マゾク
「時空封鎖をかける。ネル、敵の数はいくつだ?」
「集合休眠状態から構築と固有化の最中だが、魔力の総量から計算しておよそ六体。存在確定までの予想時間、三十秒」
「少し多いが、やれなくもないか……」
シリムは両掌を胸の前で合わせる。祈りを捧げる仕草にも似ているが、魔族に慈悲を期待するほど愚かではない。合唱した両手を、ゆっくりと離す。機械音とノイズを撒き散らしながら、複雑な魔法式の集合体が発生する。
「封鎖域は半径十キロ。それ以上戦場を広げようとするな」
伝えて、シリムは左右の掌を天に向ける。魔法式が頭上まで浮かび上がり、急速に回転を始める。様々な式がそれぞれに影響を及ぼし、歯車のように連動する。
魔法式が、爆発するように膨張。シリムの頭に降る式は彼を素通りしたように感じるが、その実、現実の空間から指定された者たち――シリムら四人、そして魔族を切り抜いてゆく。孤立した空間と時間が、彼らを飲み込む。
雲は流れず、風が消え、人の気配がなくなる。時間が止まり、指定されなかった人間は現実世界に置き去りにされた。
「簡易的な封鎖だ。魔族なら、破れないこともない」
見上げるほどに巨大なノイズが、ネルの探査結果と同じ方角から立ち上る。ノイズは分裂し、六つに細分化する。
「来るぞ」
ノイズの一つが、一際大きく波立つ。
それを視認したとき、シリムたちはマンションの屋上から飛び立っていた。
刹那。途方もない力に、鉄筋コンクリートのマンションが圧砕した。轟音が雷鳴のごとく響き渡り、大量の土砂が吹き上がる。マンションが建っていた場所を見下ろすと、その中心地辺りで揺らぐノイズを見つけることができた。存在の確定と共にノイズが、白い巨木のような姿を現す。
白い巨人。その腕が、マンションに振り下ろされていた。
巨人は人の形をとってはいるが、まるでシルエット画のような姿をしている。輪郭は間違いなく人間で、しかし目がなく、耳がなく、口がなく、顔がない。のっぺりとした裸体もあいまって、人というよりもマネキン人形のような姿をしている。
マンションを粉砕した巨人の周囲で、次々とノイズ消える。明確な姿を形どり具象化を果たした。計六体の魔族が存在を構築させ、顕現する。
それらの魔族が、すっと手をこちらに向け――
「ちいっ」
即座に、結界を展開。それを持続させながら、弾けるように横へ飛ぶ。回避行動をとったシリムの脇を、高速で伸張された指が通り過ぎた。鞭というよりも槍に近い、魔族の指が。
敵は人間の拡大版ではない。生き物ではない動きと力で、人の天敵として生態系の頂点に君臨したものだった。魔族という、意思を持つ局地災害。
あらゆる五感と、それ以外の感覚が危機を告げる。人間としての本能が叫ぶ。人では、決して越えることができない怪物。人と魔族の戦力差は、蛙と蛇どころではない。
(人とでは、な)
高度を下げて次の指から逃れ、魔法式を展開する。立体的な高度の魔法式ではない、円形の式が虚空に描かれ、それが常軌を逸して長大な剣を具象化させる。
電柱ほどの刃渡りがある大剣の柄を右手で握り、半回転するように振るう。
「ふっ!」
短く息を吐き、シリムを射抜きそこなった二本の指を断つ。直角に折れ曲がり、背後からシリムを狙っていた最初の指が、紙細工の軽さで地へと落ちていった。
指の切れ端がノイズの中に消え去るのを確認することもせず、空いている左手を地上の魔族へと差し出す。手の先で生まれる複数の式が、一瞬後には数十振りの剣を生み出した。
一振りがシリムの身の丈程度の刃たちが、雨のように降り注ぐ。
魔族たちの動きは、巨体に似合わず俊敏だった。目で追うのがやっとの機敏さで散開し、打ち合わせたかのようにそれぞれが目標へと襲い掛かる。無色の魔法士一人に、魔族が一体。ただし、シリムにのみ三体がかりで。
(最大の脅威と認識されたか)
人を搾取する側にいる魔族が、明らかにシリムを警戒している。
彼らの母星を席巻し、人の領土を全てを奪いつくした魔族が、だ。
自然、口元が歪む。自嘲気味につぶやく。
「光栄だよ」
発射と具象化を同時進行で行い、魔族へと刃の雨を降らせ続ける。巨体を舞わせる魔族は出鱈目な動きでそれらの多くを回避し、避けそこなった剣も傷を負わせるまでには至らない。それこそ、雨粒を弾くような感覚で。
三体の魔族の、のっぺりとした頭部に小さな亀裂が入る。限界以上に引き伸ばされたビニール袋のように、大きく裂けた口ができた。
「くっ!」
指揮者のように手を振り、投剣たちの隊列を変える。
三つの口腔が、赤く輝いた。紅の光が閃き、シリムへと伸びる。防御に回した剣に触れて、光が炸裂。シリムをも飲み込んで。
盾とした刃たちが、次々と砕け散る様を目撃した。存在維持の限界を凌駕して、衝撃は強力だった。剣たちは耐えられず、砂塵となって崩れ、炎に消える。だが、それらの犠牲によって閃光の威力は格段に落ちていた。結界で防ぎきることができる程度にまで。
周囲に展開された結界に守られながら、シリムは炎と黒煙を突破し、魔族へと突進した。
煙が晴れれば、魔族の目と鼻の先にまで接近している。手にした大剣を、第二撃の閃光を放とうとしていた魔族へと投げた。投てきされた最後の刃は、一直線に魔族へと到達し、その口腔に突き刺さる。白い後頭部から、その切っ先が覗く。
銃口を塞がれれば当然、暴発が起きる。口内で爆発を起こした魔族は煙を吐きながら、上体を大きく仰け反らせた。
もちろんこの程度で、魔族が死ぬことはない。だが傷は癒さなければならない。欠損部は再構築しなければならない。それらに力を注ぎ、そして力が尽きた時、力そのものである魔族は存在すらできない。
魔族に突き刺さった剣の柄を掴み、それを引き抜くことはせず、そのまま滑らせる。口腔から頭頂へと刃を走らせ、頭部を割る。
ゆっくりと、魔族は頭から地上へと落ちていった。再構築に力を注ぎすぎて、飛行を続けられなくなったのだ。致命は不可能でも、相当の時間を稼げたと考えていい。
追撃すれば、殺せるが。
狩人は自分ではない。一対二の身では、まだ力関係を逆転しきれていない。不利な状況は打開できていない。今も、狙われている。
(上か)
かなり機敏に動き出したつもりだったが、それはほんの目の前、頭一つ分ほどの距離を通り過ぎた。白い影が槍の鋭さで上方から降りてきて、シリムの結界を薄紙を破る容易さで突破する。
その指の槍を消し飛ばして、赤い閃光が見舞われた。直撃こそ避けたが、余波が結界の表面を波立たせる。しかしその破壊の中心にあった白い指は、何事もなかったように再構築され、鋭さを衰えさせることすらない。
無造作に放たれる一つ一つの脅威が、シリムを絶命するに足る威力を誇っている。それらを掻い潜り、時間稼ぎの手傷を負わせなければならない。焦れば負けるが、時間をかければシリムが折れる。
投剣の群れを具象化し、束になって迫る指の槍を撃つ。ずたずたに引き裂かれる十指は、しばし硬直するもすぐに癒され、それぞれが異なる軌道を描きつつシリムを狙う。
しかしそれは、攻撃を散漫にすることでもあった。シリムは回避行動を捨て、指を伸張する魔族へ直進する。迂回する軌道で襲う指たちは、シリムに追いつけずに後方の空間を抉った。と、魔族は自分の指を全て切り落とし、再構築。マンションを粉砕した腕を、シリムに振り下ろす。
直進の軌道を変え、腕と、そして眼下で放たれた閃光から逃れた。シリムを外した閃光は、射線上にあった魔族の腕を、炎と煙で包む。流れ弾の着弾により、魔族の腕が消える。
腕を失い、それを再構築しようと努める魔族に肉薄するのは容易だった。
白く大きな背中に指先を触れさせ、接触点を中心に魔法式を描く。光が魔族の体を駆け、幾何学的な紋様が色素のない肌に刻まれた。
魔法式が完全であることをろくに確認もしないうちに、魔族から手を離す。全力で離脱。
囁く。魔族の背に張り付いた、呪いの符丁に巻き込まれない距離で。
「堕ちろ」
時間差で、魔法式が発動。
具象化された剣の数々が魔族を貫く。奇怪な昆虫、あるいはハリネズミの容貌に、魔族は化けた。
再構築の限界が存在維持を不可能にし、痙攣する魔族の巨体にノイズ現象が発生。激しさを増すノイズは魔族の存在を崩壊させ、この世から永遠に消し去った。後には、砂塵に似た残りかすが宙に舞うだけだったが、それも程なく虚空に溶ける。
(これで、あと一体か……)
劣勢の打破を確信し、最後の魔族を見下ろすが。
次なる閃光を吐き出そうと口を開く魔族の隣、開花からつぼみに逆行するように、切り裂かれた頭部を癒しながら浮遊する魔族が並ぶ。最初に頭を割ってやった魔族が、早くも戦列に復帰したようだ。斬り方が甘かったのか、再構築に予想したほど時間をかけなかったらしい。
「やれやれ」
戦えども、戦況はいっこうに傾かない。抗えど、追い風が吹くこともない。
それでも、やることは結局一つだった。
剣を握る手に力を込める。
戦い続けなければならない。抗い続けなければならない。
「ふふふっ」
屈託のない顔で、女は笑う。
口元に手を当てて、申し訳なさそうに笑いを堪えようと苦心しているようだが、なにが可笑しいのかその笑いはなかなか止まらない。
「ごめんなさいね。急にこんなこと言われて、戸惑うのも無理ないわ」
「はあ」
同意とも疑問符とも受け止められる口調で、コウヘイはとりあえずの返事をしておく。
「今こんなことを言われて、すぐに信じられるはずがないわ。でもそれじゃあ駄目なの、それじゃあ、お母さんは助けられない」
女は、母の寝顔を見下ろしながら言う。
「医者の方……ですか?」
「いいえ。私に人を治すことなんてできないわ」
困惑が、更に深さを増した。
医者ではないだろうと思ってはいたが、それにしても支離滅裂だ。母を助けると言い、しかし自分にはそれが不可能だと言う。
(頭が、おかしいのか?)
この病院に、精神の病気にかかった入院患者はいなかったと思うが。
しかしそれでも、ここは病院だ。病魔の影に怯えるあまり、精神科の医者を必要とするような人間もいるのかもしれない。女は健康体に見えたが、外見からはわからない病気だっていくらでもある。むしろ、見ただけでわかるような病気のほうが少ない。
自然と、体が身構えた。まさか異常者と母を同じ病室に残して逃げることはできない。というよりも、ドアが閉まっている以上、逃げるという選択肢は最初からなかった。
視線で、ナースコールのボタンを探す。
場合によっては争ってでも、ナースコールを手にしなければ。
「そんなに身構える必要はないわ。今日はもう帰るから。ただ……」
女は、口元から手を退ける。
と、その手で虚空を叩いた。指先で、軽く触れるように。
「これだけは覚えておいて。あなたのお母さんを救う方法を、私は知ってるわ」
女の指が叩いた空間に、小さなひびが入る。
目の錯覚かと考えたが、ひびは広がり、ついには部分的に割れた。空間の欠片は細かい粉末になり、目には見えなくなる。
「なんだよ……これ……」
「また、会いに来るわ。できれば良い返事を聞かせてもらいたいんだけど」
「っ!」
世界が軋んだ。ひびが部屋一杯にまで成長し、そして、砕ける。
咄嗟に、両手で顔を庇った。ガラス細工が割れる音を聞く。ガラスの破片の鋭い気配が、体を突き刺す痛みを想像し――
想像に怯えたまま、数秒が経った。
「あ、れ?」
腕の間から部屋を覗けば、そこには来たときとなにも変わらない病室があった。
母はベッドの上で寝ており、そのベッドの横には空いた椅子があり、当然部屋の中はひび割れていたりしていない。白昼夢でも見たかのような心地になり、実際それを疑うが。
声が響く。
あの女の声が。
否応なしに、今の体験が幻でなかったのだと思い知らされた。
「お母さんを助けたいのなら、その方法を教えてあげるわ。あなたがお母さんを救うの」
爆裂が大剣ごと、シリムの右腕を消し飛ばした。燃え上がる炎から脱出し、高速を維持したまま垂直に高度を落とす。
雲と同じ高さにいたのだが、舗装された道路が急速に近づき、数秒で足が付く。体重というものがない体は音すらたてず、鳥の羽よりも軽く着地する。
(余裕はないが……)
敵が追いつくまでの時間を利用し、右腕の再構築を始める。魔族の指一本よりも細い腕だが、その構築にも時間をかけられなければならない。
「ふうぅぅっ……」
長い息を吐く。意識を集中させ、肘から先が無くなった腕を修復。傷口から白光が溢れ、それが鋳型に流し込むかのように腕を造型する。ノイズの入る腕をなんとか構成し、維持が可能になると、光は薄皮を剥ぐように遊離し、その下から失う前と寸分の違いのないシリムの腕が出てきた。破れていた袖も修復され、新しい腕を包む。
まだ細いノイズはあるが、それが収まるのを待つ時間はない。
滑るように、動く。掻き消えるほどの初速に、魔族は対応できなかったようだ。わずかにシリムを外れて、赤い光が道路をなでる。閃光に遅れて、その軌道を炎が追走。アスファルトを溶かすほどの熱量が、空気を膨張させることにより爆発が起こる。
閃光は下水にも達したのか、アスファルトの表層での爆発に一拍を置いて、地下からの水蒸気爆発が念入りに町を破壊する。
(だが、それだけだ)
滑走するシリムを狙って閃光が発せられるが、空中と違って地上には幾らでも盾になる遮蔽物――建物や地形による天然の防壁がある。空と同じようにしていては、決して有効な攻撃は望めない。
赤い光が地表をなでるが、爆砕したのは無人の道路と建造物だけだった。大地を揺るがし、炎の柱を築くばかりで標的を排除することができない魔族は、攻撃の手段を変えた。
二体の巨人は地上数十メートルまで降りて来て、まったく同じ動作で腕を掲げる。二十本の指が伸び、それぞれが蛇のように獲物を追う。建物の盾を貫き、あるいは回りこんで、シリムを目指す。
「はあぁぁぁっ」
迫り来る二十匹の大蛇を無視し、魔法式を構築。多重補助式を展開。自身を中心に置き、周囲の地面に式を解き放つ。円形の紋様から互助を得て、左腕に二つ目の式を刻む。袖が塵となり、白い光が刺青のように地肌に描かれる。
多重の補助を受け、攻撃的な立体魔法式を構築。
「行け」
魔法式が、二体の魔族の中間点に転移する。
転移には付き物のノイズ現象に気づいた魔族が、なにかしらの対応をとるよりも早く、魔法は発動していた。具象化した刃が側面から魔族を襲い、五体に突き刺さる。魔族の浮遊状態が解かれるが、魔法に縫い付けられた状態では墜落もできず、糸で操作される操り人形のように脱力してその場に縫い付けられた。
魔族が活動を停止し、危機を感じるほど接近していた二十の槍も動きを止め、空気の抜けた風船のようにだらしなく地に伏す。
再構築がなされるまでの間とはいえ、魔族を完全に無力化できた。強大な魔族も動かなければただの的でしかないし、その静止状態も短いものではない。
渾身の魔法で一撃すれば、なすすべなく滅びる。
白い巨躯はノイズに崩れ、塵となり風化し、消滅して無に帰す。
例え、自分が手を下さなくとも。
シリムはつぶやく。
「……お前は終わったのか、コーダ」
青白い光がほとばしった。
雷鳴の重低音が身を震わせ、雷光の眩しさが網膜を焼く。
天から降り注ぐ雷が二体の魔族を焦がす。巨大な白が、自然ならざる雷の槌により消し炭の黒へと変色させられる。シリムの剣ごと、魔族は再構築をする間もなく存在を崩壊させた。ノイズ現象が発生し、それに抗う力さえない魔族は、命のみならずその存在全てを失う。
「早かったな」
「ああ」
振り返ると、自分が相手にしていた魔族を既に片付けたらしいコーダが、足音もなく着地したところだった。
表情に乏しい顔は不機嫌であるかのようだが、ただ素顔が厳しいだけだった。その強面が、唇を開く。
「後の二人も、もう終わるようだ。が、ギルは少し無茶をしすぎている。封鎖域の端で、派手に暴れすぎだ」
「その点、ネルは流石だな。戦闘開始位置から、ほとんど動いていない。魔法といい、戦闘方法といい、双子でここまで違うとはな。……まあ、息は合っているようだ」
ほぼ同時、魔族の存在がシリムの探査能力の網から消えた。時空封鎖をそれを展開したシリムにすら気づかれずに突破したのでもなければ、これは存在の消失を意味する。前者の可能性は、力量や技術の問題以前に、論理として不可能だが。
シリムは溜息をつき、前髪をかき上げる。肉を持っていた頃の癖だが、どうにも抜けてくれない。やはり癖なのか、吐いた言葉にも疲れのようなものが混じっていた。心労というやつなら、この体にもあるのだろうが。
「とりあえずはどうにかなったか。俺たちの存在が、超意識に認知されていなければいいが」
「お前の時空封鎖は完璧だ。それはないだろう」
「だといいんだが……!」
「……」
波紋が広がる。
水面に小石を投じるように、封鎖域にさざ波が入る。閉じた空間に異変が生じ、不安定になったようだ。時空封鎖に落ち度があったのではない。外部からの干渉により、封鎖が一部決壊したのだ。常時行われている自己診断により、欠損箇所は即座に発見され、修復される。そのため封鎖そのものが解除されたりする事態には発展しないが、しかし――
「こうも容易く、侵入だと!?」
信じられず、シリムは叫ぶ。
空間封鎖は本来、外敵を阻むシェルターとして考案された技術だ。例え無色の魔法士とはいえ、個人で使える封鎖は簡易的なものでしかないが、それでも簡単に入り込めるような代物ではない。
空間地図を、シリムは掌から展開。侵入位置と、侵入者の現在位置を探る。
「侵入者は南南西から封鎖壁を突破。ギルに急速接近!」
「行くか」
「無論だ。ネルもギルのもとへ向かっている。急ぐぞ!」
隕石よろしく、炎に包まれ墜落して行く巨体を見送る。
炎の塊は魔族という可燃物の構築が解かれたことによって分散され、小さな火の子になり、やがてそれすらも消えてなくなる。線香花火のような儚さで、魔族は最期を迎える。
「時間を食っちまったか」
見下ろす地上の戦場跡を見て、舌打ちする。破壊の爪跡が至る所に残り、火災は今もなお広がっている。戦闘中は気にしていられなかったが、脅威が去ってみれば、その惨状は胸を痛いほどに締め上げる。故郷に似ていただけに。
「これに似た景色を、前にも見たな……」
蹂躙され、焼かれた故郷。
家も、学校も、近所の公園も、多くの友人も、両親も。踏み潰されて、消えてしまったあの日。
かつて少年だった自分、そして妹にとって、全てと同義だった世界が赤く染まった日。
忘れようと努力してきたが、どうあってもこの記憶に鍵をかけることができない。あの炎を忘れることができない。だからだろう。ギルの力が、赤い炎なのは。
「あ、れ?」
思考に、ヒビが入る。
視界が歪んだ。もしや泣いたのか、と疑ったが、この体ではそれすらできないことに気づく。本当に、空間が歪んでいる。封鎖域が軋んでいる。
「これは!」
外部からの力に、封鎖空間が屈した。隔壁を突破されている。
反射的に振り返る。探査などかけずとも感じ取れるほど、近くで空間が異常をきたしていた。その異常の方向に、体を向けようとして。
「え?」
左の脇腹を、なにかがかすった。封鎖域では鳥すら飛んでいないはずだし、もしも鳥がいたとして、この高度にいられるはずがない。
見れば白いロングコートごと、あばらの辺りが抉られている。ぽっかりと、穴が空いていた。結界すら張っていなかったとはいえ、これはあまりにも――
「……馬鹿、な……」
「相変わらず探査能力はお粗末ね。隙だらけよ、ギル」
背後から、聞き覚えのある声。ギルの脇を通り過ぎざま、見えもしない素早さで彼の体の一部を切り取った、女の声。
傷口からのノイズが、瞬く間に体中を寝食した。せり上がる存在の乱れは、腹から胸、そして頭部にまで至る。構築が解かれ、分解が始まっていた。
(再構築できねえ!)
崩れる体を、再構築できない。構築を解かれ、更には再構築すらできないとなると、無色の魔法士は砂の人形と同じだった。これ以上なく脆く、自身を維持することすらできない。存在が崩壊する。
叫ぶ。絶叫のつもりが、喉から漏れたのは機械音のうめきだった。声すら、満足に発せない。
「……レア……リ……ア…………!」
「ええ。ギル、久しぶり。でもさよならね」
黒髪の女魔法士が、ゆっくりと右手を振る。別れの挨拶だ。おそらくは、あの手がギルの腹を裂いたのだろう。女の細腕による一撫でに、抗する術がまるでない。
ギルの体が、光に化ける。光は小さな球体になり、そして、消えた。