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アルドレア戦記  作者: 猪飼 要
第四章
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第33話:神代より ①

ヴィクトリアが目を覚ました翌日。

医務室にはまだ夜露の冷たさが残り、窓から差し込む朝陽が静かな影を落としていた。


身を起こしたヴィクトリアは、深く頭を下げた。


「──あの戦で、皆さまに助けていただいたと伺いました。

……改めて、御礼申し上げます。」


その声は凛としていた。

しかし、震えの色がわずかに混じっていた。


エリアスが穏やかに微笑む。


「どういたしまして。エレの大切な人を護れたなら、私たちの方こそ嬉しいよ。」


王子としての顔ではなく、妹の想い人を案じる兄の表情だった。


「俺も、貴女に命を救われた身です。

……これくらい、ほんのご恩返しですよ。」


リュークスは少し照れたように言い、気恥ずかしさを誤魔化すように笑う。


「ぼくの魔術でも、死んだ人は戻りません。

ですから、次は気をつけてくださいね。」


レベッカは軽口を叩きながらも、声音だけはどこか柔らかかった。


エレツィアが静かに問いかける。


「それで、兄様たちはいつまで帝都に?

王国も、随分長く空けているのでしょう?」


エリアスはわずかに視線を落とし、呼吸を整えてから答える。


「……そうだね。

もう少しだけ滞在するつもりだ。

実は、陛下からの許しも頂いている。」


言葉は軽く聞こえるが、その奥にある気配は硬い。

微笑みの奥で、彼の瞳は別の何かを静かに見据えていた。



一週間が過ぎた。


皇帝シルヴァ崩御の報は帝都を震わせ、

街は一夜にして黒布に覆われた。

鐘が絶え間なく鳴り響き、兵と文官が城内を駆ける。

国葬と新帝クロイツァーの即位式の準備が、慌ただしく進む。


城は悲嘆と緊張が混在し、戦時中ながら、まるで“戦の前夜”のような空気に満ちていた。


だが、その喧騒の中──ただひとり、時間が止まった者がいる。


“黒曜の剣聖”、ヴィクトリア・ロムルス。



彼女は、剣を握れなくなっていた。




一行は、城内の一室に集まっていた。

陽光が穏やかに室内を照らし、なだらかな光の帯を作っている。

だが、部屋の中を漂う空気は重く、涼やかな夏の風すら息を潜めた。


「……“呪い”の影響でしょうね。

呪いが、貴女の心に深い傷を残した。」


レベッカの声が低く響いた瞬間、室内の空気が一段重くなる。


ヴィクトリアは視線を落としたまま、静かに息を吸った。

肩が小さく震える。


「……はい。

あの夢のことは、覚えています。

夢であるのに、あまりにも痛く、苦しく……終わりなき絶望だけがありました。」


声は淡々としているようで、その奥には今にも割れそうな脆さが見えた。


「私は、何も出来なかった。

ただ痛みに泣き叫び、恐怖に震えることしか出来なかった。

剣を握ろうとすると、あの痛みが蘇る……。

──剣を握るのが、怖いのです。」


膝の上の手が震え、指先に力が入らない。

エレツィアはそっとその手を包み、指を重ねて寄り添った。


沈黙が落ちる。


「剣などもう握らずとも良い。魔王如き、俺が殺してくれる。」


腕を組むクロイツァーの声音は低く、

怒りを押し殺した獅子の唸りのようだった。

この“次期皇帝”は、日に何度もヴィクトリアのもとを訪れていた。


レベッカは淡い息を吐き、苦笑しながら首を振る。


「殿下なら本当にやってしまいそうですが──それは出来ません。」


「何故だ?

そういえば、魔術師どのも先の戦で魔王を見逃したと聞いている。」


クロイツァーの眉がひそめられ、青い瞳がわずかに光る。


レベッカは一拍置き、静かに告げた。


「……殺すこと自体は可能です。

ですが、“剣聖以外が魔王を殺した場合”──一年以内に、新たな魔王が必ず生まれます。」


室内の空気が、衝撃に揺れた。


「……何だと?」


「何度も試したのです。

ぼくは魔術だけなら、魔王を凌ぎますからね。」


軽く言いながらも、その金赤の瞳には深い影が宿っていた。


「……それでも完全には滅しきれなかった。

魔王を討ち滅ぼせるのは、“滅魔の剣”を持つ剣聖のみ。

これは神々が定めた“理”。ぼくたちでは破れません。」


エリアスが息を呑む。


「神々……ずいぶん大きな話になったね。」


言葉は軽いが、その目に宿る眼光は鋭い。


クロイツァーは一度大きく息を吸い、レベッカに向き直る。


「魔術師どの。

以前、貴殿の話を“狂人の戯言”と評した。……あれを撤回する。

その上で問いたい。


“剣聖”とは何だ。

“魔王”とは何だ。


俺はこれまで、剣聖とは帝国の役職のひとつだと考えていた。

……だが、そうではないのだな?」


一瞬、レベッカの瞳が、どこか遠くを見据えた。


だが、すぐに視線を戻すと、ゆっくりと場を見渡し、静かに口を開く。


「……お話ししましょう。

世界の始まりのことを。

そして、“剣聖”と“魔王”……。

終わることのない争いの“理”を。」


誰もが息を呑む。

窓から差し込む陽光がわずかに翳り、

部屋に沈黙が広がった。

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