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無色の魔法士  作者: パンプキン
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カイコウ

 転移装置。

 実のところ、その機械を指してそう呼ぶのは適切ではなかった。あれはあくまで真の転移装置を作る上で発明された試作品の一つを改良し、実用に耐え得る性能を与えた程度の、いわば出来の良い副産物にすぎないからだ。

 元々は大威力の魔法を遠く離れた地へと瞬時に送り込む、大陸間戦略兵器の技術を応用したそれは、魔法現象と化した無色の魔法士を他の惑星へと転送することができた。人の生存を許容することができる新天地へと運ぶことが可能だった。素晴らしい技術と賛辞を述べたいところだが、転送することができたのは無色の魔法士だけだった。

 無色の魔法士を転移させたことに成功したのは、もう三十余年も前のことだ。その成功により人は滅びの大地から解き放たれ、第二の故郷となる星へ移住するという希望を持つ。当時、この『箱舟』に彼らが立てこもって既に十数年の時が経過しており、絶望していた彼らにとって、転移の成功は眩し過ぎる光だった。あまりに眩しくその本質を直視することもできず、それなのにただ浮かれていた。自分を含めた皆が。

 すぐに、次なる故郷の選別は行われた。母星と良く似た惑星を探し、そしていくつかの候補地を選び出した。夢を馳せて行われたそれは、まるで新居のカタログを広げる心地だった。その当時は。

 今にしてみれば、それはあまりにも――

(虚しいものだ。思い出してみれば)

 閉じていた目を開く。見えたのは、薄暗い部屋の汚い天井だった。固いベッドの上、しばし虚空を見つめる。

 よくよく考えれば、それは当たり前のことだった。魔法を転送するだけの装置が、質量物を――例えば生身の人間を、他の惑星へと連れ出すはずがなかった。転移装置の開発が行き詰るのに、それ程の時間は必要なかった。眩しかった希望は時間と共に急速にその光を弱め、もはやその名残すらこの牢獄にはない。

『箱舟』の呼び名も希望と同じく廃れ、現在では『箱庭』という呼び名に取って代わられている。

(淘汰の日から五十年。かつての平和を知らない世代が増えた。おかげで箱庭内の治安は最低だ)

 上半身を起こす。外を知る数少ない世代の彼は、もう六十になる。頭髪は白くなり、見下ろす手も皺だらけになっている。右腕だけは、だが。

「……痛みやがるな、今日は」

 左腕に、右の手を乗せる。金属の冷たい感覚。それを握り締め、激痛を堪える。

 彼の左腕は、金属製の義手だった。二十代の頃、箱庭内で勃発したものとしては最大の内乱に巻き込まれ、肘から先を失っていた。新たな腕を獲得してなお、かつての腕の痛みは癒えてくれない。幻肢痛というやつだ。個人差により半年で消える者もいるそうだが、どういうわけか彼の場合、今になっても一ヵ月に一度の頻度でこの痺れるような痛みが襲ってくる。

 加えて薬の効きづらい体質のため、この痛みをやわらげる術がない。

「眠れやしねえ。あの出来損ないの修理に、ここ一月まともに寝てないってのに」

 愚痴をこぼすが。

 どうやら、この痛みの有無とは関係なく、彼に安息は与えられなかったようだ。

「! くそ、こんな時にっ!」

 けたたましい音で、サイレンが鳴り響く。

 敵襲を知らせる大音響は箱庭全体を駆け、住民達にシェルターへの移動を命じている。だが、技師である彼にとってのサイレンの意味は、少々他の者たちとは違っていた。彼にとってのサイレンは、箱庭の生命線であり様々な主要建造物が集中する中央への召還状だった。万が一の場合、すぐさま修理に取り掛かれるように。

「レアリアもシリムもいねえ。これでどうするってんだ、畜生」

 怒鳴り、腕を抱えながらベッドから立ち上がる。その時だった。

 爆発が、彼の住居を破壊した。衝撃に家は崩れ、見上げていた天井が頭上から降ってくる。部屋の端まで吹き飛ばされながらも、本能的に頭を庇うことはできた。こんな腕でも、こういう時には頼りになる。土石流となって、家屋の一部が彼の体を叩いたが、なんとか致命傷は防いだ。

 薄れる意識の中、しかし自分がまだ死んでいないことくらいはわかる。

 それは信じられないことだった。箱庭のこの深度まで、侵入を許すとわ。

 かつては天井だった物の残骸に埋もれながら、その隙間から彼は見た。爆発が起こった方向に、それはたたずんでいた。捕獲された実験体を別にすれば、それをこの目で見るのは五十年ぶりになる。

 現在、この星を支配する白い巨人。

 それが、下層のとはいえ住民たちが居住するこの区画にまで侵入している。

「……や、べぇ……」

 額から伝った血が、視界を閉ざした。もう痛みを訴えるのは失った左腕だけではなくなっている。

 多重の激痛の中、彼の意識はとうとう消えた。



「一人暮らしか。いいなあ。あたしもこんな広い家を自分だけの物にしてみたいよ」

 二階建ての一戸建てを見上げ、ちゃんと両親と暮らしているサキはそんなことを言う。中学生が一人で暮らすことはなにも楽なことではなかったが、彼女にとってはそれが憧れらしい。

 父親の仕事が忙しく、あまり家に――というか町に帰ってこないので、コウヘイは中学二年生の若さで実質上の一人暮らしをしていた。

「サキじゃ無理だよ。掃除とか洗濯とか、家事は全部自分でするんだから」

「それ、どういう意味よ?」

「楽じゃないってことだよ。家が広いと掃除にはその分、手間が掛かるんだから」

「掃除くらい、あたしもするよ」

「部屋の掃除だろ」

 言うほどちゃんと、家事をこなしているとは言いがたかったが。

 家の門を開き、その敷地内に足を踏み入れる。偉そうに言った割りに玄関先の掃除がされていなかったが、サキはそのことに気づいていないようだった。ほっとする。

「じゃあ、月曜日に」

 月曜日に学校で。そう言おうとして、コウヘイの口が動きを止めた。止められた。

 その現象をどう形容して良いのかわからなかったが、見たままを言うと――家のドアから人が生えてきた。

 顔、首、胸、腹、腰、足。順にドアの中から出てきて、最後にはコートを着た一人の男が、コウヘイの前に立っている。病室の女と同じ、白くて長いコートだ。

 目の前での唐突のイリュージョンを、たっぷりと十秒ほどをかけて理解したときには、コウヘイは自分の頭がイカれたことを確信した。

「俺の言葉がわかるか?」

 男が、なにかを言っている。

 この短時間に、二度目の怪奇現象の目撃――つまりは幻覚症状の発症。加えて幻が語る幻聴までも。入院は確定だ。

 諦めと、ほんの少しの安心感を味わっている中、後ろから妙な声が聞こえた。

「……え?」

 肩越しに振り返る。そこにはまだサキがいて、ぽかんと口を開けて、コートの男を凝視している。

 彼女には、この男が見えている。

 頭を殴られたような気分になった。

「お前は、俺が言っていることがわかるか?」

 向き直る。頭一つ分以上も高い男の目が、コウヘイを見下ろしている。

「あ、俺……?」

「聞こえていると判断する。語訳は正常なようだ」

 男は一人得心して、首を縦に振る。

 コウヘイとサキが二人して同じ幻を見ているのでない限り、この男は――考えにくいのだが――実在しているらしい。

「お前に訊ねたい。俺と同じ、白いコートを着た人間を知っているか?」

「白いコート……?」

 心当たりは、勿論あった。

 それは、ほんの数分前のことだ。印象深すぎて、これから病院を訪れるたびに思い出すだろう光景。

 病室の椅子に腰掛け、微笑を浮かべる女。女は若く見えた。二十ほどの、学生といって差し支えない年齢。しかし、何故かもっと高齢の、例えば学校の教師とでも話したようだった。

 病室にいる間中ずっと笑っていた、奇妙で――

「髪の長い、女の人?」

「その女だ。家にいたのか?」

 その口調は静かだったが、応答を強要する詰問のそれがあった。あえて逆らうことはせず、素直に首を横に振る。あの女を家に迎えるはずがない。

 が、コウヘイの返事は男にとって意外だったようだ。聞き返してくる。

「家ではない? では、どこだ?」

「どこって……」

 出かかる言葉を、寸前で押し止める。病室のことを話すということは、母の元へこの男を案内することにもなりかねない。そうすることには躊躇があった。男を信用――危害を加えてこないという程度の信用すら、コウヘイにはできていない。

 気まずい空気が数秒流れる。その間コウヘイは口をつぐんでおり、男もまた黙していた。

 その沈黙を破ったのは、それまで蚊帳の外にいたサキだった。

「ちょっと!」

「お前は彼女を知っているのか? 接触の痕跡は見当たらんが」

「そうじゃなくて!」

 コウヘイを押し退けて。威嚇するように――虚仮脅しも良いところだが――目つきを鋭くしたサキが、男の前に歩み寄る。

「あんた何者!? 聞いてばっかりじゃなくって、こっちの質問にも答えなさい!」

「……時間がない。そこのお前、女をどこでみたか教えてもらいたい」

「人の話を聞きなさいよ!」

 よほど頭に来たのか、サキは男の腕を掴んで抗議する。だがスポーツをしているだけの女子中学生のサキが、成人しているだろうコートの男に体力で勝るとは思えない。

「やめ……」

 今にも男に殴りかろうとするサキを止めよとして、コウヘイは男の変化に言葉を失った。サキでさえ、唖然としている。

 男の腕が、サキの手の中から抜ける。力任せに振り払ったのではない。腕が消えて無くなっていた。

 腕だけではない。コートを着た男の姿が、溶けるようにして消えた。ぶん……と、虫の羽音のようなものが聞こえた。

「この星の住民に干渉したくない。『核心』に俺の存在を知覚される恐れがある――俺だけでなく、お前たちにとっても不利益になりかねん事態を招く恐れがあるということだ。だから、女のことについて話せ」

 告げる声がある。

 先の続きを語る声に、なんら変化は感じられなかった。ただ一つ、その声が発せられる位置を除いては。

 目の前の虚空から、声に遅れてそれは姿をあらわした。サキの前にいたはずの男が、今は自分の前に立っている。電波の悪いテレビのように、体をノイズに波打たせながら、それでも何事もないかのように。

「繰り返すが時間がない」

 男が、コウヘイの襟首を掴んだ。静かな口調のまま、恫喝する。

「話せ。彼女は……ちいっ」

 淡々としていた男が、急に舌打ちをした。コウヘイを無視し、空を見上げる。

 聞き覚えがあった。ガラスに亀裂の入る音。病院で、あの女が空間を割ったときの。

 目の前に、ガラスの破片のような物が落ちてきた。それは見る間に崩れて、風に飲まれた。次々と落ちてくる破片の出所を見上げる。

「怖がらせちゃ駄目じゃない。あなたは愛想を覚えるべきね」

 どこか深い場所から漏れ出してきたかのような、女の声。井戸の底からの響きにも似た声は、頭上の隙間からにじみ出ている。剥がれ落ちる、空間そのものの隙間から。

「なに、これ?」

 疑問符をあげたのは、サキだけだった。

 ヒビは病室で見たときと同じように空間を侵食し、とうとうそれ自体を砕く。

 耐久力の限界を超えて、ガラス細工の空が落ちてきた。白い服を着た女と一緒に。

「こんにちわ、シリム」

「……ええ。久しぶりです。レアリア」

(…………?)

 何故だろうか。

 応じる男の複雑な表情の中に、安堵があったような気がした。



『魔族二体が新たに第三防御結界突破。居住区に潜入。居住区の被害、なおも拡大』

『時空隔壁の修復、未だ難航。箱舟内への更なる侵入を阻めません』

『第六守備部隊壊滅。戦線離脱の許可を求めています』

『第四防御結界に魔族が到達。結界出力89.7%まで低下』

 控えめに言って、これは窮地だった。箱舟の六十年にわたる歴史の中でも、居住区の深度まで魔族の侵入を許したことはなかった。

 箱舟内に魔族の侵入を許す事態は、これまでも多々ありはしたが、それらのほとんどは外周部にある第一防御結界に到達することなく無色の魔法士たちと、守備部隊によって、ことごとく葬られてきた。

 魔族の進行を阻止するたび延命の報酬を獲得してはきたが、しかし戦闘を重ねるたびに様々なものを削がれていった。摩滅する抵抗力が、魔族の力の前に折れるのは時間の問題ではあったが。

「早すぎる」

 止まることなくスピーカーから流れてくる部下たちの報告の声を無視し、うめく。

 この聖室は箱舟にある他のどの部屋よりも厳重に守られた場所だった。ここで語られる言葉は彼の意思なくして外部に漏れることなく、また他者の入室も同じく許されない。いや、この場にいる五人の支配者たちの意思なくして、何者も箱舟には乗り込めない。乗り込んではならない。

 四人の大賢者と、それらを束ねる一人の大賢者長。彼らの総意が、箱舟を動かしていた。

「まだ、早すぎる」

 大賢者の長は重々しく繰り返す。

「確かに。我々の見積もりでは、猶予はまだ残されていたはずだ」

「ここにきての魔族の活発化。核心になにか変化があったのか?」

「こちらが無色を五人欠いた状態にあることを知ってか? ありえない。核心が動きを見せたのは、淘汰の日に起こったあの一度だけのはずだ」

「ならばこの現状をどう判断すれば良い? 魔族に統率のようなものが感ぜられる。個を持たない木偶が、なんらかの意思に従って動いている」

「魔族の意識領域は全て繋がっている。無数の最強が一人の赤子によって統率されていたようなものだった。その構図に変化が起きたのではないか?」

「無数の最強が一人の指揮官に統率されているというのか? 一糸乱れぬ無敵の部隊か。ふん。それでは我々に勝ち目はないな。裏切り者を出すような部隊しか率いえない我々では」

「意思が成長してるとして、それにしても急すぎる。先日まで、その兆候すらなかったではないか」

「魔族に成長という概念があるとは思えないがな」

「ともかくだ……」

 大賢者長の一言に、それまで飛び交っていた憶測が止んだ。

 全員の――その内半分は義眼だったが――視線が集中するのを待って、言葉を続ける。

「現状を打開するのが先決だ。実のない話に時間は割けん。先に繋がる今がなくては、全てが無駄だ」

「策はあるのですか?」

「まずこれ以上の魔族を箱舟に乗せるわけにはいかん。外界と箱舟を分かつ封鎖隔壁の修復を急がせる」

「それなら、最優先で既に」

「行っているか? そんなことは知っている。我を侮っているのでないなら、貴殿の地位に見合った熟考の後に発言せよ」

 声量を変えぬままの静かな恫喝に、齢にして百を越える大賢者がすくみ上がる。彼に謝罪の言葉を口にする猶予すら与えず、続ける。

「その最優先ではまだ不十分なのだ。我等が『イズミ』の処理速度が足りていない。不足分を補う。第一から第四までの防御結界を解除し、それを維持していた分の処理能力を全て隔壁の修繕に回す」

「しかし、それでは箱舟内の魔族が第四区画に集中してしまいます。そうなれば、第五防御結界の崩落は目に見えています」

「第五の後には、『中央』を守る最終防御結界があるのみ。リスクが高すぎるのでは」

「敵の数は無限だ。長期戦で勝ち目はない。リスクを承知で短期決戦を仕掛ける。それに、勝算ならある」

 先の脅しが効いているのか、強気な批判を発する大賢者はいない。怯え腰の彼らに、自分を本気で咎めるだけの度胸は残されていなかった。元々が大したことのない意気地は、老いによって次第に萎え、現在では事実上皆無といっても良い。

 だが、彼らはそれでいい。糸に吊るされ動く、ただの人形で良い。

 彼らの度を越えた弱気が、箱舟を大賢者長である自分の思いのままにさせている。

 ほくそ笑む余裕はなかったが、支配欲がわずかに満たされるのがわかった。

「コード・138を発令する。存分に力を振るってもらおうではないか」



 結界に取り付いた魔族の背後から、渾身の一撃を見舞う。

 大魔力を乗せた拳を魔族の後頭部に叩き込み、内部に封入、内側から吹き飛ばす。血飛沫を撒き散らすこともなく、風船が破裂するように頭部を失った魔族は、脱力して四肢を垂らす。抵抗力を失った魔族を、後は結界が始末してくれた。触れるもの全てを蒸発させる結界が、魔族の巨体を分解する。

 倒した魔族から意識を外し、箱庭内の惨状に目をやる。

 光すら通さない封鎖隔壁により閉ざされ、エネルギーの問題から不十分な照明で照らされる灰色の町。それが箱庭だった。常に薄暗く、昼も夜もないここは、深い洞窟を連想させた。

 その洞窟に足を踏み入れ、守り手たちを蹴散らす者がいる。

 荒廃した箱庭の居住区に、白い巨人が五十以上も侵入していた。ある者は空を飛び、ある者は地を歩み、ある者は転移の魔法を駆使して、それら全てが明確な目標を、箱庭の心臓部である中央を目指して進軍していた。信じられないことに。

(これまでにない傾向、だな……)

 魔族は自分や他の無色、または守備隊への攻撃を牽制程度に止めている。ただただ真っ直ぐに中央を目指し、結界に取り付いてはそれを突破しようと試みていた。『人』とあればそれが無色の魔法士だろうと、守備隊の隊員だろうと、非武装の一般人だろうと関係なく排除しようとしてきた――排除するために存在してきた魔族が、なにかに引き付けられるように中央に向かっている。

「多すぎる……」

 次の魔族が、結界に接触する。一体の魔族がその存在と引き換えに結界に穴を空け、そこから数体の魔族が突破してゆく。これまで見られなかった連携によって、数を減らしながらも魔族は着実にその侵入の深度を深めていく。そして深度が深ければ深いほど、箱庭にとって重要な区画があった。

 これ以上の進行を阻止し、更なる被害の拡大を防がなければならない。だが。

『――告げる』

 頭の中で声が響く。

(通信か……)

 それは空耳でないのなら、司令室にいるのだろうオペレーターからの声だった。耳鳴りと共に訪れたその報せに、いぶかしく思いつつも意識を傾ける。

『告げる。無色の魔法士は現戦闘中域を放棄し、第五区画に結集せよ。繰り返す。無色の魔法士は第五区画に結集せよ』

「放棄?」

 信じられず、つぶやく。

 現戦闘中域から離脱することは、居住区の守備を断念し、無防備にしてしまうということだ。住人はほとんどが地下のシェルターに避難したようだが、魔族の力なら彼らを生き埋めにしてしまうことくらい造作もない。無色の撤退は、魔族に抗する術をこの区画から消してしまうことになる。

(しかし)

 今日の魔族は、いつものそれとは性質が違う。人をこの星から抹殺することが目的であろうことは変わりないが、その過程である手段の、効率という点が改善されている。中央を目指し、箱庭の誇る最強の盾である時空封鎖隔壁を剥ぎ取ろうとしている。盾を失えば箱庭は避難所としての役割を果たせず、この惑星にそれこそ星の数ほど存在する魔族の総攻撃を受ける。それを狙ってだろう。魔族はひたすら中央を目指している。

 恐らく戦闘さえなければ居住区を攻撃することはない。中央が無事でいる間は、だが。

(ここで戦闘を行えば、住民に被害が出る。ここは一度引いて、第五区画で魔族を迎え撃つ。第五は研究施設が密集した地域。人的被害は少なく済む。ただ)

 もう一度、箱庭を見渡す。これまで見たこともないほど大量の魔族の進軍。それら全てを、中央とは目と鼻の先の第五区画で打ち倒さねばならない。言うまでもなく至難である。

「やはり、多すぎる……」

「びびったんならさっさと消えろよ、アルバ。弱卒は足を引っ張るからな」

 彼の独り言に、わざわざ応じてくれる親切な声がした。痛み入りすぎて、かえって腹立たしくある低い声が。

「……クルシャラか。相方のカーベスは一緒じゃないのか?」

「別行動だ。撃墜数を競ったゲームの最中だったんでね」

 背後から回りこんできた男が、彼の――アルバの前に現れる。服は無色の魔法士の証明として当然白いのだが、彼の場合、その素肌さえも生気を感じさせぬほどに白く、頭髪もまた白い。色素のない肌に痩身の体躯も相まって、クルシャラの姿は病人――あるいはそれを通り越して亡霊のようでさえあった。

「ゲームというのは、いささか不謹慎ではないか?」

「楽しまない人生なんか生きてる価値がねえよ。どうせ先が短いんなら、なおのことだ。誰かみたいに、ただ死んでいないだけの人生なんざまっぴらだね」

「なら、その自分の生命さえ投げ出して戦う『誰か』を、もう少し見習うべきじゃないのか?」

「はっ。死なないために生きるなんて御免だ。生きるために生きるのも同じくな」

 長くこの男と関わっているが――

 それが満面の喜色であることを悟るまで、やはり一拍の間を必要とした。クルシャラの顔が、奇怪に歪む。それは顔の筋肉を痙攣させる、病人の笑顔だった。

 生者を後退させる死人の笑い。その笑いの合間に差し込むように、言葉をつづる。

「どうせ死ぬまで生きるんなら、俺は生きるために死ぬ。死ぬまで楽しむのさ、俺は。生を実感するぎりぎりの極限の中でな」

 言い終わると、クルシャラは姿を掻き消した。とうとう成仏して天にでも召してくれたのかと期待したいところだが、どうやら指示された第五区画に向かったようだ。後に、笑いの余韻だけを残して。

「……嫌な空気だな」

 戦場にこびり付く、死霊の哄笑。それはある種の呪いのように、アルバには感じられた。死人の語る生と死は、底知れぬ怖気を与えて箱庭の地に染み込んでいった。



 言いたいことは幾らでもあったはずだった。

 胸中で渦巻く無数の疑問を、この場でぶちまけることもできる。怒号を叫ぶこともできる。非難することも、蔑むことも。言うべきこと、言いたいことが山積していたはずだ。だが。

「こんにちは、シリム」

「……ええ」

 不思議と、心が静かになる。先ほどまでの焦燥も消えている。

「久しぶりです。レアリア」

 ゆっくりと虚空の断裂から抜け出て降りてくる彼女に言う。

 軽く舞い降りるレアリアは、家の門の上に降り立ち、そのまま腰を下ろした。シリムとレアリアが、現地人の少年を挟んで対峙する。二人の魔法士に挟まれた少年は、落ち着きなく視線をさまよわせている。

「コーダは帰還したようですね」

「あなたより一足先に、ね。家に帰れば、すぐまた会えるわよ」

「でしょうね。できれば俺がコーダたちと再会する際には、あなたにも同席していてもらいたい」

「遠慮しておくわ。家に帰ると、老人たちの愚痴を聞かされるじゃない? 嫌いなのよね、あの年寄りたち」

「俺もです。好いてる者などいない。しかし、あなたを箱庭にとって欠かせない人間だ。箱庭に戻って職務に復帰するなら、多少のペナルティーを科せられる程度で済む」

「私は優秀だからね」

 悪戯っぽく笑う。

 いつも笑っているのに、彼女の表情は何故か多彩に感じられた。笑みの種類を使い分けることで、その心情を表現している。その表情が、心情とやらを素直に表してくれているのならの話だが。

「でもね、シリム。だからといって、私が箱庭に戻る理由にはならないわ。違う?」

「もとより説得できるとは思っていない。断っただけです。力づくで連行する前に」

「できるのかしら?」

「今は不可能だ」

 断言する。不甲斐ない台詞をここまで堂々と言い切る自分が情けなくはあったが、虚勢をはる必要もない。

「それでも、私に挑む?」

「勝てないとわかって、なお足掻く。俺たち箱庭の民らしいじゃないか」

「でも、あなたは無駄な足掻きはしないんでしょ?」

 答えずに、シリムは魔法式を構築する。瞬間の時と空間を保存し、部外者を排斥する結界。偽りの空間の生成。

 掌の上で光が球体を形成した。核心の大領域という触覚に感知されることなく、この星で魔法戦を行うにはこれを展開しなければならない。この星の住民に損害を出すのが好ましくないという理由もあるにはあるが、なにより現存する敵勢力を二つに増やさないための処置だった。

 時空封鎖の魔法を展開する。

 呆然と彼らのやり取りを眺めていた二人が――そこにいることをを半ば忘れかけていた少年と少女の姿が消える。封鎖空間内への侵入を許さなかったため、現実に取り残されたのだ。少年のほうにはまだ聞いておきたいことがあったが、今はそれもできそうにない。

 そんな余裕は、彼女が与えてくれそうにもなかった。

 レアリアの笑みが、可虐的なものに変わっている。不気味に蠢く漆黒の闇が、彼女の影の中から溢れて世界を食らった。

 魔族よりも深く重い脅威が――闇の支配者が、その力を解放した。

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