第25話:大陸の影
帝都、城内大広間。
黄金の装飾が天井一面に輝き、百を超える燭台が光を放つ。
壁には王国と帝国の旗が交互に掲げられ、
白磁の床には豪奢な絨毯が延び、貴族たちが列を成している。
広間には甘い香水と熱気が混ざり、祝宴の空気は金糸のように重く漂っていた。
祝宴の音楽が静かに流れる。
中央には──
お色直しを終えた皇太子クロイツァー・オルヴァンスと、
皇太子妃エレツィア・シャルル・エルスーア=オルヴァンス。
クロイツァーは白を基調に紅を差した正装。
その佇まいは武人としての風格を失わず、ただ立つだけで場を制した。
エレツィアは純白に金糸を散らした細身のドレスを纏い、光を受けて柔らかく輝いていた。
その姿はまるで、春の朝焼けに揺れる、一輪の花のようであった。
各国の使節や貴族が列をなし、祝辞が次々と贈られる。
そして、群衆の奥からひとりの男が進み出た。
金糸の髪に紫水晶の瞳──
皇太子妃との確かな血縁、そして王家の血統を体現する若き貴公子。
彼は朗らかに笑い、妹へと歩み寄った。
「やあ、エレ。……いや、オルヴァンス妃殿下。
このたびはおめでとうございます。」
「まあ、兄様!」
クロイツァーが軽く頷く。
「こちらが、エレツィアの兄上殿か。」
男は丁寧に一礼した。
「お初にお目にかかります、皇太子殿下。
エルスーア王国第一王子、エリアス・ノエル・エルスーアと申します。
王国を代表し、心よりお慶び申し上げます。」
「ふっ──堅苦しい挨拶はよい。貴殿は義兄だ。
妹君は帝国にとっても得難い存在だ。必ずや、幸せにしてみせよう。」
「それは心強い。……何卒、妹をお頼み申し上げます。」
ふたりは握手を交わした。
鋼の握手。それは形式以上の、確かな信頼の証でもあった。
エリアスは微笑み、続けた。
「──実は、殿下にご紹介したい方がいるのです。」
「ほう……貴殿がわざわざ?それは興味深い。」
すると、エリアスの背後から、ひとりの若い女性が現れた。
腰まで届く深紅の髪に、金の光を帯びた赤い瞳。
金糸の刺繍を施した異国のローブを纏い、周囲の光景とは明らかに異質だった。
その小柄な女性は、丁寧に頭を下げた。
「お初にお目にかかります。
リュイペ王国、宮廷魔術師長──レベッカ・セイロンと申します。
この度は、ご結婚おめでとうございます。」
⸻
魔術。帝国でも異端とされる技術。
その名を聞き、会場がざわめく。
「魔術だと…?この祝いの場に場違いな…。」
「呪い師がなんの用だ。気味の悪い。」
ざわめきは波のように広がった。
しかし、クロイツァーは眉ひとつ動かさず、一歩前へ出た。
「ほう、魔術師どのとお会いするのは初めてだ。
はるばるリュイペよりのご来訪、感謝する。」
レベッカはその言葉を聞き、口角をわずかに上げた。
「……なるほど。これは面白い。
ぼくを前にして軽蔑しない方は、なかなかいませんよ。」
「何を言うか。
国を代表して来られた客人を貶める理由などない。
そんな真似をすれば、我が国が外交儀礼すら知らぬ三流国家と嘲笑の的になろう。」
先ほどまで口々に罵っていた貴族たちは、ばつの悪そうな顔で沈黙した。
レベッカはくすくすと笑う。
「ふふ、ありがとうございます。
殿下のような方ばかりなら、ぼくもリュイペを出るのが苦じゃないのですが。」
その視線が、ふとエレツィアに移る。
金赤の瞳がわずかに輝きを強めた。
「……ああ、なるほど。
エリアス殿下がぼくをここまで連れてきた理由が分かりました。」
「……わたくしが、何か?」
「いえ。ただ──もしお困りのことがあればご相談ください。
ぼくは、“貴女の扱う医術”にも通じています。お力になれるはずです。」
「……!」
エレツィアが息を呑む。
クロイツァーは不思議そうに眉を寄せた。
「エレツィアの“医術”とは……?」
レベッカは唇の端を上げた。
「ふふ……魔術は、医術にも通ずるものですよ。では、これで失礼します。」
一礼し、群衆の中へと溶けていった。
残されたエリアスが、苦笑いを浮かべる。
「……変わった方なんですが、腕は確かなんです。
エルスーアはリュイペと国交を結ぶ唯一の国。
この機会に、帝国とも繋がりを持てればと思いまして。」
「なるほど。未知の国との縁は貴重だ。感謝する。」
クロイツァーが頷き、杯を掲げる。
祝宴は再び賑わいを取り戻した。
⸻
会場の隅。
警護を続けるヴィクトリアの傍らに、いつの間にかレベッカが立っていた。
「……やはり、人の多い場所は落ち着きませんね。まったく、陛下も人使いが荒い。」
ヴィクトリアは視線を横に向ける。
害意はないと判断し、再び人の流れへと注意を戻した。
「……へえ、“貴女も”なんですね。
この国は本当に面白い。」
「……何の話です。」
その質問には答えず、レベッカはくすりと笑い、
ヴィクトリアの腰の剣を指差した。
「──今代は貴女なんですね。
“滅魔の剣”。まだ眠っているようですが。」
ヴィクトリアがわずかに目を細める。
「“滅魔の剣”……?この剣を、ご存知で?」
「ええ。流星の欠片から鍛えられた宝剣。
どうして帝国の宝物庫にあるのかも存じております。
……ただ、本来は“使い手”を選ぶはずなのですが。」
「……。」
レベッカは静かに笑う。
「ま、いいでしょう。そのうち分かることです。
……貴女のお名前は?」
「ヴィクトリア・ロムルス。」
「ヴィクトリアさん。覚えましたよ。
ぼくはレベッカ・セイロンと申します。また、お会いしましょう。」
そう言い残し、彼女の姿は霞のように消えた。
残ったのは、魔力の残滓が放つ、わずかな光だけ。
ヴィクトリアは咄嗟に剣に手を添えたが、
魔術師の気配が完全に消えたのを確認して、静かに警戒を解いた。
──アルドレア大陸の空気が、微かに震えた。
宴は祝福の音に包まれていたが、
その影で、世界は確かに“動き出して”いた。




