悪夢
悪夢は覚めれば終わります。
私は、薄暗い森の中を走っていた。走り続けたせいか、息が上がり胸が苦しい。隣を走っている兵士長も随分と苦しそうだ。
「こっここまでっ! 逃げればっ! 大丈夫だっ!」
兵士長・・・おやっさんが走る速さを落としつついう。確かにあの場所からかなり離れた。あの死体兵に襲われた場所から。
「ちっ! なにが貴族だ! なにが隊長だ! 立派なのは鎧だけじゃないか!」
おやっさんが木にもたれて休みながら、あいつを罵る。罵りたい気持ちも分かる。あいつは、私達のことをスチナ王国の人間・・・滅びた国の人間と見下していたのに死体兵が現れた途端『神官もいないのに戦えるか!』と言って逃げ出したのだ。唖然とする間もなく、その姿は森の中に消えていた。
「まあ、逃げられて良かった! 後は森を出るだけだ。・・・そうだ! 蛇に気をつけろ。ここらには、一歩蛇と呼ばれてる毒蛇がいるからな。こいつに噛まれると・・・」
汗を拭いながらおやっさんの話を聞いていると、足首に刺すような痛みを感じた。足元を何かが這いずっていく。急におやっさんの声が遠くなる。あれ? 眠い・・・
「・・・・・・・・・! ・・・・・・・・・! ・・・・・・・・・!」
空を背景におやっさんが顔を覗き込んでくる。
何を喋っているんだろう?
それを最期に私の意識は途絶えた。
~~~~~~~~~
そして私は、再び覚醒した。
夢を、とても懐かしい夢を見ていた気がする。はっきりと思い出せないが、あの夢は生前の・・・
「・・・・・・・・・・」
赤い世界に沈む私に誰かの声が届いた。誰の声だ?そして、ここはどこだ? いや、私は誰だ?
「・・・ここも生存者はいないようです」
「まだ分からん。捜せ!例え一体でもいい。生存者を見つけろ!」
再び聞こえた声に複数の何かが動き始めた。足音、震動、呼びかけが・・・
「誰かいないかーーー!」「生き残りはいないかーーー?」「そこは死に損ないだろーーー!」「いいじゃないかーーー!」「おまえ達!真面目に捜せ!」
死に損ない?
それは、死の世界を生きるもの。
私は、骸骨兵の大鉈。
主は、ジフ様!
【ジフ様!】
ジフ様はどこだ! ジフ様! ジフ様!! ジフ様!!! ジフ様はどこにいる!?
【ジーフーさーまー!?】
「ユウ殿! あの壷の中から精気が!?」
「ああ、私にも伝わった。捜せ」
私の精気に何者かが気づく。ジフ様ではない。しかし誰でもいい!ジフ様のところに私を!
私の願いに応えるように私を誰かが掴み持ち上げた。
「ユウ隊長! 頭蓋骨です。壷の、血肉の中に頭蓋骨が沈んでいました!」
赤い世界から・・・血の海から引き上げられた私は、血の滴る顎骨を激しく鳴らす。声にならないその音は、岩が散らばり煤に汚れた部屋に響き渡る。そして、その音に重なるように私の意志も部屋を満たす。
私を持ち上げた者・・・鎧を着けた骸骨は、そのまま私を部屋の中央に持って行く。
【ジフ様! ジフ様!! ジフ様!!!】
私は、変わり果てた部屋を確認しながらも、延々とジフ様の名を繰り返す。
【ジフ様! ジフ様!! ジフ様!!!】
「この頭蓋骨は、ジフ殿の骸骨兵では?」
「はい。ユウ殿。恐らくジーンが創造した骸骨兵です」
ランプの明かりの中、見覚えのある赤黒い死霊騎士様と魔術師の外套を身に着けた骸骨が話している。残念ながらその骸骨は、ジフ様ではない。騎士と比べても頭蓋骨二つ分は高い長身骸骨である。
「骸骨兵。ここで何があった?あれはジフ殿なのか?」
【ジフ様! ジフ様!! ジフ様!!!】
死霊騎士ユウ様の問いに、私は延々とジフ様の名を繰り返す。
「ジョウ・デニム殿、どうやら混乱しているようだ。どうすればいい?」
「”主なし”が混乱することは、よくあることです。つまり・・・」
【ジフ様! ジフ様!! ジフ様!!!】
私は延々とジフ様の名を繰り返す。
「どちらにせよ。この骸骨兵に確認しなくてはならない」
「・・・”主なし”にあれを見せるのは酷だと思いますが?」
「それでもしなければならない。この”骸骨洞窟”で起こったことの確認が私の任務だ」
「・・・分かりました。では私が」
「いや、私がやろう。主を失った経験は、私もある。生前のことだが、辛いという言葉では足りない苦痛だった」
【ジフ様! ジフ様!! ジフ様!!!】
ジフ様の名を繰り返す私を、死霊騎士ユウ様が丁寧に鎧の骸骨から取り上げる。そして私の視界は、部屋の中央から机や棚のあるほうを向いた。
「骸骨兵、忠義篤き貴殿に残酷なことだと理解している。しかし、あれがジフ殿なのか確認してもらいたい」
私の眼窩の先には、焼け焦げた魔術師の外套が床に広がっていた。あのほつれと汚れ! ジフ様の身に着けていた魔術師の外套である。
死霊騎士ユウ様は、魔術師の外套に近寄ると静かにそれを持ち上げる。
魔術師の外套の下から現れたあのお方は、
私の主たるあのお方は、
黒く煤に汚れ、
頭蓋骨を、
右から、
左に、
断ち切られていた・・・
「ジーフーーさーーーまーーーーーーーーー!!!」
初めて放つ私の声が、世界を震わせた。
本当の悪夢は覚めません。