸君は時間切れでこの撮影会に参加できなかったのだが、応援席でのスナップ写真でどうにか一緒の写真に写ることに成功するのであった。
午後のプログラムはサブ競技からのスタートで、絵梨と聡一郎がこの時間帯の競技に出場することになっている。
絵梨の出場競技は“バルーン投げ”という、ほぼ百パーセントお遊びで作ったと思われる競技である。
この競技はカテゴリーとしては一応投擲種目で、様々な形状のバルーンを投げてその飛距離を競うという種目だ。ただこのバルーンというのが、何故か魚やらクジラやらといった海の生物の形をしたものなのである。
なんでも海外には本物の魚を投げて飛距離を競う競技があるらしく、その映像を見た三年前の実行委員が「これは面白い!」と、体育祭の競技として提案したのだそうだ。こういう変わり種に興味を持つ辺りが、実に百櫻坂のイベント実行委員らしいと言えるのだが、流石に生の魚を用意してブン投げるというのは、様々な面で問題があるために魚の形をした風船を投げる競技となったのである。競技名もバルーン投げとなり、結果としてバルーンが魚である理由が全く分からなくなってしまったという、曰くのある競技である。
さてこの競技、選手全員がくじ引きで投げるバルーンを決めて投擲し、それを二回繰り返した飛距離の合計で順位を決定する。投げるモノがモノ故に、選手の身体能力よりもどんな形のバルーンを引くかが勝負の分かれ目になる、ハッキリ言って運要素の強い競技なのである。
絵梨は一回目に長さ六十センチほどあるサンマ型バルーンを引き当て、これをダーツのように投げることでかなりの飛距離を稼ぎ、一巡目が終わった段階ではなんとトップだった。が、二回目にぷっくりと膨らんだフグ型バルーンという、もはやただの風船とでも言うべきものを引いてしまい、最終的には四位へと順位を下げてしまった。それでも体育祭ではほぼ戦力に慣れない自分が上位に食い込めたことで、絵梨は満足しているようだった。
ちなみに用意されたバルーンの中には、全長二メートル近くあるクジラ型や、体の半分が骨になっているという凝ったものなどもあり、観客を沸かせていた。――これらのバルーン購入にかなりの予算がかかってしまった為に、元を取るためにも定番競技として毎年行われているというのは、一般生徒が知ることのない体育祭実行委員会の闇である。
一方、聡一郎が出場した競技は“セットプレーマッチ”という競技で、これはサッカーのセットプレーで対決してトーナメント戦をするという、割と正統派のミニゲームである。
おおよそフットサルと同じサイズのコートの片面――正確には三分の一面ほど――で行われ、くじ引きで左右コーナーキックかフリーキックを決定し、敵味方五人ずつで対決する。ゴールが入れば攻め手側の得点、ゴールキーパーがキャッチするかコート外にクリアする、もしくは二分経過で攻守交代となる。なお、くじには極めて低確率でペナルティーキックも含まれている。
聡一郎は特に球技が得意でも苦手でもないのだが、その優れた動体視力と反射神経でゴールキーパーとして大活躍し、チームを学年二位へと導いた。
この競技は攻守一回ずつワンセットで、得点差がついた時点で決着がつくというシステムで、最後の優勝決定戦までは聡一郎による鉄壁のディフェンスで点を失うことはなかった。決勝戦でも一巡目はキッチリ防いだのだが、二巡目で相手側が偶然ペナルティーキックを引き当ててしまい、しかも蹴ったのがサッカー部員だったこともあって、あえなくゴールを奪われてしまったのである。
サブ競技の応援をするために移動している時のこと、清歌がふと立ち止まり首を傾げた。
「確かこの時間は、有志の方がパフォーマンスをされる予定だったと、私は記憶しているのですけれど……?」
「あれ? そういえば何も聞こえて来ないね」「トラブルでもあったのかしら?」
トラブルと聞いて、弥生が真剣な表情になる。この時間帯のパフォーマンスには、ダンスチームのメンバーとしてクラスメートが二人参加していたはずだ。
気付いてしまった以上、弥生の性格上無視するというのは難しいのだが、様子を見に行ったところで手助けできるとは限らず、ただの野次馬になってしまいかねない。クラス委員長としての仕事の領分でもないし――などと考えていたら、ポンと両肩を叩かれた。
「参りましょう、弥生さん。何が起きているのか、気になりますよね?」
「そね。クラスメートの様子を見に行くくらい、別に普通のことよ」
「清歌、絵梨……、うん、そうだね。じゃあ悪いけど、ちょっと寄り道するね」
清歌と絵梨は二人ともお節介焼きな性格ではなく、こういう場合では自分一人ならわざわざ首を突っ込みに行くような真似はしないはずだ。弥生が気にしている素振りを見せたからこそ、後押ししてくれたのだろう。
「二人とも、ありがとっ!」「どういたしまして、弥生さん」「ま、それでこそ弥生だものねぇ」
そんなわけでやってきたパフォーマンスの会場では、案の定トラブルが発生中であった。ダンスメンバーであるクラスメートから聞き込みをしたところ、バンドメンバーのドラム担当が先に行った競技で負傷してしまい、演奏できなくなってしまったということだった。
体育祭なのだからこういう事態も想定されていて、次には代役を立て曲目もいくつか入れ替えることで対応できるのだが、伝達ミスでドタバタがあったことで代役の手配が遅れてしまい、今回には間に合わなかったのだそうだ。
「俺は次も出番があるんだが……」「うん。僕はこれが今日最後の出番だから、ちょっと残念だな」
「う~ん、そっかぁ……」
クラスメートの残念そうな言葉を聞いて、弥生もちょっと肩を落とす。ネコミミがちょっと垂れているように見えるのは――恐らく気のせいだろう。そんな機能はついていないはずだ。
「そういえば……、清歌って自前のスティックを持ってたわよね? もしかしてドラムも叩けるのかしら?」
「ええ。……ただ、それほど本格的に取り組んでいるわけではありませんけれど」
絵梨の問いに、清歌は気負うことなく返答する。ちなみに本格的に取り組んでいないのは言葉通りの意味だが、それはピアノを筆頭とした一流の演奏ができる楽器と比べればという話であり、ドラムにしても高校生の部活レベルとでは比較にならないほど高い技術を彼女は持っている。
この段階で清歌が代役を申し出ようとしないのは、このステージは彼らパフォーマンスメンバーのものであるという認識があるからである。頼まれもしないのにメンバー以外の者がしゃしゃり出るのは筋が違うという考えだ。
付け加えると、代役の演奏は色々と気を遣わなければならず、自由に演奏を楽しめないのだ。――というか、ぶっちゃけ理由のウェイトとしてはこちらの方が大きい。
根本的な部分で清歌は、自身の才能を他人のために使うという発想がないのだ。
「マジ、黛さん、ドラムできるの? もしよかったら代役をお願いできないかな?」
「ちょっと待って、いくら何でも練習も無しにいきなり代役なんて……、難しいよね?」
二人の会話を聞きつけたクラスメートが代役の要請をしてきた。なんとな~く、これを機会に清歌に話しかけたいという下心が見え隠れしているような気もするが、それはさておき。
演奏自体は特に問題は無いだろう。先日の全体練習で曲は聞いているし、あとは楽譜をざっと確認すれば大丈夫だ。極端なことを言えば、このレベルの演奏ならばメロディーとテンポさえ分かれば、後はアドリブでどうにかできてしまう。
ただ先のような理由で、清歌としては代役というのはイマイチ気が進まない。どうにか角が立たないように辞退したいところだが――と、弥生とアイコンタクトを取ろうとしたところ、彼女は何故か顎に手を当ててちょっと首を傾けていた。
「う~ん、清歌がドラム……ドラムかぁ~。なんだろ? なんかうまく想像できない……かも?」
楽器を弾いている清歌というと、弥生がまず思い浮かべるのはピアノ、そして<ミリオンワールド>内で聴く機会が多いギター、そして以前清歌の部屋へ遊びに行った時に聴かせてもらったチェロだ。清歌から聞いた話ではサックスやクラリネット、ヴァイオリンなども演奏できるということだが、弥生のイメージとしては先の三つが強い。
一方ドラムといえば、ロックバンドなどで頭を振りながら激しくバカスカ叩きまくるというイメージだ。――音楽の知識に乏しい故のかなり偏ったイメージではあるがともあれ、そういう激しく荒々しい演奏をしている清歌というのが、弥生にはどうにも想像できなかったのである。
弥生としてはただ単純に、普段の清歌とはイメージが違うよね、と言いたかっただけなのだが、どうやらその言葉が清歌の何かに火をつけてしまったらしい。
「なるほど。……では、ちょっとドラムの演奏をお見せしますね(パチリ☆)」
などとのたまった清歌は、弥生に向けてウィンクを一つ飛ばすと演奏メンバーの方へ歩み寄って行った。
「………………(ジト~ッ)」
「だ……、だから私はそんなつもりじゃないんだってばっ!」
「フフフ、まだ何も言ってないじゃないの。でもまあ、今回はいい方に転んだみたいだから、良かったんじゃない?」
「そ、そそ、そうだよね! ……まさか変に盛り上がって、競技が中断しちゃうなんてことにはならn……」
「ちょっ! そういうのをフラグっていうの、良く知ってるでしょうに……」
そんな二人の危惧を他所に、清歌は演奏メンバーから楽譜を受け取りざっと確認すると、ドラムセットの椅子に座り、ハイハットやスネアドラムの位置を微調整して準備を整えた。
そして演奏者たちとアイコンタクトを取ると――普通に演奏が始まった。
「あれっ?」「……あら?」
弥生と絵梨の想像では、清歌のドラムだけ技量が桁違いで目立ちまくる――というような状況を予想していたのだが、ちょっと聴いたくらいではそんな印象ではなかった。
演奏に合わせてダンスメンバーのパフォーマンスも始まる。今回は男子メンバーに紅一点の女子がいるというチームで、結構息の合ったキレのいいパフォーマンスをしており、まるでどこぞのアイドルグループのようだ。
しばしの間よ~く聴いていると、やはり清歌の技術は突出しており、彼女が周囲に気を配って演奏を支えているということが分かった。どうやら今回、清歌はあくまでも代役に専念するつもりらしく、演奏は楽しみつつかなり手加減しているようだ。例えるなら、プロが学生に交じって一緒に演奏しているような感じだろうか。
何にしても、半ば覚悟していたような波乱が起きることも無く、パフォーマンスはそれなりに盛り上がり終了した。
さてそれじゃあ清歌を回収して次の応援に向かおうと思ったのだが、タッチの差で演奏メンバーに囲まれてしまっていた。――後に弥生と絵梨は、この時多少強引にでも清歌を連れ出しておくべきだったと振り返ることとなる。
「黛さんってドラムの演奏できたんだ!」「上手かったよね! っていうか全然本気じゃないんでしょ?」「そうそう、そんな感じだった!」「狐耳カワイイ! 良く似合ってる!」「うんうん、似合ってる!」「っていうかそれ今関係なくね?」「あはは。でも本当にありがとう!」「助かったよ~。黛さんならドラムソロとかもカッコよくできちゃいそうだね」
今回は諦めざるを得なかった状況なだけに、ちゃんとパフォーマンスが出来たのがよほど嬉しかったようだ。次々と感謝の言葉や感想を――関係無いモノも一部混じっているようだが――飛び出し、清歌はもみくちゃ状態になってしまっていた。興奮が収まるまで、しばらく待たねばならなそうだ。
「清歌のドラムソロかぁ……。確かにちょっと聞いてみたいかも」
ポツリとつぶやいた弥生の声は決して大きくは無かった。しかしこの時絵梨は、清歌の狐耳の片方がピクリと動いたのを確かに見た――ような気がした。
「……では、少しだけ演奏してみましょうか」
そんな軽い言葉で始まったドラムソロの演奏は圧巻の一言で、場の空気を一瞬にして塗り替えてしまった。
清歌の演奏はとても軽やかで、思い切り叩いているようには見えないにもかかわらず、響いてくる音は力強く、激しい。その清楚な容姿も相まって、見る者に奇妙なミスマッチ感を与えていた。
「……やっちゃった~」
弥生は小声でそう零しつつ頭を抱えた。内心では、やっぱり清歌は凄いな~などと思ってはいるのだが、それとこれとは別問題である。
「ちょっと弥生。やっちゃったのはアンタでしょうに……」
「やっぱりさっきのが聞こえちゃったのかな?」
「……たぶんだけど、そね。でもまぁ、ドラムソロならそんな長いこともないでしょ。清歌も適当なとこで切り上げて……」
絵梨が楽観論を語ろうとしたまさにその時、ドラムソロにベースギターの音が自然な感じで加わった。弥生と絵梨は思わず顔を見合わせる。
「なんだなんだー? いい音、出してるじゃないか! 俺もちょっと混ぜてくれよ」
そう言って生徒のベースギターを借りて飛び入り参加したのは、音楽教諭の武田先生であった。最近頭頂部がbrilliantな感じになりつつある五十八歳――既婚者、子供は三人いる――のお堅い教師という印象の一方、若かりし頃はブイブイ言わせていたという噂のある先生なのだが、どうやらその噂は事実だったようである。
普段は決して使わない言葉遣いで混ざって来た演奏は確かな技量があり、彼のアドリブ演奏に合わせて清歌も演奏を変化させていた。
厚みを増した素晴らしい演奏に次第に人が集まりだし、弥生と絵梨が「やばいやばい」と恐れおののき出したところで、さらなる変化が起きる。
「誰だダレだぁ~ッ! あたいの眠りについた魂を叩き起こしやがった奴は~ッ! あたいも、混~ぜ~ろ~ッ!」
お堅い武田先生が飛び入り参加したことも驚きだったのだが、今回はそれ以上のインパクトがあった。荒っぽいというか不良っぽい言葉遣いで、これまた生徒のギターを借りて飛び入りしたのは、古文教諭の大谷先生だったのである。しっとりとしたロングヘアーがトレードマークの、どこかおっとりした人当たりの柔らかい先生で、生徒からの人気も高い人物なのだ。ちなみに二十九歳独身、絶賛恋人(結婚を前提とした)募集中とのこと。
そんな先生が激しくギターをかき鳴らすミスマッチ感は、清歌に勝るとも劣らない。ただそのテクニックは、清歌のドラム、武田先生のベースギターとも十分拮抗するレベルだ。
三人の音がぶつかり合い、同時にそれぞれを引き立て、一つの音楽を奏でる。突如始まったアドリブのライブにパフォーマンス会場は大いに、それこそ競技開始のアナウンスすら耳に入らなくなるほどに大きく盛り上がったのであった。
結果的にこの即興ライブのせいでプログラムに遅延が発生、清歌と教師二人が体育祭実行委員長からお説教され、揃って「ごめんなさい」するという、百櫻坂高校のイベント史上空前の珍事となったのである。
これがきっかけで、軽音楽系同好会ではやる気を出す者がいたり、逆に自信喪失する者がいたりして、解散や合流といった再編が起きることとなる。また密かに教師だけでバンドを組む計画も立ち上がるのだが――それはまた別の話である。
想定外の珍事もあったが、一応プログラムはつつがなく進行し、清歌たちにとって初めての百櫻坂高校の体育祭は終了した。ちなみに清歌たちの紫チームは学年、総合ともに八チーム中四位で、悠司の茶チームは学年一位、総合三位という結果となった。
「いや~、突然ライブが始まるもんだから驚いたのなんのって。覗いたら案の定、清歌さんがいるもんだから、ちょっとウケた」
「も~、他人事みたいに~。こっちは気が気じゃなかったんだからさぁ……」
「ふむ。演奏はとても素晴らしいものだったのだから、別に良いのではないか? クラスの連中も大盛り上がりだったぞ?」
「まあ、体育祭もイベントだから、あれでよかったのかしら? 何にしても事態の推移が速すぎて、止める間もなかったから、起きるべくして起きたって感じね」
「確かに、そうだったよね。そういえば清歌は先生たちと演奏してどうだったの?」
「とても良い経験でした。お二人とも素敵な演奏で、こんなことでしたら私も自分の楽器で思いっきり演奏したかったですね。それが少し残念です」
「……あ~そっか、借りもんじゃあ思いっ切り演奏はできないわな。ってことは、先生方も同じだったのかね?」
「恐らくそうだったのではないかと。大谷先生などは気になるところがあったのか、演奏が終わった後でギターの持ち主の方に“もっとちゃんと手入れをするように”と注意されていました。そういえば…………」
「どうかしたの、清歌?」
「ああ、いえ。ただ大谷先生は被っていた猫を脱ぎ捨ててしまったようですけれど、大丈夫なのかなと思ったものですから」
「…………そういや、大谷先生のことが気になってたウチのクラスの奴が愕然としてたな」
「あら、逆に女子からの人気は上がったんじゃないかしら? ギャップがなんかカッコイイって子がいたわよ」
「ふむ。生徒からの評価はプラマイゼロというところか」
「っていうかそっちじゃなくて、大谷先生的には婚活に影響するかどうかが大問題なんじゃ……」
「「「「…………あ~」」」」