第28話:魔族の王 ①
魔族。
大陸の北端、氷雪の荒野に点在する少数の民。
人の形を持ちながら、角と牙、鋭い爪を備えた異形。
そして、大陸で禁忌とされた“魔術”を今なお日常のように使う。
炎を操り、雷を呼び、風と共に生きる──
その在り方は、まるで世界の裏側に棲んでいるようだった。
彼らは氏族ごとに割れ、互いを信じない。
結束という言葉を知らぬ民。
──だが、例外がある。
魔王。
その名を戴く者が現れたとき、魔族は一つに集う。
そして、その咆哮が響くたびに、大陸は戦火に呑まれるのだ。
「ここで“魔王”だと……!」
長机を叩く音が、幕舎の空気を裂いた。
クロイツァーの声には焦りと怒りが混じっていた。
「ノーレめ……これを待っていたのか。」
幕舎の中にざわめきが広がる。
鎧の擦れる音、短い息遣い。
張り詰めた空気の中、いくつもの声が交錯した。
「こうなれば、後詰を出すしかない!」
「だが、それが抜かれれば帝都が危うい!」
「魔軍の規模すら掴めぬのだぞ!」
怒りと焦燥が火花のように散る。
その渦を断つように、ひとつの声が澄んで響いた。
「──殿下、私が行きます。」
静寂。
喧騒が静かに遠のき、炎の音だけが残る。
「黒曜……!」
彼女は一歩前へ出た。
「“滅魔の剣”が、私を呼びました。
常備軍を北へ。私も向かいます。」
その言葉は短く、しかし揺るがぬ決意を帯びていた。
場の乱れた呼吸が、彼女の声に合わせるように整う。
「おお……剣聖殿が行かれるのなら!」
「どうか、帝都をお護りください!」
歓声にも似た声が上がる。
だが、それを冷たい声が切り裂いた。
「駄目だ。許可できぬ。」
皇太子の声。
静かでありながら、刃のように鋭かった。
青い瞳が一瞬、冷たい光を帯びる。
「帝都にも将はいる。貴様の出る幕ではない。
……我らは、この戦を終わらせる。」
「……殿下。剣が呼んでいるのです。
“北へ行け”と。私は行かねばなりません。」
「剣が人を呼ぶなど、あるものか!
惑わされるな、黒曜!行ってはならぬ!」
普段の彼からは想像もつかぬ叫びだった。
その一声に、幕舎の空気が止まる。
クロイツァーは我に返ったように顔を押さえた。
その声は、祈りにも似て震えていた。
「……行くな、黒曜。」
ヴィクトリアは一礼し、静かに答える。
「──いえ、行きます。殿下。帝国のために。」
その言葉で、空気が動いた。
幕舎を抜ける風が黒曜の騎士の外套を翻し、
夕焼けが差し込み、その背を淡く染めた。
残されたのは、クロイツァーの低い呟きだけだった。
「ノーレめ……決して許さぬ。
だが、焦るな。徹底的に、殲滅する。」
その声には、静かな殺意の炎が宿っていた。
誰もが言葉を失い、ただ頷いた。
⸻
──ヴィクトリアは北へ向かった。
風を切り、幾度も馬を替えながら。
背骨山脈の冷気が肌を刺す。
初夏のはずの風は冷たい。
雪解けの水が光を返し、山影が静かに揺れる。
甲冑の隙間を抜ける風が、かすかな鈴の音のように鳴った。
「剣聖殿、ご助勢感謝いたします。」
先着していた常備軍の将が頭を下げた。
声には安堵と緊張が混じっている。
「魔族は第三騎士団の守るファルセ砦を落とし、そこに留まっております。
斥候の報告では数は一万。陣容を立て直しているのか、今のところ動きはありません。」
「……だが、第三騎士団の生き残りは見つからぬ。
殺されたと思って良いだろう。
このまま奴らを放置すれば、帝国は燃えるぞ。」
「幸いにも剣聖殿が到着された。ここで一戦を交えるべきかと。」
その瞬間、“滅魔の剣”がわずかに震えた。
その震えは、ヴィクトリアの鼓動と同調するようだった。
「……私が魔王を討つ。
指揮を失えば、魔族は崩れる。援護を頼む。」
将たちが息を詰めた。
「そうは仰いますが……魔王は指揮官。後方に控えているのでは?」
「いや。」
ヴィクトリアの声は低く、確信を孕んでいた。
先の瞬間、“滅魔の剣”が伝えてきた。
魔王のこと、魔族のこと。
そう、奴らは──
「奴らは力を誇示する。──“王”は必ず、軍の正面に立つ。」
沈黙。
そして、決意が一つの声に変わる。
「よし、我らは援護に回る!
剣聖殿が魔王を討つまで、立ち続けるぞ!」
その時、風が吹いた。
風に揺られ旗が鳴り、雲が流れ光が差す。
戦が、動き出そうとしていた。




