第44話:大陸の夜明け ④
皇帝の私室。
静かな空気が満ちるその場所には、
六人の影が集まっていた。
クロイツァー、エレツィア、ヴィクトリア。
エリアス、リュークス、そしてレベッカ。
部屋の隅では、まだ小さな寝台の上で、
シュヴァルツとクラウディアが安らかに眠っている。
ふたりの寝息が、場の緊張をそっと和らげていた。
クロイツァーが静かに口を開く。
「義兄どの、魔軍の対応に感謝する。ご苦労であった。」
低く響く声に、エリアスが穏やかな笑みで応じる。
「いいえ。陛下こそ、ノーレ側の対処をありがとうございました。
……それで、どうなりましたか?」
その問いに、クロイツァーはわずかに眉を寄せる。
「うむ……アルガレの奴めが徹底して自らの血族を粛清していたため、ノーレ王族は全滅だ。
大臣どもも一人残らず陰謀に加担していたため、処刑は免れぬ。
一先ずは帝国から代官を出して統治することになろう。
幸い、教皇が積極的に我らの助けになろうとしている。民心は揺らぐまい。」
エリアスが苦笑する。
「なるほど。承知しました。
教会関係でお力になれることもあるかと思いましたが。」
クロイツァーが肩を竦め、息を吐いた。
「……それよ。教会と言えば、我らは新たな“聖地”の誕生をどうにかせねばならぬ。
背骨山脈の麓に神が降臨したと、既に王国では大騒ぎと聞いている。」
「ええ、多くの巡礼者が旅立とうとしているとか。」
「教会勢力とは無縁だったが、“聖地”が国内にできてしまってはな。
エルスーアは、頼みにさせてもらう。」
そこまで言ったところで──
部屋の空気が、わずかに冷えた。
真紅の髪が垂れ、顔を影に隠したまま、レベッカがぼそりと呟く。
「何が神ですか……邪神ですよ、あんなもの。
ふふ……そういえば、ぼくも神なんでしたっけ。
なら、ここも“聖地”ですね──ああ、ありがたくもなんともない。」
エレツィアが苦笑する。
「まあ、レベッカさま……すっかりやさぐれてしまって。」
リュークスも困ったように肩を竦めた。
「ずっとこの調子で、流石に何も言えないんだ。」
エリアスが優しく続ける。
「この戦いの終わりが、旅の終わりだと思っていたのだものね。
私も、なんと言ったらいいか……。」
ヴィクトリアが腕を組んだまま、真顔で言った。
「レベッカさん。次は魔術ではなく武術を鍛えてみるのはどうでしょう。
五千年もあれば、きっと素晴らしい使い手になります。」
「ヴィクトリア、流石にその解決策は兄として止めるぞ。」
柔らかな笑いが場に広がり、
少しずつ、部屋の空気に温度が戻っていく。
その時──エレツィアがそっと手を伸ばした。
白い指が、レベッカの手を包み込む。
「皇后陛下……?」
「私たちは共に戦ったのだから、そんな呼び方はよしてちょうだい。エレツィアで構わないわ。
……ねえ、レベッカさま。
私の子どもたちを見てもらえない?」
「え、ええ。」
レベッカの指を引き、寝台へと歩む。
赤子を照らす柔らかな光の中で、ふたりは何も知らぬ顔で、静かに眠っていた。
エレツィアが囁く。
「前に言っていたでしょう?“私の中に、私のものでない魔力の揺らぎ”があるって。
……だから思ったの。子どものどちらかは、魔術が使えるのではって。」
レベッカはふたりを見つめ、瞳を細めた。
「……そうですね。
クラウディアさまには、かなり強い魔力を感じます。
優れた魔術師になる素質があります。」
エレツィアが娘の頬にそっと触れる。
「それでね、貴女さえ良ければ……。
クラウディアに、魔術を教えてもらえないかしら」
「魔術を、ですか。」
「ええ。そしてクラウディアが優れた魔術師になれば、
その子どもにも才能が遺伝していくはず。」
レベッカの瞳が大きく揺れた。
「まさか……エレツィアさま。
ぼくに“生きる理由”を……?」
エレツィアはいつものように優しく微笑む。
「ふふ、そこまで大仰な話ではないわ。
でも、貴女は優しくて、素敵な人だもの。
私の子どもたちや、その子孫を見守ってくれたら……嬉しいなって。」
レベッカの肩が、小さく震えた。
「それは……終わりなき戦いを見続けるよりも、
はるかにやりがいがありそうですね。
……分かりました。お約束します。
貴女の子孫が望む限り、ぼくはその傍にいると。」
震える声でそう告げると、
後ろからクロイツァーが腕を組んだままぼそりと呟いた。
「ふむ。魔術師どのが立ち直ったようで何よりだ。
……俺の娘の生業が勝手に決まってしまったことに、思うところはあるが。」
エレツィアがくすりと笑う。
「クロイツァーさま?」
「いや、何でもない。」
ささやかな笑い声が重なり、
戦乱の時代を駆け抜けた者たちの部屋に、穏やかな時間が流れた。
⸻
数日後。
帝都大広間。
高い天井からは、黄金の燭台が幾つも吊られ、
百を超える炎がゆらめきながら大理石の床に光を落としていた。
壁には帝国と王国の旗が並び立ち、
双獅子が刻まれた金の紋章が、燭火を受けて鈍く輝く。
この一日のために、帝国の栄光が余すところなく集められていた。
玉座に座すのは、若き獅子帝。
漆黒の髪はわずかな風にも揺れ、
青き瞳には、これからの時代を照らす炎が宿っている。
彼が立ち上がるだけで、
大広間の空気が凛と引き締まった。
「──この度は大義であった。」
若き声でありながら、帝を戴く国の重みを帯びた声音。
「諸君らの尽力により、帝国と王国のみならず、
大陸の安寧は保たれた。」
どっと歓声が上がる。
軍人たちが拳を掲げ、
貴族たちが手を打ち鳴らす。
花弁が高く舞い、音楽が高らかに響き渡った。
クロイツァーが手を挙げると、
その合図だけで喧騒がすっと引いていく。
「──我が妃、エレツィア。
そして“黒曜の剣聖”。
そなたらは、我が帝国の誇りにして至宝である。」
拍手が、もはや嵐のような音に変わる。
誰かが歓声を上げ、それが次々と広がっていく。
だが、その熱をいったん断ち切るように、次の言葉は低く響いた。
「──だが。」
空気が再び張り詰める。
「これからが本当の戦いだ。
この平和を恒久のものとすべく、我らは奮戦せねばならぬ。
しかし──」
クロイツァーが大きく腕を広げた。
「今日ばかりは祝うとしよう!
大陸の、新たな時代の夜明けを!」
爆発のような歓声。音楽がさらに勢いを増し、
酒杯が打ち鳴らされる澄んだ音が次々と重なる。
人々は抱き合い、泣き、笑い、互いの生還と未来を祝った。
その只中で──
クロイツァーは力強く頷き、
エレツィアは民の方へ向かい、柔らかく微笑む。
ヴィクトリアは喧騒の中、ふっと目を閉じて、静かにその音を胸に刻みつけた。
エリアスは柔らかな笑みを浮かべ、
リュークスは拳を高く掲げ、
レベッカは、どこか疲れたように、それでも嬉しそうに口元を緩める。
その日、帝都の歓声は止むことがなかった。
夜が更けても、星がまたたいても。
そして朝の気配が訪れても。
──帝都の空には、希望と祝福の声が、いつまでも響き続けていた。




