泥の海と焔の滝
大鉈も伊達に何度も焼かれ、砕かれ、倒されていません。
経験は力です。
【ジフ様の下へぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!】
私の声無き叫びが九百九十万のジフ様魂に火を点ける。
【そうだ。ジフ様の下へ!】
【要塞なんか知るかぁぁぁぁぁぁ!!】
「突撃じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
【癒し……】
「アリエン! 突撃以外アリエン!」
【ジ、ブザマアァァァァァァァァァ!?】
一体、十体、百体、千体、万体……老いた死者が、幼い死者が、男の死者が、女の死者が、得物を振りかざし主の名を唱え雨にぬかるんだ大地を蹴り、駆けていく。
自らの居場所に在るために。主の傍に居るために。眼前の大要塞線を突破するために。
「シャアァァァァァァーーー!」【待ってえぇぇぇぇぇぇーーー!】
思慮深き蛇の言葉は意味を持たず。
【もしかして……私は何か拙いことを言ってしまったのかな……コメディ?】
正真正銘愚かな巨人ゼミノールの暢気な問いは虚しい。
そして死者達は進む。心を一つにして進む。もう止まらないその身が塵と成り果てるまで。
……例えば火葬とか。
『前方、要塞に変化! たぶん焔の滝!』
私達死者の群が挑まんとする鋼と岩の山脈――アイギス絶対要塞線が赤い輝きを放ち始めていた。
「……シャア」【……おわた】
夕闇を焼き照らす炎塊の連なりにコメディが細く漏らす。
大丈夫だコメディ。我に秘策あり! あんな要塞さっさと潰してジフ様の下に行こう!
【猫さん、雨追加で御願い】
決め顔で格好良く左手の雨豹さんに雨乞いを依頼する。
火には水! 即ち雨。我ながら完璧な作戦である。
【丸焼きはいやニャ~。たくさん降るニャ。いっぱい降るニャ~】
珍しく眠たそうではない猫の手が更なる雨雲を呼んでくれる。
それまでザァザァとやる気なく降っていた雨が、元気な豪雨に変わる。
さぁ! これでもう大丈夫。
私は左手から前方の要塞に視線を戻した。
赤々と燃え上がる炎の壁に……
あ、あれ? あれれのれぇぇぇーー?
【コメディ、質問】
「シャ」【なに】
【雨なのに火が消えません。なぜでしょう?】
私は存在しない瞳に映る信じられない光景についてコメディに解説を求めた。
雨の中燃え盛る炎……正にこの世あらざる炎だった。
ちなみにコメディのご返事は……
「シャシャ!」【知らんわ!】
コメディでも知らないことあるんだ。
水で消えない火以上の驚きだった。
~~~~~~~~~
その頃の要塞内部。
外の光景を映し出す水晶玉を前にやや耳の尖った人間達が喋っている。
「ハーフェル導師、正義の火葬は雨の中でも大丈夫かね?」
「大臣。いえ、国王陛下。御安心ください。正義の火葬は雨天でも九割の性能を発揮できます。例え邪神といえ一撃の下に焼き払って見せましょう! 発射っあぁ!」
宮廷魔術師(仮)に昇進した半妖精の魔術師――ハーフェル導師が、第四十五代アンスター国王(暫定)に繰り上がった元名誉人間大臣にスチナ製対魔術装甲陣の火力を自慢していた。
~~~~~~~~
要塞より解き放たれた灼熱の奔流を前にして、私達は……
【強力な魔術は、水を燃やし、鋼を泥に変える。そもそも死者である我らが現世にあるのも魔術、即ち精気による理の改変なのだよ……オオナタ】
愚かな巨人ゼミノールの即席魔術教室を聞いていた。
なるほど……水で消えない火の説明ありがとうございます。そこでもう一つ聞きたい。
【それで、この焔の滝はどうすれば?】
【それは……うむむむぅぅぅ】
長考ですか。火葬まで時間無いですよ!
一緒に進軍する魂喰兵も、雨のため泥海と化した地面をグチャッグチャッ走りながらこちらに不安げな顔を向けてくる。
しかし愚かな巨人に閃きは訪れない。
まぁいい。ここは肉を……この体に肉は無いな。骨を焼かせて魂を喰らう覚悟で行くとしよう。
速やかに決断した私は――撤退? 時間が無いので却下――少しでも炎を防ぐため超大鉈の平を盾になるように掲げ焔の滝に挑む。
ジフ様に会うため死も厭わない……我ながら格好良い。
【死の夢を見る人間よ。泥を被りなさい】
私が自己陶酔に浸っていると下半身の辺りから誰か……感じ覚えのない誰かの精気が訴えてくる。
泥? ジフ様のためなら泥ぐらいいくらでも被るが……なんでまた火葬直前に?
「シャ! ジャ!」【それ! 泥!】
【そうだ。泥を被れ……オオナタ!】
コメディやゼミノールまでセイテンの御爺さんに同調してくる。
まぁ、コメディが言うのなら……
【泥被る?】「この深さなら潜れる」【私なんて泳げる】「イヤ、ワタシノホウガスゴイ!」【こ、こいつ! 踊っている!】「イッショニヤル?」
私が泥を手を伸ばすと魂喰兵達が、泥の海で泳いだり踊ったりしていた。
追加の豪雨で周囲の水は、既に人の腰まであるから泳ぐことはできる。が、何やってんだか……
しかし……高く掲げた腕や脚が乱れなく揃う様はどこか美しさを感じさせる。
一緒に死体獣踊子隊に音楽を奏でさせれば、見世物として十分通用しそうだ。
優雅に泥泳体操を観賞するそんな私に。
「ジャ! シャシャジャ!」【バカ! さっさと潜れ!】
コメディと、
【間に合わん! 頼む……トトラ】
ゼミノールがツッコむ。
潜れ? 間に合わない? トトラって誰? あっ!?
不覚にも焔の滝のことを忘れていた私が顔を上げると……業火が渦巻き魔炎が牙を剥いていた。
ちょ!? 待っ!!
そして……私達は全員呑み込まれた。
~~~~~~~~~
十を十数える刻が過ぎ、偽りの灼熱地獄がこの世界から消える。
要塞の中で祖国を滅ぼした邪神の末路を確かめんと身を乗り出す人間達。
彼らが水晶玉越しに見た光景は……
溶岩のごとく沸き立つ泥の海と……
焼け焦げた山の如き亀の甲羅だけだった。
地を這う百獣も、巨人の干首も、猫の手も、猿の手も、賢き蛇も……そして髑髏も。
その全てが消えていた。
いや、もう一つだけ。
邪神の振るっていた巨大な刃が地に刺さり立っていた。
それはまるで邪神の死を伝える墓標のようにも人間達には見えた。
歓声が上がる。
亀の包み焼き泥風味の完成です。
経験を生かすには、まず”知”力が必要です。