第44話:大陸の夜明け ①
“滅魔の剣”が抜かれた瞬間。
星の川のようなその輝きを見たとき、
エルスーア軍のすべての将兵の胸の内に、同じ感情が生まれていた。
『あの剣が味方ならば、勝てる』
それは大軍すらも一歩を踏み出させる、単純で、しかし絶対の“希望”だった。
異形の魔軍に対する本能的な恐怖が、
その光の前で、瞬く間に霧のように薄れていく。
喉の底から雄叫びが迸った。
地を震わせる咆哮が、背骨山脈に反響する。
兵たちは、一斉に突撃した。
だが──その前に、ひとつの声が響く。
「柄ではないのですが……本気を見せると言いましたからね。
──滅びよ、“流星”。」
空が、一瞬だけ白く閃いた。
次の瞬間。
魔軍の陣形の中に、いく筋もの巨大な光の柱が降り注ぐ。
耳を貫く轟音。
山々を揺らす衝撃。
大地そのものがめくれ上がり、爆炎が青空を塗り潰さんばかりに噴き上がった。
炎と衝撃に呑まれた魔族は、悲鳴を上げる暇もなく、灰となって風に溶ける。
静寂。
突撃の足が、ぴたりと止まる。
人も魔も、ただ呆然とその光景を見つめた。
兵たちの喉から、ごくりと唾を飲む音だけが、妙に鮮やかに響く。
「……ああ、失礼しました。どうぞ続けて下さい。」
この惨状を生み出した張本人──
真紅の髪の魔術師は、飄々とした調子でそう言った。
遅れて、王国側の将校が我に返る。
「前へ!怯むな、今こそ押し込め!」
再び号令が飛び、
凍りついていた兵たちの身体に、再び熱が戻る。
今度こそ、王国軍と魔軍の戦列が正面から激突した。
⸻
「……レベッカどのは恐ろしいね。今の一撃で千以上は削れたんじゃないかな?」
本陣で戦況を見つめながら、エリアスが呆然と呟く。
だが、その紫水晶の瞳は油断なく戦場をなぞっていた。
「……殿下、やはり魔軍は屈強なようです。我が方は全体的に押されております。」
伝令の報告に、将が顔をしかめる。
それでも、エリアスは表情を変えない。
「そうか。……なら、軍議でも話した通りに動こう。
──合図を送れ。」
合図の角笛が、鋭く空を裂いた。
⸻
ある魔族は、眼前の兵を爪で引き裂くことだけに意識を集中させていた。
人間は脆い。
鉄の鎧を纏おうと、この爪は易々と貫く。
だが、角笛が鳴り響いたかと思うと、
目の前の敵が、唐突に下がった。
臆したか。
嘲るように笑みを浮かべ、前進しようとした瞬間、
左側から甲冑がぶつかってきた。
邪魔だ、と怒鳴ろうとしたところへ、
今度は右側からも別の魔族が押し寄せる。
前にも行けない。
横にも避けられない。
いつの間にか、身じろぎすら出来ないほどに身動きが封じられていた。
そこへ、人間の槍が前面から突き出され、
左右からは剣が伸びる。
何が起きているのか理解しないまま、
その魔族は、地に伏した。
⸻
「おお……!殿下!我が方が敵を各個に包囲、撃破し始めました!」
将が歓喜の声を上げ、エリアスが静かに頷く。
「やはり。“魔族は大軍での戦に慣れていない”。
そんな中で急な陣形変化を受ければ、対応しきれないさ。
……次だ。リュークスに合図を送れ。」
二度目の角笛が鳴り響いた。
リュークスは、騎兵五千を率いて魔軍の背後へ向かっていた。
「我々は魔軍の後背を脅かす!
深追いはするな!敵を釣り出せば別動隊が叩いてくれる!」
白銀の槍を掲げ、号令と共に駆け出す。
黒い海のような魔軍の背に向かって、
王国騎兵が矢のように突き進む。
前だけを見ていた魔族たちは、唐突に背後から突き崩された。
陣形が歪み、甲冑のぶつかる音が幾重にも重なり、
怒号と悲鳴が混じり合う。
迎撃しようと振り返った時には、
リュークスたちは既に旋回し、風のように離脱していた。
「なるほどな。殿下の言った通りだ。
“奴らは騎馬を持たない”。……機動力なら、俺たちに分がある。
──それに、“慣れない鎧兜のせいで視野も狭い”ときた。
よし、このまま敵軍の後方を突き続ける!前線を援護するぞ!」
リュークスの声に、騎兵たちの槍が一斉に掲げられた。
本陣。
エリアスは、全体図を俯瞰しながら低く呟いた。
「肉体が屈強なだけでは、この規模の戦は捌けない。
伏兵にも陽動にも、面白いように引っかかってくれる。
……正直、帝国軍の方がよほど手強かったね。」
隣で将が苦笑する。
「ええ。魔軍は、まるで素人ですな……。」
「さて──こちらの優位を、決定的にしよう。
“とっておき”を出せ。」
三度目の合図が、空気を震わせた。
次の瞬間、王国軍の後方から、
人の背丈を優に超えるほどの巨大な火球が、幾十も生まれた。
炎の塊は尾を引きながら魔軍の頭上を越え、
雨のように降り注ぐ。
炸裂。
空と地の境目が炎で溶ける。
爆発音が幾重にも重なり、
焼けた鉄と血の匂いが風に乗って運ばれてきた。
火球の発生源は、魔術師たちの軍勢。
複数の魔術師が円陣を組み、
詠唱と魔力を重ね合わせ、ひとつの火球へと収束させて放つ。
その作業が、王国軍のあちこちで同時に繰り返されていた。
「リュイペの魔導師団。……なんとか間に合ってくれてよかったよ。」
エリアスが肩の力をわずかに抜く。
隣の将が感嘆を隠さず言った。
「前線への強力な火力支援……とでも言うべきでしょうか。
正直、魔術師への評価が改まりましたぞ。」
「……そのまま、時代も変わってくれるといいんだけどね。
エレにとっても、その方がいいはずだ。」
戦場とは思えぬ会話を交わしながらも、
エリアスの視線は、戦場の中央から離れない。
(さあ──後は君たちだ。頼んだよ。)
そこでは今まさに、
“勇者を継ぐもの”と魔族の王、
そして真紅の魔術師が、それぞれの希望を背負って対峙していた。




