望むのはただ一つ、十時間睡眠
青い空、白い雲。透き通るような朝の清々しい空気。遠くの九重の楼閣の軒先で、風鐸が涼やかな音を奏で、小鳥のさえずりがそれに重なる。朱亀帝国の皇城・紫禁苑は、まるで天上の仙境のように美しい。
少なくとも、ある時間帯を除けば。外から見れば。そこに居座らなければ。
寝台の上でぼうっと天井を見上げながら、朱亀帝国第二皇女・羊々(めいめい)は、今日もため息をついた。
睡眠時間、合計45分。
「……………………今生こそは、三食昼寝の素敵ライフを、送ろうと思ったのに……」
なぜですか神様と、別に神様を信じているわけではないが、恨み言を投げつける先など古今東西まずは神仏だろうと羊々は偏見身に満ちている。
清々しい朝。ここから後宮が活気づく正午までが羊々の安眠タイムだ。
寝れるからいいじゃないか、ではない。朝日をシャットダウンして短時間睡眠を連続するなど、不健康極まりない。
昼夜逆転しているこの生活に、どうすれば終止符を打てるのか。
「どうすれば職場で叱られないのか」と必死に考え怯えて悩んで、苦しんできた前世からすれば、随分と贅沢な悩みと思わなくもないが、しかし、死活問題であるのだから仕方ない。
羊々はゆっくりと身を起こした。煤けた薄桃色の袍は、元は高級な雲錦だったらしいが、今はところどころ糸がほつれ、袖口は擦り切れている。
髪は適当に束ねただけのボサボサで、簪などとうの昔に質入れ済み。足元には、昨夜齧りかけで放置した芋の欠片が転がっている。
後宮の端っこ、忘れられた「冷宮」と呼ばれる一角。かつては下級妃の住まいだったらしいが、今は半ば廃墟。壁には蔦が這い、瓦はところどころ欠け、夜になると鼠が天井裏を走り回る。
それでも羊々にとっては「静か」で「安全」な場所でよし!と認定されている場所である。
他の妃嬪たちが陰謀を巡らせ、毒を仕込み、泣き叫ぶ声が届きにくいという意味では。
だが最近、その「静かさ」すら失われつつある。
夜毎、後宮の奥から響くのは、女たちのすすり泣き、嫉妬の叫び、毒見役の女官が喉を詰まらせて倒れる音、床几を叩き割る音、果ては誰かが投げつけた磁器の砕ける音——。
羊々は両手で耳を塞いだくなる衝動を抑えながら生まれ育って、正気を失った元々の人格がある日パァン、と弾けて、前世の人格がその補助として浮上した。
まだ十と幼いが、前世の記憶が彼女の環境を客観視させ、妙に大人びた思考で今日も思う。
「皆そんなに暇なのか」
他にやることがないのか??
朱亀帝国の後宮は、美しい牢獄だ。金糸で刺繍された屏風の向こうで、女たちは互いを喰らい合い、どちらがどちらかと競い合う。世では戦神と呼ばれ崇められ、年単位で後宮に戻らぬ皇帝の寵を一滴でも多く奪い合っている。
他にやることがないのか???
あるだろ、こう、文化的な生活がと、羊々は心底思う。刺繍や作曲、その他、この世には娯楽が山のようにある。それらをフルシカトして、なぜ国中から選りすぐった美姫がこぞって選択するのが他人いびりなのか。
羊々の母は、正六品の低い身分の宮女上がりだった。ただとんでもなく美しかったと聞く。不憫なことだ。力のない、また、性格が他人を飲み込めるほど強くない女の美しさは不幸である。毒殺されたのは入内して三年目。羊々がまだ歩き出すより前だ。
抵抗もせず、あっけなく殺された母を見て、母を敵視した女は「つまらんな」と呟いたそうな。もう少し母が抵抗する、あるいは「娘だけは」というような命乞いでもすれば「娘もろとも」と微笑んで弄ぼうとしていたが、母は皇帝の寵愛を受けた時も、子供を産んだ時も、その後も「なにがなんだか」と、ぼんやりしていたという。
そいう鈍い女の子供であるし、その上娘。捨て置いても良いだろうと、それより毒を煽らせたい気に入らない女は多くいると、そのように。以来、羊々は「無害な忘れ物」として扱われてきた。食事は粗末なものばかり。今日の朝餉も、冷えた粥と、昨日から干してあった山芋の端っこだけ。別にそれはどうでもいいとして。
後宮の闇は騒がしい。遠く、翡翠殿の方角から、誰かが泣き叫んでいる。羊々は、ぼろ布団から這い出して、窓辺に立った。




