正義の自由
正義とは不自由なものです。
一人の人間さえ二つの正義に悩み囚われます。
国家なんてもう……
「フーハー」
「……」
机に置かれた私を挟んで老婆と半妖精が睨み合っている。
もっともその顔に浮かぶ感情は全く異なる。
「フーハー」
驚き、戸惑い……それらの感情を押さえつつ息を整える老婆――シスム。
その動揺は、告げられた言葉――『我々が指定した敵だけを殺すようにしていただきたい』――に対する真の感情を隠すためか。
「……」
そして、全く取り乱さずその様子を観察している半妖精――ハーフェル。
その落ち着きは、自らの言葉――『アンスター王国の繁栄です』――に嘘偽りがないからだろうか。
炎と氷、とまでは言わないが、別種の何かが棘のように周囲に刺さっていく。
……そんな両者の間にいる私はたまったもんじゃない。
始めは、自分に関係してそうだから少々気になったが……今は、どうでもいい。
早くどっか別のところに行ってくれないだろうか。
しかし、残念なことに私の願いは叶わないらしい。
シスムが口を開いたのだ。
「ハーフェル導師、死者を操ることで、なぜこの国が繁栄するのか教えてもらえないかい」
その声は、歪んだ表情に比べると静かで……思っていたより落ち着いて聞こえた。
逆に平静な風に見えた男は、一瞬の躊躇を見せてから答える。
「簡単なことです。
七千万の死者の軍……それだけの戦力があればアンスターの兵士達を犠牲にすることなく、この戦争に勝利できます。
シスムさん、あなたが骸骨や死体を操る死霊魔術を嫌っていることは知っています。しかし、将来のある若人達が生きて帰ってくることは……」
「あたしが聞きたいのは、そんな建前じゃないよ!
なんで禁則事項を削除したいんだい!
分からないのならこう言い換えようかい……どこの国に戦争を仕掛けるつもりなんだい!?」
真剣な表情で語る半妖精を遮った老婆は、今度こそはっきりと感情を露にした……怒りである。
しかし……戦争? いつそんな話が出てきたんだ?
「死者の大群さえ消えれば、今のままでも魔王軍には勝てる。
それなのに危険な諸刃の刃である死に損ないを戦力として使いたい……しかも人を殺せるようにした上で!
子供でも分かることだよ! アンスターはどこに戦争を仕掛けるつもりなんだい!!」
……魔婆、私は子供以下か!
「落ち着いてくださいシスムさん。
私達も……王宮も軍も魔王軍と戦っている現状で他国に戦争を仕掛けるつもりはありません。懸念しているのは戦後のことです」
「戦後ね? ふん……じゃあなんで危険な死者の軍隊を欲しがるんだい。納得のいく説明をしてもらおうじゃないか」
「まず私達は戦争を望んでいません。戦乱を招こうとしているのは……ダブロス王国です」
「ダブロスが?」
「はい。これは極秘なんですが、ダブロス王国が軍を動かしました」
ダブロス王国、大陸南西にある大国で常勝無敗の軍隊がいるとかなんとか。
後は、真聖一教という異端が国教らしい。
「軍を動かしたって……それは大陸中央への援軍じゃないのかい?
あの国は戦況が有利になってから参加することで有名だろ」
老婆の意見に半妖精は首を振る。
「ダブロス軍の進軍方向は、真北……ザペン王国なのです。
兵力も十万以上、ダブロスのほぼ全力です」
ザペン王国、こちらは大陸北西の大国でのんびりとしたのどかな国らしい。
なんと軍隊がいなくて、攻め込まれない限り戦争はしないと宣言しているそうだ。
「それは……ザペン国内に駐留している魔王軍を叩こうってことかい?」
「『人類を裏切り魔族と手を組んだ鬼畜を許すわけにはいかない』……ダブロス国王の秘密会議での発言です。国教の真聖一教もそれを後押ししています」
シスムは、額を押さえながら呻く。
「ダブロスは、世界の危機に何をやってるんだい。女王のときはまともなのに……」
人間同士で仲間割れ……ジフ様は喜ぶだろうか?
「今回の戦でスチナは滅び、タリアは蹂躙され……ザペンは辛うじて講和しましたが大きく国力を失っています。
そして私達アンスターは、勇者様が死霊王を倒し、さらに亡命貴族も押さえたことから再建したスチナを属国化できるはずです。
また聖一教は、聖都によって大陸中央部の魔王軍を一掃したことでこれまで以上の影響力を持ちます。
それに対してダブロスは、これまで全く戦に貢献しませんでした。せいぜい勇者を自称する偽者を派遣するぐらい。
このまま魔王が倒されたら、宗教的に対立する聖一教と大陸一の力を持つことになるアンスターに遅れをとる……ダブロスはその状況を恐れたのでしょう。
しかし今更、大陸中央に参戦しても旨みは少ない……ならば取れる場所から取る」
ハーフェルの言葉が終わると老婆が拳を振り上げ机に叩きつけた。
「馬鹿がぁ!!?」
ドンッ!!
シスムの叫びと同時に部屋が震えた。パラパラと上から粉塵も落ちてくる。
拳一つで屋敷を揺らすとは!?
そんな風に私が驚いていると……
「い、一体なんだい!?」
なぜか老婆も慌てて天井を見上げている。
……やった本人が驚いてどうする。
【ゴ、御主人様】
おや、天井から青い人影――幽霊のレミ嬢が上下逆さで出てきた。
逆さなのにお下げが垂れないのは幽霊だからだろうか?
【ちょっと御話したいことが】
「さっきの揺れはあんたか……なんだい? まさかまた鍋でも爆発させたのかい? 夕食は大丈夫なのかい?」
【えっと、その……大丈夫です。とても元気でした】
レミ嬢がとても申し訳なさそうに……というか気まずそうに言う。
夕食って……ニワちゃんか! ニワちゃんのことかぁぁぁぁぁぁ!!
「『とても元気でした』? なんで過去形なんだい」
老婆の問いにレミ嬢の目が泳いでる。縦横自由自在だ。一回転までしている。
【今は無事かちょっと分からないので~】
「石窯の中にでもいれてるのかい? 幽霊なんだからそれぐらい覗、け、ば……」
老婆の声は尻すぼみになり……沈黙する。
「どうされたんです。夕食って先ほど一階で暴れていた鶏ですか?」
ハーフェルが話しかけてもシスムは、天井――レミを見上げたまま動きを止めている。
「レミ、あの鶏は、今どこにいるんだい?」
【分かりません】
「……なんでだい?」
【……と……いっちゃいました】
「よく聞こえないよレミ。もっと大きな声ではっきりと」
【飛んで逃げちゃいました】
『コケコッコー』太陽を背に空を飛ぶニワちゃん……二人の会話を聞いていた私は、頭蓋骨の中に明日に向かって羽ばたくニワちゃんを思い浮かべた。
……今、夜だけど。
強く逝きるんだぞ、ニワちゃん!!
友が自由を手にしたことに私の胸は、喜びでいっぱいになった。
「………………」
ちなみにレミ嬢の返事を聞いたシスムは、息さえ忘れて完全に固まっている。
「シスムさん、鶏なんかいいでしょう。この話は、国の興亡に関わるんですよ」
一人、状況が分かっていないハーフェルが真面目な顔で話の再開を促していた。
可愛いは正義……誰もが肯定する正義の代表格です。
つまりニワちゃんの逃亡は正義……かな?