第35話:陽光に芽吹く命 ①
帝国議会の重い扉が閉じる音が、やけに大きく響いた。
議場に積もっていた緊張が、さらに深く沈み込む。
円形の議場には陽光が差し込まず、
燭台に揺れる炎だけが、議員たちの険しい表情を照らしていた。
そして、王国第一王子が持ち込んだ“火種”が、議場の中心で赤々と燻っていた。
「王国との軍事同盟だと!?」
「帝国の仇敵であることに変わりはない!」
怒声が飛ぶ。
反響した声が議場の天蓋を震わせた。
だが、別の貴族が口を開く。
「しかし……それが叶えばノーレ方面に完全に注力できる。」
「……ふむ。“渡りに船”なのは確かだな。」
少しの沈黙。
議場の空気がじわりと温度を変える。
「つい先日も兵を向けられたばかり。
王国にそこまで信を置くのは……危険ではございませんか。」
カピス子爵の声は震え、手に持つ書類が小刻みに揺れた。
そのとき──
クロイツァーが立ち上がった。
椅子が軋むわずかな音。
それだけで、議場のすべてが息を止めた。
「臣下の暴走もノーレの陰謀あってこそよ。
……そのノーレも、虎の子の魔族を破られてから勢いを失った。」
ゆっくりと歩みを進めながら、彼は議場全体を見渡す。
青の瞳は冷ややかで、背骨山脈の山々のような重みを帯びていた。
「俺がこうして戦地を離れられるほどにはな。
……いよいよ万策尽きたと見える。このまま我らの地盤を固め、奴らの首を絞めるぞ。」
重圧が落ちたような静寂。
誰も異を唱えなかった。
そして──
木槌が一度、乾いた音を響かせる。
その音は、帝国という国の歴史が変わる合図となった。
こうして、異例の早さで
帝国と王国の軍事同盟は締結された。
夏の風が、涼やかというには冷たい温度で議場を撫でた。
⸻
明けて、城門前。
朝焼けの光が城壁の石を照らし、
まだ冷たい空気の中に、金色の筋が細く伸びる。
その光の中でエリアスが微笑んだ。
「見送りありがとう、エレ。」
朝の風が金糸の髪を揺らし、肩に淡く影を落とす。
「いいえ。どうか兄様……道中お気をつけて。」
紫水晶の瞳がわずかに揺れる。
別れの朝。その瞳は寂しさの色に染まっていた。
「安心してくれ。それに、リュークスやレベッカ殿もついているからね。
この親書は必ず陛下の元まで届けて見せるさ。」
リュークスも馬上で頷き、背筋を伸ばした。
「俺の命にかけても、殿下は無事に王国へ辿り着かせてみせる。」
朝の空気にその声がまっすぐに広がる。
次いで、レベッカが一歩進み、ヴィクトリアを向いた。
朝陽に照らされた真紅の髪が柔らかく光る。
「ヴィクトリアさんは槍の呪いに苦しめられましたが、それは魔王も同じこと。当分は動けないでしょう。
心の傷は、ゆっくり癒してください。──決して、無理はなさらぬよう。」
「はい。
……レベッカさん、数々のお力添えに感謝します。」
「ふふ、ぼくも新たな夜明けを見たいのですよ。」
くすりと笑い、風の中にその声が溶けていく。
そして──
レベッカの金赤の瞳が、今度はエレツィアへ向けられた。
「皇后陛下、お身体にはどうかお気をつけて。」
「……えっ?
ええ、ありがとう。貴女も。」
「いえ。そういう意味ではなく。」
朝の静けさが、一瞬だけ張り詰める。
レベッカの目が細まり、声が低く響く。
「貴女の中に、“貴女のものでない”小さな魔力の揺らぎを感じます。
──あとでお医者様に診てもらってください。」
言葉が、朝焼けの中に落ちた。
その一滴が、静かな水面に大きな波紋を広げる。
エレツィアは目を瞬かせる。
二度、三度──
ようやく意味が胸に落ちた瞬間、瞳が大きく見開かれた。
空気が止まり、周囲の誰もが息を呑む。
「……それでは、失礼します。
おふたりとも、また、お会いしましょう。」
飄々と頭を下げ、レベッカは馬車へ乗り込んだ。
まるで、何事もなかったかのように。
その背を追って、リュークスの怒声が響く。
「お、おま……お前!最後にそんな特大の“火種”を放り込んでいく奴がいるか!!」
その場にいた全員が、心の中で深く頷いた。
朝の風だけが、素知らぬ顔で城門を吹き抜けていった。




