第34話:新たな頁
帝都の朝が、ゆっくりと目を覚ます。
夜の名残の冷たさがまだ街を覆い、その上に雲の切れ間からの光が静かに降りていた。
黒布をかけられた街並みは、まるで深い霧の中にあるようで、誰もが沈痛なざわめきを胸の内に抱いていた。
鐘楼の鐘が、ゆっくりと、深く鳴った。
それは喪に服す帝都全体を包み込む鎮魂の響きで、空気そのものを重く沈ませた。
沿道に人々が並ぶ。
ひざまずく者、胸に手を当て祈る者、あるいは震える唇を噛みしめて空を見つめる者。
風に揺れる黒布が、灰色の空へ細い影を伸ばした。
皇帝シルヴァの国葬は、厳粛そのものだった。
葬送の列が進むたび、石畳に落ちる靴音だけが響き、涙の落ちる音すら響きそうなほどだった。
棺の前を歩くクロイツァーは、その重さに押し潰されそうな気配をまとっていた。
だが、その背筋は折れず、ただ静かに父の最期を見送ろうとしている。
彼は誰にも聞こえぬほど小さく呟いた。
「──父上。無念でありましょうが、あとは私にお任せください。
必ずや、この大陸に平和をもたらして見せます。」
その声は震えてはいなかった。
しかし、言葉の奥には、燃えるような決意があった。
⸻
国葬が終わると、空気は一転して緊張を帯びた。
帝都はそのまま、皇帝即位式へと流れるように移り変わる。
真紅の垂れ幕が静かに揺れ、玉座へ差し込む光に帝国の紋章が浮かび上がる。
悲しみの影がまだ残るのに、大広間には確かに新たな時代の息吹があった。
貴族らが重厚な礼装で居並び、帝都の民が固唾を飲んで見守る中、
クロイツァーがゆっくりと歩み出る。
黄金の王冠が光を受けてきらめき、
双獅子の紋章を抱いた真紅の外套が長く揺れ、
その影は玉座まで真っ直ぐに伸びていた。
「……帝国は今もノーレ王国と戦を続けている。
“魔王”の脅威も未だ拭えぬままだ。」
重々しい声が大広間を震わせる。
床の石まで響きが伝わるようだった。
「だが、ここに宣言する。
余は必ずや、この宿痾を断ち切る。
そして──
我らが新たなる友、エルスーア王国と手を携え、大陸に平和をもたらすと。」
広間が揺れた。
まるで押し寄せる波のように歓声と拍手が広がり、天井の装飾が震えるほどだった。
クロイツァーは静かに目を閉じた。
その一瞬、彼の胸の奥には、数日前に聞いた“神代の理”が通り過ぎていった。
⸻
レベッカが告げた言葉は、あの場にいた全員の思考を止めた。
──おふたりこそが、“勇者の継承者”。
空気が固まり、誰もが言葉を探した。
「“勇者”……私と──ヴィクトリアが?」
エレツィアは絞り出すように呟く。
ヴィクトリアは沈黙のまま、しかしその表情はその“重さ”を確かに受けていた。
握られた掌の指先だけがかすかに震えていた。
クロイツァーが深く息を吐き、低く問う。
「……魔術師どの。“剣聖”と“癒しの魔力の使い手”が揃ったからと言って、
“勇者の継承者”と断じるのは早計に過ぎるのではないか?」
レベッカは即座に首を振った。
その動きに迷いはなかった。
「仰りたいことは理解できます。
ぼくもそれだけであれば、彼女たちを“勇者”とは呼びませんでした。
──決定的なのは、おふたりの側で“剣が地上に降りた星のように輝いた”という点です。」
淡々とした声に、温度が籠る。
「ぼくは、かつての勇者が剣を振るうときの輝きを忘れません。
人々の希望を背負い、星の川のように光が舞った……。」
その言葉は、五千年を生きた者の静かすぎる記憶だった。
「剣聖の剣では、あり得ない輝きです。」
そしてレベッカは言葉を和らげるように続けた。
「本来なら、今すぐ剣を握っていただいて確かめたいのですが……。
今のヴィクトリアさんに無理をさせるわけにはいきませんからね。」
言葉を切り、金赤の瞳に重い感情が宿る。
旅の果てを見つめる旅人のように、静かに言葉を続けた。
「……ぼくは五千年ぶりに“勇者”と呼べる存在を見ました。
これを偶然などと思いたくはありません。
そして“勇者”ならば──
神代から続く争いの因果を断ち切れるかもしれない。」
祈るように頭を下げ、静かに視線を伏せる。
「いずれにせよ、魔王がいる限り……
おふたりの力は必ず必要になります。
どうか、それだけはご理解ください。」
その声音は柔らかくも、揺るがぬ確信に満ちていた。
⸻
謁見の間。
即位の後、初の“皇帝”としての議会を終えたクロイツァーは、玉座に重く腰を下ろした。
長い一日の疲労が、肩に圧し掛かってくるようだった。
「ふん。
宰相がおらぬゆえ、反対派の手応えがなさすぎたわ。
元より烏合の衆。崩壊は時間の問題だな。」
そして、鋭い青の瞳が、階下に立つ男へ向けられる。
「──それで、義兄どの。
これまで長らく帝都に留まっていた理由を聞こう。
俺に……いや、“帝国皇帝”に何か用があるのだろう。」
エリアスは肩を竦め、静かに微笑んだ。
「お気付きでしたか。
宰相に勘付かれそうになった時には、本当に肝を冷やしましたよ。」
そして真っ直ぐに視線を上げる。
その目には王族としての覚悟があった。
そして、懐から一通の親書を取り出す。
封として、金印に大鷲の紋章。王国国王の印であった。
「私が帝国を訪れた最大の理由──
それは、エルスーア王国とオルヴァンス帝国の“軍事同盟”締結の提案についてです。」
その一言で、空気が揺れた。
謁見の間の垂れ幕を、小さな風が揺らした。
その風の音が、新しい歴史の頁をめくったかのように響き渡った。




