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アルドレア戦記  作者: 猪飼 要
第三章
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第21話:人を愛するということ(前編) ①


ノーレとの国交が皇帝の命によって断絶されて、一週間が過ぎた。

それでも帝都は、奇妙なほど静かな平穏に包まれていた。

人々は戦の終わりを祝い、商人たちは通りに声を響かせる。

だがその賑わいの底には、誰も言葉にしないざらついた不安が潜んでいた。


その朝、皇太子から呼び出しの伝令が届いた。

エレツィアとヴィクトリアが執務室へ入ると、クロイツァーは机上の書簡に印を押しながら、ちらりと顔を上げた。

その仕草一つにも、彼らしい無駄のない規律が滲んでいた。


「……長らく待たせたな、婚約者どの。──結婚式の日取りが決まった。」


静寂が落ちた。

紙に押された朱の印が乾く音が、やけに大きく響く。


エレツィアの肩がわずかに震えた。

数拍ののち、彼女はゆっくりと微笑んだ。

その笑みは、花のように柔らかく、それでいてどこか遠くを見ていた。


「まあ……嬉しゅうございますわ、殿下。ようやく、ですのね。」


声音は穏やかだった。

だが瞳の奥には、抑えきれない影が揺れていた。

“嬉しい”という言葉の奥で、何かを覆い隠すような静けさがある。


クロイツァーは小さく息をついた。

「うむ。これでようやく“役目”が整うな。」

言葉は理性的だったが、その声音のどこかに微かな逡巡があった。

彼自身もまた、“人を想う”という感情の輪郭を、手探りでなぞっていた。


朗らかに交わされる言葉の横で、

ヴィクトリアはただ、その光景を見つめていた。

胸の奥に沈む、鈍い痛み。

“自分の知らない何か”が、静かに遠ざかっていく感覚だった。


──そして、

思い出すのは、あの薔薇の庭園での出来事。



『びっくりさせてしまったわね。ごめんなさい。──このことは、どうか忘れて。』


あの口付け。

“愛している”と告げた声。

軽い感情ではないことくらい、愛を知らぬ自分にも分かっていた。

だが、どうしたらいいのか分からなかった。


胸の奥に、初めて言葉にならない渦が生まれる。

痛いのか、嬉しいのかも分からない。

ただ、心臓の奥が熱くなっていくのを感じた。


──誰かに、話を聞いてほしい。

生まれて初めて、そう思った。



第一騎士団への剣の教導の日。

エレツィアは、結婚式の段取りのために同行しなかった。


「──で、俺たちに相談って何だ?ヴィク。」

「珍しいな、まさか恋愛相談か?なんてな。」


第一騎士団所属の双子の騎士、アルバートとギルベルト。

歳が近く、特に気安いふたり。

そのふたりを教導の後、昼下がりの食堂に呼び出した。

湯気の立つスープの匂いと、ざわめき。

ヴィクトリアは少し逡巡してから、切り出した。


「実は、ある方から……“愛している”と、言われた。」


「おわぁっ!?」

「まじで恋愛相談か!?」


周囲の騎士たちが息を呑み、耳をそばだてる。

“堅物のヴィクトリアが恋愛相談”──その衝撃が波紋のように広がった。


「ちなみに……誰だ?」

「それは……答えられない。」


(……っ!?)


「“愛してる”以外に、なにかあったのか?」

「その……口付けを、賜った。」


(……ッ!?)


一瞬で空気が凍った。

笑いも消え、椅子の軋む音だけが響く。

アルバートとギルベルトが互いに目を見合わせた。


「あー……その、なんだ。受けてもいいんじゃねぇか?」

「その方の立場を考えると……とても受けられない。」


「「ちょ、ちょっと待った!」」


ふたりは顔を寄せて小声で話す。

「ギル…これ、“黎明の花”のことだろ……?」

「ああ、アル……場合によっちゃ、ヴィクが命落とすやつだ。」

「……どうすんだ……?」

「……どうするか……。」


しばしの沈黙。

やがて、アルバートが真顔で言った。


「なぁヴィク。大事なことだから聞くけどよ……お前自身の気持ちはどうなんだ?」


「私自身の、気持ち……?」


言葉が止まり、時間が止まったように感じた。

胸の奥が静かに痛む。

ヴィクトリアは、ただひとつの言葉を絞り出す。


「……分からない。」


アルバートが息を吐いた。

「そっか。なら、まずはそれと向き合うとこからだな。」

「俺たちは味方だ。──焦るなよ。」

「……ありがとう、アル、ギル。」


ふたりは笑った。

どこか不器用で、温かい笑みだった。

その笑みが、ヴィクトリアの胸にほのかな光を落とした。


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