第24話:白光と月光の結婚式
結婚式の日が目前に迫るにつれ、帝都はかつてないほどの熱に包まれていた。
民は笑い、職人は腕を競い、街角では祝福の歌が絶えず響いた。
「皇太子さま、姫様のために、手のひらほどの大きさのダイヤを南方からお取り寄せなさったそうよ!」
「式場の装飾、うちの親方が手がけたんだ。“生涯最高の仕事だ”ってよ!」
「おい見ろ、あの馬車の列……祝いの品だろう。
あれ全部、城に運び込む気かよ。」
ざわめきは熱風のように帝都を満たし、
戦の気配を洗い流すかのように、街が光で溢れていた。
──帝国の春は、華やかに、そしてどこか切なく息づいていた。
⸻
皇太子の執務室。
夕陽が窓を染め、金色の光が机上の書簡を照らしている。
紙束の上で羽ペンが止まり、クロイツァーはゆっくりと顔を上げた。
「いよいよ、明日が結婚式だな。」
「ええ、殿下。この日を、心から待ち望んでおりましたわ。」
向かいに座るエレツィアが微笑む。
その表情には、一片の翳りすらなかった。
「ふっ──良い顔になった。もう心配はいらぬようだ。」
「その節はご迷惑をおかけしました。もう大丈夫ですわ。」
穏やかな言葉が交わされる。
だがその裏に、長い日々の重みと、過ぎ去った苦難の影がわずかに漂っていた。
「黒曜。会場の警備は任せる。……ノーレの影は消えておらぬ。
それに、俺が睨みを効かせているが、宰相が何事かを企むやもしれぬ。」
「はっ。お任せください。」
「よし。……では、また明日だ。頼んだぞ。」
「御意。」
夕陽が傾き、窓の外で鐘の音が鳴った。
一日の終わりを告げるその音が、
まるで新たな時代の前触れを告げるように響いていた。
⸻
夜。薔薇の庭園。
香り立つ夜風の中、ふたりは並んでベンチに腰掛けていた。
満ちる月光が花々を撫で、白い花弁が風にそよぐたびに淡く光った。
「……いよいよ、明日、なのね。」
「はい。」
「こうして並んでいると、あの夜を思い出すわ。
星を眺めたあの夜を。
──まだ、あれから一年も経っていないのね。」
「……はい。」
「色んなことがあったわね。泣いたり、笑ったり……議会のあとに喧嘩もしちゃったわね。
あのとき、私は貴女に酷いことを言った。」
「エレツィア様は何も間違っておりません。狭量だったのは、私です。」
「いいえ、違うわ。
貴女はいつも正しかった。私が子どもだっただけ。」
「……ですが、エレツィア様──」
「うふふ、また喧嘩になっちゃうわ。
……ね、お互い様で、仲直り。」
「……は。」
夜の静けさの中に、短い笑い声が溶けた。
ふたりの間に、柔らかな沈黙が落ちる。
夜風が頬を撫で、薔薇の香りが淡く漂った。
「明日が終われば、私は皇太子妃になる。理想が、ようやく形になるのね。
……少しずつだけど、私たちは前に進めている。」
「その通りです。未来は、確かに見え始めています。」
エレツィアの瞳が、月光を映して揺れた。
その微笑みは、少女のようでもあり、国を背負う者の強さでもあった。
「──それでね、ヴィクトリア。
結婚式の前に、やりたいことがあるの。」
「……お聞かせください。」
エレツィアは立ち上がり、月明かりの下で振り返る。
その白い手が胸に添えられ、芝居がかった口調で言葉を紡ぐ。
「……ヴィクトリア・ロムルス。汝、健やかなる時も、病める時も、死がふたりを分かつまで、私の隣にいてくれますか?」
「……!」
息を呑む。
目の奥が熱くなるのを、ヴィクトリアは堪えた。
「ねえ、ヴィクトリア。誓ってくれますか?」
「……誓います。私は、必ず貴女の傍におります。この命が、尽きるまで。」
「じゃあ次は、ヴィクトリアの番ね。」
ヴィクトリアも立ち上がる。
少し頬が紅潮しているのを自覚しながら、静かに息を整える。
「……エレツィア・シャルル・エルスーア。汝、健やかなる時も、病める時も、死がふたりを分かつまで、私の傍で共に歩んでくださいますか?」
「……誓います。私たちはずっと、ずっと一緒よ。ヴィクトリア。」
「──誓い、完了ね。」
「……ええ。」
エレツィアが顔を上げ、目を閉じた。
ヴィクトリアはその頬にそっと手を添え、静かに唇を重ねる。
夜の薔薇が、風に揺れた。
月光が、ふたりを静かに照らす。
「……ふふ、ふふふ。」
「どうなさいましたか、エレツィア様。」
「嬉しい。嬉しいの。純粋に人を愛することが、純粋に人に愛されることが。
こんなにも幸せだなんて、知らなかった。」
「……私もです。愛しています、エレツィア様。」
「ああ……ヴィクトリア。」
抱擁。
再び唇が重なり、夜は静かに深まっていった。
その夜に溶けるように、互いが魂の片割れであるかのように、
ふたりはひとつの祈りとして結ばれた。
⸻
翌日。帝都、大聖堂。
朝の光が静かに降り注ぎ、白鳩が空を巡っていた。
鐘の音が帝都全体に響き渡り、人々はその音に耳を傾ける。
通りには花弁が舞い、誰もが歓喜の笑みを浮かべていた。
城下の喧騒を離れた大聖堂の中は、深い静寂に包まれている。
高い天窓から射し込む光が、列席する貴族たちの衣を淡く照らしていた。
白い布が祭壇まで続く花道の両脇には、帝国と王国の国旗が並び立つ。
荘厳な調べの中を、花嫁が歩く。
エレツィア・シャルル・エルスーア。
普段は流している豊かな金糸の髪は丁寧に編み込まれ、陽光に照らされ冠のように煌めいている。
純白のウェディングドレスに身を包み、ヴェールの裾が光を受けて揺れた。
柔らかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩を進める。
その先で待つのは、皇太子クロイツァー・オルヴァンス。
金糸で獅子の紋が縫い込まれた漆黒の礼装をまとい、静かな眼差しで花嫁を迎える。
その姿には、戦場を知る者の威厳と、未来を見据える者の落ち着きがあった。
大司教の声が響く。
「新郎、クロイツァー・オルヴァンス。汝、健やかなる時も病める時も、死がふたりを分かつまで、新婦を愛すると誓いますか。」
「誓います。」
「新婦、エレツィア・シャルル・エルスーア。汝、健やかなる時も病める時も、死がふたりを分かつまで、新郎を愛すると誓いますか。」
「誓います。」
短く、けれど確かな声だった。
静寂が訪れた。
陽の光が揺らめき、聖堂の空気が張り詰める。
ふたりの間に歩み寄った大司教が、一歩退く。
その瞬間──
玉座に座していた皇帝が、ゆるやかに立ち上がった。
白銀の髭を湛えた男の声が、朗々と広間に響く。
「この時より、
エレツィア・シャルル・エルスーアは、
オルヴァンス帝国皇太子妃として、
新たに“エレツィア・シャルル・エルスーア=オルヴァンス”の名を戴くものとす。」
その言葉が落ちた瞬間、
荘厳な鐘の音が天井から鳴り響いた。
帝都中にまで届く祝福の音。
群衆の中から歓声が上がり、弦楽の調べが一斉に流れ出す。
ステンドグラスを透かした光がふたりを包み、聖歌が流れる。
クロイツァーがヴェールを上げ、エレツィアに口づけを交わすと、
堂内に大歓声が響き渡った。
皇帝は満足げに頷き、貴族たちは立ち上がって拍手を送る。
花弁が舞い、鐘が鳴り、風が花の香りと共に鐘の音を運ぶ。
帝都の全てが祝福の音に包まれた。
⸻
その光景を、漆黒の騎士服を纏った女騎士が見つめていた。
会場の隅、警護の一角。
赤い瞳が、光に細められる。
(私は……あの方の隣に立たずとも良い。)
(私たちの心が、互いを見つめ続けているならば。)
彼女は静かに剣の柄に触れ、息を吐く。
花弁が風に舞い上がり、白光の中を漂った。
その中で、ヴィクトリアは目を閉じる。
剣の柄に触れたまま、静かに祈る。
月光の下の誓い。
それが永遠に、続くように。
その無言の祈りは、
鐘の音と、白光の中に静かに溶けていった。




