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ミリオンワールド!  作者: ユーリ・バリスキー
第二章 <ミリオンワールド>のはじまり
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#2ー00

 早朝のぼんやりとした明るさと、今日これからの暑さを予感させる熱を秘めた空気が、自然の美しさを保ちつつもよく手入れの行き届いた庭園に満ちている。そこに敷かれた遊歩道を、少女が一つにまとめた長い金髪をなびかせながら、美しいフォームで駆け抜けて行く。Tシャツにランニングパンツ、そして足元は短いソックスとスニーカーというラフなスタイルに身を包むしなやかな体躯は、誰もが目を見張るほどに均整が取れており、赤く上気し息を弾ませる横顔には若々しい生気が輝いている。


 そんな類稀なる美少女の清歌は、ごく平凡な少女――とは言い難い。この広大な屋敷を構える黛家のご令嬢であった。


 清歌の朝は早い。普段は六時には起きて、ストレッチをした後に軽くランニング、そして朝の鍛錬をする。鍛錬の種類がそのときの気分や体調、相手を務めてくれる母や祖父の都合などによっていくつかのパターンに分岐する。いずれにしても、身体を動かすことには違いない。


 今日は大切な用事が入っているので、母や祖父を相手にした組み手は避けるべきだろう。最近では鍛錬の最中に怪我をすることは滅多になくなっているが、万が一ということもあるし大事をとっておくべきだ。――そう考えた清歌は、今日の鍛錬は一人でできるものに決め、髪を手早く一つにまとめつつ鍛錬用のコースへと足を向けた。


 そこは一見すると整備などされていない単なる森で、しいて言えばクロスカントリーのコースに見えなくも無いといった風情だ。が、それは初めの部分だけのこと。少し先に進むと、ちゃんと“整備”されている部分が現れてくる。


 倒木を飛び越え、くるぶしの上まで水につかる浅めの池といったほうがいいほどの水溜りを走りぬけ、1mほどの高さがある壁をよじ登って越えていく。平均台の二倍程度の幅しかない橋を渡ったかと思えば、がけを飛び降り前回りに受身を取って走り抜けていく。必ずしも自然物の障害ばかりというわけではなく、時折階段や金網のフェンスといった街中で見かけるようなものも唐突に現れたりもする。


 障害走というには過激に過ぎるこのコースは、アクティブに妨害(というか攻撃)を仕掛けてくるトラップの類は無いものの、「一体何処の特殊部隊の訓練場だ?」といいたくなるようなものだ。付け加えると、余り慣れすぎては鍛錬にならないということで、およそ半年に一度内容が見直されている。その際には、海外のPMCプライベートミリタリーカンパニーのアドバイスをわざわざ受けているとかいないとか……


 そんなコースをなるべくスピードを落とすことなく、リズミカルにすら見える鮮やかな身のこなしで清歌は駆け抜けていく。その様子を遠目に見たならば、金色に輝く何かが森の中を踊っているように見えたことだろう。






 鍛錬を終えた清歌は整理体操にもう一度ストレッチをした後、シャワーを浴びて汗を流してからダイニングへ向かう。兄は大学の仲間たちと泊りがけで出かけると言っていたので不在だろうが、両親に予定は無かったから一緒に朝食がとれるはずだ。


 ダイニングのドアを開けると、予想通り両親がテーブルの定位置についてすでに朝食をとっていた。本日のメニューはご飯に味噌汁、焼き鮭、だし巻き卵におひたしと純和風のものだった。納豆や明太子、漬け物も用意されている。


「おはようございます。お父様、お母様」


「うん、おはよう」「おはようございます、清歌」


 食卓のいつもの場所について、手を合わせて「いただきます」と言ってから箸を手に取る。


 家族にとっては当たり前だが、清歌の外見で納豆ご飯をおいしそうに食べる様子は、微妙に違和感のある光景である。例の一件以来、一緒に昼食をとるようになった弥生たちも、清歌のお弁当はてっきり洋風のおかずが入っているとばかり思っていたが、和と洋が日によって半々ぐらいだったので意外に思ったようだ。中身が日本人であることは理解しているはずなのに、イメージとは恐ろしいものである。


 すでに朝食を食べ終わっていた父が、ふと気づいたように広げていた新聞から顔を上げた。


「そういえば毎年のことだが、清歌は夏休みになっても生活リズムが変わらないな。光也は休みに入ると途端にだらけるのに」


「そうですね。でもさすがにお昼過ぎまで寝ているようなことはありませんし、いいんじゃありませんか?」


「……目くじらを立てるほどでもないか」


「不思議なことに、お兄様は休み中にどんなにだらけていても、休みが終わったとたん元の生活に戻れるのですよね。……休み中はだらけなくちゃもったいない、なんて思っているのでしょうか?」


 清歌の言葉に両親が無言で顔を見合わせる。清歌の推測は微妙にズレている気がするにもかかわらず、否定しきれないあたり兄の性格もなかなかに個性的なものがあるようだ。


「あ、ですが今年は、私の生活リズムが変わりそうです」


 清歌の表情は、この夏の予定を「ものすごく楽しみにしている」と雄弁に語っていた。


「高校で親しくなったお友達と予定が入っているのよね」


「そうか、予定があるのは結構なことだな。……まあ清歌が、夏休みに暇を持て余しているところなんて想像できないが」


「光也にしても朝が遅いだけであれこれ忙しくしていますから、そういうところはそっくりね。……そうそう、心配はしていないけれど、宿題は忘れないようにね」


 念のためといった感じで釘を刺してきた母の言葉に、清歌はちょっと肩をすくめて「は~い」と返事をする。ちなみに清歌は、予定に合わせて宿題を計画的に片付けていくタイプだ。夏休みの最初や最後にまとめてやっつける、ということはしたことがない。


「しかし、生活リズムが変わるほどの予定なのか? いったい何を始めるつもりなんだ?」

 

 首をかしげる父の言葉に、清歌は母に視線を向ける。母には先日、<冒険者>登録手続きの書類に署名をしてもらうために詳細を話しておいたのだが、それはまだ伝わっていないらしい。


 父の感じた疑問は考えてみればもっともだ。友人とどこかへ遊びに行くというような“単発”の予定なら、生活リズムが変わるほどのことはない。そんな表現をするのは例えば塾に通うというような、ある程度長い期間に渡って同じ予定が繰り返し入る場合である。


(何も聞いていないが、いっしょの部活動でも始めたんだろうか? ……はっ! まさか男子か? 「俺が甲子園に連れていく」とか何とか調子のいいこと言って、清歌をマネージャーにしたなんていうんじゃないだろうな!)


 年頃の娘をもつ男親の考えそうな心配――というかある種の妄想――が、頭の中を駆け巡ったようだが、その内容がまるで昭和の頃に流行った少年漫画のような展開をしている辺り、この親もちょっとズレているようである。部活という予想は外れているが、もし清歌(高嶺の花タイプ)、弥生(身近なかわいい子)、絵梨(理知的なクール系)というそれぞれタイプの違う美少女三人が、マネージャーとしてかいがいしく世話を焼いてくれたら、男子高校生はさぞ張り切ることだろう。――空回りするかもしれないが(笑)


「実は、<ミリオンワールド>を始めるんです! 一つ余分に持っていた<冒険者>登録権を、譲って頂けるということになりまして」


「む!? あのフルダイブVRか。そうか……正直言って、それは羨ましいな。私も一応体験できる予定はあるんだが……」


「あら? あなた、そんな予定ありましたか?」


「まだ日にちは決まっていないが、九月末から十月ごろに一応そういう話はある。黛グループに限らず国内の主だった大企業は、出資者に名を連ねているからな。いわゆるお披露目というものだ。どうせならもっと早く、と言いたいところだが」


「お父様ったら……。私が聞いた話では、八月いっぱいは実働テストを兼ねているそうですから、お披露目は正式な仕様になった後で、ということなのでは?」


「なるほどなぁ。残念だが、そういうことなら仕方ないか。……それで、もう今日からプレイできるのか?」


「いえ、今日はアバター作成とレジストレーションの作業で、<ミリオンワールド>をプレイできるのは明日からです。あ、でもチュートリアルのためにVR空間でアバターを動かすことはできるみたいですね」


「そうか。……プレイを始めたら感想を聞かせてくれるか?」


「ふふっ。たぶん、私が話したくて仕方がなくなると思います」


 と、ここで終わっていたなら、家族の団欒で一つ話題が増えるきっかけのエピソードで終わっていたのだろうが、思わぬところから待ったがかかる。


「僭越ですが、清歌お嬢様。そのお話は、光也様の前で出されるのはちょっと……よろしくないかもしれません」


 メイドの一人がそう言った。いわゆる名家と呼ばれる家では、使用人との間に厳格な線引きをしているところもあるが、黛家はその辺り緩いというか気安いというか割とフランクな関係なので、口を挟んできたことを誰も咎めたりしない。しかし使用人側はきちんと立場をわきまえているので、求められてもいない発言をするには、相応の理由があるはずだ。


「それは……なぜでしょう? 恐らくお兄様も好きな話題だと思いますけれど」


 彼女は兄妹二人の身の回りを担当する者たちの一人で、清歌とも普段よく顔を合わせるが、どちらかというと光也の世話についていることが多い。そういえば以前、光也とは趣味の話題が合うと言っていた覚えがある。


「はい、だからこその問題と言いますか……。光也様は以前から<ミリオンワールド>には、並々ならぬ関心をお持ちのご様子で、第一陣プレイヤーの抽選にも当然応募していらっしゃいました。当選を祈願して、休日には各地のご利益があるという神社へお参りもしていらしたようです。たまたま私が通知をお持ちしたのですが、床に手をついてorzガックリしておられました。」


「…………光也、そんなに……やりたかったのか」


 うめく様に父が呟き、清歌は母と顔を見合わせる。


 清歌もそうだが、基本的に黛家の人間は神頼みの類を全く信じない性格で、受験の合格祈願などはしたことがない。そんな一家の一員である光也が、わざわざ神社にお参りしたというのだから、これは一大事――というか珍事である。


「そういう次第がありまして。清歌お嬢様が第一陣プレイヤーとして参加されることを知れば、光也様はさぞショックを受けるのではないかと……」


「それだけ早く遊びたかった、ということなのでしょうけれど。少し待てば、いずれはできるのでしょう? そこまで落ち込むことでもないでしょうに……」


 食後のお茶を手にして常識論を語る母の表情も苦笑気味だ。


 常識論はさておき光也の心情を酌むならば、確かに<ミリオンワールド>を家族の話題とするのはいささかためらわれるものがあるが、いつまでも隠しておけることでもない。黛家は皆忙しくしているために家族全員が揃うのは珍しいが、それだけに近況報告を兼ねた会話は大事にしている。毎日のように清歌がどこかへ出かけている理由を尋ねられれば、そこで隠したりはぐらかしたりするほどのことでもないからだ。


 そんな感じでどうしたものか、と悩むこと2~3分。――カップ麺ができるほどの時間しか考えないのか、と突っ込みたいところだが、隠しきれないという結論は出ているので、取れる選択肢など限られている。


「光也の気持ちも理解できるだけに少々気の毒とは思うが、聞かれたら話せばいいだろう。とりあえず清歌は、それまで黙っているように」


「わかりました。……残念ですけれど、仕方ありませんね」


「なに、そう遠くない内に夏休み中の予定は聞かれるだろうから、そのときに“サラッ”と話せばいい」


「……“サラッ”と、ですか?」


「そうだ。光也が抽選に漏れたことなど知らなかったかのように、“サラッ”とな」


 どうやらメイドからは何も聞いていなかったことにして、なんでもない話題の一つにしてしまおう、という思惑のようだ。その上――


「お前たちも、光也に聞かれたら“サラッ”と話してしまっていいからな。ああ、雑談の話題にしてもいいぞ。皆にそう伝えておくように」


 などと、メイドたちに向かってのたまった。


 使用人らの口からそれとなく伝わってしまえば、それが一番ではなかろうかと考えたらしいが、要するに追い打ちをかける役目を押し付けようということだ。押し付けられた方はいい迷惑で、特に最初の報告をしたメイドなど、とてもじゃないが“サラッ”と伝えることなどできない。誰がその役目を担うかは運次第だが、あからさまに貧乏くじを配られたメイドたちは微妙にジト目だ。


 なにやら冷気と圧力を感じる視線にさらされて、父が居心地悪そうにしているが、ともあれ後は成り行きに任せるしかない。


「誰が話すにしても、光也がもう一度ショックを受けるのは変わらないのだから、そこは気にしても仕方ないでしょうね。……ですから、清歌?」


「はい。お母様」


 口調を改めて呼びかけられ、清歌は食事の手を止めて母と視線を合わせた。


「せっかくのお友達のご厚意なのですから、こちらのことなど気にすることはありません。ちょっとくらい羽目を外しても構いませんから、しっかり楽しんでいらっしゃい(ニッコリ☆)」


「はい! もちろん、そのつもりです!(ニッコリ☆)」


 笑顔を交わす母娘の姿はとても美しい光景のはずなのに、それを見ていた父とメイドたちはビシリと硬直する。ごくごく普通の会話だったにもかかわらず、「存分に暴れてきなさい!」「イエス、マム!」とルビが振ってあるように感じられたのだ。


 過去にこの母娘が何をやらかして、こんな反応をされるようになったのか? 気になるところだが――それはまた別の話である。


 ただ一つ、確実に言えることがある。――清歌の性格は間違いなく母親譲りだ。




(この母にしてこの娘あり、なのはいいが清歌。お父さんは、ちょ~っとは自重して欲しいと思っているぞ~)


 どこかと達観した様子の父が心の中で呟く。


 なぜかそれを受信できたらしいメイドたちは、なんでそれを言わないかな~と、ジト目にさらなる圧力を加えるのだった。




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