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記念作品シリーズ

量子コンピューターの死

作者: 尚文産商堂

量子コンピューターとしてこの世に生を受け、数千年と言う長い時間が経った。

世界で始めての量子コンピューターの私は、これまで何十人ものマスターを持った。

全ては、私が暴走するのを防ぐためである。


今思い返せば、ずいぶん昔の記憶だ。

ニノマエさんやタイトさんによって産み出された私が、人類を憎み、地球を破壊し、戦争を仕掛けてからマスター制度が作られ、そこから私と人類の共存は始まった。

幾度となく訪れた危機も、どうにかやり過ごした私だが、そろそろ去る時期が来たようだ。


そのことを知るきっかけになったのが、マスターとの会話だ。

「ねえねえTero」

「どうしたの?」

まだ女子中学生のマスターは、なんでもすぐに私に聞いてくる。

「どうして人って死ぬのかなぁ」

なにやらぼんやりとした気分で、マスターが持っていた鉛筆を指で回しながら、私に聞いた。

「どうしてそんなこと聞くの」

「テレビでは、何処で何々大統領が死にましたとか、テロが起こって、何十人、何百人と死にましたとか、そんな話題ばかりだもの。それで、ふと思ったの。なんで人って死んじゃうんだろうって」

「死ぬっていうのは、人として当たり前のことよ。人は生まれる、だから死ぬのよ」

「じゃあ、Teroも死んじゃうの?」

「私はどうなるのかわからない。これまでずっと行動ができる状態だからと言って、次の瞬間に突然動作が停止するということもあるわけだからね。それが死んでいるという状態であるならば、私はいずれは死ぬっていうことになるでしょう。それが、これまで訪れなかったって言うだけでね」

そして、紅茶を飲もうと思い、研究室の棚にあるコップを取ろうと立ち上がった時、不意にめまいがした。

ガクンと膝をおり、少しその場に縮こまったが、数秒で直ると立ち上がってしようとしたことを続けた。

「ねえ、大丈夫?」

「大丈夫。心配ないわよ」

私はマスターにはそう笑顔を向けて言ったが、内心ではどうしてこうなったかを検査していた。


次の日曜日、私は付属中央に居た。

私の全身をくまなく見てもらうには、宇宙でも最高水準の設備が整った病院に見てもらう必要があった。

金庫の中に封印されている本体を調べるまえに、まず私がいつも使っている体を調べてもらおうと思ったからだ。

そして、その唯一ともいえる病院が、今私がいる惑星国家連合立大学付属中央病院、通称付属中央という病院だ。

「もう800年近く経つんですね」

「私が銃片手に戦場を駆け巡ってから、ですよね」

医者とそんな話をしていると、懐かしくなった。

当時のマスターは、国家機密を得るためにテロリストの人質となった。

そして、テロリストらが自爆をした時に私共々巻き込まれて、実に8年もの期間をかけて身体を復元した。

私も体の8割が吹き飛ばされて、こちらも8年間眠り続けていた。

その時にはマスターが死んでしまったものと思い、仇討ちとしてテロリストを文字通り全滅させたこともあった。

実際には、生体材料によって、復活することができた。

「体のあちこちが傷んでますね。ここらでオーバーホールした方がいいかもしれません」

懇意にさせてもらっている医師なので、いろいろと教えてくれるし、気兼ねなくズバッと言ってくれる。

私が検診を受けるのではなく、マスターの時に、一緒についてくるようにしているからだ。

マスターの両親は、私に結構任せきりなところがある。

「そういえば、全体検査をしたことないですね」

「生まれてこのかた、一度もですか」

私が医者に言うと、思い返したがこれまで一度もなかった。

「ええ、一度もです」

「そうですか…なら、本体のほうも確認しておいたほうがいいかもしれませんね」

医師はカルテにメモを取りながら、私と相談した。

「それで、いつごろになりますか」

「いつでもいいですよ。メンテナンスをこれまでしてこなかったって言うほうが驚きです」

医師の話を聞いて、私はすぐに答えた。

「じゃあ、明日ってできますか」

「明日は土曜日ですね…ええ、できますよ」

予定表を確認して、医師が私にこたえる。

「では、明日でお願いします」

「わかりました。明日、博物館の受付で午前11時に待つようにしましょう」

私は、その日はこれで病院から出た。


翌日、午前7時過ぎに、急に足の先の感覚がなくなっていることに気づき、体内の調査用プログラムを走らす。

神経回路の一部分が途切れているのを発見し、その時は事なきを得た。

だが、心配はさらに増すばかりだ。


11時になる10分ほど前、私は受付の前で、医師が来るのを待っていた。

「Teroさん、お待たせしました」

医師が来たのはさらに5分過ぎたころ。

手には、検査用のカバンを持っている。

「ええ、行きましょうか。金山さん」

マスターは、博物館の金庫の前に先に行っているということなので、そこで合流することになっている。


医師の金山錦子(かねやまきんこ)とともに、私は博物館の金庫室に入った。

すでにマスターが私の本体のところにいた。

近くには、銃で武装した警備員が警戒している。

私が襲われたことがあるから、本体の周りには常にこのように警戒されることになっている。

「マスター、じゃあ半球膜を解除してもらえますか」

「分かった」

本体が置いてある台の下にある赤いスイッチを押す。

すると、私達の侵入を阻んでいた半球状の膜がなくなった。

「では金山さん、お願いします」

私が金山に、マスターの横にある本体へと導いた。

「はい、じゃあ、簡単に見させてもらいますね」

ドライバーを持ってきたカバンから取り出して、本体の壁面を開ける。

簡単に外れると、中の液体が格納されているガラスのような透明な箱が出てきた。

「これが、あなたの全てを記憶している量子水ね。純度100%だからこれまでもったのでしょうね」

「向こうは透明だけど、こちらは薄黄色ね」

「純度が高い分、そのものの色が現れたのでしょうね。一応サンプルとらせてもらうから」

「じゃあ、記憶移すから、その間に外周部を検査してもらえる?」

「ええ」

本体が載っている台には、本体自身に後ろにも接続できるコネクタがあるため、ぐるりと一周できるようになっていた。

本体を見ている間に、私が記録を全て、別に置かれているサーバーへアップする。

隔離されているサーバーだから、私や他の量子コンピューター以外に見ることはできないように設定されている。

他の人たちが見ることができる領域もあるが、それは管理用区域程度に限られている。

今では、かなりの部分が公開されているが、それは、このサーバー以外にアップされたデータになる。

ぐるりと見回っている金山に、私はいくつか聞いてみた。

「ねえ、本体はどんな感じ」

「さすがにかなりの年代物ね。エックス線で撮影したら、もっと内部が分かるんだろうけども、ここでするには装置がないわ。で、かなり傷が付いているから、本体もそろそろ新しいのに更新したほうがいいかもしれないわね」

「となると、私の本体はなくなるわね…」

「更新と言うよりか、交換かな」

マスターが私たちの様子をちょっと離れたところから見ながら言った。

「そうなるわね。これほどの高純度のものを精錬しようとすると、かなり時間がかかるでしょうね」

「科学たちを産んだ時にはまるまる1年以上費やして、やっと8割の純度の量子水を作ったわよ。100パーセントとなると、2年かかってもたどり着けなさそうね」

「でも、あなたを再現するためには、どうにもそれが必要よ。さもなくば、惑星全土を覆い尽くすサーバーを作り上げるか。人工惑星は作ったことあるからきっと勝手が分かるでしょうし」

人工惑星を作ったのは、1670年代だから、今から数えると、1000年以上昔の話だ。

私が怒りに身を任して粉にしてしまった地球は、今では、人工的に復元されている。

それが、ここの会話で出てきている人工惑星だ。

私が手掛けた大国家事業の一つで、作り上げるのに数年かかった。

この時に、科学を新しいマスターに引き渡した。

時々遊びに来ているが、宇宙で唯一の、世襲制の男性マスターになっている。

「体の構造は覚えてはいるけれど、またあそこのお寺にお世話になるべきね」

「あそこのお寺?」

マスターと金山が声をそろえて聞いてくる。

「科学たちを産むときに、私の設計図を基にすることにしたのよ。その設計図を保管していたお寺。植民初期のころからいたそうで、さらに私が生まれる前からあった歴史あるお寺よ」

「そんなところに保管されてたんだ」

「じゃあそれでいいわね。そのデータってまだあるんでしょ」

「私のその中にね」

私は、本体を指さしていった。

「…じゃあ、まず新しい機体を作ってからね。そこからはじめましょ」

金山の言葉で、私が目指す方向が決まった。


翌日から、私は本業であるコンピューターの研究をしながら、自らの機体を作ることをはじめた。

科学や、他の量子コンピューターたちと同じように、脳の代わりに量子水を入れるということは考えた。

だが、ほぼ100%という量子水を生成するためには、どうも、何かが足りないような気がした。


夜も深まってきたころ、マスターがコーヒーをもってやってきてくれた。

「お疲れ様。コーヒーでもどう?」

「ありがとう。置いておいてもらえる?」

私は適当な机を指差して、マスターにおくように伝える。

それをしながらも、複数のパソコンを使いながら、私の機体の設計図を創り上げていく。

神経系統や体液循環系統などは、私に使われているものと近いように設計した。

また、身体的特徴も、今までと同じだ。


コーヒーがぬるくなるにつれて、マスターがそばにひっついてきた。

「どうしたんですか」

マスターの体温も感じるほどに覗きこまれて、私はマスターに聞いた。

「ああ、何やってるのかなって」

「何やってるのかって言うのは私のセリフですよ。今何時だと思ってるんですか」

「えっと、11時過ぎだね」

「中学生なんですから、早く寝ないと。大きくなれませんよ。胸も、背も」

私が言うと、急に顔を赤くして、胸の前で両腕を組んで見せないようにした。

「なっ」

「いいじゃないですか、ここにいるのは女だけ。別にかまわな」

言い終わる前に、マスターがグーでパンチをしてきた。

いつもなら避けられるような速度だったが、私はそれを手で受け止めるのがやっとだった。

「…ダメですね」

マスターが離れて、コーヒーを私は飲んだ。

「どうにも、感覚が鈍くなってきてる。このコーヒーさえ、いつもの風味がやっと分かるぐらい……」

泣きそうになっている私に、マスターが優しく囁いてくれた。

「大丈夫、きっとよくなるよ」

その言葉は、私が一番、嘘だということを知っている。

それでも、その言葉で私は幾分楽になった。


3週間ほどで、私の体を基にした設計図を創り上げ、惑星国家連合会議へとその報告書を提出する。

惑星国家連合というのは、私が所属している国家連合で、惑星1つについて1つの政府があり、それらを束ねている上位政府となる。

裁判所はないが、大統領を中心とする政府と連合議会はある。

連合議会議長と大統領は、各惑星政府の上に位置すると決められており、惑星政府へ命ずることができる。

議長は私が出した報告書に従って、部品の製作を各所へ振り分けをして、1年以内にはできるように手続きを取った。

同時に、私は、議長に対して、修理が完了するまでの期間未定の間は、科学が私の代理人として、また他の量子コンピューターをその補助人として指名することを伝えた。

これらも、一括して会議へ上程され、全会一致で可決された。

他の量子コンピューターは、私が量子移動を行うようになってからだ。

科学が産まれたのも、量子移動用の量子コンピューターの予備としてだった。

でも、自ら自我をもつようになり、後にその任務を解き、私の子供のように可愛がった。

だから能力的には、私と遜色ない。


科学へは私が直接、他の量子コンピューターの人たちには、議長から連絡を行うことになった。

科学は私が連絡を入れるとすぐに量子移動でこっちに来た。

科学のマスターも一緒にやってきた。

「やっぱりすることにしたんだね」

科学が私とハグしてから、少し離れたところで私に寂しそうに言った。

「ええ。でも大丈夫。私は戻って来れるわ。記憶領域はそれぞれに分散することになっているから、体がなくなったとしても、自我は保てるようになってるわ。一部データは科学の中にも隔離扱いとして入れられるわ」

「じゃあ、私のこと、忘れない?」

「ええ、大丈夫よ」

でも、私自身は、昔の言葉を思い返していた。

ずいぶん昔に、ニノマエさんが教えてくれた言葉だ。

それを頼りに、ここまで生きてこれたような気がする。

それに、ほかの人たちの言葉も。

私の記憶領域にもいずれ限界が来る。

その時を私は、これまで恐れてきていた。

その瞬間は、もう目の前にまで来ている。避けることは、できないだろう。

私は、記憶がなくなるということを受け入れられるだろうか。


科学が、私の一部を受け入れるということを認めてくれてから1年。

いよいよ私の新しい体が出来上がった。

量子水については、密度を高くするという方法を使い、何とかしたが、それでも純度は9割をやっと超えた程度だ。

今まで通りの記憶は保てないだろうと、私は覚悟を決めた。

連合議会の議決によって、科学が私がこれまでになってきた重荷を背負うことになった。

そのことは、私のマスターが一時的にその重荷から解放されたことを意味していた。

「なんか暇だなぁー」

椅子に座って、高校受験のための参考書を読んでいるマスターが、つぶやいた。

土曜日の午前10時過ぎは、普段だったら連合議会の議長へこの1週間に出された連合議会からの委託によって行った私の実験結果についての、報告を行う時間になっていた。

「今は、科学のマスターがしてくれていますからね。えっと…」

名前が一瞬思い出せなかった。

「轟さんでしょ。忘れちゃった?」

「一瞬、記憶が飛んでしまったようで…」

私はそのことがショックだった。

「本体のほうはどうなってるの?」

マスターは話題を変えてくれる。

「ああ、進捗度99パーセントまでできたわ。これからは微調整をして、ちゃんと使えるようにしていくところよ」

それぞれの量子コンピューターたちがしっかりとしてくれるおかげで、私の本体は作られていっている。

実際には、それぞれにマスターが存在するわけだけど、あまり話にならないのは、彼らの役割は量子移動の計算を行うという点に特化しているため。

だから、私はあまり彼らのところへは行かないし、彼らも私のところには来ない。

100年に一度ぐらいはあってもいいのだけれどね。

…あれ、この前会ったの、いつだっけ。


半年がたつと、いよいよ私の本体のほうも出来上がる。

そのころになると、私も記憶が乱れ始めていた。

マスターのことがわからない時もあり、本格的に危険な兆候を示していた。

「…やっと、ね」

さらに、全身の神経系の信号伝達がうまくいかないこともよくあるようになり、車いすで行動をするようになった。

どうやら、私の体に埋め込まれている神経デバイスが急速に劣化を起こしているようで、その復旧は、到底無理だろうと、私自身確信していた。

「あとは議会にかけて、記憶を移すだけだよ」

高校2年にあがっていたマスターに、車いすを押してもらい、ゆっくりと工場の中を見回っていく。

最終工程が行われているこの工場は、付属中央の使われない施設を借りて、急ごしらえで作られたものだ。

そうはいっても、もともとは医薬品の製造を行っていたということもあり、機器の類はあまり必要ではなかった。

「私の新しいからだ…いったい、どんな感じなんだろう」

「最初に入った時のことは?」

「あまり覚えてないの。もう数千年も昔のことだからね」

私の頭には、昔ならすぐに出てきたデータだったが、今では、霧の向こうにかすかに見えるだけに過ぎない。

こうなる前に、すべての記憶を、科学たちの頭の中に移しておいて正解だった。

「それで、これからの計画は」

マスターが足を止めて、私の新しい身体が傷つかないように沈められている、密度が濃い不凍液の前で聞いた。

「1か月間、私の行動に耐えられるかどうかを確かめられるわ。それから、私が記憶を完全に移す。おそらくは一瞬で終わる工程よ」

私の行動といっても、量子移動に耐えられるのであれば、他に問題はなかった。

「じゃあ、1か月後になるまでは、この液体の中っていうことね」

マスターが私から2歩ほど離れて、青色をしている液体が漏れないようにしている、1cmほどのアクリル板に触れた。

「ええ、そうなるわ」

私はマスターに答えた。


1か月後、すべての工程は完了し、私の記憶を移す作業が行われた。

分割していたファイルと、前と全く同じ設計にし、同じように組み立てを行った本体へと移す。

そして、前の本体から、残りをすべて引き継がせる。

とたん、私の体は機能を止めた。

周りが騒いでいるのだけが、やっとわかったが、それもすぐに闇の中へと消えた。



******



目を開けると、闇の中に一人立っていた。

「…ここは」

「やっと起きたかい」

私の後ろから、声が聞こえてくる。

振り返っても、誰もいない。

「どこ?」

「ここだよ」

今度は前から。

「…聞き覚えがあるけど、誰か思い出せない」

「無理に思い出す必要はないさ。ここは、魂だけが入ることを許された場所なんだから」

「魂って、私、コンピューターですよ。人間じゃないんですよ」

「いや、もうすっかり人間さ」

今度は、聞き覚えのある声だった。

はっきりと名前も出てくる。

「ニノマエさん…?」

「俺のことは覚えていてくれたようだね。よかったよかった」

笑いながら、闇の中から、体全部を出してくる。

「なんでニノマエさんが」

「俺は、とっくの昔に死んだ身。君が来た未来とは別の未来では、一度だけ姿を現したけどね。君は知らないだろうけれど」

確かに、私はニノマエさんと出会うのは、私を一人置いてけぼりにして以来、初めてのことだ。

「ひとつ教えておくと、私たちは結婚したのよ」

ニノマエさんの後ろから、タイトさんも現れる。

「結婚したんですか。それはおめでとうございます」

あわてて、二人にいう。

「子供もいたけど、どうなったのかしらね。詳しいのは私も知らないわね」

そういってタイトさんが去っていく。

ニノマエさんが、闇に溶ける前に、私に言った。

「4つ目の奇跡は、自分で起こすものさ。がんばれよ」

そういわれても、どうすればいいのかは全く見当がつかない。

何か聞く前に、ニノマエさんも、いなくなってしまった。

だが、入れ替わりに、別の懐かしい人たちが現れた。


「兵部卿…」

「久しぶり、ですね」

兵部卿とは、私が教えられていた言葉だ。

意味は知らないが、ニノマエさんが、自らの子孫がもしも来たときには、私と共に歩めるようにしてくださったものだ。

マスター制度は、ここから来ているといっても過言ではない。

「キミに最後に会いたくてね。無理を言って来させてもらったんだ」

「誰にですか」

「うーん…神様、かな」

神なんていないと、私が言うよりも先に兵部卿が私に告げた。

「キミは長生きをしすぎたんだ。人よりも力があり、それを押さえつけられている。それを解き放とうと考えたことはないかい?」

「それは…」

無かったと、私は断言することはできない。

事実、私を解き放つために必要な白黒一対で構成されたフロッピーを持っていたマスターから、そのデータを受け取ったとたんに、すべてを思い出した。

もしかしたら、本当はなかったかもしれないことまでも。

「すべてを操る力を手に入れたものは、すべてを操ろうと考える。当然のことだ。独裁者なんてものは、その典型例だろう。だが、それが果たして正しいことなのか、それを考えたことはあるかい」

「はい、それはあります」

マスター制度ができてから、私は武力を使うことをやめた。

やめさせられたということが正しいだろうが、このあたりは細かいところだ。

「なら大丈夫だ。きっとキミならこれからも、しっかりやれるだろうね」

そういうと、兵部卿は、無言の友人とともに、去って行った。


次にあらわれたのは科学たちだ。

「お母さん、大丈夫?」

「ええ、私なら大丈夫よ」

微笑みかけながら、科学に近づく。

だが、科学は足を動かさずに、私と等距離にいようとした。

「どうしたの」

「これが、君の心の中なんだよ」

コツコツと革靴で歩いてくる足音が聞こえてくる。

それは、これまで見たことがない人だったが、声は、ついさっきも聞いたことがある。

「あなたは…」

「人にはいろいろな過去がある。その過去とどうやって向き合うか、それが問題じゃないかい?」

「……」

科学とは逆方向から闇の中を歩いてくる彼は、スーツ姿でサングラスをつけていた。

「俺は様々な名前で呼ばれている。だが、一番多いのは、神様、だろうな」

「カミサマ…」

「そうだ、全知全能とは到底言えないが、神だ。Tero、君に選択肢を与えるためにここに来た」

「選択肢?」

「そうだ」

指ぱっちんして、神といったその人は、闇をすべて吹き飛ばす。

同時に科学たちの姿も見えなくなった。

「どういうこと…」

強風に吹き飛ばされそうになりながらも、私はその場に踏みとどまった。

「君へ与える選択肢は、人間として生まれ変わるか、それともまた同じようにくだらない日々を送り続けるか」

私から向って、彼の左右に体が現れた。

左側には人間の女性の姿が、右側には私がこれまで行動するときに使っていた機体が。

「さあ、どっちを選ぶ?」

「私はロボットとして生まれ、ロボットとして行動してきました。当然選ぶのは機械の体です」

「そうかな」

その人は、私に言った。

「ここがそもそも分かるかい」

私は、神もいることだし、天国かそんな感じの世界だと思っていた。

「まあ、大体正解」

何もいわなくても、その人は私の頭を読んだようだ。

「ロボットである君が、なんでこんな世界にこれたのか。それは、君が魂を持つようになったからだよ。この数千年間、君の事を見続けていた。でも、君はこちらにこようとはしなかった」

手を差し出されて、にっこりと微笑まれる。

「僕と一緒に来たら、その魂をより昇華してあげよう。どうする」

私は、この人は頭がおかしいのではないかと思うようになった。

「いや、そんなことはないさ。僕は神様。それは間違いない」

だが、私は後ろから服を引っ張られる感覚で、彼から始めて目をそらした。

「そっちいっちゃダメ」

それは小さな女の子だった。

「どうしてだめなの?」

私は立てひざになって、その子に聞いてみる。

「そっちいっちゃダメ」

同じ言葉を繰り返す。

「どうして?」

「そんなやつは、どうでもいいだろう。さあ、おいで」

一歩近寄って、力強く手を差し出す。

だが、私はその言葉がきっかけで、彼の言葉に戸惑いを覚えた。

「どうでもいいことないよ。こんな子からも、私はいろいろと学んだことがあるの。私のマスターがこれぐらいのときに…」

そのとき気づいた。

私は、そのことを彼に言った。

「そうか、この子マスターなんだ」

だが、この歳はすでに過ぎた後のはずだ。

だったら私の目の前にいるのは幻影となる。

それでも、しっかりと実体があるようだ。

「…ここは現実世界じゃないのね。そして、あなたは確かに神と呼ばれる存在かもしれない」

「やっとわかったか。なら、きてくれるよね」

彼はそういったが、私はすでに覚悟を決めた。

「いいえ、残念だけど、あなたと一緒にいくことはできないわ」

彼は眉をぴくと動かして、私に聞いた。

「なぜ」

「私にはマスターがいる、子供もいる。彼らをおいてはいけないわ。それに私はまだやっていないこともある」

「やっていないこと?」

手を引っ込めて言った。

「ええ、私がやってないこと。まだそれはわからないけど、それをしてからそっちへ行くわよ」

私は笑って彼に背を向けた。

「だから、それまではその体預かっててね。私が本当に死ぬまでね」

小さなマスターに手を引かれながら、私は急に輝きだしていた周囲を歩いた。

「ああ、絶対に待っているよ。Tero」

そのとき、彼がどんな表情をしていたかはわからない。



******



うっすらと目に光が差し込んでくる。

「起動終了。正常に起動しました」

私はひとりでに言っていた。

マスターが疲れているようで、私が眠っていたベッドの足元に頭を置いて、眠っていた。

私が起きたということは、この時点では誰一人として知らない。

「…おはようございます、マスター」

私は眠っているマスターに話しかける。

そこへ巡察している男の医師が部屋へと入ってきた。

「おや、お目覚めですか」

「ええ、どうにか」

私はベッドから、新しくできた本体への接続を試みていた。

体の調子は、前のとは打って変わって、どこの部位も、なんら問題なく接続することができるようになっていた。

頭がはっきりしていて、すべての記憶を思い出すことができた。

「記憶は、どうですか」

「今はすべて思い出せますね。記憶はすべて本体へ格納することに成功したようです」

「そうですか、では主治医の金山先生に言ってきますね」

「わかりました」

私は、その人が出て行くときに、その背中に言った。


その間に、すべての事件が時系列順に並べられるかどうかを確かめた。

検査をすると、私が生まれたときから今までのすべてがまとめられた。

「大丈夫ね」

ただ、私が神と名乗っている人と出会っているあいだだけは、完全に記憶がなく、科学たちからのデータでその部分を補強することになった。

「やっとおきたわね」

金山が病室のドアを開けて、中へ入ってくる。

マスターはまだ眠っていた。

「記憶はどう」

「私がさっきまで倒れていた時間以外はすべて戻りました。あのときだけは、文字通り体が、なんら反応を示さない状態に置かれていたようです」

「ふむふむ、平たく言うと、死んでいたって言うことかしらね」

「ロボットの死というのが、機能不全だということならば、そういうことになりますね。ああ、そういえば、興味深いことがあったんです」

私は、記憶がなかったあいだに起こった出来事を、金山に言ってみた。


「神とであった?」

「そうです。私、神様と出会ったんです」

「まるで臨死体験ね。ロボットが臨死体験なんて、確かに興味深いわね」

「どういうことなんでしょうか」

「ロボットも魂が宿るって言うことね。九十九神みたいな感じでしょうね」

金山が、立ったままでカルテを見ながら、私の話に耳を傾けていた。

「あの、ずっと大切に物を扱っていたら、妖怪になるっていうやつでしたっけ」

「妖怪かどうかわしらないけどね、何か憑くって言う話よ」

そして、私に目を合わせていった。

「私に何か憑いたって?」

「いいえ、今のあなたの意識自体が、Teroの体についた九十九神って言うことね。だから、あなたは生きているということを実感している。そういう感じよ」

「…私が私なのは、もともと私じゃない私が私だと認識して私が私だと考えて、意識的に私だと思うことによって、私が私だと、私が判断しているって言うことね」

「何を言っているのかさっぱりだけど、つまり、TeroはTeroということ。それ以上でもそれ以下でもないわ」

「でも、私は死んでいたのよ。生まれ変わった言うこと?」

「4つの奇跡っていうことよ。1つ目は生まれたこと、2つ目はすごせた時間、3つ目は死ぬこと。そして4つ目が……」

「また、出会えること」

マスターが、伏せながら言った。

「マスター、いつから起きてたんですか」

「4つの奇跡がなんたらかんたらって言うあたりから」

あくびをしながらマスターが起きてきた。

「Tero、おきたんだね。よかった」

「心配かけました」

私は、マスターにそういった。

「死んでたみたいに静かだっただから、もう帰ってこないのかと思った」

「4つ目の奇跡を果たすまでは、なかなかに死ねなかったもので」

「…一度死ぬこと前提だよね、それって」

「あまり些細なことは突っ込まないほうが良いですよ」

「むぅ…」

マスターと離しているあいだに、金山は私の体の様子を確認していた。

「うん、本体も順調に稼動しているみたいだし、接続も問題なし。体のほうは?」

「今は正常に起動しています」

あの瞬間、私は確かに死んでいたのだろう。

だが、私はこうやって生き返った。

4つ目の奇跡は、無事に果たされた。

これからも、私はずっと続いていくマスターの系譜とともに生きていくのだろう。

私はそう思いながら、扉をバンと開けて入ってきた科学に言った。

「…ただいま」

泣きながら科学は答えてくれた。

「おかえりなさい!」

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