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ミリオンワールド!  作者: ユーリ・バリスキー
第二章 <ミリオンワールド>のはじまり
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#2―01 チュートリアル(1)

 時刻は九時過ぎ、朝に感じた暑くなりそうな予感そのままに、気温は順調に上昇中だ。カラリと晴れた空には雲一つなくお出かけ日和とも言えるが、街中を長時間歩くのはちょっと覚悟が要りそうな、そんな夏の日である。


 百櫻坂高校の最寄り駅で待ち合わせた清歌たち五人は、目的地のターミナル駅へ向けて電車に揺られていた。


 本日の主な予定はレジストレーションとチュートリアルだ。<ミリオンワールド>へのアクセスは、<ワールドエントランス>と名付けられた施設から可能で、五人が待ち合わせをした駅にもそれは存在する。しかしレジストレーションと調整を行うには専用の施設が必要なため、それが併設されている通常よりも大きな<ワールドエントランス>へ向かっているのである。


 ネット上などではレジストレーション作業が可能な方を本店、それ以外は支店と呼ばれているようだ。無論、公式の呼称ではない。


 今日は平日でしかも通勤時間帯は過ぎているので電車内は空いており、五人は一列に並んで座っている。ちなみに聡一郎・絵梨・清歌・弥生・悠司の順番で、清歌を中心にして、両端を男子でガードするという布陣だ。


 普段なら弥生が嬉々として雑談を始めるところだろう。今日はチュートリアルだけとはいえ、それでもフルダイブVRを体験――それも大多数の人よりも早く!――できるのだ。公共の場ということもあってどうにか平静を保っているが、ワクワクが止まらないのは皆同じだ。いわんや自他ともに認めるゲーマーの弥生とくれば。


 ――そのはずなのだが、様子がちょっとおかしい。


「やけに静かだが……、どうかしたのか? お待ちかねのフルダイブVRだぞ? いつもなら所構わずはしゃぎそうなもんだろうに」


 その様子に真っ先に気づいたのは、やはり一番付き合いの長い悠司だった。茶化すような言葉の中に、ほんの少しの心配が混ぜ込んである。


「もしや、清歌の隣に座っているもんだから緊張してるのかしら?(ニヤリ★)」


「体調が悪いのは問題だが……。寝不足ではないか?」


「あ~、なるほど。アレね、いわゆる遠足前日の小学生」


 悠司の心配などどこへやら、絵梨がおちょくる方向へ話を持っていく。


「ちょっ……、さすがにそれは酷くない? そりゃ、昨夜は興奮してちょっと寝つきが悪かったけど、寝不足になるほどじゃないし。っていうか、今日の為に体調管理はバッチリだし!」


 さすがに小学生と同列に見られるのは不本意なので一応否定しておく。実際、弥生の体調は万全だ。これから始まる<ミリオンワールド>ライフの為に、夜更かしはせず、三食きちんと食べ、公式サイトを適度に覗いて期待を高めつつ、今日という日を迎えたのである。――夏休みの宿題は? などとは、聞かないであげて欲しい。


「そういえば……電車に乗るまでは、いつもと同じ様子でしたよね?」


「言われてみれば……」「あ~、確かに」「うむ。そうだった」


 清歌の言葉で待ち合わせの時を思い出し三人とも納得する。その後は特に何事もなく今に至るので、尚のこと疑問がわいてくる。ちなみに清歌がやたら注目されていたというのはあるが、それはどこでも同じことなので今は関係ないだろう。


 四人の視線を集めた弥生は、なぜかバツの悪そうな表情になる。


「え~っと、その、ね。我ながらバカなこと考えてたな~って、ちょっと自己嫌悪っていうか。現実ではあるはずないのに、期待しちゃってたっていうか……」


「……んで、何を期待してたって?」


「だから、マンガとかアニメとかであるでしょ? こういう時のお嬢様的お約束っていうか、鉄板エピソード的なやつっていうか……」


「! ちょっ、あんたねぇ……」「! それは、さすがに……」


 弥生の説明は今一つ不明瞭だったが、絵梨と悠司はなにかピンとくるものがあったらしい。ただ、同時にそれはあまりにも馬鹿げていると思ったらしく、弥生に向ける視線が一気に呆れ交じりになる。


「俺には分からんのだが、つまり、どういうことだ?」


 見当がつかない様子の聡一郎が回答を促すが、微妙に三人とも話しづらそうにしている。分かっていないのは清歌も同じだが、弥生が“お嬢様”と言っていたので、自分に関する何かであることは気づいている。


(武士の情けだ。私から説明してやるか。……フフフ、一つ貸しね★)


 結局、言い出しづらそうにしている弥生に代わって、絵梨が説明することにする。武士の情けを語りながら、しっかり貸しに付けておく辺りいい性格である。


「あのね、清歌。気を悪くしないでほしいんだけど、マンガやアニメではよくある話なの。いわゆる箱入りで世間知らずのお嬢様が、庶民と仲良くなって出かけることになると、けっこうな確率で電車の乗り方がわからなくてオロオロするっていう……」


 説明を聞いて清歌は一瞬キョトンとしていたが、珍しいことに小さく噴き出して笑った。なにか笑いのツボに入ったようだ。


「プッ……ふふっ。あの、弥生さん? た……確かに、電車を利用することは、滅多にない……の、ですけれど……。はぁ~~、落ち着きました。さすがに、乗り方が分からないということはないですよ?」


「そりゃ、そうよね」


「はい。……それに、どんな箱入りのお嬢様だとしても、普通に学校に通っていれば遠足や修学旅行などはありますから……」


「あ~~。確かにマンガ的お嬢様のお約束だが、考えてみると何気に無理がある設定なんだな。ああいうのは」


「ほんっと~にゴメン。本気だったわけじゃないの~」


 かなり本気で自己嫌悪して肩を落としている弥生が頭を下げる。当の清歌は怒っているどころかウケているわけで、そもそも口にしなければいいだけなのだが、そこで正直に白状して頭を下げてしまうところが弥生らしさなのだろう。


「弥生さん、私は気にしていませんから、ね」


 と言いながら、清歌は目の前に差し出されたような弥生の頭を思わずナデナデしてしまう。フワフワの柔らかい髪がとてもいい手触りで、なんとなくやめられなくなってしまう。


「はぅ(ナ…ナデナデ……さやかになでなで……)」


「フフフ(ニヤリ★)」


 ナデナデされている弥生は顔を真っ赤にし、その様子を観察する絵梨は黒い笑みを浮かべ、両脇の男子はそっと目をそらす。


 特に大騒ぎしているわけでもないのに、周囲の視線を根こそぎかき集めてしまう五人組だった。







 清歌たち五人がたどり着いた俗称本店は、ざっと見たところ20階以上はあるビルが丸ごと<ミリオンワールド>関連施設となっているというもので、想像以上の大きさだった。この中には<ワールドエントランス>施設やレジストレーション関連施設の他に、フードコートやオフィシャルショップ、軽い運動のできるジムや医務室などもある。言うまでもないことだが、スタッフオンリーのオフィスも存在する。


 一階ホールは開放的な吹き抜けになっており、そこは明るい自然光に満ちていた。バランス良く配置された数多くの観葉植物が心地よい空間を演出し、オフィスやアミューズメント施設というより、どちらかといえば高級ホテルのフロントを思わせる場所である。


 そんな慣れない雰囲気の場所に少々――いや、かなり気後れ気味の弥生たちの中、さすがというべきか清歌の態度はあくまでも自然体で、受け付けに声をかけて滞りなく手続きを済ませてしまう。むしろ応対した受付嬢の方が、微妙に緊張している様子なのはご愛敬だろう。


「清歌ありがと~、助かったよ~」


「いえいえ。どういたしまして」


「おいリーダー。キミは一体なにをやっておるのかね?」


「うぅ……、我ながら情けない。……って、そういう悠司だって全然前に出ようとしなかったじゃない」


「俺らはヒラだから、な?」「そ、ヒラよ。ね?」「うむ。ヒラだな!」


「汚っ! このヒキョー者どもめ~」


 今ここにいない弥生の妹(受験の為に遅れて参加の予定)も含めた六人は、<冒険者>グループとして登録されていて、これはオンラインゲームでいうところの固定パーティーやユーザーズギルドといったものを、現実に持ち込んだようなものだ。登録することでのメリット・デメリットはあるが、今は関係がないので割愛する。


 グループである以上リーダーが必要になるわけで、これは満場一致で弥生が務めることになった。テストプレイヤーになった経緯を考えれば絵梨の方がいいような気もするが、なんだかんだでグループをずっと引っ張って来たのは弥生なのだから、それが自然な流れだったのだ。ちなみに清歌がメンバーになる前の話である。


 さて、いろいろ面倒見が良く、グループ内やオンラインゲームの中だけでなく学校でも自然なリーダーシップを発揮できる弥生も、世間一般から見れば高一の女子高生であり、一歩外に出れば経験不足は否めず、それは他の三人にも共通していることだ。


 正式サービスが始まれば、いろんな世代の<冒険者>や<旅行者>がここに集まることだろうが、今日ここで目に付くのは関係者と思しき大人たちばかり。ある種の弱点が露呈してしまった形である。そういう意味では、グループに清歌が加わったことは心強い限りだ。もっとも、そこかしこに押しの強さが見える彼女を渉外担当に据えるのは、別の意味で問題がありそうな気もするが。


「お待たせしました。本日、皆さんの担当をさせていただきます、三森と申します。どうぞよろしくお願いします」


 程なくして現れたスタッフはアラサーの――「ま、まだ二十代です!(慌)」――おっと、失礼しました。え~、二十代(後半)の女性で、スニーカーとハーフパンツにちょっと変わった光沢のある素材の黒いTシャツ、その上に<ミリオンワールド>のロゴが入ったパーカーを羽織っているという活動的ないでたちをしていた。


 弥生はなんとなく、スーツ姿のコンシェルジュっぽい人が出てくるのを予想していたので、そのラフな、というか体育祭のときの自分たちのような姿に面食らってしまった。


「(小声で)弥生さん、弥生さん……」


「あ……どうも、始めまして。一応グループのリーダーやっています、坂本です。今日はよろしくお願いします」


「「「「よろしくお願いします」」」」


 全員が自己紹介をした後で、今日の予定が三森からざっと説明される。


 まずは<ミリオンワールド>を<冒険者>としてプレイする際の注意事項などのガイダンス。次に身体能力キャリブレーションのための計測。昼食を兼ねた休憩(フードコートで好きに食べていいらしい。タダで!)。アバターの作成作業とレジストレーション。最後にVR空間へログインしてのチュートリアルとなっている。


 ガイダンスの後はそれぞれに専任のスタッフがいるが、担当として三森が全体の案内を行う引率的な役目をするとのこと。あちこち移動しながらのことなので、活動的な姿にも理由があるのだろう。五人ともこの時点では漠然とそんなことを考えていたが、もう一つ別の理由があることが後に判明する。


 三森の説明はハキハキと明るい口調で、また高校生グループが相手ということでおそらく意図的なのだろう、ややくだけた感じで接していたこともあり、弥生たちの緊張もいつの間にかほぐれていた。


「では、さっそくガイダンスを始めましょう。どうぞこちらへ」







 ガイダンスと聞いたとき、清歌たちが受けたイメージはほぼ共通していた。教室のような部屋で、小冊子に書かれた利用規約についての説明を延々と聴かされるのではないかと。それは高校入学直後に受けた、選択科目などに関するガイダンスの内容そのままだ。


 いかにゲームに関することとはいえ、そんな退屈そうなものでは「眠くなったらどうしよう」と内心ヒヤヒヤしていた者もいたが、実際にはゲーム画面を織り交ぜての説明でそのあたりの配慮はされているようだった。


 詳細な内容についてはここでは省く。重要な点はただ一つで「<ミリオンワールド>は現実の延長線上にあり、法的にもそのように扱われる可能性がある」ということだ。


 例えば傷害や殺人(決闘や闘技場などの特定条件化を除く)、また女性への性的暴行などの重大な犯罪はシステム的に不可能になっている。しかし自由度との兼ね合いで、例えばセクハラや痴漢行為に盗撮、またストーカーなどの粘着行為などをシステムの側で防ぎきることはできないのである。


 これら禁止行為は被害届けがあるとログの解析が行われ、故意の悪質性が認められた場合はアカウント永久剥奪の処分になる。さらに現実で被害者側が訴えれば、迷惑防止条例やストーカー防止法などの罪に問うことも可能なように法改正もすでにされていた。


 <ミリオンワールド>においてのアバターは、現実で可能な程度のイメチェンはできるものの、本人の姿をコピーすることでしか作ることができないため、現実とバーチャルの同一性が極めて高い。さらに感覚も現実と変わらずに再現されている以上、精神的な面で被害者が受ける苦痛は現実と変わらないものとなるために、必要に迫られた法改正だったのである。なおログという絶対に動かせない証拠があるために、被害者が泣き寝入りする必要がまったくないという点も付け加えておく。


「……ちょっと堅苦しい説明をしましたが、要するにあくまで現実にいるんだという感覚さえ忘れなければ、特に問題はないということです。……そうですね、外国へ旅行するような感覚でいればいいのではないでしょうか?」


「でも、それじゃあ“旅の恥はかき捨て”って人もいるんじゃないですかね?」


「悠司……そういう人だったんだ……幼馴染としてちょっと悲しいよ。……しくしく(ニヤリ★)」


「おまっ、なんてことを! 俺の話じゃなく、あくまで一般論としてだなぁ」


「あはは。え~、旅行先で羽目を外す程度のことなら禁止行為にまでは指定されていません。ただ、ゲーム内には警備や警察などに相当するNPCはいますから、そちらから注意されたり、場合によってはゲーム内で罰金をとられたりすることはあります」


 禁止指定されていない行為であっても、現地の法が適用されゲーム上でのペナルティを科せられる場合はあるようだ。


「まぁ、悠司の人間性については置いておこう。それより、セクハラはシステムでブロックしていないのですか?」


 結構酷い物言いでぶった切った聡一郎に、悠司が恨みがましい視線を向ける。ガイダンス中なので、余り突っ込んで話の腰を折るのは控えたらしい。さらに、聡一郎に向けられる冷ややかな視線がもう一つ――


「なんでそこに食いつくのよ、ソーイチ……」


 絵梨は視線だけでなく、声も冷ややかで聡一郎の肩がピクリと反応する。


「く……食いついたわけではなく、その、決闘などの対人戦もできるのだろう? 不可抗力を心配するくらいなら、システム的にできないという方が楽じゃないかと、そう思っただけだ。断じて邪な事を考えてのことではない」


「ふーん、まぁいいでしょう。……でも確かにセクハラ行為なんて、システムでブロックした方が良さそうですけど、どうしてなんです?」


「そうですね。その前に相羽さんの質問についてですが、不可抗力については特に問題になりません。それも嫌だという方は、対人戦はすべて双方の合意が必要なので、拒否すればいいだけのことです。セクハラ行為全般に言えることですが、問題視されるのは、それが故意である場合ですから」


 ここまで聴いて、弥生と悠司は漫画でありがちな、ラッキースケベ的を連発するような場合は、果たして不可抗力になるのだろうか? などと、現実ではありえない事を考えていた。二人は絶妙なタイミングで顔を見合わせ――


「(悠司ってば、やっぱアホね)」「(弥生もアホなことを……)」


 などと、自分のことは棚に上げて相手のアホさ加減に呆れていた。


「しかし曖昧な線引きというのも事実ですから、セクハラ行為全般について完全にブロックするべきか、開発内でもかなり議論されました」


 驚異的なシンクロ率を見せる幼馴染二人はさておき、三森の説明は絵梨の疑問に対する回答に移っている。


 長い議論の末にシステムブロックは無理という結論となった理由は、つまるところセクハラの線引きは双方の関係性によって異なるために、行為そのものを対象にしてブロックするのが困難であるということに尽きた。


 例えば胸や尻など特定の場所の感覚を切る、異性からの接触全般を不可能にする(接触しようとすると弾かれる)、フレンドまたはパーティーメンバーのみ接触可能にする、などの案が提案されていが、どれも帯に短し襷に長しといった風に問題点があった。


 特定部位の感覚を切ると違和感があり、なにより気付かれなければ触り放題になってしまう。またセクハラはなにも異性からに限った事ではないし、未登録のプレイヤーと接触できないのでは、例えばユーザーが店を作ったときに客とのやり取りに支障が出てしまうだろう。


 そんな議論を続けるうちに、なにも問題はセクハラに限ったことではないことから法改正への流れとなり、それをもって現実世界と同等の――というよりログという証拠がある分、現実以上ともいえる――抑止効果が期待できることから、システムブロックは見合わされることになった。


「あと、これはあくまで感情論になってしまいますが……。例えば遠く離れた家族や友人あるいは恋人と、現実に近い感覚で会うことができる場としても、<ミリオンワールド>を使ってもらえればと、私たち運営は考えています。そんな大切な人に会えたというのに、触れ合う前にフレンド登録などの操作をしなければいけないというのは、再会に水を差してしまいかねませんからね」


「それは……ちょっと」「うん、確かに興ざめね」


 結局のところ、現実に極めて近い感覚が再現可能な新技術だというのに、トラブルを恐れて規制をかけすぎてしまっては本末転倒だということだ。


「他に、何か質問はありますか?」


 ここまで時折相槌を打つだけで無言だった清歌が、ふと何かに気が付いたように視線を向けてきたのを感じて三森が尋ねた。


「例えば……」


 狙ったわけではないだろうが、少し間をおいて視線を集めてから爆弾を投下した。


「プレイヤーがキャバクラ、ですか? ……というような店を作って、ぼったくりをした場合は禁止事項に抵触するのでしょうか?」


「うぇ!」「ちょ、清歌?」「キャバクラ!?」「(キャ)……!?」


 弥生たちはぎょっとして、思わず体ごと清歌の方を向いてしまう。微妙に絵梨の機嫌を損ね気味だった聡一郎が、すんでのところで過剰な反応を抑えることができたのはファインプレーと言っていいだろう。


「ハ、ハイ? きゃばくらですか?(しゃ、喋りがかな・・に……)」


 きょとんと軽く首を傾げる清歌を三森が目を丸くして見つめる。清歌が時にデンジャラスな発言をすることを知っている弥生たち四人ですら驚いたのだ。外見と言葉づかいから、清歌を清楚なお嬢様としか思っていなかった三森が受けた衝撃は計り知れない。


 そして、五人は同時に思う。もしもこの類稀なる美少女が、肩や胸元が露わで体のラインがはっきり分かる(ついでに太ももに深いスリットが入っていればカンペキだ!)ドレスを着てホステスをしている“お店”があったら……と。VRであることは理解しつつ――いやリアルマネーではないだけに――山ほどお金をつぎ込むプレイヤーが続出するのではないかと。


「え~、キャバクラ、ですね? え~~~~っと、ゴ……ゴホン!」


 三森はとりあえず咳払いをして間を取ると、目を閉じ胸に手を当て、深呼吸を一度して動揺を鎮めた。


「プレイヤーが飲食店を作ることは可能で、内容については現実世界よりも若干規制は厳しいですが、公序良俗に反しない範囲で、となっています。問題となるのはぼったくり行為の方ですが……、これは正直言ってグレーゾーンになりますね。妙な話ですが、入店前に客が分かるように料金がきちんと明示されていれば、それがどんな金額であっても問題ありません。プレイヤーの自己責任となりますので。逆に料金の明示も説明もないまま法外な請求をすれば、その時は詐欺行為になりますので禁止事項に抵触する可能性があります」


 そこで一息つくと、三森は改めて清歌を見つめる。そこらのアイドルやモデルなど裸足で逃げ出すほど整った顔立ちと美しいスタイル。いわゆる男好きする、匂い立つ色香のあるタイプとは違うが、その凛とした佇まいは触れてはいけないような神聖さすら感じられ、喜んで貢ぎ物を捧げる男どもが続出することが(あくまで三森の主観では)容易に想像できた。


(いけない! このままでは<ミリオンワールド>経済崩壊の危機よ!)


 清歌の質問に対する回答は既に終わっている。しかし運営に携わる者としての使命感が、三森に「今ここで、釘を刺しておかなければ」と囁きかける。


「え~、ですが、その~。……そのような形で安易にお金をかき集めるのは推奨できないと申しますか……、できれば控えていただけないものかと、思う次第でありまして……」


 使命感からの言葉の割に、妙に下手に出た説得の言葉である。もっとも説得は不要だったようで、清歌の返答は若干困惑気味の否定だった。


「あの、すみません。詐欺に関する線引きについて、一つの例を挙げてお聞きしただけですので、何も私がそれで儲けようと思っているわけでは……」


「あ……、し、失礼しました! 私ったらとんだ早とちりを……」


 ほっとしつつ、大慌てで謝罪する三森だった。


 ちなみにほっとしていたのは弥生たちも同様だったが、何も清歌がキャバ嬢をロールプレイしたがっていると思っていたわけではなく、運営側の人に変な目のつけられ方をするのはよろしくないという類のものだ。


 三森が納得してくれたことに安堵しつつも、清歌に勘違いされたくないという思いから弥生たちは必死に無表情を貫き通すのだった。







 ガイダンスを終えた清歌たちは運動しやすい服装に着替え(事前に必要なものは知らされているので、着替えは皆持参している)、スポーツジムの施設があるフロアへ移動した。次に行うのは身体能力キャリブレーション――要するに生身とアバターの身体能力(の上限)の擦り合わせの作業である。


 当たり前のことで忘れがちだが、人が生身の体を動かすとき、脳から体へ動作の信号が送られると同時に、体の方からも情報が返ってきている。つまり“手応え”があるのだ。VR空間でのアバター操作を現実と同じ感覚で行うには、それを生身の時とできる限り一致させなければならない。


 ――という小難しい理屈はともかく何をやるのかというと、日本人なら誰でも一度は経験がある(というか学生時代は毎年四月に行っているはず)スポーツテストのようなものだ。スポーツテストとの違いは、要所の関節にセンサーを付けてフォームの計測も行っている点だろう。


「それにしても、ここまで手間をかけて計測する必要って、あるんですかね?」


 現在は投擲を計測中。屋内でのことなので、ゴルフゲーム(スクリーンに向かってショットを打つアレ)を改良したと思われる設備で行っている。ちなみに順番待ちが必要な場合は悠司・聡一郎・清歌・絵梨・弥生の順番で行っている。グループ内で立場が若干低めの男子二人が、ある種の実験台にされた格好だ。


 自分の計測が終わった悠司が、手首に装着しているセンサー内蔵のサポーターに目をやりつつ三森に問いかけた。


「そうですね~、その疑問はもっともだと思います。今は正式稼働前でサンプルデータが少ないので、VR空間に入る前に可能な限り個々人の計測を行って、事前に擦り合わせを行う安全策を取らざるを得ない状況です。不具合があってはいけませんので」


「不具合、ですか?」「むぅ。それはいったい……」


 計測が終わった聡一郎も会話に交じって来る。


「……では、ちょうど計測も折り返しですから、これが終わってから休憩も兼ねて皆さんにお話ししておきましょう」


 ほどなくして弥生まで計測が終わり、スポーツドリンクで水分補給をしながら三森の話を聞く。


 内部的な話になるがVR空間内でアバターを動かす際、ある種のOSが常にそれをサポートしている。プレイヤーの身体能力や動きの癖などに合わせて、OSはアップデートを繰り返して一人一人に最適化していくのだが、サンプルデータが少なくまたOSの方も最適化作業の学習が不足しているため、非常に時間がかかることが予想されるのだ。


「最適化がある程度進むまでは動きに違和感があり、プレイに支障があると思いますが、どちらかといえば問題なのは、その状態のままログアウトした場合です」


「あ~、なるほど。つまりVR内での違和感が、現実の方にも持ち越されてしまうんですね。例えば……、体が重く感じたりとか、普段と同じ行動のつもりがワンテンポ遅れたりとか……そんな感じですか?」


 説明を聞いていた絵梨が考察したことを疑問の形で聞いてみると、三森は少し目を瞠って大きく頷いた。


「まさに、その通りです。そうですね~、イメージとしては長時間プールで遊んで外に出た直後や、スケートをして靴を脱いだ直後に感じる違和感に近いと思います」


「あれ? もしかして三森さんは経験者なんですか?」


「はい。実感を伴った方がいいということで、ガイダンススタッフはわざと未調整の平均値状態でログインしたことがあります。スタッフの感想では、長くても一時間あれば違和感は解消するようです。あと、体を動かしたり飲食をしたりすることで、この時間は短くなるようですね」


 ジム施設は身体能力キャリブレーションを行うための施設なので、基本的に本店のみにある施設だが、フードコートがすべての<ワールドエントランス>に併設されているのはこの辺りの事情もある、と三森は付け加えた。ついでに言うと、<旅行者>のプレイチケットの半券は、プレイ後当日に限りフードコートでワンドリンクサービスが受けられるようになっているとのこと。


 一通りの説明が終わったので、休憩はここまでにして五人は計測作業を再開する。そして、正午を少し過ぎたくらいに、計測作業は滞りなく終了した。


 全体を通して五人の身体能力を評価すると、弥生は平均よりかなり下で運動神経はかなり不自由というレベル――「うう、今回は言い返せない……」――でしょうね、壊滅的でしたから……お気の毒です。絵梨がほぼ平均か少し下回るくらいで、中学時代は運動部に所属していた悠司は、全ての項目で平均を若干上回った。清歌と聡一郎に関してはもはや驚異的で、すべての面で大幅に平均を超える成績だった。特に清歌は柔軟性と持久力が、聡一郎はパワーと瞬発力が同年代では最高レベルの数値を叩き出していた。


 すべての計測作業を終えた後で希望者のみ行われる自由試技での二人は、まさに圧巻だった。


 聡一郎が披露したのは武道の型だ。研ぎ澄まされた表情で技を繰り出すたびに、空を切り裂く音が、強い踏み込みの音が響く。下手に掛け声など発することなくただ技のみが立てる音は、張り詰めた雰囲気と相まって、見ているものが思わずのけ反ってしまうような迫力があった。


 一方、清歌の披露したのは優雅なダンスだった。バレエをベースにしつつ、シューズの違いで本来の動きができない代わりに、ところどころアクロバティックなアレンジを加えられた清歌のオリジナルである。指先からつま先まで整えられた美しい身のこなしと、体操のようなダイナミックな動きは見る者を惹き寄せて止まなかった。


 くるりとターンを二連続、そして三回目に腕を翼のように広げると大きくジャンプし――ふわりと音もなく着地する。


 静まり返ること数秒、どこからともなく拍手が起きる。いつの間にかフロアにいたスタッフ全員が集まって、清歌の踊りを鑑賞していたようだ。


 まさか拍手されるとは思っていなかった清歌はちょっと驚いた様子で、しかしすぐに居住まいを正すと優雅に一礼し、笑顔でそれに応えるのであった。



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