最終話:英雄譚の終わり
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帝国史、第百五十二頁。
『皇帝クロイツァー統治時代の中心人物の戦役後について。』
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クロイツァー・オルヴァンス
ノーレ戦役を発端とする大陸の動乱を鎮め、大陸全土の平和を成し遂げたことから『夜明けの獅子帝』と称される。
勇猛なだけではなく民を想う政治を行い、恒久的な大陸の平和を願った。
その治世を基点として、およそ百五十年にわたり、大陸の平和は保たれることとなる。
皇后エレツィアとは二子を授かったほか、公私ともに仲睦まじく、互いに支え合い生涯を過ごしたという。
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エレツィア・シャルル・エルスーア=オルヴァンス
大陸の動乱の最中、皇帝クロイツァーを陰に日向に支えた『黎明の華妃』。
皇帝の自伝には『エレツィアの言葉がなければ平和への想いは生まれなかった』との記述があり、彼女の存在がその政治思想に決定的な影響を与えたとされる。
また、彼女の存在が帝国と王国の架け橋となったことで両国の関係は劇的に改善され、約八十年後、両国はついに統合を果たすこととなる。
民を慈しみ、民に愛された皇后であった。
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ヴィクトリア・ロムルス
皇帝クロイツァー統治時代の『剣聖』。
魔王討滅においてその名を大陸に轟かせた。
神に愛されし剣を振るったが、生涯弟子を取ることはなかったため、その剣技は伝承こそ残れど、継承者はいない。
皇后エレツィアの近衛騎士として、剣を置くその時まで忠実に仕え続けた。
『剣聖』を辞した後の足跡については、分かっていない。
戦役での死者を悼むため、大陸を巡る旅に出たとも、帝都を離れ辺境の地で静かに余生を過ごしたとも言われている。
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「──ふふ。歴史家たちが、好き勝手なことを書いていますね。
貴女がエレツィアさまの傍を離れるわけないのに。
どう思います? ヴィクトリアさん。」
ぱたん、と歴史書を閉じる。
古い紙の匂いが立ちのぼり、指先にインクのざらつきが残る。
ガラス窓から差し込む初夏の陽光が、じわじわと肌を温めていた。
椅子の背もたれに身体を預ける。
磨き込まれた木の硬さが、背中を押し返してくる。
「あの時代は、楽しかったですね。エレツィアさま。
あれから、ずいぶんと世界は様変わりしてしまいましたよ。」
天井を仰ぎ、ひとりごとのように呟く。
世界は広がった。
人は海を跨ぎ、空を渡り、その先にあるまだ見ぬ大地を踏破し──
今や月にまで、その手を伸ばそうとしている。
かつて島国リュイペと呼ばれたこの地も、
今では世界地図の片隅に記される、小さな研究都市にすぎない。
「これから世界がどう変わっていくかなんて、神にだってわかりません。
……ですが、最期まで見届けないといけませんね。
貴女たちが……望み、護った、“明日”を。」
扉の開く音がした。
木造のドアの蝶番が、きい、と軋む。
白衣を着た若い研究員が、慌ただしく顔を覗かせた。
「あーっ、いたいたレベッカ教授! 図書館でサボらないでくださいってば!
『実験が始められない』って、みんなカンカンですよーっ!」
「はいはい、図書館で大声を出さない。
今行きますよ。」
くすりと笑い、立ち上がる。
最後に一度だけ、机の上の歴史書と、その向こうの空間を振り返った。
誰もいないはずの場所へ、微笑みながら声をかける。
「さっきはああ言いましたが、“今”も意外と楽しいんです。
……では、またお会いしましょう。
クロイツァーさま。エレツィアさま。
ヴィクトリアさん──いえ、ソフィアさん。」
扉の外へ出ると、眩しい白の廊下が続いている。
薬品と金属と、少しだけコーヒーの匂いが混じった、研究棟の匂い。
「──そういえば、オルヴァンスさん。今日の魔術実験って何やるんでしたっけ?」
「えーっ!? なんで忘れちゃったんですか!」
「ふふふ、すみません。」
軽口を交わしながら、レベッカは歩き出す。
白衣の裾が、かつての宮廷魔術師のローブのように、わずかに揺れた。
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──遍く英雄たちの時代は終わり、
風が、歴史を次の頁へと走らせていく。
そうして、アルドレアにまた、朝陽が昇る。
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アルドレア戦記 完
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ありがとうございました。
次回からはおまけ(後日談)をぼちぼち更新します。




