農園の昇降機
農園と果樹園の真ん中に、その建物は建っていた。表面は、頑丈な灰色の混凝土で出来ている。建物を一回りするのに、徒歩で数日掛りになる巨大さで、地上から見上げれば頂点は雲の上に届いているのが見える。その建物には、見たところ窓の一つもなく入り口の一つもない。中の様子を窺い知る方法はない。建物の内側と外側の接触する唯一の点は、貨物運搬用の大きな昇降機だ。
私たちは、建物の外の地上で牧畜と農業を行っている。私たちの上の世代も、建物の周辺で農業を行っていた。そのさらに上の世代もその先祖も代々、この建物の周辺で牧畜と農業をやっているのだと小さいころに聞かされた。
春には穏やかな暖かさで日の光は地上を照らし、甘い香りの各種の花が咲く。大粒の甘い苺が栽培容器から垂れ下がり、短い簾になっている。甘藍はこの時期は柔らかく、水気の多い生食に適したものが採れる。長芋は、味が濃くなりよい粘りを出す。菜の花の収穫時期、地面は見渡す限り黄色の雲海に沈む。
夏は日差しが地面を照りつける。そんな日も、夕立が降るときは一時の蒸し暑さの後に過ごしやすい夜を得られる。地面に転がって収穫を待つ大玉の西瓜は、迂闊に足を引っ掛ければ足の方を挫いてしまいかねない重さだ。李の実は、皮に近い外側の酸味と種に近い内側の果肉の甘みの対比で舌を飽きさせない。種は小さくその周囲の果肉は、内側の果肉の甘みに慣れた舌を驚かす、皮の近くとは違った酸味を帯びている。蕃茄は皮が薄く甘い生食用のものも採れるし、厚い皮に旨味を閉じ込めた加工用のものも植えてある。収穫時には、蕃茄の葉の緑色と実の赤、黄色が畑の畝に立ち上がる。その様子は、派手な千切り絵で飾られた低い壁のようだ。
秋。真昼の太陽は低くなり、肌寒い風が吹き始める。紫色の表面をした甘藷を割れば、中身は濃い黄色。焼くか蒸すかすると、いっそ料理には向かないほどの甘味である。人参は臭味がない。その収穫のさまを遠目に見れば鮮やかな花と見紛うばかりの橙色をしている。生で齧っても濃くふくよかな味はそのまま一品の料理になる。梨は大振りで水気多く、皮を剥けば果汁が地面へと滴る。さっぱりした甘味の果汁は心地よい歯ざわりの果肉と一体となって、やがて喉を通る。柿は、強烈な渋味を持つが、渋さえ抜けばこれより甘いものはない。干しあっても瑞々しいと感じる果肉は一度では食べきれないほど肉厚だ。穀物も毎年充分な量が採れる。麦も米も保管に困るぐらいの量なので、雑穀の類は趣味的に少量しか作られていない。
寒風が地面を掃いて、砂埃を舞い上げる冬。雨は少なく、雪もあまり降らないこの土地では冬の作物もよく取れる。蓮根は切れば断面から糸を引き、噛めば強烈な歯応えを返すと共にあっけなく割れる。その際に、沼地の水からよい香りだけを集めて押し固めたような芳香がする。この時期の甘藍は、葉が厚くなり味が濃く甘味が増す。やや硬いため蒸す、煮るといった調理がされる。蜜柑は、皮が薄いものが採れる。果肉は適度な酸味と強い甘味、溢れるほどの果汁を含んでいる。真っ赤に熟す林檎は、全ての実に蜜が入り、甘い。製菓用の酸味と香りの強い品種も栽培されている。
挙げたものの他、あらゆる作物と香辛料が栽培され、そのどれも毎年充分な量の収穫がある。
この楽園に課された規則は一つ。収穫された全ての作物を、建物についている運搬用の昇降機に載せる事。誰が決めたは、分からない。いくらかの作物をつまみ食いする程度は構わないが、それ以上はいけない。「おそろしいこと」が起こると父母に聞かされてきた。父母も祖父母から、祖父母もそのまた先祖からそう聞かされて来たのだと言う。作物を昇降機に全て載せる報酬として、見事に味付けされた料理が昇降機で下ろされて来る。手間隙かけた、野菜の煮込み料理、じっくり火を通した炙り物。果物は、あるときは飲み物として、あるときは冷たく凍った菓子となって地上に下りてきた。材料は、地上で収穫された作物に間違いない。量は昇降機に載せた作物の百分の一か、それ以下であろうが建物の周辺で働いている人員が充分に食べていける量だ。また、料理のほかに空いた皿も運搬されてくる。ついさっきまで料理が乗っていた様子で、皿には汚れがついていた。また、いくらか食べ残しの料理が載っている皿もあった。空いた皿の数は、料理の載っている皿の数よりずっと多い。料理一皿に対して空き皿が九十九皿といったところだ。作物とは別に、それらの食器を綺麗に洗って昇降機に載せる。数は多いが、皿の大きさは規格化されており簡単に纏める事ができるため、そこまでひどい手間とはならなかった。住民は家ごとに担当者を出して、皿の洗浄に充てていた。
十年余り前、私は丁度十歳のときに、この建物の仕組みが気になって作物に紛れて昇降機に乗ってみた事がある。この建物の中に何があるのか、どんな人が料理をしているのか。どんな人がそれを食べて、そして建物の中でどんな暮らしをしているのか。知りたくて我慢がならなくなったのだ。しかし、昇降機の扉は閉まらず私はすぐに大人たちに見つかって、叱られることになった。昇降機には監視装置がついていて、余計なものが載っていると動作しないのだと教えられた。それは、大抵の大人たちが幼いころに、一度は私と同じように昇降機に乗って建物に入ろうとした結果として知られている事だった。ひとしきり形式的に叱られたあと、父は「そうかそうか、ついにやったか」と懐かしむ様子で微笑んでいた。
この建物に入っていった人はなく、この建物から出てきた人もない。いつからあるのか誰も知らず、内部の様子も知られていない。作物の納入に対して調理によって報酬を支払う。料理と同時に送られてくる大量の汚れた皿は、中に人が居る事を示唆しているが確かめようもない。建物内で消費されているであろう作物の量を考えれば、相当数が居住しているはず。なのに、一切の外部との接触を絶っている。そんな不気味な建物であるにも拘らず、私たちは規則に従い続けていた。出所不明の「おそろしいこと」が起こるという言い伝えを真に受けたからというわけでもない。何の不自由もなかったからだ。作物の大部分は建物の内部で消費されてしまうとはいえ、充分な量が返ってくる。味付けも不満が出るはずもないほどものだ。農地を捨てて外部へ出る必要などなかったし、そんな事はほとんどの住民は考えもしなかっただろう。禁止されているわけでもなかったが、住民は外部の様子や地形に関心を持つ事もほとんどなかった。
住民が外に出ないのと同様に、外部から人が入り込む事も稀であった。数年に一度、迷い込んでくる部外者は例外なくこの土地で暮らす事を選択し、外部に出る事はなくなる。そんな数少ない異邦人の話では、この土地は秘境という事になっていた。絶海の孤島にある未踏の密林。その中心に聳える、壁とも言うべき険峻に囲まれてこの土地はあるのだという。だから、帰るに帰れない。或いは、快適で帰るまでもないのだ、と異邦人は言った。
そんな楽園に、異変が起こったのは確か二年前。私が二十歳になった頃だった。考えてみれば、異変はずっと前から起こっていた。収める作物の量は変わらないのに、降りてくる料理が減ってきていたのだ。いつから、それが起こったのかはわからない。最初はわずかな違いだったのだろう。しかし、この頃は目に見えて量が減ってきている。真っ先にそれに気づいたのは食べ盛りの子供達だった。以前なら、全員が満腹になって尚いくらか余る。今は、余りが出ないかやや足りない事があるくらいだ。洗物の量が増えたようには思えない事を考えると、どうも料理の量自体が減っているようだった。
そして去年、おりてきた料理が痛んでいた。全部ではない。全体の量からみればほんのわずか一皿か二皿。だが、はじめから痛んでいた事は自分の知る限りの物心ついてからの十数年では一度もなかった。住民の中で最高齢の媼も、これが初めてだといっていた。それが確かなら、八十数年間何の問題もなかった事になる。一度起こった異変は、その後急速に頻度を増した。洗物の量は、相変わらず減っていなかった事から考えて、建物内部で何かがあったのではないかと推測するものは多かった。痛んだ料理が下りてきたのは意図的だとして、建物内部の何者かに対する怒りを露にする者も幾らか居た。実際のところ、何が正解なのかは分からない。住民の間には、中心に聳え立つ建物に対する不安と不信感が芽生えていた。そんな空気の中でも作物は、正直に全てが建物へと運ばれた。作物の幾らかを備蓄にまわすべきと主張するものも居た。しかし、異変は一時的なものかも知れない。作物の納入をやめたら、もっとひどい事が起こるかもしれない。何より、ここは楽園である。そういった意識が現状の変更に対する大きな抵抗となっていた。
今年に入って、下りてくる料理はあからさまに量が減った。味はいつものとおりだが、食べられるものが少ない。洗物の量は減らず、傷んだ料理の割合は増えていった。妊婦や母親に優先して料理をまわしているが、それだけでも足りない事がある。餓死者が出るか出ないかのところで、住民は踏み止まっていた。全てを決定付けたのは、そんな日々を繰り返した夏の日。昇降機で下りてきた、ある一皿。その一皿には、採れたての蕃茄で煮込まれた鶏の腿肉、そして痛んで悪臭を放つ食べ残しの生塵が盛り付けられていた。地上に、痛んだ料理を下ろしていたのは意図してのものであった。餓死寸前まで、量が減っていたのも同様。建物の異変は何らかの事故でもなんでもなく、悪意によって引き起こされたものだ。少なくとも私たちはそう解釈した。追い詰められていただけに、住民の行動は迅速だった。作物の納入を一切止める。全て地上で消費した。建物にさえ運ばなければ、全員が食べる量は充分にあるのだ。調理は、単純に煮るか焼くだけ。今となってはそれでいい。壮年の男衆は、各自農具を持って建物の方向を警戒した。数十年或いは数百年続いている習慣を、ついに止める寂寥。何世代にも渡って語られてきた「おそろしいこと」に対する不安。この両方が、自分たちの頭上に君臨する建物への警戒感となったための行動だ。数日にわたる炊き出しと警戒の後、起こったのは「ただ時間が過ぎた」というだけだった。
以来、建物に作物は収められていない。相変わらず充分に採れる上質の作物は、各家庭に分配される。食べきれない分は備蓄に回る。最早、穀物の一粒も建物には入っていない。作物の納入を拒む事で引き起こされるのではないか、と警戒されていた異変も何も、住民の間では起こっていない。住民は、今日も作物を植え、育て、収穫している。そんな日常の中で、私は灰色の建物を見上げる。「おそろしいこと」は起こったのではないか。それは私たちにではなく、建物から一度も出てこなかった、或いは建物に閉じ込められていた何者かに確かに起こったのではないか。ふと、そんな気がしたのだ。




